アマゾンから出した「闇の深みへ」には続編がある。「闇の深みへ」はアダム・エンバーたちがドロヒッツの町へ向かう場面で終わるが、続編「銀のバッカス」は彼らがドロヒッツの町に到着する場面から始まる。彼らは町の人々から大歓迎され、病兵は手厚い看護を、その他の兵士は贅沢なもてなしを受けることとなる。ところが彼らが町外れの紅灯の巷、つまり娼館シルバー・ホールで遊び浮かれている最中に、娼館の中で疫病による死者が発生する。部隊はさっそく町と娼館のあいだに非常線を張り、疫病の感染を防ごうとするのだが、もちろんそううまくいくものではない。疫病はドロヒッツ中に蔓延し、アダムは再び疫病による死者を埋める作業に従事する。
この物語の最後はどうなるか。敵軍がドロヒッツに向かっていることを知った最高司令部は、敵軍を疫病に感染させるため、アダムたちにドロヒッツを見捨てさせるのである。自分たちの利益のためなら無辜の民を平気で犠牲にする。それが戦争であり権力というものだ。
これを読んだとき、わたしは映画の「エイリアン」を思い出した。あの映画ではとある企業が、危険きわまりない異星の生物を地球に持ち帰ろうとする。戦争兵器として使おうというのだ。それを知ってシガニー・ウィーバー演じる宇宙飛行士は激怒する。自分たちに制御できないものを使ってまで戦争に勝とうとする、人間の非人間性がここにあらわれている。
日本政府はオリンピック開催のためにコロナ・ウイルスに感染した人の数を低く見せようとしていたが、経済を優先し、人間を二の次に置く日本政府の非人間性と、上記の小説や映画に描かれた権力とのあいだには、なんら逕庭はない。
Saturday, April 18, 2020
H. W. ローデン「首つりは一度だけ」
ローデン(1895-1963)は食品会社の重役をしていた人で、四冊ほどミステリを書いている。この人を知っているのはよほどのマニアなのだろう。わたしは名前は知っていたが、作品が手に入らなかった。それがこのたび「首つりは一度だけ」と「死ぬには忙しすぎて」の二作を手に入れた。さっそ...

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