Der Japaner
Wir Japaner sind doch1 merkwürdige Menschenkinder2: wir haben einen Volkscharakter3, der jeder Definierung spottet4. Oder besser5: wir haben6 gar keinen, sondern stellen in7 unserer Charakterlosigkeit eine Art Mollusken8 dar9. Denn wir besitzen nach Molluskenart10 keine Knochen, kein Rückenmark in uns. Wir sind im tiefsten Innern11 unseres Wesens12 windelweich13, amorph14, wie es die Physiker nennen; dafür aber erstaunlich schmiegsam15, bildsam16 und knetbar17. Pedantismus18 ist ein Fehler, den wir uns nie zu Schulden19 kommen lassen. Treue20 ist eine Kinderkrankheit21, über die wir längst hinaus sind22. Charakter23 ist eine Tugend, oder besser eine Untugend24, die man am besten25 zu Hause26 läßt, wenn man sich als einen ehrbaren27 Japaner unter andern ehrbaren Japanern fühlen will. Denn Charakter, Treue und Pedantismus verursachen Reibung; und Reibung darf nicht sein28 unter den Mollusken29! Alles30 -- nur ja31 keine Reibung, meine Herrn!
逐語訳:Wir Japaner われわれ日本人共は doch 実に merkwürdige 妙な Menschenkinder 人間共 sind である:wir われわれは jeder Definierung [二格]一切の定義づけを spottet 嘲ける der ような einen Volkscharakter 国民性格を haben 持っている。Oder それとも besser よりよく(言うならば):Wir われわれは haben gar keinen [Volkscharakter] 国民性などというものは全然[持ってはいない]ので sondern むしろ in unserer Charakterlosigkeit われわれの無性格性に於て eine Art Mollusken 軟体動物の一種を stellen dar 具現するものである。Denn 如何となれば wir われわれは nach Molluskenart 軟体動物の特性に従って keine Knochen 骨というものを、kein Rückenmark 脊髄というものを in uns われわれの内部に besitzen (......kein) 持たない[からである]。Wir われわれは unseres Wesens われわれの本質の im tiefsten Innern 最も深き内奥に於て windelweich [おしめ]のごとくグニャグニャで wie es die Physiker nennen 理学者たちがそれを名づけるごとく(=理学者たちの謂わゆる) amorph 無定形(非晶質) sind なのである。dafür その代りには aber しかしながら erstaunlich おどろくべきほど schmiegsam しなやかで bildsam どんな形にでもなる und そして knetbar 捏ねることの自由なもの[sind である]。Pedantismus 杓子定規癖というやつは wir われわれが nie 決して uns zu Schulden kommen lassen われわれに責任にまで来させ[ない](=犯さない) den ところの ein Fehler 欠点 ist である。Treue 節操ということは über die それを越えて wir われわれが längst とっくの昔に hinaus 彼方に[脱け]出してしまっている[die ところの] eine Kinderkrankheit 小児病で ist ある。Charakter 性格(しっかりした点)などと云うものは wenn もし man 吾人が sich 吾人自身を unter andern ehrbaren Japanern 爾余の体裁よき日本人たちの間に於ける einen ehrbaren Japaner 一人の体裁よき日本人 als として fühlen will 感ぜんと欲する[wenn 時には] man 吾人は am besten 最も良くは(最良の思案としては) zu Hause läßt 家に置いておく den ところの eine Tugend 徳 oder besser 或いはもっとよく云うならば eine Untugend 不徳 ist である。Denn 如何となれば Charakter, Treue und Pedantismus 性根と節操と杓子定規癖は Reibung 摩擦を verursachen 惹き起こす。und そして unter den Mollusken 軟体動物どもの間には Reibung 摩擦が darf nicht sein! あってはならないのである! alles ――何があってもよい―― nur ただ Reibung 摩擦だけは ja 金輪際 keine あってはならないのだ meine Herrn 諸君!
