近々この本をアマゾンから出そうと思って、今その最終チェックにいそしんでいる。忘れられた作家、マイナーな傑作を出版するというのがわたしの方針だが、本作はまさにそれにふさわしい作品だと思う。新しい本を出すときはどういう後書きを書こうかといつも迷うのだが、今回はあっさり短くすませることにした。しかし書こうと思えばいくらでも書ける。それくらい内容の豊かな作品なのだ。書こうかなと思っていた内容を簡単にここに示しておく。
1 芸術家小説からギャング小説へ
タイトルを見ただけでこの作品がジョイスの「若き日の芸術家の肖像」に影響を受けていることはわかる。ただし、ジョイスの傑作は芸術家を主人公に描いているが、ペリーは貧しい家庭に生まれ、ギャングとしてのしあがろうとする若者を主人公にしている。このギャップはすごい。
2 文体
この小説は主人公ハロルド・オドゥム(通称ハリー)の幼少期からギャングになり、ついには暗殺されるまでを描いている。ジョイスの「芸術家の肖像」とおなじように、幼少期の文章は構造が単純で、大きくなるにつれ、それが複雑化する。しかしハロルドはギャングとしては教養のあるほうだが、一般人よりは学がないので、「芸術家の肖像」ほど文章構造に揺れが生じてはいない。大きくなっても単文が多用されている。もちろん彼の認識は成長するにつれ深みを増し、クライマックスに達したときは抽象性の高い文章になったりする。
3 反覆のイメージ
この作品にはいくつか鍵となるイメージが登場する。まず強壮剤のラベルの絵。このラベルには、まさしくその強壮剤を持つ女の子の絵が描かれている。その女の子が持つ強壮剤にもラベルがついていて、そこにも強壮剤を持つ、おなじ女の子の絵が描かれている。さらにその女の子が持つ強壮剤のラベルにも……という具合に永遠におなじものが反覆されていくのだ。これを見てハロルドはくらくらし、恐怖を感じる。
このイメージはパターンの反覆と、そのパターンから逃げ出せないことを示しているように思われる。ではパターンとはなにか。たとえばハロルドの父親と母親は、別居したり同居したりを繰り返している。このような人間関係のパターン。またギャングの世界においては殺し屋が殺され、殺し屋を殺した殺し屋が、またべつの殺し屋に殺される、という連鎖を続けている。このような人間のあり方のパターン。さらにハロルドの母親は小さい時からつちかわれてきた彼女のある種の性癖(所有癖とでもいうのだろうか)からのがれることができないでいる。このような性格的なパターン。そしてハロルドは所有癖の強い母との近親相姦的な関係から抜け出せないでいる。つまり親子関係のパターン。こうしたいくつものパターンがこの物語では反覆され、そこからハロルドは逃れることができない。逃れることができないから最後に悲劇に陥るのである。
4 神話との重ね合わせ
ハロルドの悲劇。彼は貧乏を抜け出し、ギャングの世界でのし上がっていこうとするが、まさにその野望ゆえに悲劇を迎える。このパターンはイカロス神話にその遠い源がある。
塔に幽閉されたダイダロスとイカロスの親子は、羽根を作って塔を脱出しようとする。しかし子供のイカロスは太陽に近づきすぎ、羽が溶けて海に落下する(溺れ死ぬ)。このような青春の悲劇が幾度も幾度も繰り返されてきた。ジョイスの「芸術家の肖像」はその挫折のパターンが、人類の歴史において何度も繰り返されてきたことを、神話との重ね合わせによって表現しているのだが、ペリーもその普遍的な挫折のパターンを逃れられない若者の姿を描いたのである。
5 分裂のイメージ
最初の頁で主人公ハロルドは、「ぼくはぼくだ」と自己の同一性を主張する。しかし彼の成長を見ていると、その自己同一性の主張は嘘であることがわかる。彼はマドゥンという alter ego を持っている。つまり彼は分裂しているのだ。
ハロルドの相棒であるエイビーは自分の手について「おれはときどき手が怖くなる。なんだかこいつらには脳みそがそなわっているみたいだ。おれを憎んでいるじゃないかと思うときもある。こいつらがおれの思い通りに動くのは、おれの意志のほうが強いからみたいだな。しかしこいつらは、おれが望まないことをやっておれを裏切る機会を狙っているんだ」と言う。彼も自己の分裂に直面している。そしてハロルドもエイビーもこの分裂が彼らの破滅の原因となる。
こう書くと分裂がいけないかのような印象を与えるかもしれないが、わたしは人間も社会ももともと分裂を抱えているものだと考えている。その分裂は社会(人間)を壊すものでもあり、かつまた社会(人間)に統合を目指させる原動力でもある。
6 子宮のイメージ
電灯のない真っ暗なハロルドの寝室は子宮であり、母親の寝室からのびる電気コードはへその緒である。これはこの作品のなかでもっとも強烈な、衝撃的なイメージである。自己の内部に他者を抱えている状態。自己と他者(分裂した自分)が平和に共存している状態を暗示する。ハロルドの母親は息子に対して他者となること、分裂することを許そうとしない。つまりこの子宮のイメージは平和的な共存をあらわすと同時に、同一者の専制的な支配をあらわしもする。