アーミテイジ・トレイルの作品でいちばん名を知られているのがアル・カポネをモデルにしたこの作品。なぜかというと1932年にハワード・ホーキンスによって映画化され、さらに1983年アル・パチーノが主演した「スカーフェイス」の原作となったからだ。まあ、原作と映画は別物といっていいくらい改変されているけれど。
主人公はイタリアからの移民トニー・グアリーノ。最初はいかがわしい場所に出入りする若いチンピラとして登場するが、すぐにヤクザ者として胆力があるだけでなく、知性や指導力にもすぐれていることがわかる。彼は無名のときに、とあるギャングのボスから愛人を奪い、さらにそのボスを殺害する。警察の捜査やギャングどもの報復を逃れるために、彼はそのころ始まった戦争に参加して身を隠そうとする。そして戦闘の最中に命を失った上官に代わって部隊をみごとに統率し、勲章をもらうことになる。ただし、そのとき顔を怪我し、醜い痕が残ってしまう。それが「スカーフェイス」という綽名の由来である。
除隊してから彼は、新聞紙上で自分が戦死したことになっていることに気づく。彼はその事実を利用してあらたな名を名乗り、ロボという男に率いられたギャング団に加わる。そこで見事な働きぶりを見せ、彼は実質上、ロボに代わってギャング団を指揮することになる。ロボは争いごとを好まず、ライバルのギャング団がそれにつけこんでいい気になっていたのだが、トニーは好戦的で、トップにつくなり、さっそくライバルのギャング団の幹部を捕まえ、拷問にかける。これが口火となって「戦争」が開始されるのだ。
パルプ小説だから文章の質に期待してはいけない。しかしパルプ小説にとっていちばん肝心な熱気は最後の一行にいたるまで充満している。全編にわたって熱気を醸し出すのは、じつはむずかしいことであって、主人公の造形や、脇役たちとの関係、物語の緩急のつけ方などに技術が必要なのだ。また荒唐無稽な物語であっても、そこにはしっかりした現実的核がなければならない。そういう点で「スカーフェイス」はお手本になるような出来栄えだと思う。
わたしがいちばん面白いと思ったところは、ギャングの世界とかたぎの世界が分かれているのではなく、融合しているところだ。トニーは暗黒世界の盟主となるが、彼の兄貴は有能な警察官として大出世する。二つの世界は一つの家族のなかに共存しているのだ。
また、警察がギャングの首領を一同に集め、それぞれの縄張りを決め、その縄張りの外には手を出すな、つまり戦争をするな、と命令する場面がある。しかしギャングというのは、他の縄張りに手を伸ばし、それを奪い取るのがその本性なのだと、書かれている。わたしはこれを読んで、ギャングの抗争は資本主義における競争とおなじものだと思った。企業も他社のシェアを奪い取ることを目指しているのだ。一見われわれの世界とは別の世界にいるような、ギャングたちの争いは、じつは我々の世界で日々、現実に行われている争いなのである。こういう認識に裏打ちされるとき、パルプ小説はしっかりした背骨を持ち、面白くなるのである。
アーミテイジ・トレイルはこの作品を映画化したいというプロデューサーに版権を売ってから、酒浸りになり、1930年に心臓発作で死んでしまった。28歳という若さである。彼は「十三番目の客」というミステリも書いているのだが、残念ながら手に入れることが出来ない。1929年に出版されてそれっきり絶版になっているらしい。