Wednesday, October 29, 2025

E.C.R.ロラック「作者の死」


ヴィヴィアン・レストレンジは超売れっ子のミステリ作家である。この作家は人嫌いなのかなんなのか、けっして社交の場には出て来ない。覆面作家という言い方があるが、この人の場合は覆面もなにも、とにかく人には会わない。出版社の人々にすら会わないのだ。あるとき編集者からパーティーに呼ばれたが、そのときは秘書のエレナア・クラークに自分のふりをさせて代わりに出席してもらった。だからそのパーティーに来た人はヴィヴィアン・レストレンジは女性だと思っている。(ちなみにヴィヴィアンという名前は男にも女にも使える)

あるときその秘書のエレナア・クラークが警察にやってきた。レストレンジと彼の家の女中が消えていなくなったと言うのである。たしかに窓に弾丸が通過したような穴があいているだけで、家の中には誰もいない。スコットランドヤードのウォーナー警部と地元警察のボンドが捜査に乗り出すが、作家と女中の行方は杳として知れない。いったいどこへ行ったのか。それともヴィヴィアン・レストレンジはじつは秘書のエレナア・クラークでメディアの注目を集めるために一芝居仕組んだだけなのか。

この物語の事件はざっとこんな具合にはじまるのだが、非常に面白かった。エレナア・クラークがつねに犯人かもしれない、つまり事件が彼女のでっちあげかもしれないという可能性を示唆することで、読者は虚構と現実のあわいを浮遊させられるからである。レストレンジも女中もほぼ完全に社会とのつながりを断った形で生活していた。ウォーナー警部らは、偶然、レストレンジが過去のある事件の当事者ではないか、事件以後名前を偽って生きてきたのではないか、という可能性につきあたるが、しかし絶対にそうだとは言い切れない。レストレンジが社会的な足取りを完全に消しているので、警察は自分らが勝手に「物語」をつくっているという疑いが消せないのである。読者はフィクションを読みながら、フィクションとはなんだろうと考え込んだり、現実のフィクション性に思いをめぐらせることになるだろう。ロラックの作品は十冊くらいしか読んでいないが、そのなかでも本書は異色作ではないかと思う。ちなみにいつも出てくるマクドナルド警部は本書にはまったく登場しない。

ロラック(1894ー1958)はロンドン生まれの女流作家で、本格もののミステリを書き、生前は非常に評判のよかった人である。最近は復刊される作品も多くなった。わたしが読んだのはマーチン・エドワーズが序文を寄せている、2023年度にリプリントが出たブリティッシュ・ライブラリ版である。

E.C.R.ロラック「作者の死」

ヴィヴィアン・レストレンジは超売れっ子のミステリ作家である。この作家は人嫌いなのかなんなのか、けっして社交の場には出て来ない。覆面作家という言い方があるが、この人の場合は覆面もなにも、とにかく人には会わない。出版社の人々にすら会わないのだ。あるとき編集者からパーティーに呼ばれたが...