Monday, October 21, 2019

「ジゴマ」と「ファントマ」

ジゴマもファントマも今の人は聞き覚えがないかもしれない。しかしレオン・サヂイが生み出した怪盗ジゴマは、かつてその映画バージョンが日本でずいぶん人気を博したのだ。ただ、怪盗ジゴマは残酷で、子供に悪い影響を与えるなどといった理由から上映禁止になったりもした。ファントマは日本での評判はジゴマほどではなかったが、それでもこの作品はジェイムズ・ボンドが立ち向かうゴールド・フィンガーとか、「子羊たちの沈黙」のレスター博士とか、そうした悪の形象の源泉を形づくった重要な作品である。

いずれの作品も久生十蘭が翻訳している。地の文章は文語体、会話の部分は口語体になっているが、非常に出来のいい文章でぐいぐい読ませる。翻訳は訳文が正確であることよりも、小説の文章になっていることのほうが大切だとわたしは思っているので、久生十蘭の翻訳をわたしは大いに買う。ずっと以前に彼の「鉄仮面」を読んだが、あれもよかった。

久生の話はともかく、ジゴマもファントマも大都会が成立して生まれてきた犯罪小説である。誰もが誰もを知っている田舎社会の物語ではない。人間関係が複雑に入り組み、表面を見ただけでは誰と誰が、どのようなつながりを持っているのかわからないような社会、そして意外なつながりが形成されうる密やかな機会を提供しうる社会が背景となっている。そこで事件が起きると、事情をしらないわれわれは虚を突かれあわてふためく。いったいなにがあったのか。事情が複雑すぎてその原因がわからないこともある。都会にひそむそうした悪を形象化したのがジゴマであり、ファントマである。彼らが小説の中で姿をあらわすことはめったにない。ほとんどの場合は探偵が不可解で不可能な犯罪に直面したとき、「きっとファントマの仕業だ」とつぶやくだけである。彼らは不可視の悪を体現しているのだからそれももっともである。

独逸語大講座(20)

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