学術会議が推薦した会員候補を首相が任命拒否した問題はずいぶん有名になった。反対を表明してハンガーストライキをする人もいるし、野党も批判的コメントを出している。
漫画しか読まない大臣、ゴルフばかりしている元首相、答弁のできない現総理、要するに言語能力に欠ける人々がこの国の舵取りをまかされているわけだ。言語能力は知的能力の基本だから、彼らが知的なものに反感を覚えるのはよくわかる。残念ながら多くの日本人も同様である。
しかし本当の問題は学者の側にある。政府による大学への締め付けがはじまった三十年、四十年ほど前から学者たちは学問の自由とか大学の自治とか、そんなことについては考えなくなっている。しかも彼らの学問的レベルも低下の一方で、それは世界に於ける大学のランキングを見れば一目瞭然だろう。
かつて日本には小林秀雄、吉本隆明、江藤淳、柄谷行人といった人々がいて(柄谷はいまも活躍しているが)、日本の知的風土の形成に大きな役割を果たしてきた。しかしいま彼らに比するような若い人は出てきていない。マルクス研究者に一人わたしが期待する人はいるけれど、その影響力は先行者にくらべてはるかに小さなものとなるだろう。これは一般大衆が知的なものへの興味を失ったからでもある。
わたしはアメリカや中国の大学で教えた経験があるからよく知っているが、いずれの国の教師も言語能力が高い。いわゆる語学の四技能において傑出していて、しかもさらに専門分野の知識を有しているのだ。一方、日本の語学教師はどうだろう。はっきりいって語学能力の低い人が多い。教えている言語でその国の人と議論できないくらいの実力しかない人が大勢いる。マルクスを研究しているくせに、ドイツ語を読めない経済学者なんてのもごまんといるのだ。
日本の学問を支える人々は残念ながら知的能力に於いて世界的に劣るし、また学問の自由を守ろうとする気概にも欠けている。自分の地位に固執するだけの小心者、文科省にこびを売りながらお上の命令に従って大学改革を進めてきた日和見主義者がごまんといる。もちろん知識人たる実力をそなえ、その役割を果たそうとする人々もいるが、それは少数派に過ぎないのだ。
だから今回の問題が起きて、政府の対応を批判する人が大勢出て来た時、学術会議そのものは毅然とした反対の態度を示すのかと、かなり疑問があった。そしてわたしの危惧したとおり、学術会議は政府にしっぽを振る犬になろうとしているようである。