クリストファー・コロンブスの非嫡出子でヘルナンド・コロンという人が十六世紀の初頭、世界最大の本のコレクションをつくろうとしたらしい。このたびそのコレクションに収められていた本のタイトルや内容を記した二千ページ以上の原稿が見つかったという。
これは興味深いニュースだ。ルネサンスの時期にどんな本が出ていたのか、どんな内容だったのか、そしてあの当時の人々は本をどのように読んでいたのか、それがわかる貴重な資料となるだろう。
十六世紀に出た本はほとんどが現代には伝わっていない。コロンは一万五千冊あまりをかき集めたようだが、現在ではその四分の一しか残っていないらしい。十六世紀といえばイギリスでは宗教改革が行われ、多くの修道院が解体の憂き目に遭った。その際、修道院に保存されていた貴重な本がずいぶんと失われてしまったらしい。
十六世紀の本なら失われてもしょうがない、と思うかもしれないが、じつは百年前だって、つい最近だって、本はけっこうなくなっている。1900年には義和団の乱のせいで翰林院の蔵書がほとんど失われたそうだし、2014年にはボズニア・ヘルツェゴヴィナを襲った政情不安のために、サラエボの国立文書館が燃やされ、貴重な資料が灰となった。
いつの間にかなくなってしまった本もかなりある。本の末尾によくその本の出版社が出している他の本のリストがずらずらと載っていることがある。わたしは好んでそのリストを眺めたり、面白そうなタイトルは入手可能か調べるのだが、どうやらなくなったらしいと思われる本は非常に多い。
まだ出版されていない時点での原稿の喪失を含めるなら、名を知られた作家に限ったとしても、かなり長大な「失われた本リスト」ができあがるだろう。これは映画のフィルムや絵画にも言えることだ。
近代デジタルライブラリーをよく利用する人なら、ページが破れてなかったり、インクが薄れて解読不能なページに遭遇した経験があると思う。村田祐治の「英文直読直解法」は、英語を頭から訳すという考え方をはじめて唱え実践した本だが、本文の最初のページが破れてない。国会図書館にあるコピーだけがこんな状態で、ほかに欠損ページのないコピーが存在しているのならいいが、どうやら、日本には「英文直読直解法」はこの一冊きりしかないようだ。日本に於ける英語学の発達を考える上で、貴重な本であるのは間違いないが、じつはすでに部分的に「失われている」のである。
文化というのは案外もろいものだ。わたしは文化保存の努力が充分ではない、などと言っているのではない。文化が伝達されるものであるかぎり、そして伝達の経路がつねに不完全で脆弱性に見舞われているかぎり、なにかが失われるということは不可避なのである。
Sunday, January 19, 2020
ジュリアン・マクラーレン・ロス「四十年代回想録」
ジュリアン・マクラーレン=ロス(1912-1964)はボヘミアン的な生活を送っていたことで有名な、ロンドン生まれの小説家、脚本家である。ボヘミアンというのは、まあ、まともな社会生活に適合できないはみ出し者、くらいの意味である。ロンドンでもパリでもそうだが、芸術家でボヘミアンという...
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