註:【1】doch: 「実に」、「まことに」、「いやはやどうも」。
「奴さん」、「和尚」、「御仁」、「大将」、「野郎ども」、「やから」、「先生」、「連中」、「坊主」等に該当するドイツ語にはどれだけの種類があるか?【2】Menschenkinder: Kinder には別に意味はなく、単に Menschen というべきところを、多少憐れむというか、冷かすというか、愛嬌を持たせるというか、とにかく Humor を以て Menschenkinder という御念の入ったヘンな語を用いたのです。日本語もその通りで、「横着な坊主だ」と云っても、ほんとに坊主だと思ったら飛んだ間違い、「先生参ったな」と云っても、学校の先生でも何でもない事が多い。いわんや「おい大将どうしたい!」という大将は陸軍大将でも海軍大将でもありません。ドイツ語には、「おッさん」はないが、その代り Patron (親方)というのがあって、「あのオッサンこすおまッせ」は Das ist doch ein schlauer Patron! という。「和尚」はないが、その代り Heiliger (聖者さま)というのがあって、「此の和尚、一風変ってやがる」は Das ist ein wunderlicher Heiliger という。其の他、本文の場合にあてはめると merkwürdige Gesellen (変った仲間)とか merkwürdige Käuze (変ったみみずく)とか merkwürdige Gäste (賓客[まろうど]ども)とか merkwürdige Kumpane (変った連中)とか merkwürdige Gewächse (変った草本)とか merkwürdige Kunden (変ったお得意さん)とか merkwürdige Burschen (変った若い衆[やっこさん、に当る])とか merkwürdige Fanten (変った下郎ども)とか merkwürdiges Gemüse (変った野菜)とか merkwürdiges Gesindel (これがチョウド「変ったやっこさん」) merkwürdige Vögel (変った鳥ども)とか merkwürdige Brüder (変った兄弟ども、或いは変った坊主ども) merkwürdiges Kraut (変った野草)などという変なことを云います。ドイツ語の特徴として特に注目すべき現象は Kraut, Gewächs, Gemüse などという植物に関係した名詞が用いられるという点です。
【3】Volkscharakter (国民性):Nationalcharakter とも云う。
【4】der jeder Definierung spottet: der は関係代名詞ですが、次の jeder Definierung は二格です。というのは「……を嘲笑う」という意味の spotten は二格支配だからです。――それから、spotten の二格支配は、現在では普通のいわゆる「嘲笑う」の意ではあまり用いられませんが、(大抵 jemanden verspotten の方を用いる)、少し特殊な「箸にも棒にもかからない」(即ち:「を許さない」)という意味の場合に限って、もっぱら此の二格支配が用いられます。例:Der Gang der Geschichte spottet jeder wissenschaftlichen Berechnung (歴史の歩みは一切の科学的打算を嘲る)、すなわち Der Gang der Geschichte läßt keine wiss. Berechnung zu (……は科学的打算を許さざるものあり)、または Der Gang der Geschichte ist einem wiss. Berechnungsversuch unzugänglich (……は科学的算出の試みを以ては得て近づく可からざるものがある)などというに同じです。
【5】oder besser: 「よりよく云うならば」、「というよりはむしろ」――完全形で云うと oder besser gesagt; oder um es noch besser zu sagen.
