Wednesday, May 29, 2024

オクテイヴァス・ロイ・コーエン「歓楽の響き」


コーエン(1891-1959)は本当に面白いのに、まったくといっていいほど知られていない。この人の小説は軽快で、都会的で、謎の構成の仕方がうまく、一気に読める。そのかわり強い印象を残さないという欠点はあるかも知れない。しかし彼の Gray Dusk 「夕闇」というミステリは、問題作で、わたしは今でも思い出して考え込むことがある。

本作の原題は Sound of Revelry。スティーブという語り手とその恋人ジュディがメインの登場人物となる。二人はとあるダンススタジオでダンスを教えている。しかもリーダーとパートナーの関係、つまり組んで踊りもやっている。ボールルームダンスのアマチュア選手だった人ならわかると思うが、リーダーとパートナーというのはダンスをめぐって激しくいがみ合うものだ。主人公の二人もなにかというとケンカをする仲である。

この二人がとあるパーティーに呼ばれ、客たちにダンスを披露したことがあった。そのパーティーの最中と、パーティー後に殺人事件が起きる。一晩に二つの殺人事件である。殺された一人はスティーブに色目を使っていた金持ち女。そしてもう一人はジュディがダンスの個人レッスンをしていた紳士だ。しかもこの紳士が死んでからすぐにわかったのだが、彼は全財産をほぼすべてジュディに遺贈していた。

ここからジュディのまわりに怪しげな人物たちが集まりだし、ジュディ自身も謎めいた振る舞いをはじめる。いったいなにが起きているのだろうと興味津々読み進めると、今度は死体消失という事件までが起きる。

ニューヨークのショービジネスの華やかさと、殺人事件のおどろおどろしさ、そして主人公二人のロマンスがあいまって、非常に楽しく読める一作だ。日本でいうと赤川次郎のサスペンス小説を読むような軽快さを感じさせた。

Sunday, May 26, 2024

訳したいけど……女流作家の文章

女流の作品のなかで、訳したいけど、とても自分にはその能力がないなと思えるイギリスの文学作品を四つあげてみる。


1.ステラ・ベンソン「お一人さま荘」(1919)


女流作家のなかには早熟で、驚異的な才能を見せつける人がときどき出て来る。日本で言えば、中沢けいが「海を感じる時」をひっさげて登場したときがそうだろう。あれを読んで脳天に一撃をくらわない人間はいない。ベンソンはそんな感じの、圧倒的才能のかたまりで、どの作品も光っている。「お一人さま荘」は、たぶんファンタジーと呼んでさしつかえないだろう。しかし展開がシュールすぎて短くまとめることができない。主人公は魔法のほうきで空を飛ぶ女の子である、とだけいっておこう。魔女が空を駆け巡るように、作者の想像力が自在に飛翔する。リリカルな描写と機智にあふれた作品で、女性作家の若さと才能がどのページにも爆発している。とてもじゃないが、こんな才能にわたしは太刀打ちできない。


2.E.M.デラフィールド「田舎住まいのご婦人の日記」(1930)


今でも人気のある作品だが、たぶんまだ日本語訳は出ていないと思う。タイトル通り、田舎に住むとある奥さまがその暮らしぶりを報告する日記で、これがとにかく可笑しい。ユーモア文学としては最高級の出来栄えなのである。わたしがなぜ訳さないかというと……全編にみなぎる女性の饒舌体がとてもわたしの手に負えるようなものじゃないからだ。わたしは理屈っぽいところがあって、文章を書くときは論理性が大事だと思っている。言葉が泉のようにあふれてくるような饒舌体は、読むのは楽しいが、自分で書くのは不可能だ。何度か訳文をつくってみたことがあるが、うまくいかない。


3.エリザベス・フォン・アーニム「魅惑の四月」(1922)


