エリザベス女王がロックダウン下で生活するイギリス国民にメッセージを出した。わたしはそれをBBCで聞いた。じつをいうと、わたしは彼女のクリスマス・メッセージを聞いて英語にのめりこんだ。気品のあるクイーンズ・イングリッシュに魅了されたのである。彼女がメッセージを出すのはクリスマスのときと国会が開かれるときぐらいだから、今回のメッセージは異例といっていいだろう。それはともかくエリザベス女王はメッセージのなかで医療従事者に感謝し、「弱いものを守るために」自粛生活を送る市民に感謝した。そして最後に "We will be with our friends again, we will be with our families again, we will meet again" と結んだ。
それを聞いたとき、なにか妙に聞き覚えがある言葉だなと思ったのだが、それがようやくわかった。ヴェラ・リンの We Will Meet Again という曲だ。これは1940年代、第二次世界大戦中にはやった歌である。わたしがこの歌を知ったのはキューブリック監督の「博士の異常な愛情」を通してだ。この傑作映画のいちばん最後に彼女の歌が流れる。それを思い出したとき、エリザベス女王が第二次世界大戦のころを思い出し、今の状況をそれにたとえているのだということがわかった。女王が第二次世界大戦中、はじめてスピーチをおこなったときのことを語った理由もよくわかった。コロナとの戦いは戦争なのだ。歴史を知る女王には、あのときと今とが折り重なって見えている。そして不自由をしいられるけれども、われわれはかならず勝って「ふたたび相まみえるだろう」という、どことなく悲壮で、どことなくセンチメンタルなメッセージを国民に発したのだ。国民のほうも、現在のイギリスが世界大戦に匹敵する危機に見舞われているという女王の認識を、印象深く受け取ったにちがいない。
ひるがえって日本は、これが戦争だということがわからないらしい。この戦争のストラテジーは人間の接触の縮減、罹患者の発見とその行動の追跡なのだが、政府はそのための施策、たとえば接触の縮減がもたらす経済的損害に対する補償とか、検査の拡充、人の動きの規制などといったことを、なにもしないというありさまである。戦争をしたがるこの国のリーダーは、じつは戦争の仕方を知らないのである。
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...

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