Wednesday, April 2, 2025

英語読解のヒント(164)

164. hang me if

基本表現と解説
  • Hang me if you can do it.
  • I'm hanged if you can do it.
  • I'll be hanged if you can do it.

いずれも「お前にできるならおれの首をやる」つまり「おまえにはとてもできない」という意味。hang / hanged の代わりに damn / damned も使われる。また Hang me if you cannot do it. となれば、「おまえにできなければおれの首をやる」つまり「おまえには必ずできる」の意味になる。

例文1

"When we are at the windows, hang me if any one can come up the street."

Victor Hugo, Les Misérables (translated by Lascelles Wraxall)

「おれたちが窓のところでがんばってりゃ、だれも通りを進んで来られないぜ」

例文2

"Oh, it's you, you little devil: well, I'll be hanged if you have not taken time enough: you've been playing, I expect."

Victor Hugo, Les Misérables (translated by Lascelles Wraxall)

「おや、おまえかい、この餓鬼め。よくもこんなにぐずぐずしていたね。遊んでいたんだろう」

例文3

"Well!" said Stryver, slapping the desk with his contentious hand, opening his eyes wider, and taking a long breath, "if I understand you, Mr. Lorry, I'll be hanged!"

Charles Dickens, A Tale of Two Cities

ストライヴァーはけんか腰に机をぴしゃりと叩き、目をかっと見開き、大きく息をしてから言った。「ミスタ・ロリー、どうも合点がいきませんな!」

Saturday, March 29, 2025

H. W. ローデン「首つりは一度だけ」

 


ローデン(1895-1963)は食品会社の重役をしていた人で、四冊ほどミステリを書いている。この人を知っているのはよほどのマニアなのだろう。わたしは名前は知っていたが、作品が手に入らなかった。それがこのたび「首つりは一度だけ」と「死ぬには忙しすぎて」の二作を手に入れた。さっそく読んでみたら、これがなかなか面白い。

主人公は二人いる。私立探偵のシド・エイムズと宣伝マンのジョニー・ナイトである。物語はこんなふうにはじまる。ジョニーが事務所で新聞を読んでいると、誰かが部屋に入ってきた。ゆっくりと目をあげると、銃口がこっちを向いている。銃を握っているのはちょっといかした感じのヤンスというやくざ者である。ジョニーが用を聞くと、黙ってついてこいと言われる。彼は車でバレッティというカジノを経営する男のもとへ連れて行かれる。バレッティは荒っぽい手を使ってジョニーを呼んだ理由をこう説明した。物語の舞台となる街には(どことは示されていない)レノルズ一族という有力者が住んでいる。この一族がバレッティのカジノ反対運動をはじめたというのだ。ジョニーはレノルズ一族のために働いていたし、息子とも友人関係にある。ひとつ、彼らを説得してカジノ潰しをやめさせてくれないか。

ジョニーはその依頼を蹴飛ばして、事務所に戻るのだが、なんと彼の椅子には同じビルの中で働いている法律家の死体が座っているではないか。ジョニーは警察の目を逃れるために私立探偵シドの助けを借りて死体を移動させようとする……。

いったいバレッティとレノルズ一族の対立が、法律家の死とどう関連しているのか。スピーディーな話の展開のなかで、真相が徐々に明らかになっていく。

物語の前半はテンポが非常によく、緩急を心得た書き方になっている。かなりこの手の本を読み、展開のさせ方を勉強したあとがうかがえる。ただ会話にパンチ力がない。上等のパルプ小説はユーモアや言い回しに気の利いたところがあるが、この作品の会話は凡庸である。あくびは出ないけれど、説明的すぎて花がない。また、個々のキャラクターにもいま一つ特徴がない。いちばん文句をいいたいのは、主人公である私立探偵と宣伝マンの個性が際立っていない点である。探偵のほうが酒と女にだらしなく、事件解決の鍵を鋭くつかんではいるのだが、それだけで、強い癖があるとか、二人の掛け合いが面白いとか、ある種の対照が生まれているとか、そういうことは一切ない。そのせいか、読み終わって、味がやや薄かったという印象を与える。ひとりだけ印象的な人物はジョニーの秘書で、彼女はいつも秘書のデスクの前におらず、暇すぎるとか、ボスのジョニーの不在時間が長すぎると文句をつけ、タバコを吸ったり、お茶をしに出かけているのだ。一度も登場しないこの秘書が作品のなかでいちばん生彩を放っていた。これをうまく利用してもっとスラップスティックな物語にすればよかったのに、と残念だった。