これは発表当時ベストセラーとなり、何度も映画化され、舞台でも上演された。ヴィクトリア朝の保守的な価値観に縛られた女性四人が、思い切ってイタリアの古いお城を一月借り、いろいろな「冒険」をするという話だ。この作品はとにかく女性の心理描写が読ませる。窒息しそうな古い道徳観とともに生きてきた女性たちが、小さな自由の可能性を見つけ、どれほど心を震わせるか、読んでいて泣きたくなるくらい感動的にそれが描写される。また、主人公たちがイギリスにいるあいだは、十九世紀の入りくんだ文章が用いられ、彼らの自然な感情がいかに古い思考形態にその発露をさまたげられているかが表現されている。しかしイタリアへ着いてからは、文体がぐっと現代的なストレートなものに変化するという、いかにもモダニズムの時代に書かれた作品らしい工夫が見られる。内容だけでなく形式も繊細なこのような小説は、やっぱり同様の生きた経験を持つ人、そして言語能力に秀でた人でなければとても訳せない。


4.モード・ケアンズ「不思議な旅」(1935)


一般家庭の女性と貴族の女性とのあいだでボディ・スウォップが行われるという物語で、この手の設定をはじめて用いたとされる F.アンスティーの「ヴァイス・ヴァーサ」より面白い。この物語は、肉体が入れ替わる二人の女性のうち、一般人の女性のほうの目線から描かれるのだが、彼女のミドルクラス的態度が、貴婦人たちのあいだに衝撃と恐慌を巻き起こし、これが滅法愉快なのだ。若いお母さんでもある彼女の感性がこの物語の魅力となっていることはまちがいない。しかし彼女のときに怯え、ときに優しく、ときに豪胆で、ときに憤懣を爆発させるという、多面的な女性の感性を日本語に移植するのはとてもわたしにはできない。

Thursday, May 23, 2024

エラリー・クイーン「アメリカ銃の秘密」

 


このブログでは既訳のない作品を紹介するようにしているのだが、最近は歳のせいか、むかし読んだ作品を読み返すことが多くなった。去年の年の瀬から今年の正月にかけて蔵書を整理したのだが、そのとき懐かしさのあまり何度か作業を中断して何十年も前に読んだ本に読みふけったりした。他の人はどうか知らないが、わたしはよほど印象が鮮烈でないかぎり、ミステリ作品はだいたい筋を忘れてしまう。普通の小説は最初の何ページかを読むと、「これは読んだな」とはっきり思い出すのだが、ミステリの場合は完全に忘れてしまうことが多い。解決編を読んでも、思い出さないのだから、われながらあきれる。

クイーンのミステリ作品はすべて読んだはずだ。クイーン名義だが、じつは他の人が書いた作品、というのもあるが、中学から高校にかけて、それもクイーンの作品だと思って読み尽くした。ペーパーバックには親切な「解説」などついていない。背表紙にエラリー・クイーンと書いてあるからクイーンの作品だと思いこんでしまったのだ。

しかし夢中になって読んだクイーンもほとんど忘れているようだ。「アメリカ銃の秘密」ははじめて読んだも同然である。ただ凶器である銃を探して二万人の身体検査をしたという部分だけ、なんとなく記憶に残っていたが。

読後感は、と問われれば……。なにか変な感じがする。以下、ネタばれも含むがこの「変な感じ」を説明しよう。探偵役のエラリーはズボンのベルトをめぐってなかなか興味深い推理を展開している。それはベルトを使う人なら誰でも経験する、日常的リアリズムにあふれた、ある事実である。それ自体をみれば、ベルトを巡るこの推理に文句をつけるところはない。

また銃の握りに関する推理も日常的なリアリズムにあふれている。銃を使う人は日本にはあまりいないだろうけれど、指がよく触れる部分が変色するという現象はなんらかの形で見知っているはずで、充分に推測がはたらくだろう。この推理もそれ自体としては、どこにもおかしなところはない。

しかし一方にこのようなリアリズムがありつつ、他方にそのリアリズムの欠如が見られたとしたらどうだろう。殺人現場はロデオショーが行われるスタジアムで、ショーのあいだにロデオショーのスターが拳銃で殺されるのだが、スタジアムには二万人の観客がいたのである。その観客が誰一人として、犯人の不審な動き(一人だけ二丁拳銃を用い、犯行後、そのうちの一丁を馬の口に隠す)に気づかないというのは、日常的なリアリズムに反するのではないか。

