ジャック・ラカンはドストエフスキーの言明「神がいなければすべてが許される」をひっくり返して、「神がいなければすべてが禁じられる」と言った。この転倒は神を否定するリベラルな快楽主義者をよりうまく説明する。彼らは快楽の追求に人生を捧げている。しかしこの追求のための空間を保障する外的な権威が存在しないため、彼らは政治的に正しい規則(PC)をみずからにおしつけるのだ。まるで伝統的な道徳よりももっときびしい超自我が彼らを支配しているように。彼らは快楽を追求する際に他者の空間を傷つけたり侵犯するのではないかと怖れ、他者にいやな思いをさせないためのさまざまな規制を設け、みずからの行動を縛る。もちろん自分自身のためにも、同じくらい複雑な規則をつくりあげる。フィットネス、健康食品、リラクセーションなどなどだ。快楽主義者になることぐらい過酷で規制に縛られるものはない。
一方、厳密にこれと対応しているのが、暴力的なくらい直接的な形で神に向かい合う人々である。つまりみずからを、神の意志を実現する手段と考えている人々である。すべてが許されているのは彼らのほうである。原理主義者こそが、キルケゴールのいう「宗教による倫理の保留」を行っている。神の使命を果たすという名目で彼らは何千という人を殺しているのだ。
2010年11月9日にニューヨーク・パブリック・ライブラリで行われたスラヴォイ・ジジェクの講演から
Wednesday, June 19, 2019
マリ・ドルトン「跪く女の謎」
マリ・ドルトン(Moray Dalton)は1881年にロンドンに生まれ、スコットランドヤードのヒュー・コリアー警部を主人公にしたミステリを三十冊近く書いた。近年 Dean Street Press が彼女の作品を電子化して出しており、わたしもはじめて彼女の本を手にした。1936...
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