Saturday, March 29, 2025

H. W. ローデン「首つりは一度だけ」

 


ローデン(1895-1963)は食品会社の重役をしていた人で、四冊ほどミステリを書いている。この人を知っているのはよほどのマニアなのだろう。わたしは名前は知っていたが、作品が手に入らなかった。それがこのたび「首つりは一度だけ」と「死ぬには忙しすぎて」の二作を手に入れた。さっそく読んでみたら、これがなかなか面白い。

主人公は二人いる。私立探偵のシド・エイムズと宣伝マンのジョニー・ナイトである。物語はこんなふうにはじまる。ジョニーが事務所で新聞を読んでいると、誰かが部屋に入ってきた。ゆっくりと目をあげると、銃口がこっちを向いている。銃を握っているのはちょっといかした感じのヤンスというやくざ者である。ジョニーが用を聞くと、黙ってついてこいと言われる。彼は車でバレッティというカジノを経営する男のもとへ連れて行かれる。バレッティは荒っぽい手を使ってジョニーを呼んだ理由をこう説明した。物語の舞台となる街には(どことは示されていない)レノルズ一族という有力者が住んでいる。この一族がバレッティのカジノ反対運動をはじめたというのだ。ジョニーはレノルズ一族のために働いていたし、息子とも友人関係にある。ひとつ、彼らを説得してカジノ潰しをやめさせてくれないか。

ジョニーはその依頼を蹴飛ばして、事務所に戻るのだが、なんと彼の椅子には同じビルの中で働いている法律家の死体が座っているではないか。ジョニーは警察の目を逃れるために私立探偵シドの助けを借りて死体を移動させようとする……。

いったいバレッティとレノルズ一族の対立が、法律家の死とどう関連しているのか。スピーディーな話の展開のなかで、真相が徐々に明らかになっていく。

物語の前半はテンポが非常によく、緩急を心得た書き方になっている。かなりこの手の本を読み、展開のさせ方を勉強したあとがうかがえる。ただ会話にパンチ力がない。上等のパルプ小説はユーモアや言い回しに気の利いたところがあるが、この作品の会話は凡庸である。あくびは出ないけれど、説明的すぎて花がない。また、個々のキャラクターにもいま一つ特徴がない。いちばん文句をいいたいのは、主人公である私立探偵と宣伝マンの個性が際立っていない点である。探偵のほうが酒と女にだらしなく、事件解決の鍵を鋭くつかんではいるのだが、それだけで、強い癖があるとか、二人の掛け合いが面白いとか、ある種の対照が生まれているとか、そういうことは一切ない。そのせいか、読み終わって、味がやや薄かったという印象を与える。ひとりだけ印象的な人物はジョニーの秘書で、彼女はいつも秘書のデスクの前におらず、暇すぎるとか、ボスのジョニーの不在時間が長すぎると文句をつけ、タバコを吸ったり、お茶をしに出かけているのだ。一度も登場しないこの秘書が作品のなかでいちばん生彩を放っていた。これをうまく利用してもっとスラップスティックな物語にすればよかったのに、と残念だった。

作者のローデンが書き残したのは次の四作である。ご参考までに。


You Only Hang Once (1944)

Too Busy To Die (1944)

One Angel Less (1945)

Wake For A Lady (1946)

エドワード・アタイヤ「残酷な火」

  エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...