Thursday, December 11, 2025

英語読解のヒント(199)

199 分離不定詞

基本表現と解説
  • She is too shy to really enjoy society. 「あの方はとても内気ですから、人付き合いを好まれないのです」

to 不定詞の to と動詞の間に副詞や副詞句が入る形。ヴィクトリア女王時代は誤りとされたが、現在はかなり頻繁に用いられる。テレビ番組「スター・トレック」のナレーション “to boldly go where no one has gone before” は分離不定詞の代表的な例。

例文1

It is said that China hopes to easily procure in France funds to enable her to promptly pay the indemnity.

Nathan Haskell Dole, The Mistakes We Make

中国はフランスで難なく資金を調達し、もって迅速に賠償金を支払いたいとしているそうだ。

例文2

Naturally I was full of enthusiasm, and felt proud of being able to at last call myself barrister-at-law.

J. E. Muddock, Stories Weird and Wonderful

わたしの胸は喜びにあふれ、ついに弁護士と名乗ることのできた自分を誇りに思ったが、それも無理からぬところだ。

例文3

It was such a fearless, withering rebuke of southern aristocracy, that despised honest toil, as to fairly make it stagger.

William Makepeace Thayer, Ethics of Success

それは正直な労働を貶める南部の貴族を大胆に、痛快に詰責したもので、彼らをして見事顔色をなからしめた。

Monday, December 8, 2025

英語読解のヒント(198)

198. than + 原形不定詞

基本表現と解説
  • I would rather suffer anything than face him. 「わたしはどんな目にあっても彼とは顔を合わせたくない」

than のあとに動詞がくるときは原形不定詞になるのがふつう。

例文1

"I would suffer any sorrow, even death, rather than see his face turned coldly from me."

Charlotte M. Braeme, Dora Thorne

「どんなに悲しい目に会っても、たとえ命を失っても、彼に冷ややかに顔を背けられるよりはいい」

例文2

So the days glided on, with fewer clouds and more sunshine than fall to the lot of most boys.

Thomas Bailey Aldrich, The Story of a Bad Boy

こうして多くの少年の身の上に起こるよりも雲翳はすくなく、光明は多く、歳月は過ぎた。

 cloud と sunshine は比喩的に用いられている。また lot は「運命」意。

例文3

"I thought," he said, "that I could not do better for the little one than leave her here in the doctor's care."

Charlotte M. Brame, Wife in Name Only

彼は言った。「子供はここの医者に頼んでおくのがいちばんいいと思ったのです」

Friday, December 5, 2025

英語読解のヒント(197)

197. strange to say

基本表現と解説
  • Strange to say, many great men are superstitious. 「不思議にも偉人には迷信家が多い」

strange to say とか wonderful to relate のような「形容詞 + to 不定詞」の形は従属節の省略されたものと考える。上例の場合は Although it is strange to say so, many great men are superstitious. と解する。

例文1

Strange to say, she was not unlike Beatrice.

Charlotte M. Brame, Dora Thorne

不思議にも彼女はビートリスと似ていた。

例文2

Yet, incredible to relate, Congress has shown a queer inability to learn some of the lessons of the war.

Theodore Roosevelt, "Speech at the Hamilton Club in Chicago (April 10, 1899)"

しかし信じられないようだが、議会は奇妙なくらい戦争の教訓を学ぼうとしなかった。

例文3

Suspended across the doorway was a string of human heads—yes, horrible to relate—of human heads in different states of decomposition.

E. W. Sturdy, "Tom Fairweather's Visit to the Sultan of Borneo"

入口には紐で数珠つなぎにされた人間の頭がかかっていた。そう、恐るべきことだが、さまざまな腐敗の状態にある人間の頭がかかっていたのである。

Tuesday, December 2, 2025

英語読解のヒント(196)

196. to think

基本表現と解説
  • To think that it should come to this! 「よもやこうなろうとは!」
  • Foolish fellow! to suppose that it could be kept concealed! 「これが知れずにいると思うとは愚かなやつだ」

感嘆を示す不定詞の用法。この用法に使われる動詞は think, imagine, dream, suppose などに限られる。さらに to think とか to imagine の部分が省略されて That it should come to this! のようになることもある。

例文1

Foolish fellow! to suppose that he could be pardoned!

J. C. Nesfield, Idiom, Grammar, and Synthesis

愚かなやつだ、許されると思うとは。

例文2

Whitcomb is a judge, sedate and wise, with spectacles balanced on the bridge of that remarkable nose which, in former days, was so plentifully sprinkled with freckles that the boys christened him Pepper Whitcomb. Just to think of little Pepper Whitcomb being a judge!

