精神分析が最初に教えてくれることはこういうことだ。人々の生き方の根本にあるものは、宗教とか習慣といった、たんなる文化的な特徴ではない。そうではなくラカンがいう「享楽」、過剰な快楽である。生の根本にあるのは「現実(ルレール)」なのだ。この「現実」は二つのレベルで物質化する。第一に権力との関係において。第二に性的な関係において。
わたしをレイシスト呼ばわりする左派の人々に「異なる文化が共存するとはどういうことか」と問うと、彼等はいつも単純な例をあげる。彼等特有の言語、詩、歌、食べ物などが許されるべきだ、云々と。しかし次のような例はどうだろう。
十五年ほど前、ジプシーの十二歳の少女が家出した。父親がその友人に、彼女を嫁として差し出そうとしたからである。彼女はスロベニアの公的機関にそのことを訴え、保護を求めた。そのときジプシーはこう反論した。あなたたちはわれわれの生き方を尊重するのか。親が子の結婚を決定することはジプシーの生活の根本を形成している。それを奪うことはジプシーのコミュニティーを消滅させることに等しい、と。
権力との関係に於いても例をあげよう。インドにおいてカースト制度は今でも彼等の生活の根本を形づくる要素である。ポストコロニアリズムを研究する学者でさえ、インド社会の平等についてわたしが問うと、帝国主義的な西欧の観念を押しつけてくるなと反論してくる。
快楽を統御する複雑なやり方、結婚の交渉とか女性の服従とか、そういったものは単純な生物学的快楽を社会的快楽へと変換するものである。
われわれが他者を吸収・統合しようとするとき、問題となるのはその際にわれわれが他者の民族的「享楽」を剥奪しようとしてしまうことである。
(ジジェクの講演から)
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
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