イギリスの図書館が次々と閉鎖されているというニュースを見るにつけ、おなじ事態が日本でもそのうち始まるだろうと暗い気持ちになってしまう。(日本は世界のトレンドから十年~二十年くらい遅れているから)
しかし日本の図書館は本当に生きているか。もう半分死にかけているのではないか。わたしは最近そう思いはじめた。
理由はみっつ。ひとつは利用者の減少。ふたつ目はアマゾンの品揃えの拡充による相対的な図書館の価値低下。みっつ目は図書館自体が知の集積地としての活動を充分に果たしていないこと。
ひとつ目とふたつ目の理由は自明だが、みっつ目はどういうことか。
まず第一に図書館員の本にたいする知識の低下。要するに本を読んでいない。和漢洋にわたる広範な知識がない。とりわけ古典となると絶望的である。ある図書館の館長は鉢かづき姫の話すら知らなかった。洋書の購入は洋販のいいなりである。図書館が見識を持って購入する本を決めているわけではない。
第二に、図書館で開催される行事の内容があまりにも凡庸なものばかり(しかも誰の興味も惹かないようなものばかり)である。凡庸なものが多くてもかまわないのだが、テレビでやっているようなお座敷芸的知識の紹介ではない、先鋭的な知が一切拒否されている。それは常識をひっくり返す危険な知であって、それだけに一般受けはしない。しかし知の尖端とはそういうものなのだ。自然科学においても人文科学においても。そういうものに触れる機会を図書館はなぜつくらないのか。わたしは図書館が無党派性を主張しながら、じつは党派性をすでに有しているのではないかと危惧する。
第三に、図書館の発信力がおそろしく弱い。メディアを通じて図書館の魅力、読書の魅力をなぜ訴えないのか。欧米ではビッグ・リードのような行事が行われているが、なぜ日本の図書館はそうしたものを企画しないのか。また欧米の図書館では、独自に、さまざまなテーマに沿って(性や人種や労働、などなど)注目すべき書籍のリストを出しているが、なぜその程度の活動もしないのか。
図書館がたんなる知の集積地であったなら、もうすでに役目は失っている。アマゾンのほうがはるかに巨大な集積地だからだ。もう数年したら Internet Archive だってその蔵書数を増やし、世界の図書館と呼ばれるようになるだろう。図書館が生き延びるとしたら、その知を咀嚼したり、整理しなおして、つまり巧みに調理していかにもおいしそうに市民に提供できなければならない。それができない日本の図書館はもう半分死にかけているとわたしは思う。
Monday, December 10, 2018
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
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