Monday, January 27, 2025

AIの翻訳力についての雑感

中国の AI の技術力がマーケットに波乱を起こしているようだが、たまたまエセル・リナ・ホワイトの Fear Stalks the Village を再読していたわたしが、本文のある箇所に疑問を感じ、Copilot と 今話題の DeepSeek に質問してみたところ、面白い結果が出たので報告しておく。

Fear Stalks the Village (「恐怖が村に忍び寄る」)には次の様な会話がある。

  “I simply can’t understand all this silly worship of Miss Asprey,” she said. “You see, I went to school with her. Of course, I was much younger, for she’s sixty-four. But, even then, I was a little novelist, only my books were more mature than The Young Visitoe. Decima was one of the big girls, with long, fair pigtails-but I took her measure, all right.”

  “Fair plaits. She must have looked like Marguerite,” murmured Vivian.

  “Marguerite, without the guts to go to hell. And I don’t see she’s made a success of her life. She chucked her job when she was still a young woman. After all, I’ve stuck to mine.”


最初の段落は、自分はミス・アスプレイがどうしてあんなに崇拝されているのか、理解できない。自分とミス・アスプレイはおなじ学校に行っていた、もちろん自分のほうが学年は下だ。あの頃から自分は小説を書いていた。「わかきほうもんしゃ」よりももうちょっと大人びた作品を。デシマというのはミス・アスプレイのことで、彼女はあの頃、金髪を長いお下げにしている大柄の女の子だった、と書いてある。ちょっと註釈をいれると、「わかきほうもんしゃ」というのはデイジー・アッシュフォードという女流作家が九歳のときに書いた小説で、綴りも文法も子供らしく滅茶苦茶なのだが、非常にませた内容で、1919年に発表されてひどく有名になった本だ。

二段目は「金髪のお下げ髪」と聞いて相手が Marguerite みたいだったんでしょうね、と言っている。この Margurite はいったい誰を指しているのか。これが問題だ。

正直わたしも最初はぴんと来なかったが、ミス・アスプレイが純粋で道徳心の化身のように見なされていること、三段目で「地獄に墜ちる勇気のない Marguerite ね」と言われていることから、シャルル・グノーのオペラ「ファウスト」に出て来るマルガレーテだろうと見当をつけた。(ちなみに、女性はこういうふうに髪の毛の色とかスタイルに鋭い観察眼を働かせるが、わたしはそういうことに情報価値を見出さない鈍感な男である。女流作家の作品を読んで感心し、またあきれてしまうのは、こういう女性的リアリズムである)それから確認を取ろうと思って、上記の引用をまずは DeepSeek に示し(作品の内容や書かれた時期についての情報も与えた)この Marguerite は誰を指しているかと聞いてみた。するとこれはアレクサンドル・デュマ息子の小説 La Dame aux Camelias に出て来る Marguerite Gautier だと解答した。この本は読んだことがないので、びっくりしてちょっと調べたのだが、要するにこの Marguerite Gautier は娼婦のような女であり、道徳心のかたまりであるミス・アスプレイを彼女に譬えることはどう考えてもありえないと思った。

そしてファウストのマルガレーテではないかと再度問うと、「あんたが正しい!」ときた。ファウストのマルガレーテは金髪でお下げにしており、引用文にぴったり合うと言うのだ。

面白いので今度は最初の質問をそのまま Copilot に投げかけてみた。するとまたもや驚愕の解答がかえってきた。Marguerite は「紅はこべ」の Maruerite Blakeney だと言うのだ。いやいや、彼女は金髪だったかもしれないが、はたしてお下げにしていただろうか、とわたしは思った。それにミス・アスプレイのイメージとだいぶ違う。ミス・アスプレイのイメージは「恐怖が村に忍び寄る」の大切なポイントなのだ。で、こちらでもファウストのマルガレーテではないか、と再び問いかけたのだが、「鋭いね!」と返事をしやがった。そして「ファウスト」のマルガレーテなら引用文がどう解釈できるか説明して、最後に「ご指摘ありがとう」などと言うのである。さらに Copilot には、「ファウスト」のマルガレーテはお下げ髪なのか、とも聞いてみた。すると、とくにそうと決まっているわけではない、オペラのプロダクションによってヘアスタイルは違ってくるだろう、と返答した。

そこで DeepSeek に戻って、「先ほどファウストのマルガレーテは金髪でお下げにしていると、あなたは解答したが、その情報源はどこか」と聞いてみた。すると興味深い答が返ってきた。自分の解答は芸術的伝統、オペラ舞台の伝統、マルガレーテの文化的、歴史的表象を踏まえてのものだという。

まずマルガレーテは純真な村娘だが、オペラにおいては金髪、お下げ髪というのが、とりわけ十九世紀ヨーロッパにおいては、お決まりのヘアスタイルだったらしい。また十九世紀、二十世紀初頭のオペラ公演においては、マルガレーテ役はお下げ髪にすることが多かったという。ネリー・メルバやマリア・カラスもお下げ髪で公演したことがあるという。(ほんまかいな)さらに絵画においてはマルガレーテの純真さを象徴して金髪お下げ髪姿が描かれることが多いのだそうだ。

確かに絵画を見てみるとマルガレーテは金髪、お下げ髪になっている。してみると、DeepSeek の答は一応根拠がありそうだ。こうしたイメージが一般に流布していて、引用文にあるような「マルガレーテみたいだんでしょうね」という発言につながっているのだろう。

(右のほうの女性がマルガレーテ。金髪の髪の毛を三つ編みにしているようだ。)

(左の白衣の女性がマルガレーテ。こちらも金髪をお下げにしている)

そんなこんなで二時間ほど AI と遊んだが、単純に AI を信じてはいけないことが身に染みてわかった。同時に AI が優秀なツールになりうることもよくわかった。しかし AI に翻訳をまかせるのはまだちょっと早い。AI は文学作品が特殊な磁場を持った情報体(しかも読み手によってその磁場が変化するような情報体)であることを理解していないからだ。この磁力の働きを感じ取れないから、Margurite が誰なのかを判別できないのだ。これは文学を翻訳=解釈する際に決定的な欠点となるだろう。今回は AI に翻訳をさせたわけではないが、その基礎となる原文の理解力の部分で、まだ問題が残っているということがわかった。

エドナ・シェリー「バックファイア」

  エドナ・シェリーは1885年オハイオ州に生まれ、スターテン・アイランドのカレッジで英文学を教えたのち、文筆業に転じた。もっぱらパルプ雑誌に短編やらキワモノ的な小説を書いていた。彼女が書いた最初のミステリは48年の「突然の恐怖」で、これはジョーン・クロフォード主演で映画化された...