Wednesday, March 20, 2024

アーヴィン・アッシュ「量子もつれ解説」

タイトルにあげたのは書籍ではなく、YouTube の番組である。(リンクはこちら)Arvin Ash という人が科学を解説している番組があって、そのなかの一つが非常に興味深かったので、取り上げておこうと思う。

以前わたしはこのブログでシェイクスピアの「冬物語」に見られるパラドックスと、量子力学のいわゆるEPRパラドックスの類似性を指摘したことがある。文学、それも十六世紀の作品と、最先端科学である量子力学のあいだにつながりがあるというのだから、ハナからこの議論を無視する人もいるだろうけど、しかしパラドックスの構造はまったく同型である。量子力学のパラドックスは装いは新しいが、古来からあるパラドックスの形を変えたものといえるのではないか。古代ギリシャからある「わたしは嘘つきだ」という真偽判定不能の一文が、二十世紀になってゲーデルの不完全性定理のもとになっているのとおなじことだ。

EPAパラドックスについてはアーヴィンさんの番組内で説明されているので、見てもらうのが一番いいが、これはアインシュタインが量子力学の考え方がおかしいことを証明しようとして考え出した思考実験である。量子もつれ状態にある二つの粒子を宇宙の一方の果てと他方の果てに移動させる。この二つの粒子には特徴があって、一方が Spin Up であるなら他方はかならず Spin Down となる。しかしこの Spin Up と Spin Down は計測されるまでは不確定の状態にある。そして一方の粒子が測定により Spin Up と確定したら、他方の粒子はそれと同時に Spin Down の状態になるのである。まるで一方の情報が宇宙を超えて瞬時に他方へ伝わったかのように、だ。アインシュタインは光より速いものはないのだから、これはおかしい、といいたかったのだ。そしてわれわれにはまだわかっていない変数Xがあって、それがこのような現象を生んでいると主張する。それに対してボーアという学者は、いや、Xなんてない、この奇妙な現象が現実だ、という。どっちが正しいのか。

アイルランドのベルという学者が、まことに単純だが狡猾きわまりないある実験を考え出し、それを実際にやってみると……なんとボーアのほうが正しいことが判明した。アインシュタインはどこがまちがっていたのか。

アーヴィンさんはこう言う。

[EPRパラドックスを考えた科学者たちは]二つの粒子を別々の物体として考えた。そう考えてしまったのも当然だ。粒子は宇宙の反対の方向に飛ばされるのだから。しかも両者が何光年も離れるまで待ったうえでようやく計測できるのだ。しかし物体がもつれの状態におかれると、それらは別々の物体ではない。それらはいわば単一の物体の二つの部分なのだ。

こういうことだ。量子力学では物体は波動関数によってあらわされる。この波動関数はその物体に関していえるすべてをまとめた数学的表現だ。この波動関数は宇宙にも広がりうる。だから粒子は波のようにふるまうのだ。

しかし二つの粒子をもつれの状態に置くと、それらは単一の波動関数によってあらわされる。もつれの状態に置かれた二つの物体はおなじ波動関数によってあらわされるのだから、それらは数学的には同一の物体である。これがもつれの本当の意味だ。また粒子の属性が相互依存関係にある理由である。あなたがたとえば一方の粒子を測定すれば、あなたは波動関数を変えたことになり、もう一方の粒子の状態も変えたことになる。なぜなら他方の粒子もおなじ波動関数であらわされるのだから。

ここにあるのは二つのものが同一であるのか、同一でないのか、決定不能であるという「冬物語」のパラドックスとまったくおなじである。これはリオンティーズとポリクシニーズの関係に置き換えることができる。二人は作中の比喩を使えば、二本の枝であり、同時に一本の木なのである。両者を別個の存在と考えることはできない。しかし単純にひとつのものとも考えることはできない。自同性と他者性のパラドキシカルな関係が「冬物語」の眼目である。

いや、もう一人ハーマイオニーの存在を忘れてはならない。彼女は上記の二人のあいだに存在すると言っていい。しかしその役割はやはりパラドキシカルである。彼女は二人を「繋ぐ」と同時に「切断」するのだ。リオンティーズとポリクシニーズが二者であり一者だとすれば、それはハーマイオニーの力がそうさせているのである。ハーマイオニーがあらわす力こそ量子力学の「もつれ」である。


この三者関係は二つの様態を持つ。三者がパラドキシカルな状態で共存しているありようと、一者がほかの二者を放逐し、純然たる同一性・自同性を確立しようとするありようの二つである。前者においては他者性、つまり自同なるものからつねにずれていこうとする力がはたらいているが、後者においてはそれがない。だからリオンティーズがポリクシニーズとハーマイオニーを追放すると、時間は停止ししてリオンティーズが治める国は「冬」に閉ざされ、ハーマイオニーは銅像のように空間的動きを失う。

逆に言うと、ハーマイオニーは時間や空間を生み出しているのではないか。わたしはずっとそう思っていたけれど、アーヴィンさんの番組を見て、やっぱりそうかとうれしくなった。彼はこんなことを番組内で言っている。

じつは研究者のなかには量子もつれは空間よりももっと根本的なものではないか、われわれの空間概念は、巨大な相互作用の網のなかで物体をつなげる量子もつれから発生するのではないかと考える人もいる。

アーヴィンさんは空間だけをあげているが、それでもこれを聞いた時、わたしは百万の援軍を得た思いだった。

文学の研究が量子力学に直接役立つわけではないが、文学が考え出したパラドックスが、量子力学が直面したパラドックスとよく似ていることは否定できない。最近、哲学者のジジェクが盛んに量子力学を論じているが、彼もラカン派の議論と量子力学の考え方が根本において同型ではないかと考えている。非常に興味深い。

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