フィルポッツは(1862-1960)はダートムアを舞台に、優れた小説を書いた人だが、エンターテイメントの分野でも良い作品を残している。「原子番号八十七」(1922)はその一つで、巨大な蝙蝠に似た、不思議な生き物が世界の要人を殺害し、とてつもない未知のエネルギーを発して建築物を粉々にしてしまうという話だ。「バット」と呼ばれるようになるこの巨大な蝙蝠の正体はなんなのか、地球上のいまだ知られざる生物なのか、それとも宇宙から来た侵略者なのか。
最後に種明かしをされると、「なんだ」ということになるのだが、しかしそこに至るまでの物語はじつによくできている。二つの世界大戦にはさまれた期間を、英語ではインターウォー・ピリオドというが、その微妙な時期の世界情勢、当時の科学的発見(相対性理論や原子物理学)が思想や倫理観に与えた影響、権力とエゴイズム、古い理想主義と新しい世界のありよう、悪を滅ぼすに悪をもってしなければならないというパラドクス、こうした重い話題が、奇怪な連続殺人事件のあいだにさしはさまれる。その議論はどれも面白く、考えさせるものを持っている。しかしこの作品のいちばんすぐれているのは……文体である。
古めかしいといえば古めかしいのだが、硬質で、読者に知的な緊張を強いてくるような文体なのだ。わたしはこの緊張感にたまらない魅力を感じた。エンターテイメントだからといって文体がなおざりにされてはならない。この鋼のような文体は、最後まで物語が弛緩することを許さないだろう。作者がこの物語を手すさびではなく、真剣な思想表現の場と見なしていたことが、この文体からもわかる。
Wednesday, August 1, 2018
ジュリアン・マクラーレン・ロス「四十年代回想録」
ジュリアン・マクラーレン=ロス(1912-1964)はボヘミアン的な生活を送っていたことで有名な、ロンドン生まれの小説家、脚本家である。ボヘミアンというのは、まあ、まともな社会生活に適合できないはみ出し者、くらいの意味である。ロンドンでもパリでもそうだが、芸術家でボヘミアンという...
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ウィリアム・スローン(William Sloane)は1906年に生まれ、74年に亡くなるまで編集者として活躍したが、実は30年代に二冊だけ小説も書いている。これが非常に出来のよい作品で、なぜ日本語の訳が出ていないのか、不思議なくらいである。 一冊は37年に出た「夜を歩いて」...
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「ミセス・バルフェイムは殺人の決心をした」という一文で本作ははじまる。 ミセス・バルフェイムは当時で云う「新しい女」の一人である。家に閉じこもる古いタイプの女性ではなく、男性顔負けの知的な会話もすれば、地域の社交をリードしもする。 彼女の良人デイブは考え方がやや古い政治家...