Tuesday, August 7, 2018

「わたしが殺した」

1931年に発表されたセシル・フリーマン・グレッグ(1898-1960)のミステリ。ヒギンズ警部シリーズの一作。

しかし評価の難しい作品だ。よいところと悪いところがある。

よいところは、とにかく読んで面白い。ヒギンズ警部とボビー青年を中心に活劇が展開される。テンポもいいし、登場人物も生き生きしていて好感が持てる。悪いところは、構成。この作品はまず最初に一人称による手記が掲載され、そのあとに三人称による物語が展開される。当然わたしは語りのトリックが味わえるものと、楽しみに読み進んだのだが、そんなものはなんにもなかった。あのような実験的な構成にした理由がいまひとつわからない。残念。

本書はミステリではあるけれど、本格的な推理小説ではない。なにしろヒギンズ警部が事件の渦中にある女性と恋をするのだから本格推理にはなりようがない。本格ものにおいて、探偵役は外部から事件をながめる。たとえ事件の関係者が探偵の知り合いであったとしても、あらゆる可能性を考えなければならない(つまりその知り合いが犯人である可能性も考えなければならない)。探偵が事件の内部の人間と特殊な関係を結んでしまうと(たとえば恋愛)、探偵はもはや外部から事件を見ることができなくなり、本格推理にはならなくなるのである。「トレント最後の事件」はまさにそういう作品である。

しかし本格ものでなくても本作は充分に読みごたえがある。読者は、物語を紡ぎ出し、人物を造形する作者の能力が相当なレベルにあることを知ることになるだろう。

粗筋を紹介したいがかなり複雑である。没落貴族、遺産相続、宝物、秘密の地下道、夜の屋敷で起きる怪事件、ギャング、殺し合い、スコットランドヤードの活躍、ハンサムで力のある快男児、若い女と恋に陥る警部。キーワードを並べただけで、なんとなくどんな話か想像がつくだろう。華やかでロマンチックなドラマである。

セシル・フリーマン・グレッグの作品はあまり手に入らない。以前「バス殺人事件」というのを読み、その読みやすさと面白さに驚いたが、忘れられた作家たちの中でも、わたしはとくに注目している一人である。

関口存男「新ドイツ語大講座 下」(2)

§2. Der ? ach, dem traut ja keiner. あいつか?へん、あんなやつに誰が信用するものか。 trauen : 信用する。 ja : (文の勢いを強めるための助辞)  前項のは名詞に冠したものでしたが、こんどは名詞を省いたもの...