クロード・ホートンの「わが名はジョナサン・スクリブナー」をずっと訳してきたが、ようやく作業も終わりに近づき、後書になにを書こうかと今は迷っている。できたら作品に新しい視点を与えたい、世界でだれもしゃべっていないような論点を付加したいと思っている。もちろん、わたしは研究書を手に入れるのにも苦労しているので、それはなかなか難しいのだけれど。けれども以前訳した「オードリー夫人の秘密」や「悪魔の悲しみ」では作品への新しい取り掛かりが示せたのではないかと思っている。
「ジョナサン・スクリブナー」にも面白い問題点はあるのだ。これはある驚くべき存在についての物語であると言っていい。シェイクスピアはその登場人物の多様性のゆえに myriad-minded Shakespeare (「万人の心を持つ」)などと呼ばれたが、ジョナサン・スクリブナーもあらゆる人間の心を持ち、どのような人に出会っても、その人に呼応した側面を差し出すことができる。
それどころか彼は相手の心を読み、相手がなにをするか、予想することもできる。彼とかかわりのある人は、みな、自分の心中を読み取られているような不気味な印象を持つ。
さらにスクリブナーはとてつもない才能の持ち主で、あらゆる分野において超一流を極めることができた。画家にも、役者にも、小説家にもなれたし、金儲けだって誰を相手にしても負けない。この世の可能性の極限をきわめることができる男なのだ。
彼は可能性を極めるだけではない。可能性を極めた末に、それらが虚しい、無意味だということを知り、手にする権利があるすべての栄光を捨ててしまうのである。
では、栄光を捨てて彼はどこに行くのか。彼はこの世の可能性の外、いまだ知られざる荒野へと向かおうとしている。
そんなとてつもない人間が存在するのだろうか。なぜ作者はそんな人間を考えたのだろうか。
わたしはふと気が付いた。いや、そういう人間はいる。端的にいるではないか。それは作者だ。
小説論を勉強すれば omniscient author という言葉を習うだろう。何でも知っている、神のような書き手、という意味である。登場人物すべての人の心の中を探ることができ、世界中のあらゆる場所で起きている事件を知っていて、読者に語ることのできる作者だ。
この全知の作者と、彼が描く登場人物のあいだには画然たる差がある。全知の作者はメタレベルにあるとすれば、登場人物はもちろんオブジェクト・レベルにあるわけだ。彼らがまじりあうことはありえない。
しかしまじりあったとしたらどうだろう。神のような作者が作品中に舞い降りてきたとしたら。彼はまさしくスクリブナーのような存在になるのではないか。
「ジョナサン・スクリブナー」の登場人物たちは、自分たちがスクリブナーによって操られている、あるいは、心の底まで読み取られていると感じるが、当然である。スクリブナーは彼らの創造主であり、彼らを操って物語を書いているのだから。
この小説の語り手はレクサムという男なのだが、レクサムもスクリブナーによって生み出され、操られる登場人物の一人にすぎない。レクサムは自分がこの物語を書いていると思っているが、じつはスクリブナーによって書かされているのではないか。本当に書いているのはスクリブナーなのではないか。スクリブナー(Scrivener)とは「書く人」の謂いである。
そう考えるとこの小説は複雑な、入り組んだ構造を持っていることになる。書く人が書かれ、書かれる人が書くという、まるでエッシャーの絵のようなパラドキシカルな構造になっているのだ。
このことはわたしが知る限り、まだどんな批評家によっても語られていない「ジョナサン・スクリブナー」の特質である。これについて書こうかなあ、と思ってはいるのだが、まだ考えがまとまらないところもあり、ま、わからない。
Monday, July 1, 2019
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