グレイディ・ヘンドリックスという人が2017年に「地獄のペーパーバック」という本を書いた。これは七十年代と八十年代に出たホラー小説を類別化し論評したもので、ホラーファンのあいだではずいぶん人気となり、よくおぼえてないが、なにかの賞も取ったのではなかったろうか。ペーパーバックの表紙の写真がずらりと並び、当時、三省堂などで洋書をあさっていた人間をなつかしくてたまらない気持ちにさせる。買いはしなかったが、表紙の絵は記憶に残っているのだ。わたしはちょうど高校生の頃で、この本に紹介されている作品ではジェイムズ・ハーバートの「鼠」とか「霧」、F.ポール・ウィルソンの「要塞」、あとはパン・ブックのホラーの短編集を読んだ。
このほどヴァランコート・ブックスが、「地獄のペーパーバック」に紹介された本を再刊することになり、これまたホラー小説のファンのあいだではちょっとしたバズを生んでいる。今出版が予定されている本は
THE NEST by Gregory A. Douglas
WHEN DARKNESS LOVES US by Elizabeth Engstrom
THE TRIBE by Bari Wood
THE SPIRIT by Thomas Page
THE REAPING by Bernard Taylor
の五冊のようだ。もっともヴァランコートはホラーを何冊も出版しており、ロバート・マラスコの「燔祭」のように、「地獄のペーパーバック」が紹介している本をとっくに再刊しているという場合も多々ある。
しかし七十年代、八十年代という時代に注目が行くのはよいことだ。ホラーというのは時代の感性と切り離せない。たとえば、うんと単純な例だが、昔のホラーに於いて悪は社会の外から侵入してきた。宇宙から、山の奥から、沼の中から、人里離れた森の古い邸の中から、などという具合だ。しかしある時期から、悪は人間そのもの、人間の内部から登場するようになった。映画でもよく見かけるが、人間の顔が割れ、中から悪魔が登場したり、腹の中から化け物が飛び出してきたりする。人間以外のものへの恐怖、他文化への恐怖、外部への恐怖が、人間そのものへの恐怖、自文化への恐怖、内部への恐怖に変化したのである。
何故こんなことが起きたのか。それはやはり時代の変化と密接につながっている。たとえば冷戦時代は悪の根源を鉄のカーテンの向こう側に求めればよかった。ところがベルリンの壁が崩壊し、自由主義なるものが世界を覆うと、悪は内部に求められるようになった、というように。
現代のホラーの感性を理解するには七十年代、八十年代のホラーを読み解く必要がある。今の社会の方向性がその時期に決定されているからである。資本主義が勝利を収め、世界を覆い尽くし、さらにおのれの運動を続けるために、搾取の対象をあらたに創り出し、人間を食いつぶしていく状況は、七十年代、八十年代から顕著に開始された。今生み出されているホラーは、映画も小説も、奇妙なくらい階級意識を見せているが、その萌芽はじつは七十年代・八十年代にあるのだ。たとえば先ほど挙げた「燔祭」などは商品フェティシズムの謎めいたありようをホラーとして表現したものと見ることができる。
Thursday, March 7, 2019
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...

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