【6】haben:前に haben を用いて wir haben einen Volkscharakter 云々と云ったので、それを是正するために。特に此の haben という語だけを打ち消そうとして gesperrt (隔字)にしたもの。即ち「haben」という語弊がある、むしろ「haben しない」といった方が好い、の意。
【7】in: こういう時の in は mit とも云います。「われわれの無性格性に於て」、「われわれの無性格性を以て」というのは、「われわれが無性格だという点で」、「なにしろコウいう無性格なところから考えると」などということ。(詳細は、拙著「作文教程」、423頁、§無描写の in と其の因由規定的応用、の項に就て御研究を乞う)。
【8】Mollusken: いわゆる軟体動物で(学名 Mollusca)すが、やかましく云うと軟体動物というよりはむしろ「無脊椎動物」という広い範囲を指しています(アミーバ、ゾーリムシの類から、ヒル、蝸牛、サナダムシ、貝類など。)
【9】darstellen [或いは vorstellen, repräsentieren]: 元来は「……を表わす」という動詞ですが、茲では wir sind eine Art Mollusken, われわれは軟体動物の一種「である」というに同じです。
【10】nach Molluskenart: nach は「……に従って」、「……相応しく」、-art は Eigenart (特有性)の意です。nach Art der Mollusken という代りに、nach Molluskenart という形が普通用いられます。同じように「小児たちがそうであるように」と云ったような時には、わざわざ wie es bei den Kindern der Fall zu sein pflegt とか wie es bei den Kindern üblich ist とか云ったような挿入句を用いるまでもなく、簡単に nach Kinderart と云えばよいのです。
【11】Innern: これは inner (内側の、内部の)という形容詞の中性名詞化した形で、das Innere (内部、奥底)の三格。
【12】Wesen (本質):はえらい哲学的なむつかしい語ですが、こんな時には「人格」、「人となり」あるいは単に「心」ということにすぎません。
【13】windelweich: Windel は小児のお尻にあてる「おむつ」、「おしめ」(英:diaper, ダイヤパ)で、「グニャグニャ」ということを windelweich というのです。
"amorph 無定形の" と "kristallin 晶質の"【14】amorph: これは物理用語で、「無定形」あるいは「非晶質」と云っています。これはつまり晶質の、結晶構造を持った、という kristallin [クリスタリーン]の反対です。たとえば、見たところ水晶とガラスとは大してちがいませんが、水晶の方は内部の各原子がまるで兵隊さんが整列したようにキチンとならんでいる、即ち kristallin です(kristallen、水晶で出来た、と混同しないこと!)。ところが硝子というやつは、だいいち割れた時の貝殻状の破れ口を見てもわかる通り、内部は、まあ飴みたいなもので、各分子はまるで満員電車に乗った人たちみたいに不規則にゴチャゴチャつまっているにすぎません。即ち「無定形」です。実際飴と同じだそうで、まあ液体だと思えばよろしい。窓ガラスなんてものは、百年や二百年はシャンとしていますが、十万年も百万年もたってごらんなさい。だんだん重みで崩れてしまって、まるで融けたように、窓框の桟にたまってしまいます(これはドイツの学者によって実測されている事実です。――ここで日本人の心を amorph と道破したのは、こうした科学的事実をよく考えて理解して頂きます。因みに、amorph はギリシャ語、a- はドイツ語、英語の un- にあたり、privativ (「持たない」の意)の意。morphe は Form です。
【15】schmiegsam: schmiegen (たわめる、曲げる)に性状描写語尾 -sam がついたもので、柳のようにしゃなりしゃなりして柔軟なこと。従って、何でも人の云うなりになる、すなおな事も云います。biegsam とも云う。
【16】bildsam: bilden (整形する、形成する、即ち formen、 gestalten)から。たとえばパン粉、粘土のように、どんな形にでもすることのできる、という意。むつかしい語では plastisch とも云います。
【17】knetbar: kneten (こねる)より。