同様に警察が銃弾の入射角を間違えるというのも信じられない。一九三〇年代といえども、被害者が被弾したときの姿勢を考慮に入れるというのは、捜査のイロハだっただろう。また、馬は訓練すれば、口の中に入れたものをいつまでも吐き出さなくなる、という部分も、日常的リアリズムからは信じがたい。エラリーはやたらできることを力説するが、その力のこめようは、逆にそのありえなさを自覚しており、それを無理やり隠そうとしているのではないか、という疑惑を生むていのものである。曲芸のできる馬らしいが、いったいどんな曲芸で口の中のものを吐き出さずにいる訓練が必要になるのか。

犯行の動機が最後まで明確にされない点は、わたしはさほど気にならない。一人の女性の出自がゆすりのネタになっていたとしたのなら、それを露骨にあばくのは悪趣味だと感じる。それはよい。しかし日常的リアリズムが守られたり守られなかったりと、ちぐはぐなのは気になる。いったいどんな原理がこの作品を支配しているのか、わからなくなるからだ。文章もほかの作品より紋切り型の表現を多用してはいないだろうか。

Monday, May 20, 2024

カルム・ニール「ジャック・ラカン入門」

 

ラカンの精神分析の議論は非常にわかりにくい。それは彼の議論がパラドキシカルだからである。思い切り単純化するとその核心には「存在しないはずのものがなぜ存在するのか」という疑問がある。存在しないはずなのに、存在しているという、わけのわからぬ疑問から出発するから、その議論は一貫してパラドクスを含み続ける。だから一定の知的訓練を経ていないと、彼の理論はたんなる阿呆陀羅経に聞こえるのである。

2023年に出版された本書は、このパラドキシカルな性格に留意しつつ、ラカンの理論を最大限にわかりやすく解説した本だ。わたしはラカンの専門家ではないけれど、おそらく今後ラカンの入門書と云えば、本書が一番手か二番手に推薦される本になるだろう。

鏡像段階、想像界/象徴界/現実界、オブジェクトa、無意識、性的関係(sexuation)等々の基本概念が丁寧に解説されている。それぞれの章の終わりには、その章の内容が簡潔にまとめられているという配慮ぶりで、これはもう「よくわかるシリーズ」みたいな参考書並みの簡明さである。パラドキシカルな性格にはとくに注意して説明がされており、作者の説明を聞くとなるほどそれぞれの概念の二重性はそのようにして立ち現れてくるのかと、得心がいく。ラカンの議論はその精妙さにおいて一つの極北をなすので、関心のある向きは是非本書を一読して欲しい。まったくの素人にもラカンの思考術とでもいうべきものが、なんとなく感じ取られるはずである。

ただしわたしが「ラカン入門」を夢中になって読んだかというと……そんなことはない。少々あくびをかみ殺しながら通読したというのが本当のところだ。なるほどよくわかるように書かれているが、このわかりやすさはラカンの理論の刺激的な部分を犠牲にして成り立っていると思う。この欠点については作者自身も自覚していて、本書を読んだらここに書かれていることなど忘れてラカン本体に取りつくことを推薦している。ラカンの高弟ジャック・アラン・ミレールはラカンの議論の刺激的な部分をかなり保持したまま、それを解説する名手だが(そのかわり難解である)、そのミレールでさえラカンの原文と比べると水で薄めたように感じられる。「ラカン入門」は原酒を水で百倍薄めたようなもので、誰でも呑めるように、しかし味わいだけはなんとか感じ取られるように書かれている。しかし本物の味わいはこんなものではない。いや、ラカンの読解はまだ終わっておらず、そこから新しい「味わい=読み方」を引き出してくるのがわれわれに課せられた仕事なのである。

