フランシス・ビーディング(ジョン・パーマーとヒラリー・ソーンダース二名の合同ペンネーム)が1925年に書いた冒険小説。
ビーディングは日本語にあまり訳されていない。ヒッチコックが「スペルバウンド」というタイトルで映画化した「ドクタ・エドワーズの邸」は確か訳されていたはずだ。しかしそれ以外はどうだろう。
訳されていないけれども、娯楽小説としてけっこういい水準の作品を書いている。とくに「イーストレップス連続殺人」などはよくできた推理小説である。本編はおそらくフランシス・ビーディングとして書かれた最初の本である。第一次世界大戦後、ドイツがふたたび軍備を整え、ヨーロッパの脅威となろうとする瞬間、たまたまスパイ活動に巻き込まれたイギリス人青年が大活躍して、その目論見をご破算にするという話だ。
このイギリス人青年がたまたまドイツのスパイと顔かたちがそっくりで、まちがってある秘密の暗号文書を手渡されてしまう。そこから彼の冒険がはじまる。場所はジュネーブで、国際連盟の本部がある場所だ。彼はそこに努める彼の友達、および恋人に事情を打ち明け、その結果、間違いに気づいたドイツのスパイたちに命を脅かされることになる。
しかし間違いの元となった顔立ちの類似が、逆にイギリス人青年の武器ともなる。なんと彼はフランスのスパイチームの助けを借りながら、ドイツのスパイ組織にドイツのスパイとして乗り込み、その陰謀の秘密を探り当てるのである。そして結句、彼と間違われたスパイがやるべき仕事を、そのスパイよりも見事にやってのけ、ドイツの巨大資本家たちの目論見を現実のものにしてしまうのだ。そのあとは一気に結末へとなだれこむ。
「偶然」顔立ちが似ているというのは非現実的なようだが、オッペンハイムの「入れ代わった男」(The Great Impersonation)でもこの設定が用いられている。イギリスとドイツのこの一致はなにを意味するのだろうか。どちらも大衆小説に過ぎないが、そこに見られる想像力の型には、なにかしらの秘密が隠されているような気がする。
Wednesday, October 9, 2019
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
§4. Solch ein kleines Kind weiß von gar nichts. そんな 小さな子供は何も知らない。 一般的に「さような」という際には solch- を用います(英語の such )が、その用法には二三の場合が区別されます。まず題文...
-
昨年アマゾンから出版したチャールズ・ペリー作「溺れゆく若い男の肖像」とロバート・レスリー・ベレム作「ブルーマーダー」の販売を停止します。理由は著作権保護期間に対するわたしの勘違いで、いずれの作品もまだ日本ではパブリックドメイン入りをしていませんでした。自分の迂闊さを反省し、読者の...
-
久しぶりにプロレスの話を書く。 四月二十八日に行われたチャンピオン・カーニバルで大谷選手がケガをした。肩の骨の骨折と聞いている。ビデオを見る限り、大谷選手がリングのエプロンからリング下の相手に一廻転して体当たりをくわせようとしたようである。そのときの落ち方が悪く、堅い床に肩をぶつ...
-
ジョン・ラッセル・ファーンが1957年に書いたミステリ。おそらくファーンが書いたミステリのなかでももっとも出来のよい一作ではないか。 テリーという映写技師が借金に困り、とうとう自分が勤める映画館の金庫から金を盗むことになる。もともとこの映画館には泥棒がよく入っていたので、偽装する...