ハリウッドの俳優で日本語が話せるのはスティーブン・セガールだけではない。「レベッカ」のジョーン・フォンテーン、「女相続人」のオリヴィア・ド・ハヴィランド、この二人の姉妹も上手だった。
アメリカにいたときたまたまジョーン・フォンテーンの自伝 No Bed of Roses を読み、知ったことである。この本は今 Internet Archive で読むことができる。
とくにジョーン・フォンテーンは高校時代を日本で過ごしていたから日本語がよくできた。彼女がアメリカに帰って最初にした女優活動は、確かラジオドラマへの出演だったと思う。主役の女の子が日系アメリカ人で日本語と英語の両方ができる必要があったのだが、ジョーンはこれは自分にうってつけの役だと思い応募したのだそうだ。
オリヴィアとジョーンのハリウッドでの活躍と確執はわたしが語るまでもないだろう。いずれもアカデミー賞を二回取った名女優なのだが、姉のオリヴィアはジョーンを毛嫌いし、アカデミー賞を受賞した姉を祝福しようとした妹から氷のように冷たくつんと顔を背けた写真はあまりにも有名である。
オリヴィアは高校時代から演劇・映画で活躍し、一家の稼ぎ頭だったのだ。(また演技力も当時の女優の中では一番だったと思う。ただしそれは舞台用の古いタイプの演技であって、新しいタイプの演技が求められるようになった三十年代、四十年代に入ると彼女は人気を失った)
ところがアカデミー賞の受賞も結婚も子供ができるのも妹に先を越され、彼女は面目を潰されたとかんかんだったのである。
しかし後年、ジョーンが健康を損ない、また夫の仲がうまくいかなくなったとき、オリヴィアが彼女の看護役として付き添ったことがある。ちょうどオリヴィアも夫婦関係に問題を抱えていたので、妹に同情したのだろう。
そのときだった。
オリヴィアはジョーンをベッドに寝かしつけると、そばに寄り添い日本語で歌をうたいはじめたのだ。それは彼らが幼少の頃、日本人の乳母に聞かされた、なつかしい日本語の歌だった。「ねんねん ころりよ おころりよ」五木の子守歌である。
Internet Archive に載っている No Bed of Roses ではきちんとしたローマ字に表記になっているが、わたしが読んだ版ではたしか「ねんねん」が Ning Ning をあらわされていたような気がする。それで何の歌だろうとしばらく頭をひねった思い出があるのだ。
アメリカの友人にこの二人の大女優と日本語の関係を示す逸話を話すと、「すごいトリヴィアだね」と感心していた。
Wednesday, January 9, 2019
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