Friday, May 17, 2024

独逸語大講座(20)

Als die Sonne aufging, wachten die drei Schläfer auf. Sofort sahen sie, wie1 schön die Gestalt war. Jeder von ihnen verliebte sich in2 das hölzerne Mädchen, jeder von ihnen wollte es zum Weibe haben, und so gerieten3 sie zuletzt4 in Streit.5 „Ich habe es zuerst gemacht,“ sagte der Zimmermann, also ist es mein Eigentum.6" Ich habe ihm das Teuerste7 gegeben," sagte der Goldschmied, „also gehört es mir.“ „Sie ist mein,8" rief9 der Schneider dazwischen,10 „denn11 erst12 die Kleider machen ein Weib schön.“ Der Mönch aber gebot13 ihnen Stillschweigen14 und sprach: „Was bedeutet das alles,15 was15 ihr dem Mädchen gegeben habt, ohne dasjenige,16 was mein Werk17 ist? Ein Stück18 Holz und weiter19 gar nichts. Mein Recht ist unbestreitbar,20 denn ich habe ihr die Seele gegeben."

訳。太陽が昇ると als die Sonne aufging, 三人の眠り手たちは die drei Schläfer 目覚めた wachten auf. 彼等は sie 直ちに sofort 如何に wie 其の似姿が die Gestalt 美しくある〔かを〕 schön war 見た sahen. 彼等の各々が jeder von ihnen その木製の乙女に in das hölzerne Mädchen 惚れ verliebte sich 彼等の各々が jeder von ihnen それを es 妻君に zum Weibe 持とうとした wollte haben, そう云う風にして und so 彼等は sie 結局 zuletzt 喧嘩を始めた gerieten in Streit. 「俺がそれを最初に造ったのだ」 „ich habe es zuerst gemacht“ と大工は云った sagte der Zimmermann 「だからそれは俺の財産だ」 also ist es mein Eigentum. 「私はそれに最も貴重なるものを与えた」 „ich habe ihm das Teuerste gegeben“ と金細工師は云った sagte der Goldschmied 「だからそれは我輩に属する」 „also gehört es mir“ 「彼女は俺のものだ」 „sie ist mein“ と裁縫師はその間に挿んでどなった rief der Schneider dazwischen 「何故ならば denn 着物にして始めて erst die Kleider 一人の女を ein Weib 美しくする」〔事が出来るのだから〕 machen schön.“ ところが僧は der Mönch aber 彼等に ihnen 沈黙を Stillschweigen 命じ gebot そして und 云った sprach:「愚僧の業なる was mein Werk ist ところの物 dasjenige なくては ohne 卿等が乙女に与えたるところの was ihr dem Mädchen gegeben habt それら凡ての物は das alles 将た何事を意味するや was bedeutet? 〔それは単なる〕一片の木材〔なり〕 ein Stück Holz 而して und それ以上 weiter 何物にも非ず gar nichts. 愚僧の権利は争う可からざるものじゃ mein Recht ist unbestreitbar, 何故と申すに denn 愚僧は ich 彼女に ihr 魂を die Seele 与えたぞ habe gegeben.