Thomas Bailey Aldrich, The Story of a Bad Boy

フイットコウムは判事さ。物静かで賢くて、立派な鼻の上に眼鏡をのせている。むかしはその鼻の上がそばかすだらけで、坊主どもは彼にコショウのフイットコウムと綽名をつけたくらいだ。あのチビスケ、コショウのフイットコウムが判事になるとはねえ!

例文3

"To think of that simple, fair-faced girl being Lady Arleigh!" exclaimed Lady Peters.

Charlotte M. Brame, Wife in Name Only

「あのあどけなくてかわいらしい顔をした女の子がアーレー夫人になるとはねえ!」とピータース夫人は言った。

Saturday, November 29, 2025

アリス・ジョリー「マッチ箱の少女」


この本はまだ読んでいない。ただ数日前に作者がガーディアン紙に新作「マッチ箱の少女」に関する一文を寄稿していて、それが面白かったのでさっそく注文した。寄稿された記事のタイトルは「自閉症に関する彼の研究は思いやりに溢れていた――ハンス・アスペルガーはいかにしてナチスに協力したか」(こちら)である。内容は難しくはない。要するにハンス・アスペルガーという自閉症の研究者は、思いやりにあふれた独創的な思想家であり、同時に熱烈なナチスの支持者でもあった。一見すると対極的なこの二つの人間性がなぜ一人の人間のなかに矛盾なく共存しえたのか。それがアリス・ジョリーが「マッチ箱の少女」という小説を書く動機になったというのである。

これはオルダス・ハクスリーの「灰色の枢機卿」という名作と同じテーマである。灰色の枢機卿とは、十七世紀に活躍したジョゼフ神父のことである。彼はナチスのような残忍な軍事政策を執り行いつつも、同時に神秘主義の研究においては極めてすぐれた精神性を示した。ハクスリーはやはりこの矛盾する傾向の共存に当惑した。一方で残忍であり、他方で慈悲深い人間などどうして存在しうるのか。

これとまったく同じ問題をもっと通俗的な形で追求したのが、韓国の映画監督キム・ギドクである。セクハラ問題を引き起こした監督を論じるのはちょっと気が引けるが、しかし作品自体は重要な問題をはらんでいる。とくに「悪い男」とか「空き家」は注目すべきである。「悪い男」においては上流家庭に育った美しい娘がおしのギャングに誘拐されたのち娼婦として働かされ、人生をいわばめちゃくちゃにされるわけだが、そんな彼女がこのおしのギャングに愛を感じるという話だ。それはまったくありえないような、奇形の愛と映る。また「空き家」においてはDVを繰り返す夫のもとで泣き暮らす女が、映画の最後では彼を熱烈に愛するようになるという物語である。夫が反省してその粗暴な振る舞いを変えたわけではない。まったく変わっていないのだが、しかし女は夫に心からの愛を示すのである。キム・ギドクはこういう極端な状況に常に惹かれる。彼は韓国の名優に映画出演の話をもちかけたが断られたらしい。その理由を俳優はこう説明した。「わたしは心から愛する娘を殺すような役はできない」。どういう映画だったのかはよく知らないが、おそらくこの作品の父親は娘への愛と殺意を共存させる人物だったのだろう。そして俳優はそんな怪物的な存在を演じることに道徳的な嫌悪を抱いたのだろう。それは不自然であり、人間性への冒涜であり、ありえない歪んだ人間の表現である、と。

しかしわたしはこういうことはありうると思うし、実際にハンス・アスペルガーやジョゼフ神父はそういう存在だった。わたしがラカンの精神分析に強く惹かれるのは彼がそういう人間の可能性についても考察しているからである。

ともかく、わたしが興味を持っている問題系を扱っているということで、アリス・ジョリーの「マッチ箱の少女」は非常に楽しみな小説である。

Thursday, November 27, 2025

マイケル・タルボット「夜の怪物」

 


マイケル・タルボットのホラー小説は翻訳されているのだろうか。1982年に処女作 The Delicate Dependency という吸血鬼ものを書いて注目され、91年には The Holographic Universe を出し、科学番組などでいまだに取り上げられたりする。ところが彼は92年に38歳で亡くなってしまった。非常に面白い人だっただけに惜しまれる死である。

「夜の怪物」は彼の処女作ほどの重厚さはなく、クライマックスに至る展開にやや難があるが、よくできたB級ホラー映画のような面白さがあった。ロックスターのスティーブン・ランソムと芸能記者のローレン・モントゴメリが結婚した。スティーブンは初婚だが、ローレンは再婚で、すでに小さな息子がいる。この三人がアディロンダックス山中の巨大なお屋敷を借りて夏休みを過ごすのだが、このお屋敷がものすごい。ヴィクトリア朝時代に建てられ、部屋数が160ある。しかも建てた人が気が狂っていたせいだろう、いろいろと変な仕掛けが施されているのだ。さらに夜になると亡霊? 妖怪? が出てくるようなのだ。