Pedantismus、pedantisch 等の真義について【18】Pedantismus, m.: 此の語は、普通はよく「衒学」とか「学者ぶる」とか云ったような意味だと思っている人が多いようですが、勿論そんな意味の時にも用いますけれども、そのもっと広い意味形態を把捉する必要があります。これは特にドイツが学者がやかましいことを云って人を困らす国であるために、特にドイツ語においては、いつの間にか「考え方のイヤにやかましい」、「純理論と公式を上段にかざした」、「主義方針を持することにおいて頑迷固陋な」、「形式一点張りの」、「自説を枕に打死してもかまわぬという態度の」、つまり俗に云えば「杓子定規な」、「格式張った」、「四角四面の」、「頑固な」、「やかましい」、「肩の凝る」、「糞やかましい」、ことにすぎなくなっています。つまり、主義の人、節を守る人、几帳面な人、というのが度が昂じて或る限度を越えたのを Pedant というのです。骨がある、性根がある、気骨がある、しっかりしている、考がしッかりしている、というのはよろしいが、(これを ein Mann von Grundsatz、英 a man of principle という)ドイツにはそのそいつの漫画みたいな教授や親方や奥さんがたくさんいて、無邪気な日本人などが下手に変なことをいうと、たちまちまるえ高圧電線にでも触れたような反撃を喰うのです。そこでまあ此の pedantisch という形容詞があらゆるそうした性質にむかって応用されることになったわけです。軟体動物の反対としてよく味うこと。
【19】sich etwas zu Schulden kommen lassen: 直訳すると、「自分に・或る事柄を・責任に・来らしめる」――これは熟語で、換言すれば etwas begehen (或ることを犯す)です。zu Schulden は zuschulden とも書きます。
【20】Treue, f.: 俗に deutsche Treue (ドイツ的な渝らぬ心)と云って、ドイツ人はいったい昔から律儀者で、恋に於ても、思想においても、主義に於ても、商売道に於ても、友情に於ても、此の Treue ということをやかましく云います。主君に忠なるも Treue、自己に忠にして他の期待を裏切らず、約束を守り、性格を堅持するのも Treue、浮気をせず操を守るのも Treue、要するに「心を渝えぬ」、「真心」、「誠意」、「節」が Treue です。
【21】Kinderkrankheit: 百日咳等、小児のみがかかる病気のことですが、転意として、幼稚な頭を持った人間が必ず一度は陥入り、一度やればそれで免疫になるといったような謬想のことを云います。
【22】über etwas hinaus sein: ある事柄を超越している、ある事をすでに卒業してしまっている、という熟語。hinaus は hinausgewachsen (生長脱却してしまっている)の意。
【23】Charakter: これは出発点としては「性格」という、別に特別な色彩を持たないことばですが、転じて「しっかりした性格」、すなわち、いわゆる「気骨」の意味になります。Er hat einen Charakter などと云いますが、これは第二の方の意で、一向頼りにならぬ男だ、お人が好すぎて性根というものがない、性根なしだ、しっかりした所がちっともない、という意になります。日本人、よく聞いておくべし。
【24】Untugend: 不徳、悪徳、悪。
【25】am besten: 「云々するのが一番よろしい」、「云々するを以て上策となす」という場合に用いる副詞です。besser とも云います。(英語も had better + 不定法、或いは had best + 不定法もあります)たとえば「あなたは此のまま此処においでになった方が好いでしょう」は Sie bleiben am besten hier また Sie bleiben besser hier (英は You had better stay here または You had best stay here)。――もちろん Sie würden besser tun, hier zu bleiben または Sie täten besser, hier zu bleiben (英:You would do well [better] to stay here)でもよし、また Ich glaube, es wäre besser, wenn Sie hier bleiben (英:I think it would be better if you stay here)でもよいわけです。
【26】etwas zu Hause lassen: 原意は、或物を家に残して出かけること。転意:或物を人前へ持ち出さない、或事を引っ込める。
