イギリス人はあまり傘をささない。外套のフードをかぶりはするが、それだけで、平気な顔で歩く人が多い。とくに若い男はそうだ。本書には雨が降っているのに二階建てバスの上の階に乗る男が出て来る。雨だけでなく、霧も出て、視界の悪い夜のことだ。車掌がいつもの停留所で彼を乗車させると、さっさとステップを上がって二階席へ行ってしまった。田舎道を走るバスなので乗客は五人ほど。みんな一階に座っているのに、この男だけ二階席だ。終点につくまで、彼以外だれも二階に上がった者はない。車掌はステップに座っていたからその点は間違いない。
ところが終点についても男は下に降りてこない。不思議に思って車掌が上に行ってみると、なんと彼は死んでいる。しかも警察医によると絞殺されたらしい。密室殺人ではないけれども、それに近い不可能犯罪が行われたのである。この謎を解くべく、名探偵アンソニー・バサーストが登場する。
魅力的な出だしなのだが、正直な話、そのあとはそれほどでもなかった。物語が進むにしたがい、謎解きというより、冒険小説的な味わいが強くなっていったからである。謎解きもまったくクレバーな印象はない。探偵とおなじように真相を正確に見きわめることはできないだろうが、しかしだいたいのところは想定できてしまうので、最後にバサーストの説明を聞いてもさほど感興は湧かない。よく処女作や初期の数作は巧妙な謎を構成して面白く読ませる作品を書くが、その後アイデアが尽きてしまうと、凡庸な冒険小説を書く作家がいるが、それを思い起こさせるような出来である。しかしわたしがいちばんこの作品で違和感を感じたのは、ナレーションが登場人物の一人の視線から語られる部分と、三人称によって語られる部分が混じり合っていることだ。コリンズの「月長石」のように複数の登場人物の視点から語られるのはかまわないのだが、特定人物の視点からの語りと三人称の語りがまじるのは、読んでいてなんとも落ち着きが悪い。
この前読んだ「孔雀の眼殺人事件」が非常によかったので、期待して読んだのだが、この作品はだいぶ質が落ちていると思う。しかし goodreads.com の評価を見ると四点以上の高得点を獲得しているので、わたしの趣味が一般と違うということを意味するだけなのかも知れない。