Monday, December 26, 2022

J・J・コニントン「賭け金殺人事件」

コニントンは日本では識られていない作家だろう。ざっとでしかないがネットで検索しても翻訳された作品は見つからない。しかしパズラーとしてはなかなか優秀な人で面白い。

ブリッジの会に集まった九人の人間が競馬の賭けに共同投資する。言い出したのはブラックバーンという金持ちだ。一人十シリング出してくれ、もしも賭けに当たれば金は九人で等分する。うまくいけば一人二千ポンドくらいの金が貰える、というわけだ。そこで八人の男がその話に乗る。(最近、どこかの村人がおなじように共同投資し、見事にくじに当たり、一人数億という金を手に入れたという話が流れた)

彼らは運が良かった。賭けの結果、彼らは一人二千六百ポンドほどの大金を手に入れることになる。しかし問題が起きた。ブラックバーンが飛行機事故で死亡したのである。残された八人のうち強欲な(あるいは金に困っている)連中は、しめた、これで取り分が増える、とほくそえむ。が、そうは問屋は卸さない。ブラックバーンの財産処理をしている法律家が故人の取り分を要求してきたのである。

こうして問題は法廷に持ち込まれ、司法判断が下されるまで賭け金は支払いが延期されることになる。その頃だ。大金を手にするはずの八人のうちの一人が、奇観で有名な地元のとある場所で死亡しているのが発見される。もちろん事故死ということも十分に考えられたが、ひょっとすると取り分を増やそうとする誰かの仕業なのかもしれない。陪審は「事故死」と判断したけれども、さらに第二、第三の死者が出るに至り、警察は賭け金目当ての連続殺人を疑いはじめる。

これは手掛かりがすべて読者の前に示され、犯人当てを楽しませるような推理小説ではない。しかし犯人を追い詰める論証過程はじつに綿密で、そこがこの小説の迫力となり、面白さとなっている。セバーン警部の推理は終局的には間違っているのだが、しかしそれなりに周到で、説得力がある。ところが警部の推理の根幹にあるもの、真実性を疑わないある前提がくずれると、とたんに別の物語が立ち現れてくる。それが最後に示されるクリントン卿の議論だ。犯人がトリックを駆使してでっちあげようとしていた物語にセバーン警部はうっかりとのってしまったが、クリントン卿はその物語の小さな齟齬に気づいて、そこから物語のすべてを変貌させてしまう。このあざやかな手際が「掛け金殺人事件」の眼目である。

わたしはコニントンの作品をすべて読んだわけではないけれど、おそらく本作は彼の代表作の一つといっていいのではないだろうか。力のこもった秀作である。


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