【27】ehrbar: いろいろな適当な訳語を考えてみましたが、「チャンとした」という通俗語がいちばんピッタリします。「尊敬すべき」なんてのも殊更らしいし、「堂々たる」、「立派な」は少々言い過ぎだし、「申し分のない」、「非難なき」、「点の打ち所のない」、も好いが、「なき」という Privativ (否定詞)が一寸気に入らないし、結局「チャントした」がいちばんピッタリします。「もっとチャンとした奥さんをお貰いなさい」なんて云う時、チャントしたとはいったいどうしていることなのかと考えれば、この最もアイマイでしかも最もハッキリした要求の意味するところがよくわかりましょう? (英は respectable)つまり世間体のわるいという奴の反対で、人聞きもよく、人前にも威張って出せるということだけにすぎません。
【28】darf nicht sein (あってはならぬ、御法度、タブー、厳禁):これは一種の成句ですから、此のままの形をおぼえること。似たものに muß sein (やむを得ぬ、仕方がない)というのがあります。Reibung muß sein (摩擦は万已むを得ない、摩擦は必要だ)
【29】語順に注意! 正しく云えば darf unter den Mollusken nicht sein! ということになりますが、それでは文勢があがらない。大いに文勢をあげて、同時に unter den Mollusken という句を光らせるために、わざとこんな構造を取るのです。もっとも此の原文はドイツ人が書いたものではない、私自身が一杯機嫌で物したものにすぎませんが、こういう微妙な文法外の文法も之亦文法であるという点、殊に御注目を乞う。
【30】Alles--nur ja kein....: これは否定の一形式です。「凡てを認める――但し云々だけは平に御容赦!」、「外の事とはちがって、kろえだけは絶対に困る!」という意。(此の、一事を強く否定せんが為めに、政策として、他の事を全部譲るという形式は、ヨーロッパでは一般文法となっています。いずれ詳しく述べる機会があるでしょう)。
【31】ja: beileibe (絶対に、断じて、金輪際、以ての外、等)と同意の用法。
Und wenn die Sitzung um Punkt sieben beginnen soll32, und es hat33 schon acht geschlagen und du sitzest allein am grünen34 Tisch und die andern lassen noch immer auf sich warten35: klage nicht, sondern denke daran, daß du unter den Mollusken lebst!
Ueberhaupt36 richte dich nach37 Zeit und Umständen38, vor allem39 aber40 lies in deinen Zeitungen, wie die Christen in ihrer Bibel41, auf daß42 du dir den Zeitcharakter wohl einstudierest43: denn der Zeitcharakter ist ein Surrogat44 des Volkscharakters.
逐語訳:Und そして wenn もし die Sitzung 会議が um Punkt sieben ちょうど七時に beginnen 始まる soll 「筈」になっていて und そして du あなたは allein ひとりきりで am grünen Tisch 緑色の机に(会議の机に向って) sitzest 腰かけていて und そして die andern ほかの人たちは noch immer まだ相かわらず lassen auf sich warten 自分自身を待たせておく(顔を見せない)[としても] klage nicht 苦情を云う勿れ sondern むしろ du 汝が unter den Mollusken 軟体動物どもの間に lebst 生きているのだ daß という daran そのことを denke! 考えよ!
Uebrigens いずれにせよ nach Zeit und Umständen 時と事情とに従って richte dich 身を処せよ aber 然し (然り而して) die Christen 基督教徒たちが in ihrer Bibel かれらの聖書を[lesen 読む] wie が如くに in deinen Zeitungen 汝の新聞を lies 読め du 汝が dir 汝のために den Zeitcharakter 時代の性格を wohl よく einstudierest 覚え込む auf daß ために。denn 如何となれば der Zeitcharakter 時代の性格(時代相)は des Volkscharakter 国民性の ein Surrogat 代用物 ist である。
注:【32】soll:「……ということになっている」、「……の筈だ」、「本来……すべき所だ」、Sperrdruck (隔字印刷)になっているのは皮肉に sollen の概念を強調したもの。