作者のローデンが書き残したのは次の四作である。ご参考までに。


You Only Hang Once (1944)

Too Busy To Die (1944)

One Angel Less (1945)

Wake For A Lady (1946)

Wednesday, March 26, 2025

ダーウィン・テイエ「恐怖をあおる人々」

 


この作者の名前の発音がよくわからない。Darwin Teilhet と英語では表記されているが、苗字のほうはフランス語式に「テイエ」と読むのだろうか。(彼の父親はフランス系だ)それとも英語式の読み方があるのだろうか。

またウィキペディアによると、彼は奥さんのヒルデガルドと共作してミステリやスパイ小説を書いたらしいが、本作はどうやらダーウィンの単独作品らしい。彼は広告業を営んでいたことがあるから、その知識経験が生かされているのだろう。

そう、本作は広告業を扱った小説である。ただの広告業ではなく、政治的なプロパガンダが目的だから、きなくさい。そしてひどく現代的なテーマである。

主人公はアレン・イートンという若い退役軍人だ。彼は第二次世界大戦に参加し、怪我のために記憶に障害を持つ身となって兵役をしりぞく。そして軍人になる前に、友人と設立したリサーチ会社へ戻ろうとする。が、会社へ行ってみると友人は交通事故で死んでおり、アレンの部下だった男が社長として君臨していた。

アレンと友人が設立したリサーチ会社は、選挙前に人々がどのような政治的傾向を示しているかを調査する会社だった。新しい社長メガッサムのもとでもやはり同様の調査をしているのだが、その調査は明らかに偏向した設問をつくっていた。戦争中なだけに愛国主義をあおり、労働運動に対してきびしく批判的な内容なのである。会社で行われている新人教育もきわめて右派的な内容で、いや、極右といってもいいかもしれない。

アレンはそうした変化に驚きながらも、民間人に戻ったばかりで戸惑いのほうが大きかった。新社長メガッサムはアレンがまだ状況を完全に把握していないうちに、彼を会社に雇い入れることにする。アレンは軍人であったときに名を知られた存在であったので、その名声を自社の宣伝に利用しようとしたのである。

しかし会社の実態がわかるにつれ、アレンは会社の方針に造反していく。しかも一緒に会社を設立した友人は事故でなくなったのではなく、殺されたのではないかと考え始める……。

物語の筋はかなり簡明だが、一つだけ注意しなければならない。アレンは頭に損傷があり、記憶を失っただけでなく、ときどき妙なことをしゃべったり考えたりする。読みながら、なんで急にこんなことを考えるのだろうと戸惑わされたり、常識と微妙にずれた発言や思考が展開され、なんともいえない不安感を与える。

しかしこの小説は滅法面白い。日本の世論調査の偏向性についてはだれでも知っているだろうが、そういうことが1945年にすでに問題視されていたのだ。その先見性、現代性も興味深いが、それ以上にこの作品がかもしだすなにか不穏な感じがすばらしい。アレンはエリザベスというドイツ系アメリカ人の女性と恋に陥るのだが、彼女とのロマンチックな関係すら、なにか不気味なものを感じさせるのだ。わたしが一気にこの本を読んだのは、この奇妙なサスペンスがゆえであるといっていい。

メガッサムのリサーチ会社が、世論調査のみならず、軍の情報まで手に入れて世論操作をしていたあたりは、生々しい迫力がある。当時のスラングが満載された文章だが、意外と面白い作品だ。

Sunday, March 23, 2025

エセル・リナ・ホワイト「車輪は回る」

 


crossexaminingcrime というミステリを扱ったブログで、2024年に出たリプリント(古いミステリの再刊本)大賞を読者投票で選んだところ、エセル・リナ・ホワイトの小説が二作、十位以内に入っていた。「車輪は回る」がセシル・ウィルズの「真夏の殺人」と同率で十位、そして「恐怖が村に忍び寄る」が単独八位だった。ブログの書き手であるパズル・ドクタは、ヒッチコックによって映画化された「車輪は回る」より無名の作品の方が順位が上なので驚いている。(こちら

