Monday, September 17, 2018

アマゾンから自己出版→文学賞候補

マルコ・コスカスはフランス系イスラエル人の作家で、今までに十冊以上の本を普通の出版社から出していた。ところが新作 Bande de Francais はどの出版社からも出版を拒否され、とうとうアマゾンから自己出版せざるをえなくなった。

するとどうだろう、この作品がフランスで最も有名な文学賞の一つ、ルノードー賞の候補にあがったのである。

とたんにフランスの書籍販売業者から審査員に「本を守って欲しい、本を脅かす連中を守るのではなく」という要請が出た。

どういうことかというと、アマゾンから出た本は本屋の店頭に並べることができないからである。かりにコスカスの本が賞を受賞したとしても、フランスの書籍業者には一文の溶くにもならないのだ。アマゾンができたときから伝統的な書籍販売業者とのあいだには確執があったが、それがここで大きく再燃した格好である。

しかしアマゾンも本屋も同じ出版業者だと思う人に取っては、これはどうでもいい問題である。どこから出版されようが、その本に価値があれば、文学賞が与えられて当然ではないか。

以前、文学賞は「文学的価値のある本を選ぶ」ためのシステムと考えられていたが、アマゾンが出現してからは、「本を売るための仕掛け」、つまり書籍販売業者が売り上げを伸ばすためのツールという側面が露わになった。よくは知らないが、多分大手の出版社は文学賞にそれなりの金を出しているだろうから、なおさら自分たち以外の業者にその果実をかっさわれることに不満を感じているのである。

が、そういう金にまみれた欲望をあらわに表出することはできないから、「本を守って欲しい」などという体裁のよい要請をでっちあげたのだろう。

AIの活用によって人間の職業に大きな影響が出ると取り沙汰されているが、インターネットの出現により伝統的な出版形式(本だけでなく新聞雑誌なども含む)が変化を余儀なくされているということも、何年も前から言われつづけているではないか。いまさらなにを、というのがわたしの感想である。

ただ、ガーディアン紙に載っていたマルコ・コスカスの意見にはちょっと疑問がある。彼はこう言ったのだ。「なによりもアマゾンは文学的意見を持っていない。それが重要だ。彼らはわたしの書き物の内容にコミットしてこない。彼らはわたしに出版費用を求めることはない。マッチメーカーと同じで、製品が売れたらその分彼らにも金が渡る。わたしはそのどこにも不満はない」

アマゾンははたして文学的意見を持たないだろうか。ここが大きな疑問である。アマゾンも結局のところ企業であり、時の権力と結びつくこともありうる。そのとき、アマゾンは権力との結びつきを巧みに隠蔽しながら検閲や何らかのコントロールをはたらかせようとするだろう。そうした事例は実際すでに起きている。

フランス国内の出版社は反イスラエル的な感情を持ってコスカスの本を拒否したのかもしれないが、国際企業であるアマゾンにとってそんなことはどうでもよいことだった。アマゾンが中立的立場だからコスカスの本を出版したのではなく、利益の得どころがフランスの出版社とは違っていたのである。

この利益の問題を文学的意見のあるなしと見間違ってはいけない。

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