Hathi Trust のサイトでクロード・ホートンの Neibours 「隣人たち」を見つけたときはうれしかった。作者の処女作で(1926年)読みたくてたまらなかったからである。処女作だけあって、欠点もあるが、ホートンの出発地点を確認できるという貴重な一作だ。彼の不思議な小説世界は、いったいどのようにして形成されていったのか、そうしたことを考える非常によい材料である。ホートンは今では知っている人はほとんどない作家だ。しかし生前はポピュラーではなかったものの、かなりの評価を得ていた人で、ヒュー・ウォルポールや J.B.プリーストレーのような文壇の大御所からも一目置かれていたのである。ついでに言うと、Internet Archive のサイトには Writers Three: A Literary Exchange on the Works of Claude Houghton with Henry Miller, Claude Houghton, Ben Abramson という書簡集が出ていて、これまた貴重な資料である。そう、ホートンはヘンリー・ミラーからも尊敬されていたのだ。
この小説は、知的で謎めいた出だしが見事で、一気にその独特の世界に引きずり込まれる。
私は自分の人生を生きるのをやめようとしている。他人の人生に巻き込まれ、他人の興味や経験に魅了され、その結果、自分の人生はしだいに後景へと退き、ついにはたんなる影と化してしまうことが、いかに容易に起こりうるかを、もはや手遅れではあるものの、理解した。
いったいどんな筋なのか。
「隣人たち」はとある若者(語り手)、これから世に出て行こうとしている男が屋根裏部屋を借りるところから始まる。彼は野心に満ちた男で、自分が持つ可能性をすべて十全に発揮した人生を送りたいと考えている。彼はあらゆる可能性が自分のなかにあり、そのうちの一つではなく、すべてを開花させようと思っている。その目的に向かって作戦を練るために、とりあえずその屋根裏部屋を借り、方針が定まったらすぐにそこを出ていくはずだった。
ところがあるとき、彼は隣の部屋に別の男が住んでいることに気づく。屋根裏に住んでいるのは自分だけだと思っていたから彼はびっくりする。そして彼の笑い声を聞いた途端、彼はその男を恐れ、強烈に憎み出すのだ。憎み出すと同時に彼から離れられなくなる。二つの部屋を隔てる壁が薄いのか、隣の男の声はすべて聞こえる。彼はそれを徹底的に紙に記録しはじめる。それはどうやら膨大な量になるらしく、あとで自分が書いたものを整理しようとしたとき、部屋のあちこちから出現する記録用紙に彼はてんてこまいしている。彼は自分の存在を消そうとまでする。隣の男(作家で名前はヴィクターという)に自分が住んでいることを気取られまいと、電気を消し、食事は夜中に外に出てすませるという暮らしぶりだ。そしてヴィクターが恋人や友人たちと交わす会話に聞き耳を立て、そのすべてを紙に書きつけていく。その結果、彼はとうとう最初の頃の自分とはまったく違う人間に変貌するのだ。自分自身の影になり、隣の男の影になってしまうのである。彼はついに隣の男を殺そうとする。
この粗筋だけでも本書がキリスト教的な物語であることは明瞭だろう。聖書は「隣人を愛せ」と言う。フロイトは隣人のなかに自分を攻撃する存在を見てしまう人間のありようを問題にした。キルケゴールは「理想的な隣人とは死んだ隣人である」と言い、本書の語り手はそれを実行しようとする。本書は隣人に対する西洋のさまざまな考察の上に立って書かれていることはまちがいない。(もっとも本書の発行は1926年でフロイトの「文化への不満」より四年早く書かれているが)
語り手が記録する隣人の会話も面白い。とくに科学者の卵である友人と、「偶然と必然」を巡って交わす会話、さらに霧の濃い晩に別の友人と「虚構と現実」を巡って交わす会話は興味深い。また隣人が恋人と語り合うなかで、次第に隣人の人となりが明らかになっていくのだが、それが語り手の秘密を開示していくようにも読めて考え込まされた。たとえば作家になろうとする隣人ヴィクターは、まだ何も書かれていない、おろしたての原稿用紙について語る。それを前に机に座る瞬間は、その原稿用紙にどんな内容のことも書けるという、あらゆる可能性に満ちた瞬間だ。それは語り手が冒頭で語る「自分にはあらゆる可能性が眠っている」という感覚とおなじではないだろうか。語り手とヴィクターのあいだには不思議な関係性がある。そしてこの関係性を通して、「書く」という行為をめぐる、これまた不思議な考察が展開されている。しかしこのあたりはまだまだよく考えなければならない。
いずれにしろ後の作品に登場するテーマ群が処女作にほとんどすべてあらわれているのではないだろうか。語り手が隣人の会話を記録し、それに触発された語り手が自分の哲学を語るという、物語的にはほとんど起伏のない展開なのだが、読んで損はしないだけの内容があると思う。