わたしは数年前に「本邦未訳ミステリ百冊を読む」というブログで「恐怖が村に忍び寄る」をレビューして、すごい作品であると絶賛したので、この結果には満足である。(こちら)べつに「恐怖が村に忍び寄る」のほうが「車輪は回る」より優れているというのではない。どちらもすごい作品だと言いたいのである。

エセル・リナ・ホワイトの可能性に目を開かれたわたしは、「車輪は回る」をいつか読み返そうと思っていた。単なるスリラーとして消化してしまっていたが、読み方を間違っていたかも知れないと思ったのである。

この話は有名なので詳しくは紹介しない。主人公である金持ちの若い女アイリスがヨーロッパ旅行の帰りの列車の中で、同じイギリス人の女性ミス・フロイと知り合うが、そのミス・フロイが忽然と消えてしまう。彼女とは食堂車で一緒に食事したのだが、そのとき周囲にいたはずの人に尋ねても、皆、そんな人は知らないと言うのだ。彼女はヒステリックになりながらミス・フロイを探し、ついにある真相に気づく……。

読み返して気づいたことがいくつかある。ここでは三つほど書きつけて置く。

まずは山道について。映画では小説の冒頭の部分がだいぶ改変されているので、主人公のアイリスが山道に迷い、くたびれきって泊まっている山荘に戻るという場面がない。しかしここは重要だと思う。山道というのはメビウスの帯に形が似ているが、それとおなじように、そこをくるりと一周すると、元の地点に戻ったようでも、じつは反転した世界に来ている、ということがある。アイリスは裕福な女で、友だちが大勢いて、友だちがなすことをいっしょにし、友だちが考えるようにものを考えていた。要するに社会というものの内部にどっぷり浸かっていたのである。ところが山道を歩きまわり、ほうほうの体で山荘に戻ったとき、彼女は社会の周縁に立っていた。ラカンふうに言えば、象徴界(社会)にどっぷり浸かっていた彼女は、山道を迷い歩いた結果、象徴界の境界線上に立たされてしまうのだ。象徴界の境界線上に立つとはどういうことか。象徴界の内部に完全に組み込まれていたとき、彼女は象徴界(つまり社会)の規則をありのままに受け容れていた。象徴界の境界線上に立つとは、なぜそのような規則があるのかと、象徴界に疑問をつきつける存在になるということである。たとえば「あなたはわたしをXだというが、なぜわたしはXでなければならないのか」という疑問を発する存在になることだ。つまりヒステリックになるということである。まったく無思想な、自足しきった女がヒステリックに転換する地点に、山道があるということは非常に面白い。山道を通ることで存在の様相が反転する例は文学作品のなかにはいくつも見出される。

つぎに男が問題になる。なにしろヒステリックな女があらわれたら、男が問題にならざるをえないだろう。この作品において男は象徴界を守る側に立っている。そういうふうに見えるのだったら、そういうものだと受け取ればいいではないか。それをなぜ疑うのか、という言説があちこちにある。みんな男の台詞だ。世の中とはこういうものだ、わざわざそれを疑って波風を立てるな、と男どもは言う。しかし象徴界の真実を見抜く(事件を解決する)のはヒステリックな女である。だからジジェクのような哲学者は、真に批判的になるにはヒステリーの女の立場に立たなければならないというのである。

そして言語の問題。アイリスは最初のうちは旅行先に行っても大勢の仲間がいて、特に言語で困ったことはなかった。しかし山道で迷ってからは単独行動となり、言葉がまったく通じず何度も往生する。これは面白い。言語は象徴界の代表みたいなものだから、彼女はその外部とまでは言わないが、その境界においやられてしまったことを意味しているだろう。まだはっきりと頭のなかで整理がついていないけれど、ミス・フロイが消えてしまうという事態は、アイリスが象徴界からはじき出されることと相関関係にあるはずである。この問題は非常に興味深く、ヒッチコックの映画の解釈が色々出ているから、それらを勉強したうえで、もう一度考え直して見ようと思っている。

