Tuesday, April 5, 2022

ポール・ハルパーン「大いなる彼方」

原題は The Great Beyond で、作者はアメリカの物理学者。四次元、あるいは多次元の考え方がいかに科学的、文化的に培われてきたのかを紹介した、わかりやすい本である。知的刺激に充ちているかというと、正直に言って、それほどでもない。しかし十九世紀以降、科学や数学に於ける進歩がしだいに他の文化領域に広がっていく様子や、新しい考え方の基本の所が非常によくわかるように書かれている。わたしはヘルマン・ミンコフスキーが生みだしたミンコフスキー空間がおおよそどのようなものか、この本を読んではじめて知った。カルーザやクラインの人となり、さらにその議論の大まかな形(素人には十分な情報である)も教えてくれる。また多次元が絵画の領域にもたらした影響について丁寧な紹介がなされていて、参考書があげられれている点もよかった。こういう本はほんとうにありがたい。

多次元の考え方が重要なのは、一見してつながりのない事柄が、多次元を考えることで統一的に把握されるという点である。マクスウエルの電磁気学と、ニュートンからアインシュタインにつながる重力の問題は、長らく接点をもたなかったけれど、それらを多次元からとらえ直すと、一つの公式で両方が表現できるのである。これは驚くべき発見である。このことの意味は、文化系の学問においてはまだ十分に認識されているとは思えない。文学にも時間論、空間論というのがあるが、ほとんどは三次元的な空間論であったり、素朴な時間概念を作品の中に見出すようなものでしかない。シンボルで構成される芸術作品の空間性が、ユークリッド幾何学的な空間のわけがないではないか。そんなものよりはるかに奇怪な構造を考えるべきなのに、文学研究者というのはほんとうに詰まらない連中だと思う。

奇怪な構造といったけれども三次元的な了解の世界から四次元的な了解の世界に飛躍するのは、いったん気がつけばそれほどむずかしいことではない。もう一つのあり得べき方向性(縦、橫、高さを示す、いずれの軸にも直角な、新たな軸)を見いだせるかどうか、それが問題なだけだ。しかもその方向性はなにか突飛もないものではなく、ほかの方向性と同様、ある種の論理性を帯びている。それは3Dの内部で考えていた人々には解消不可能なパラドクスをもたらすかもしれないけれど、にもかかわらず論理的なのだ。わたしが「わが名はジョナサン・スクリブナー」の後書きや、ホラー映画「ドールズ」に関する論考で考えたのはこのことだ。

そんなことはともかく、本書はアインシュタインが量子力学に対抗する立場から多次元世界を考え、その後の研究で十次元やら十一次次元やらまで思考されるようになった経過を教えてくれる。素人にはいささかわかりにくい部分もあることはあるけれど、物理学者たちの長年にわたる取り組みが活写され、とても参考になった。本書は物理学と多次元の関係を歴史的に説明・紹介した良書である。物理学は発展が著しいので、多次元に対する新たな考え方が出て来たら、ぜひこの作者に本を書いてもらい、説明して頂きたいと思う。

独逸語大講座(20)

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