原題は Miracle Man。ファーンのSF小説だ。主人公エソウ・ジョーンズが超能力を持つが故に科学者から警戒の目を向けられ、とんだ目に遇うという物語である。どんな超能力か。彼は物質を思い通りに変化させることができる。気に入らない相手の足許に急に穴を開けて見せたり、アタッシュケースの中身を鍵を開けずに取り出して見せたりできるのだ。記憶力も抜群で二十ページほどもびっしり書き込まれた数式を一目で完璧に覚えてしまう。
エソウ(聖書の中でおかゆ一杯と引き替えに相続権を売ったあのエソウとおなじ綴りだ)はそれまで田舎を放浪しながら人にその能力を知られることなく、のんびり生活していたのだが、たまたま世界的な科学者であるハスラム教授と出会い、かつまたその直後に結婚相手を見つけ、その人生は一変する。彼は自分の能力を知られないように生きていきたいのだが、教授はそれを科学者の集会で無理やり披露させる。彼らは驚き呆れるが、さっそくエソウに警戒の目を向ける者があらわれた。カーファックス博士というシニカルな科学者で、彼はエソウが超能力をとんでもない目的のために使うかもしれない、もしかしたらこの世界が崩壊させられるかもしれない、と言うのである。
結婚相手のローズもエソウに問題をつきつける。彼女は田舎で閑古鳥が鳴く宿を経営していたのだが、もうそんな生活にはあきあきしていたのだ。彼女は都会に住み、エソウの超能力を利用して派手な生活を楽しみたがっていた。しかしエソウは超能力をできるだけ使わない生活をしようとしていた。これにはもっともなわけがある。たとえば彼は無から車を作り出すことができるが、この社会で合法的に生きて行くには、その車両が政府に登録されたものでなければならない。しかし魔法で作り出された車など登録されるはずもないではないか。お金をつくったりしたら偽金になってしまうし、彼がつくるどんなものも社会的な通常の手続きを経ていない品となって問題が生じてくる。だから彼は普通の人間のように働いて金をかせいで工場をつくり、そこで毀れた物の修理をしようと考えた。修理なら彼の能力を使っても問題はなかろうというのだ。
しかしローズはそんな生活がいやなのだ。エソウは疎外感を感じながら生きていかなければならない。
さて、その一方でハスラム教授はロンドンで危険な実験を行った。簡単に言うと教授はブラックホールみたいなものを実験室内に作り出したのである。それは真っ黒な、なにもない空間だ。しかも科学者たちの努力にもかかわらず、それはどんどん大きく広がっていった。ハスラム教授は、エソウの超能力に頼るしかないと判断する……。
これを読みながらわたしはいくつかの物語を思い出した。まず浮かんできたのはリチャード・マーシュの「キリスト再臨」とか半村良の「岬一郎の抵抗」などである。超能力者と、それにたかろうとする人間、あるいはそれを危険視する人間を描いた作品だ。またエソウという名前からわかるように、この作品には parable めいた趣があるため、T. F. ポゥウィスの「ミスタ・ウエストの高級ワイン」みたいな寓話も思い出した。その一方で「ハルマゲドン」とか「メテオ」といったSF映画も思い出した。いずれの作品においても人間関係の亀裂が、地球に衝突する巨大隕石によって象徴化されているが、本書のブラックホールもエソウとローズの関係の破綻を象徴している。「ハルマゲドン」も「メテオ」も本書も、隕石と地球の衝突やブラックホールの出現が物語の目玉のように見えるけれど、じつはそのドラマの脇で展開している人間的な確執こそが本当のドラマなのである。
しかし以前も書いたが、ジョン・ラッセル・ファーンのSFはあんまり面白くない。ミステリのほうが緻密に考えられていて読み応えがある。