「恐怖が村に忍び寄る」は単純な二項対立的思考を徹底的に批判した内容になっていて、唖然としたが、「車輪は回る」もすばらしい出来だ。そうか、エセル・リナ・ホワイトとはこんなに理知的な作家なのかと感服した。「らせん階段」や他の作品もさっそく読み返そう。

Thursday, March 20, 2025

カイリー・リー・ベイカー「バット・イーター」

 

はじめて読む作家なので、goodreads.com の情報をもとに生い立ちを紹介すると、カイリー・リー・ベイカーはボストンで育ち、アトランタ、スペインのサラマンカ、ソウルに住んだことがあるそうだ。彼女の作品は学生、あるいは教師として過ごした外国生活、および彼女が親から引き継ぐ日本・中国・アイルランドの伝統からヒントを得て書かれている。ちなみにツイッター(X)のユーザー名は KylieYamashiro だそうだ。「バット・イーター」を読んだ感じではヤング・アダルト向けの小説を書いているのではないか。文章は詩的な表現を含む口語的な英語で、ホラー・シーンの描写には独特のパンチ力がある。

物語の舞台は、コロナが猛威をふるうニューヨーク。さらに正確に言えばそこにあるチャイナタウンだ。時は八月、中国では幽霊が人間世界に出没する中元節の時期だ。主人公はコーラという中国系の若い女で、彼女はほかの二人の中国系アメリカ人と組んで、死亡現場清掃員をしている。自殺現場や殺人現場において、警察が捜査を終え、遺体を引き取ったあと、そこの清掃をするのである。血がこびりついたり、脳みそが飛び散っているから、これは相当にたいへんな仕事である。

物語は結構入りくんでいるので思い切り重要な枝葉を切り落として紹介するが、この仕事をしながらコーラと二人の仲間は、どうやら誰かが中国人ばかりを狙って連続殺人を行っているらしいと気づく。死亡現場の清掃をするとき、あるときからコウモリの死骸が見つかるようになったのである。彼らはこれを殺人犯が残していった名刺のようなものと考えたのだ。しかもこの殺人犯は、コーラの美しい姉を殺した犯人でもあるらしい。だが、その犯人の正体に迫ろうとする三人組に魔の手が襲いかかる……。

さらに舞台はアメリカだというのに、中元節の時期になると腹を空かせた幽霊があらわれ、冷蔵庫のものをあさったり、机をかじったり、三人組の知り合いを食べたりする。作中にも言及のある映画「ゴースト・バスターズ」を思わせるところもあり、中国文化とアメリカのポップカルチャーが絶妙にからみあっている。コロナが「チャイナ・ウィルス」などと呼ばれていたことも考え合わせると、この小説はアメリカへの中国の浸食力(影響力)を示す物語と言えるのではないか。

 コーラだけでなく、コーラの父母、叔母たちがアメリカに移住して来てから味わった経済的苦労や、文化的な衝突についても、けっこう詳しく書かれている。アメリカを知らない日本人には、彼らは奇矯な人物のように映るかもしれないが、アメリカで生活をし、アジア系の人々と付き合いの深かった人なら、彼らが必ずしも例外的とは いえないことがわかるだろう。移民というのは大変なことなのだ。生活のためにときには違法な手段に訴えなければならないケースもある。私自身もそういう状況に二度ほど直面した。  

幽霊が出て来る場面は、キングやクーンツなどとはひと味もふた味も違う怖さがある。西洋のホラー描写にはある種の生々しさがあるが(そして本書にもそうした生々しさは見られるが)、「バット・イーター」は雰囲気が怖い。しかし「聊斎志異」とか中国の怪異譚ともまたちょいと違う。先ほども言ったように、この怖さはアメリカの文化と中国の文化が入り混じった、作者独特のもので、実際に読んでご自分で確かめてもらうのがいちばんだろう。クライマックスに近づくと、どの章もクリフ・ハンガーになっていて、頁をめくる手が止まらなくなる。

エイミー・タンが出て来たとき、わたしはそれほどの才能ではないけれど 、アメリカの文学に新しい風が吹き始めたと感じたが、カイリー・リー・ベイカーにも同じような新鮮さを感じる。アメリカン・ホラーの表現が彼女の登場によって幅を広げることになるだろうと思う。