物語を引っぱっていくのは二つの緊迫感だ。一つはスティーブン、ローレン、彼女の息子の関係に徐々にひびが入っていくサスペンス。スティーブンは恋愛上手で、ローレンをいい気分にさせてくれるが、アディロンダックスに着いてからは、気質がまったく異なるローレンの連れ子とそりが合わず、憎しみを感じるようになる。さらにローレンは、音楽会社を経営する彼が冷酷な性格を持っていて、部下の人生を平気で狂わせるようなことをやってのけることを知る。

もう一つの緊迫感は、もちろんお屋敷の謎である。玄関には奇妙なラテン語の文句が掲げられ、巨大な屋敷は人間の感覚を狂わせる奇妙な造りになっていて、屋敷の奥には行けないようにできている。この屋敷を造ったとされる女性はいったいなんのためにこんな不思議な構造を考え出したのか。夜な夜な出没する妖怪はなんなのか。この二つの興味がうまく配合されながら物語は進展する。

タルボットの文章は超一流である。すばらしく達意で自然な流れをもち、生理的な快感を与える。

Sunday, November 23, 2025

東浩紀「存在論的、郵便的」


十一月の第三木曜日、今年は二十日だが、この日は世界哲学デーである。というわけで今日は哲学書を扱う。東浩紀の「存在論的、郵便的」。じつは「批評空間」という雑誌に出ていた分は昔読んでいたのだが、本になったものは今回はじめて見た。

ラカンの精神分析を否定神学ととらえ、デリダはそれに対抗する形で郵便的な思考を展開させた、というのが大掴みな内容である。20代前半の若さで難解な哲学書をよくここまで読みこなしたものだと感心するが、しかし発表されて三十年も経つとさすがに古さや間違いも明確になってくる。

東はラカンの「手紙は必ず宛先に届く」という言葉から、ラカンは理想的な郵便制度を前提にしている、と考える。デリダは「手紙は宛先に届かないこともありうる」と、確率論的な郵便制度、不完全な郵便制度を前提にしているというわけだ。しかしラカンのような思考を展開する人間が理想的ななにかを前提にするなどということがあるだろうか。

ラカンが「手紙は必ず宛先に届く」というとき、この言葉にはある種の皮肉がこめられている。じつは手紙はどこに届くかわからない。しかし「偶然」どこかに届くと、「事後的に」手紙は届くべきところに届いたとみなされてしまう、という意味なのである。

わかりやすい例をあげると、たとえば恋愛。男と女の出会いなどというものは、まったくの偶然に左右される。ところが二人の間に愛が成立すると、二人の出会いは「運命的であった」とか、「二人は赤い糸で結ばれていた」などと思われてくる。まさにこの事態をラカンは「手紙は必ず宛先に届く」と言ったのである。よく「歴史の必然」などというが、これも同様である。Aが起きたからといって必ずBが生起するわけではない。その間にどんなことが生じてCが生起するかもわからない。しかしBが生起したあと、人間の目にはまるでAからBへの移行は必然のように見えてしまう。このような事後性を東は見落としている。

男と女が幸せに結婚しても、ふとしたことがきっかけになって別れてしまうことだってある。そのとき二人は「運命的な」出会いも、「赤い糸」もまやかしであったと理解するだろう。相手の気持をよくわかっているつもりだったが、じつはなにも知らなかったことに気づくだろう。すなわち正しく宛先に届いたと思っていた手紙は、じつは狸の葉っぱであったと理解するのだ。ラカンの哲学のなかに郵便制度があるとしたら、彼はこんな制度を考えていたのである。それは理想的な制度とはかけはなれている。(さらにこの制度の不完全性こそが完全性への条件になるというパラドックスもラカンの重要な論点なのだが、ここは省略する)

もうひとつ東の本を読んで物足りなく思ったのは、デリダの後期の著作を十分に読み込んでいないという点である。テキストの混沌に深く身を沈め、しかしながらそこにある種の規則や論理性を見出し、ふたたび浮上することに成功した者の、明晰な視線がない。アカデミックな世界に浮遊する決まり文句を巧みに取捨選択して構築したような感じが、この本のすべてとはもちろん言わないが、どことなくする。しかし膨大な情報を整理する能力は、たしかにそれだけで大きな価値を持つのだろうけど。

英語読解のヒント(199)

199 分離不定詞 基本表現と解説 She is too shy to really enjoy society. 「あの方はとても内気ですから、人付き合いを好まれないのです」 to 不定詞の to と動詞の間に副詞や副詞句が入る形。ヴィクトリア女王時代は誤りとされたが...