Saturday, October 26, 2024

ケネス・フェアリング「心の短剣」

 


ケネス・フェアリングといえば大傑作「大時計」で有名だが、彼が書いたほかのミステリはあまり知られていない。フェアリングは非常に文章がすぐれていて、ニコラス・ブレイクみたいにどの本もその文章で読ませる。本書はとある芸術家のコロニーを舞台にした殺人事件を扱っている。

デマレスト・ホールは名のある画家、彫刻家、詩人、作家、音楽家などを招待し、無料で生活させる場所である。芸術活動の奨励を目的とした施設だ。芸術家というと、文化性の豊かな、高尚な紳士淑女を想像するが、実際はなかなかそんなものではない。嫉妬深く、口の悪い、偏狭な俗物だって大勢いる。デマレスト・ホールに住み、そこに招待する芸術家を選定する委員の一人ウォルター・ニコルズも、じつにねちねちと人の嫌みを言う、イヤな作家だ。彼のものいいに腹を立てたクリストファー・バーテルという画家は、つい彼をぶん殴ってしまったこともある。クリストファーは元ボクサーだったという異色の画家である。犯罪歴もあるらしい。芸術といってもその背景を探るとどろどろした情念や暴力的な世界とつながっているのである。デマレスト・ホールは決して文化の薫り高い場所ではない。

さてクリストファーにぶん殴られたウォルターという作家なのだが、じつは彼は別居生活している妻を殺そうと狙っている。妻はルシールという名前で、彼女も芸術家としてデマレスト・ホールに招待され、そこに住んでいるのだ。彼はこの施設の管理者をむりやり味方に引き入れ、妻の殺害をたくらむ。ところが彼はある朝、背中にナイフをずぶりと刺されて、死体となって発見される……。

この小説は論理によって犯人を割り出すような作品ではない。それよりも芸術家同士の確執やら羨望やら嫉妬やらの描写が生き生きとして面白く、それを楽しむべきものである。文章はウィットに富み、皮肉も効いている。たとえば芸術家が気高い心持ちを表現しようとした作品は二束三文でしか売れず、彼が抱える闇を表現した作品は、彼の作品のなかでもっとも高値がつくというような具合に、芸術の成り立ちについて、ある種の「批判的」な見方を提示している。

考えてみればダンテだって、ジョイスだって、実生活における敵を作品中に登場させ、こきおろしている作品が世界的な大傑作になっているのだ。芸術の奥底には否定的なもの(心の短剣)が存在するという考え方だって成り立つだろう。

ただ本書では、犯人である芸術家は捕まえられ、最終章で死刑にされるのだが、正直、そこまで描かなくても、作者の狙いは充分に表現されていると思う。最終章が蛇足じみた印象を与えるのは残念だ。

英語読解のヒント(142)

142. as good as 基本表現と解説 He is as good as dead. 「死んだも同然だ」 この as good as は「実質的に……も同然」の意味になる。 例文1 "Don't say you aren't c...