Monday, March 17, 2025

Elementary German Series (3)

3. Leichte Wörter im Satz1

Viele Wörter verstehen wir nicht leicht, wenn sie allein2 stehen;3 wenn sie aber in einem Satz stehen, sind sie sehr leicht zu verstehen, zum Beispiel die Namen der Farben.4

1. der Satz 文章.
2. allein 一人の.
3. stehen ~の状態にある.
4. die Farbe 色.

grau

Der Wolf ist grau, die Maus ist grau, die Asche ist grau. Die Farbe des Wolfes, der Maus und der Asche ist grau.

weiß

Die Milch ist weiß, der Schnee ist weiß. Die Farbe der Milch und des Schnees ist weiß. Der Wein ist weiß oder rot.

rot

Der Pfennig ist rot, der Apfel ist rot, die Rose ist weiß, rot oder gelb.

gelb

Das Gold ist gelb, die Butter ist gelb. Die Farbe des Goldes und der Butter ist gelb. Die Farbe der Rose ist weiß, rot oder gelb.

grün

Es ist Sommer; das Gras ist grün, der Garten ist grün, der Busch ist grün, der Park ist grün.

braun

Der Kaffee ist braun, der Bär ist braun; die Kohle ist nicht braun, die Kohle ist schwarz.

schwarz

Die Kohle ist schwarz, und der Ofen5 ist schwarz. Der Schuh ist schwarz oder braun; die Katze ist schwarz, weiß, grau oder braun.

5. der Ofen ストーブ.

blau

Der Himmel6 ist blau, wenn die Sonne scheint. Wenn die Sonne nicht scheint, ist der Himmel nicht blau. Im Winter ist der Himmel oft grau.

6. der Himmel 空,天.

Friday, March 14, 2025

関口存男「新ドイツ語大講座 下」(6)

§6. Was man hofft, das glaubt man gern.
(Was einer hofft, das glaubt er gern.)
望ましい事柄は信じがちである。

 man は「吾人」、「世人」、「誰でも」、などを意味する不定代名詞ですが、それと全然同じものに einer があります(英の one)。ただ、einer の方は、一度用いた後には、二度目は er で代表しますが、man の方は er で言い換えることは許されません。題文を Was man hofft, das glaubt er gern といっては誤りです。

 man は一格の形しかないので、他の格を必要とする場合には einer の変化形を用います。つまり man の格変化は次のようになるわけです。

一格:manまたはeiner
二格:eineseines
三格:einemeinem
四格:eineneinen

 どういう場合にこうした形を用いるかを研究しておきましょう。たとえば「自分に出来ないことを人がすると、偉そうに見えるものだ」は Was man nicht selbst kann, imponiert einem. (吾人が己れ自身で能わざる事は、吾人を威圧する)といいます。imponieren (威圧する)という動詞は三格支配ゆえ、man の三格にあたる einem を用いたのです。Was einer nicht selbst kann, imponiert ihm. は正しいが、man を用いると einem です。つぎに beeindrucken (印象づける、感銘深からしめる)を用いると、これは四格支配ゆえ、Was man nicht selbst kann, beeindruckt einen または Was einer nicht selbst kann, beeindruckt ihn となります。次の二格の eines は、ごく稀にしか用いられません。なぜというに、二格を用いそうな時には大抵三格か四格で表現するのがドイツ語の特徴だからです。たとえば「おまえはどうして人の足を踏むのだ?」は Warum trittst du einem auf den Fuß? (人に足を)――「あなたは人の財布ばかりのぞくのね」は Du guckst einem nur immer so in den Beutel (人に財布の中を)――「あなたは人の鼻の頭にキスするの?」は Du küßt einen auf die Nasenspitze? あるいは Du küßt einem die Nasenspitze? (人を鼻の頭へ、人に鼻の頭を)等々。(§98.)

§6. trittst: treten (踏む、歩む)。gucken: のぞく。nur immer so: ただ・いつも・そのように。Beutel (Geldbeutel): 財布。

英語読解のヒント(164)

164. hang me if 基本表現と解説 Hang me if you can do it. I'm hanged if you can do it. I'll be hanged if you can do it. いずれも「お前にできるなら...