註。――1. wie は此処では疑問詞で、(英 how)それを接続詞的に用いたのである。「……の如く」(英 as)と云う wie とは別物である。――2. sich verlieben (惚れる)は in を伴う。即ち sich in jemanden (四格) verlieben と云う使い方である。――3. gerieten (陥いる)は既に一度出た字。――4. zuletzt=endlich, am Ende, schließlich.――5. in Streit geraten (争いに陥いる、即ち争い始める)は熟語。――6. eigen (英 own)「己れ自身の」という形容詞から来た名詞。つまり英語の possession. =tum と云う語尾は英語の -dom と云う語尾にあたる。――7. teuer (英 dear)「高価な」に =st の語尾を附けると teuerst から中性名詞 das Teuerste (最も高価なもの)を造ることは第二巻 188 で述べた通りである。――8. mein は英語の mine と同じ使い方をする。――9. rufen (呼ぶ)の過去。呼ぶと云うのは、つまり「呼ばわる」大きな声を出して言うこと。――10. dazwischen は「其の間に」、即ち他人の言葉の間を縫うようにして、他人が喋舌っている真最中に、の意。――11. denn は「何故と云うに」と訳するのが適当である。weil のように「であるために」と、後の方から先に訳して後で附けるのとは多少趣を異にしている。――12. erst は茲では前置的なものであるから、erst die Kleider (着物が始めて)と、名詞と合体して考えないといけない。(第四巻に於て述べる筈の所謂前置詞的接続詞なるものに属する)。――13. gebieten, gebot, geboten (命ずる)。――14. Stillschweigen は stillschweigen (沈黙する)という分離動詞を不定法の儘名詞化したもので、こんなのは必ず中性である。(第一巻 47 の 2).――15. alles, was に就ては第二巻 166.――16. dasjenige に就ては第二巻 178.――17. Werk, n. (英 work)は、業績、作品、作の事であって Arbeit (働き)とは違う。けれども日本語でも「仕事」という言葉を作られた物品と働きという動作との両方に用いるように、Werk も Arbeit も其の両方の意味に用いる。――18. Stück (英 piece)英語では a piece of wood だが、独逸語では of に相当するものを入れないで、単に並べて ein Stück Holz という。ein Glas Bier (一杯のビール)ein Pfund Zucker (一ポンドの砂糖)等。――19. weiter (英 further)は、「それ以上」「それ以上進んで」「それ以外に」の意。たとえば ich lese weiter (私は読み続ける)に現れた前綴 weiter= と同じ事。――20. unbestreitbar の un= は英語の否定前綴 un- と同意。bestreiten が「争って疑問にする」「物云いを附ける」「けちを附ける」と云う動詞。=bar という語尾は英語の -ible, -able 等に相当し、「……し得べき」を意味する。unbestreitbar はつまり英語の indisputable と同じ構造である。(in- は un- と同じ意、ただ拉丁系統の前綴だというだけの相違)。

Tuesday, May 14, 2024

英語読解のヒント(115)

115. the fact is / the truth is

基本表現と解説
  • The fact is, he couldn't write at all. 「じつは彼はまったく字が書けなかった」

「じつは……である」という意味。the fact of the matter is とか the truth of it is という形になることもある。

例文1

The fact is, I felt irresistibly impressed with a presentiment of some vast good fortune impending.

Edgar Allan Poe, "The Gold-Bug"

じつは今にもたいへんな幸運が訪れるのではないかという気がしてならなかったのです。

例文2

The fact was that Mrs. Errol had thought it better not to tell him why this plan had been made.

Francis Hodgson Burnett, Little Lord Fauntleroy

じつはミセス・エロルはこの計画を立てた理由を彼に話さないほうがいいと思ったのだ。

例文3

....but the truth of it is, that he met with a bad woman.

William Carleton, "Larry M'Farland's Wake"

……でもじつは彼、悪い女に出会ってしまったのよ。

Saturday, May 11, 2024

英語読解のヒント(114)

114. in the eyes of / in one's eyes

基本表現と解説
  • In the eyes of law and reason, it is no excuse. 「法律から見ても道理から考えてもそれは弁解にならない」

「……の考えでは」「……の見るところでは」という意味。in the estimation of / in one's estimation とおなじ。

例文1

In their eyes she is the embodiment of treachery, degradation and perversity — a perfect devil!

Max O'Rell, Between Ourselves

彼らの目からみると、彼女は不実、堕落、邪悪を体現した人間、まったくの悪魔である。

例文2

Remember always that in the eyes of a woman you have to be manly — that is to say, generous, magnanimous.

Max O'Rell, Between Ourselves

男は女の目から見て男らしくならねばならない、つまり寛大鷹揚でなければならないことを記憶せよ。

例文3

We love people who put us in a position to render them good services still more than those who do us good turns, because the former ones raise us in our own estimation, whereas the latter put us under obligations to them.