wenn によって二つ以上の文章が導入される場合には、通俗調では一番最初の文の定形のみを後置し、第二文以下は主文章構造でよろしい【33】und es hat の hat は、やはり wenn をしめくくる定形の一つですから、pedantisch に書けば und es schon acht geschlagen hat と、定形後置の構造をとる筈のところ(これ即ち soll!)です。次の sitzest も lassen も同様。ところが、通俗の平易な文は、学問の論文ではありませんから、そうした pedantisch な構造を嫌い、第二次以下は定形正置にした方がむしろ好いのです。これまた文法外の立派な文法、文法よりももっとやかましい実際文法です。
【34】am grünen Tisch: 官庁の机、事務用のデスクなどのことを俗に「緑色の机」といいます。たとえば机上の空論のことを Das existiert nur auf dem grünen Tisch (それはお役人さんの机の上にしか存在しない)などと云うのでもわかるでしょう。
【35】auf sich warten lassen: 自分を待たせる、即ち「容易なことではやって来ない」、「待ち遠しい」という熟語。
【36】überhaupt: そもそも。とにかく、überhaupt gesagt (一般的に云って)の略。
【37】sich nach etwas richten: 云々に従って身を処する、云々に順応する、云々に調子を合わせる、云々に準拠する。
【38】Umstände, pl. 事情、時宜、事態(英:circumstances)。
【39】vor allem: なかんずく、とりわけ、わけても、何はさて措き、特に。(vor allen Dingen とも云う、besonders, insbesondere, insonderheit などもほぼ同意)。
【40】aber: これは「然し」というほどの強い意味ではなく、色々なことを列挙したのちに「然り而して特に注意すべきは」などという時には、形式的に besonders aber とか vor allem aber とか云うことが習慣になっているのです。
【41】in ihrer Bibel: lesen (読む)という時には、本を開いてその中の或る箇所を読む、という意味で in を用います。前の新聞もそうですが、バイブルは殊に in と共に用いるものとお心得下さい。
【42】auf daß: damit と同意の、目的をのべるための接続詞。ただし此の auf daß は、聖書などによく用いてあるので有名なため、よほど調子の上がった文語調でないと用いません。
【43】sich etwas einstudieren: これは役者が自分のセリフや動作などをすっかり「のみ込ん」でおぼえるように、丸のみにして、すっかり習熟して準備することをいいます。einstudierest の -est という語尾は接続法第一式。(auf daß のため)。
【44】Surrogat, n.: 代用品、代用物(Ersatz m.)
意訳:御同様日本人というやつは、まことに風変りな御仁のおそろいである。われわれの国民性というやつは、ちょっと定義しようのない代物である。というよりはむしろ、国民性なんてものは無いんで、その無国民性はチョット軟体動物を想わせるものがある。というのは、軟体動物というものはそういうものだがわれわれには骨というものが無い、脊髄というものが無い。われわれの心底はグニャグニャなんで、理学者たちのいわゆる「無定形」というやつなのである。そのかわり、おどろくべきほど柔軟で、融通の効くところがあって、どうにでも捏ねられる。「杓子定規」などという弊には絶対に陥入らない。「節」なんてものは、われわれがとっくの昔に蝉脱してしまった小児病である。「性根」なんてものは、いやしくも一人前の日本人諸君の間に伍して一人前の日本人らしい気持になろうと思ったら、マア濫りに人に出して見せたりしないのを以て策の最も当を得たるものとなす種類の美徳、というよりはむしろ不徳である。如何となれば、いったい性根とか節とかこだわりとか云ったようなものには「当り触り」がある。ところが軟体動物同志の間では、当るとかさわるとか云うことがいちばん不可んのである。どんなひどい事をしたってかまわない――ただ摩擦だけは絶対厳禁ですぞ!
たとえば、今日の会議は七時カッキリに始まることになっているのに、もう八時を打ったというのに席について待っているのはあなた一人だけで、ほかの連中はまだ一人も姿を見せなくても、不服など云ってはいけない。むしろ軟体動物共に生きているのだということを深く反省したまえ。
とにかくマア時に順じ事に応じて円転滑脱、なには扨て措いても新聞というやつだけはまるでクリスチャンが聖書を奉読する如くに奉読し、以て時代性に通暁習熟すべし:如何となれば時代性は国民性の代用品だからである。