スラヴォイ・ジジェクが講演でよく使う冗談のネタに、ヒトラーとスターリンが演説後の拍手に対する対応の違いというのがある。ヒトラーが演説を終え、聴衆が万雷の拍手をすると、彼はただ頷いてそれを受け容れる。しかしスターリンは聴衆と一緒に拍手する。スターリンの考えでは、自分は民衆の一人であって、ただ(おそらくは天上にでもいるのであろう)彼らの導き手の代わりに話をしただけなのである。スターリンはその導き手に対して民衆と一緒に拍手を送ったというわけだ。
この導き手という概念をメタレベルとすれば、ヒトラーは自分がメタレベルであることを自認していることになる。それにたいしてスターリンはメタレベルであるのにオブジェクト・レベルの一員であるかのようにわざと振る舞っているということになるだろう。わたしはメタレベルがオブジェクト・レベルにたたみ込まれる構造にちょっと関心があるので、スターリン的な独裁主義がこの形を取ることに非常な興味を覚える。考えて見れば father figure というのはメタレベルに存在するから father figure なのだろう。メモ代わりにここに書きつけて置く。