Max O'Rell, Between Ourselves

われわれは親切にしてくれる人より、親切をさせてくれる人のほうを愛するものだ。というのは親切を施せば自分の目にも自分の評価が上がる。ところが親切にされると負い目を感じることになるからだ。

Wednesday, May 8, 2024

英語読解のヒント(113)

113. every

基本表現と解説
  • I have every respect for your opinion. 「あなたの意見にはこのうえない敬意をもっています」

このような every は very great とか all possible といった意味。

例文1

Every precaution is necessary when dealing with such a fellow.

Arthur Conan Doyle, "The Adventure of the Dancing Men"

こういう奴を相手にするときは、なにからなにまで注意することが必要だ。

例文2

At daybreak the wind freshened still more, and there was every appearance of a storm.

Jules Verne, Round the World in Eighty Days (translated by Henry Frith)

夜明けに風はさらにいっそう強くなり、どう見ても嵐が来そうであった。

例文3

Knowing that every attention would be paid to his son's comfort, Lord Earle thought but little of the matter.

Charlotte Mary Brame, Dora Thorne

息子が快適に過ごせるようあらゆる注意が払われるであろうと思っていたアール卿は、そのことはほとんど気にしなかった。

Sunday, May 5, 2024

英文読解のヒント(112)

112. never so / ever so (2)

基本表現と解説
  • Home is home, though it be never so homely.
  • Home is home, be it ever so homely.

「いかに粗末でも家は家」。譲歩を示す節のなかで使われる場合は never so と ever so は「いかに……であっても」の意味と解される。never so の形のほうが文語的響きを持つ。

例文1

She would trust him as a brother, and his words should be sweet to her were they ever so severe.

Anthony Trollope, The Vicar of Bullhampton

彼女は彼を兄のように信頼していて、彼の言葉はどんなにきびしくても彼女の耳にはやさしく聞きなされるのだった。

例文2

Grammarians differ with regard to the correctness of using never in such sentences as, "He is in error, though never so wise," "Charm he never so wisely." In sentences like these, to say the least, it is better, in common with the great majority of writers, to use ever.

Alfred Ayres, The Verbalist

文法学者はつぎのような文章における never の用法の正しさに関して意見が割れている。「彼はいかに賢くとも誤っている」「彼はたくみに呪文を唱える」。このような文章においては大多数の人がするように ever を用いたほうがよろしいといわざるをえない。

 "Charm he never so wisely" は聖書の詩編の言葉。

例文3

Betide what may, we will not despair, were the world never so unfriendly.

James Anthony Froude, Thomas Carlyle

なにが起きようと、世間がいかに冷たかろうと、われわれは失望しない。

Thursday, May 2, 2024

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1)

基本表現と解説
  • He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」
  • He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見えた」

never so も ever so も very とか awfully といった意味になる。

例文1

Ask me never so much dowry and gift, and I will give according as ye shall say unto me: but give me the damsel to wife.

King James Bible

いかにおほいなる聘物おくりもの禮物れいもつもとむるも汝らがわれに言ふごとくあたへん唯このむすめを我にあたへて妻となさしめよ

 New American Standard Bible ではこの部分が ever so を用いて書かれている。

Demand of me ever so much bridal payment and gift, and I will give whatever you tell me; but give me the girl in marriage.

例文2

When you need me again I will come ever so far.

William Makepeace Thackeray, Henry Esmond

もしもまたわたしに用があったら、わたしはどんなに遠くてもあなたのところへ参ります。

例文3

"We won't take a tent," suggested George; "we will have a boat with a cover. It is ever so much simpler, and more comfortable."

Jerome K. Jerome, Three Men in a Boat

「テントは持っていかない」とジョージは言った。「覆いつきのボートにするんだ。そのほうがずっと面倒がなくて快適さ」

英語読解のヒント(145)

145. 付帯状況の with 基本表現と解説 He was sitting, book in hand, at an open window. 「彼は本を手にして開いた窓際に座っていた」 book in hand は with a book in his hand の...