Wednesday, April 23, 2025

ジェフ・ヴァンダーミア「滅び」

 



SFといってもスペースオペラのような作品はあまり好まない。しかし Speculative Fiction には目がない。フィリップ・K・ディックの小説やサマンサ・ハーヴェイの「軌道」、また、タルコフスキーの「ストーカー」みたいな映画は大好きである。ジェフ・ヴァンダーミアの「滅び」も謎めいた Speculative Fiction だと教えられ、さっそく読んでみた。

詳しい説明はないが、舞台はどうやら未来世界らしい。人々は汚染された環境のなかで生活しているようだ。その世界のなかにエリアXという特殊な地帯が存在していた。「ストーカー」のゾーンみたいな場所で、そこには自由に入ることが出来ないようになっている。政府だかなんだかわからない機関が、何度も探検隊を送り込むのだが、隊員たちは集団自殺したり、お互いに銃を向け合って殺しあったり、癌で死んでしまったりしている。本書に描かれているのは十二番目の探検隊の活動である。

これは女ばかり四名から成る探検隊だ。名前は挙げられず、ただ人類学者、測量師、心理学者、生物学者と呼ばれている。なぜ女ばかりが選ばれているのか、わからないし、また彼らはお互いをほとんど知らない。なのにチームを組んでエリアXの地形やら環境について観察し、報告しなければならないのだ。

この物語はわからないことだらけである。世界はどのような状況にあるのか。忽然とあらわれたエリアXとはなんなのか。どちらの領域に関してもまったく説明がないだけに、上下左右判別のつかない宇宙空間に放り出されたような茫漠とした印象しかない。また、四人の隊員はだれなのか。名前もわからなければそのバックグラウンドも不明である。かろうじて語り手である生物学者については多少の情報が与えられるが、しかし充分とは言えない。かえって謎を深めているくらいである。幾度も探検隊を送り出している組織もいったいなんなのか、はっきりしない。エリアXに強い関心があるからこそ、何度も探検隊を送るのだろうが、その目的がさっぱりわからない。隊員たちをだましているような様子すらある。こんな物語を延々と読まされ、人によっては怒り出す人もいるかもしれないが、しかしわたしはこの茫洋とした感じにどこかカフカ的なものを見出し、かえって面白いと思った。

古山高麗雄が「半ちく半助捕物ばなし」という不思議な小説を書いている。これも主人公が自分を取り巻く状況を把握できず、自分の意志を超えた現実に翻弄される話だ。わたしは本書を読みながらそれも思い出した。

この手の作品はだいたい悪夢的な印象を残すが、とりわけ「滅び」は主人公=語り手である生物学者の夢を描いたものと見るべきではないだろうか。作品の曖昧さは夢の曖昧さとそっくりである。そしてエリアXは人間の心的空間のように読めはしないか。境界とか塔とかドッペルゲンガー、また、探検がすべて失敗に終わっていることや、エリアXの内部には外部へ通じる四次元的なループホールが存在していることなど、どう見ても精神分析学的な読解を誘っているとしか思えない。わたしは天の邪鬼だからそういう誘惑には抵抗して、別の角度からの読解を考えたいところだが、しかし一応誘惑に乗った振りをして、どんな帰結が引き出せるか、見てみたいところではある。

またこうした物語には一種の転倒現象が起きることにも注意しなければならない。一見すると「滅び」はエリアXを冒険する物語のようだが、その中心は付随的に語られる生物学者とその夫の関係ではないだろうか。映画「禁じられた惑星」はモンスターとの戦いが眼目だが、しかしこのモンスターはスターシップに乗っている若者たちや科学者の関係を表象するものである。SFらしい派手な場面は、じつはヒューマンドラマを別の形で描いているのだ。こういう転倒が「滅び」のなかでも起きているのではないか。

エドワード・アタイヤ「残酷な火」

  エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...