Saturday, August 23, 2025

アレンカ・ズパンチッチ「否認」


原題は Disavowal で一応「否認」と訳してみた。これは精神分析の用語で今どういう訳語が当てられているのか、よく知らない。よく似た言葉に「否定」があるが、これとは違う。まず両者の違いから説明すると……。

否定はトラウマ的な事象に対して「それではない」と真っ向から抑圧的に打ち消すことを言う。これに対して「否認」はトラウマ的な事象に対して「その事象についてはわかっている。しかしそれでも……」と真っ向から打ち消すのではなく、いわばそらすようにして否定することを言う。たとえば気候危機に対して「気候危機などない」と反応するのが否定であり、「気候危機がどういうものかはわかっている。しかし経済発展が大切だ」というのが「否認」である。いずれも気候危機から目をそらす点では同じだが、否認には気候危機がいかに深刻かということを説いても、「いや、それはわかっている。しかし……」と反論されるところが大きな違いだ。精神分析では pervert がこの否認を用いることでよく知られ、また pervert は治療がもっとも困難な病と言われている。

否認の構造はフェティシズムとも関係してくる。ある科学者にまつわるこんな逸話がある。彼は玄関の戸に馬蹄をぶら下げていた。これは悪魔よけのおまじないである。あるとき科学者の友人が言った。「きみは科学者だろう。どうして迷信を信じるのだ?」すると科学者が言った。「もちろん迷信など信じてはいない。しかしこのおまじないは信じていない人にもきくらしいからね」ちょっとややこしい説明になるが、要するに科学者は迷信を信じている。しかしそれを「迷信だということはわかっている。しかし……」という論法で否認するわけである。科学者は迷信である馬蹄の力など信じていない、しかしそれでも馬蹄を飾っている。どこかで彼は信じているのだ。妙な言い方になるかもしれないが、馬蹄が彼のかわりに迷信的な力を信じているといってもいいだろう。このような奇妙なモノ、これがフェティッシュな対象である。

もう一つ例を挙げよう。美男美女の若いカップルがいて、うらやましいことにお互いを深く愛し合っていた。ところが奥さんが乳がんでコロリと死んでしまった。旦那さんは悲しみにかきくれるかと思いきや、案外平気で、奥さんが亡くなる直前の様子なども落ち着いて友人たちに語ることができた。ただし……ここが重要なのだが……そのとき彼は、奥さんが大切にしていたペットのハムスターをいつも撫でていたのである。このハムスターが死ぬと、旦那さんは完全に狂乱状態に陥り、自殺してしまった。精神分析の医者ならすぐわかるが、ハムスターは「妻が死んでいない」という信念をあらわすフェティッシュだったのだ。だからハムスターが生きている限りは、旦那さんは「妻が死んだことは知っている。しかしハムスターが生きている限り、彼女は死んでいない」と考え、平気で奥さんの死についても語ることができた。しかしハムスターが死ぬと「妻は死んでいない」という信念も崩壊し、彼は狂乱状態に陥ったのである。

フェティッシュは奇妙な現象である。科学者は迷信を信じているのだろうか、信じていないのだろうか。彼は信じていないと友人に言うが、フェティッシュなモノが彼のかわりに信じている。しかしモノは彼ではない。科学者は信じていると同時に信じていないとも言える。ハムスターの例もまったく同様である。

わたしはなにか非常に特殊な現象について話していると思われるかもしれないが、否認は広く社会に行き渡っている。スマホに必須の材料の一つは、コンゴの鉱山における児童労働によって得られているが、あなたにその事実を伝え、スマホの利用をやめるかと問うたとしよう。あなたはどう答えるか。「それは知っている。しかしスマホなしではもう暮らせない」と言うのではないか。これこそ否認である。いまある経済的枠組みから脱出できないことを否認の形で認めているのだ。またわたしはマリー・コレーリの「悪魔の悲しみ」を翻訳したが、その後書きに記したように、この本のテーマはまさしく否認である。あるいは政治的言説に耳をすませれば、「そんなことはよくわかっている。しかし……」という言い回しがしょっちゅう聞きとれるだろう。

またアンケートなどで「……を信用するか」とか「……を信じるか」などという設問には意味がない。人は信じていないかもしれないが、フェティッシュが信じているかもしれないからだ。「信」は心の内奥の構造だと思ってはいけない。否認において信はその人の外部に存在している。

本書ではこの否認のメカニズムに対して詳しい考察を加えている。なぜ否認が問題なのか。作者のズパンチッチによれば、それが資本主義のきわめて冷酷な現実を覆い隠すために使われているからである。とりわけ最近の陰謀論的言説においては、トラウマ的なものが二重に否認されていると作者は指摘する。我々の社会の問題点が二重に覆い隠されているということだ。

オクターヴ・マノーニ、ロベルト・プファーラーに引き続いてアレンカ・ズパンチッチが明快で刺激的な否認論を書いてくれた。知的な興味を持つ人々に心から推薦する良書である。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...