アンソニー・ウエイマス(1887ー1953)は医者をしながら推理小説を書いた人である。しかし本書はミステリではない。1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻してからの日記である。当時、ウエイマスは医者の仕事をし、同時にBBCのラジオ放送にも出演していた。家族は女の子が二人、男の子が一人、そして奥さん。この一家が戦争の影のもとでどんな生活を送っていたのかがわかる作品である。
とりたててすごいという日記ではない。しかし平易に書かれていて、ついつい最後まで読んでしまった。またBBCの仕事の関係もあって、当時の著名人と付き合いがあり、通俗的な興味もかきたてられた。とくに小説家のイアン・ヘイの名前が出て来たときは、これから読もうと思っていたのでうれしかった。
いくつか印象的なコメントを拾っておこう。
1 ウエイマスは第一次世界大戦にも参加しているので、両大戦の違いを知っている人間だ。彼によると第一次大戦は起きたときに、ある種の喜びを感じたという。理由はよくわからないが、イギリス帝国が即座にドイツにお仕置きすると思っていたからではないかと言っている。しかし1914から1918年にかけての経験は、戦争の過酷さを教えた。それは戦争中の悲惨だけでなく、その後の経済や庶民生活にも多大な影響を与えたのである。第二次大戦がはじまったときは、暗澹とした思いに多くの人が胸ふたがれた。
この差は大事なポイントだろう。第一次大戦は「偉大なる戦争」Great War と称されるが、「偉大なる」とか「大いなる」などという形容詞があの当時の小説や映画のタイトルによくついていた。まだ「偉大なる」「大いなる」などという暢気なことが言えたのである。しかし第二次世界大戦のときは、そうではない。人々はそこになんの希望も喜びも感じなかった。そして収容所のありさまに、「詩はもう書けない」とまで言わされたのである。
2 チャーチルがラジオを通して演説し、その見事さにみんなが感心する場面がある。ガスマスクを携帯して出歩き、空襲に怯える暗い日常を支えるものとして、毎週でもこの稀代の宰相に演説をしてほしいものだとウエイマスは考える。演説後、BBCに行くと、チャーチルの演説に批判的な人もいたようだが、一般の受けはよかった。演説の興奮冷めやらず、翌日彼にその話を持ちかける人もあったくらいだから。チャーチルは文人であり、ジャーナリストであり、軍人であり、政治家という人だ。わたしは彼が書いた唯一の小説を読んだことがあるが、あの文章力はたいしたものだ。ウエイマスの記述を読みながら、チャーチルの演説集があれば読んでみようかという気になった。
3 第二次大戦がはじまってドイツは食糧が配給制度になったが、その配給によるカロリーはいくらくらいだったか。普通われわれは確か一日1700キロカロリーが必要とされているが、ドイツの割り当ては500キロカロリーだったという。この数字は本物だろうか、それとも英国におけるプロパガンダの数字だろうか。500キロカロリーではとても生きていけないだろう。しかし妙にリアリティーを感じさせる数字でもある。日本が戦争を起こし、輸入が止まれば、食糧自給率がおそろしく低いから、農村部をのぞいて、みな、ろくなものが食べられないはずだ。イギリスのとある新聞記者が一日500キロカロリーの食事でどれだけ生活できるか、体験記を書こうとするのだが、その前にウエイマスに健康診断をしてもらうという場面がある。それによると新聞記者の一日のカロリー摂取量は2000キロカロリーを超えていたという。いったいどんな記事を書いたのだろう。日本の新聞記者もやってみたらいいと思う。三食イモを食う生活がどんなものか、一週間でもつづけて、生理学的、医学的、情緒的にどんな変化が生じるか、調べてほしい。
4 戦争になれば物作りはほぼストップする。イギリスでは古い車は前後に断ち剪られ、エンジンのある前の部分だけ救急車として再利用されたそうだ。それを読んだときは、なるほどそういうものか、とびっくりした。しかしこの工場はなかなか従業員にとって働きやすい場所だったらしい。仕事中、たばこが吸いたくなったら、いつでも仕事場を離れて、休憩できたからだ。日本では労働者を管理するから(さらに悪いことに、労働者同士がお互いを監視するから)、こうはいかないだろう。が、このような自由さがあると、個人としての人格が尊重されているような気分になり、労働者は気持ちよく働けるのだそうだ。
こんな具合にウエイマスの日記はいろいろなことを考えさせてくれる。正直に言えば、彼が自分の専門の話(精神医学の話)をするときは、その凡庸さにあきれてしまうのだが、それ以外の部分には意外な情報がちりばめられていて、楽しい。非常にわかりやすい英語で書かれているので、興味のある人には一読をおすすめする。