作者のフランク・ハリス(1856ー1931)はアイルランドに生まれ、アメリカに移民した編集者・小説家である。アメリカのニューヨークに渡ったときは14才、ほとんど無一文で、靴磨きやポーターをやり、ブルックリン橋の建設工事にもたずさわった。この経験が小説「爆弾」の最初の部分のもとになっていることは間違いない。主人公であり、語り手でもあるルドルフ・シュナウベルトはドイツの、それなりに裕福な家庭に生まれ、ギムナジウムで教育も受けた。しかし父親との仲がうまくゆかず、若くしてアメリカに渡ることになる。彼は米国に行ったら文筆業につきたいと考えていたが、いくら仕事を探してもなにもない。とうとう有り金がつきそうになったとき、彼は肉体労働者として道路工事の人夫になる。そのあとは橋の建設工事に参加した。いずれも過酷な環境での労働だった。同じ仕事をしていた労働者のなかには、命を失う者もいた。
ようやくルドルフはドイツ系アメリカ人が経営する新聞社に記事を寄稿できるようになる。そしてニューヨークからシカゴへと活動の場所を移す。シカゴでは恋人も見つけるが、文字通り命をすり減らして働く労働者たちの社会主義的活動にのめりこむようになる。なかでも彼が心を惹かれたのがルイス・リングという男だ。雄弁で頭が切れ、(少なくともルドルフには)人間的魅力にあふれた人物だった。ルドルフはリングとともに労働者たちのさまざまな抗議集会に参加する。知識人がまじって理論的な話をする少数の集会もあれば、野外で開催される数千人の集会もあった。なにしろ当時の労働条件、労働環境は労働者を人とも思わぬとんでもないものだったし、とりわけ外国人労働者の扱いは奴隷以下のひどいものだった。さらに野外で集会を開くと警察隊が「やめろ!」と解散を命令する。労働者たちは周囲になにもない空き地で、ただ演説を聴き、示威行為に及ぶわけでもないのに、だ。警察はわざと労働者を挑発するように振る舞い、彼らがちょっとでも抵抗すると、警棒を振り回して男も女も子供すら容赦なく打擲しはじめる。それが次第にエスカレートして銃で彼らを殺すようにすらなる。新聞は警察の味方で、彼らがどんなに無茶苦茶な乱暴をはたらいても、警察を賛美するから、一般の人まで外国人労働者を怖れるようになる。
ルドルフは教養のある男であり、リングは教養こそないものの鋭い思考力の持ち主だったが、それでも目の前で若い女や子供が死んでいくのを見て、ついに一大決心をかためる。今度警察が集会の邪魔に来たら、爆弾を使おうと……。
1886年5月は今日のメイデイの起源となる、労働者の集会が行われたが、シカゴにおいては4日の日に、この小説に描かれた事件が起きた。労働者は会社によっては十二時間以上だった労働時間を八時間減らし、それまでの十時間労働分の給料を支払えと要求していた。集会そのものは平和的だったが、警察はまさに暴力的で、実際に拳銃を発射して労働者を殺していた。それに業を煮やし、集会に突入してきた警官隊に誰かが爆弾を投げつけたのである。
By Harper's Weekly - http://www.chicagohs.org/hadc/visuals/59V0460v.jpg, Public Domain, Link
この小説に出て来るのはほとんど実在の人物である。ただ爆弾を投げたのが誰かはいまだに特定されていない。が、ウィキペディアによるとルドルフではなかったかという説は有力なようだ。作者のフランク・ハリスはこの事件をかなり調べ、多少の想像力を働かせながらこの物語を書いたものと思われる。
本書には異様な迫力がある。十九世紀の後半は資本主義がとてつもなく昂進し、劣悪な労働環境があらわれた。そしてそれを告発する人々(Muckraker と呼ばれる)が活躍した時代だ。ネリー・ブライ(彼女の精神病院潜入記や世界一周旅行記は翻訳されていない!)やアプトン・シンクレア(新訳を出してほしい!)の作品は今でも古びていない。こうした錚々たる告発者たちのなかにフランク・ハリスの名もしっかり刻みつけなければならないだろう。それくらいすぐれた小説である。