Saturday, August 9, 2025

英語読解のヒント(182)

182. 複合関係副詞 / 複合関係形容詞を使った譲歩 (1)

基本表現と解説
  • Whatever the result may be, he has done his very best.

「結果はどうあれ、彼は全力をつくした」。この譲歩節は次のように言い換えることもできる。

  • No matter what the result may be, ....
  • Be the result what it will, ....
  • Let the result be what it will, ....

例文1

"Have I not told you I am haunted? Wherever I go those footsteps follow me."

J. E. Muddock, Stories Weird and Wonderful

「言わなかったかい? おれは幽霊に取り憑かれているんだ。どこに行ってもあの足音がついてくる」

例文2

Wheresoever you place woman, sir — in whatsoever position or estate — she is an ornament to that place she occupies, and a treasure to the world.

Mark Twain, from a toast delivered 11 January 1868 to a banquet held by the Washington Correspondents' Club

ご婦人はどんなところに置きましても、どんな地位、どんな身分に据えましても、その場所を飾る花であります、世界の宝であります。

例文3

The founders of a new colony, whatever Utopia of human virtue and happiness they might originally project, have invariably recognized it among their earliest practical necessities to allot a portion of the virgin soil as a cemetery, and another portion as the site of a prison.

Nathaniel Hawthorne, The Scarlet Letter

新植民地の創設者は、いかなる人間的美徳や幸福のユートピアを当初計画していたにしろ、なによりもまず処女地の一部を墓地にし、べつの一部を牢獄にあてがうことは常に実際的な必要であると認めてきた。

Tuesday, August 5, 2025

英語読解のヒント(181)

181. 命令法の形をした譲歩 (2)

基本表現と解説
  • Cudgel my brains as I may, I cannot see how it is to be done.

「どんなに考えてみても、どうすればできるか、わからない」。命令法の動詞のあとに「as + 主語 + 助動詞」を伴う形を示す。

例文1

Order and shout as they might, things remained precisely as they were.

R. Nisbet Bain, Russian Fairy Tales

いかに命令し、いかに叫んでも、事態はいままでと何も変わらなかった。

例文2

Occasionally there still came flashes, but search as we would, we cuold see no trace of either of the wizards.

Henry Rider Haggard, Allan's Wife

ときどき稲妻がひらめいたが、しかしいくら探しても魔法使いはどちらも消え失せ、影も形もなかった。

例文3

"The instant that I left 'the devil's seat,' however, the circular rift vanished; nor could I get a glimpse of it afterwards, turn as I would."

Edgar Allan Poe, "The Gold-Bug"

「ところが『悪魔の腰掛』を離れたとたん、あの丸い切れ目は消えてしまった。そのあとはどこから見てもちらりとも見えない」

Sunday, August 3, 2025

英語読解のヒント(180)

180. 命令法の形をした譲歩 (1)

基本表現と解説
  • Be he prince or beggar, I cannot forgive him.
  • Let him be prince or beggar, I cannot forgive him.

「王様にせよ乞食にせよ、ああいう人間は許せない」。let をはじめに置く形のほうが時代的には新しい。

例文1

Let him be ever so rich, if he asks your daughter in marriage, refuse her to him. He will undoubtedly take more care of his umbrella than of his wife.

Max O'Rell, Rambles in Womanland

そんな男は、どんなに金持ちだろうと、娘をくれと言ってきたら断るがよい。彼はきっと妻より傘のほうを大事にするだろうから。

例文2

Look up the street or down the street, this way or that way, we saw only America!

Mark Twain, The Innocents Abroad

街路のどちら側を見ても、こっちを見てもあっちを見ても、見えるものはただアメリカばかりだった。

 ウクライナのオデッサがアメリカの街とそっくりでトウェインが驚いたというエピソードから。

例文3

He reproached himself for the thought; yet, do what he would, he could not drive it away.

Charlotte M. Braeme, Wife in Name Only

彼はそんなことを考えた自分を責めたが、しかしなにをしようとその考えを追い払えなかった。

Tuesday, July 29, 2025

キャロル・ジョン・デイリ「レッド・ペリル」


キャロル・ジョン・デイリのハードボイルドで、探偵レイス・ウィリアムものの一冊。1924年に発表され、ウィキペディアによるとレイス・ウィリアムのシリーズとしては三冊目にあたるようだ。「ブラック・マスク」誌に掲載された、スラング満載の中編小説だ。

作品の話をする前に、ウィキペディアから作者の情報を書き抜いておく。キャロル・ジョン・デイリ (1889-1958) はニューヨークに生まれ、演劇学校を出たあと、案内係や映写技師、役者、映画館の開設などをやり、とうとう作家に転じたという。最初の犯罪小説を書いたのは33歳の時だ。デイリは静かな人生を送ってきた温厚な人物で、小説の主人公であるハードボイルドなアンチヒーローはまったくの想像の産物であるらしい。

ハードボイルドというジャンルを生んだ一人として、彼は重要な存在だ。人気も高く、同時代のダシール・ハメットだけでなくミッキー・スピレーンなどらにも影響を与えた。しかし今の視点からすると quaint (古風で風変わり)と camp (大袈裟で芝居がかっている)を足して二で割ったような印象を与えると評する人もいるようだ。ウィキペディアの記述だけではなんだかよくわからない批評だが、わたしの言葉で言うと、デイリは古い冒険ロマンやセンセーション・ノベルの要素と、スピード感、バイオレンス、非倫理的世界という新しい感覚とを混在させた世界を描いていたと思う。新しいジャンルを創設するときはどうしても古いものと新しいものがまじってしまうものだ。

本書は、腕を三角巾で吊っているヤクザ者がウィリアムの事務所を訪れ、とある仕事をやれと彼にむかってすごむ場面からはじまる。その仕事の内容を依頼人は詳しく語ろうとしない。若い女が関係していることはわかった。そして仕事を引き受けた場合、大金が支払われることも。しかしウィリアムは脅しをかけてくる相手の態度が気に入らない。彼は三角巾で吊った腕にはピストルが隠されていると見抜き、先に拳銃をぶっぱなして彼を撃退する。わたしが気に入ったのは、その後の展開のさせかただ。主人公=語り手であるウィリアムはこう話をつづける。銃の音は周囲に聞こえなかったはずだ、昼休みの時間で誰もいないし、壁には防音効果のある素材が使われている、などと部屋の中の話をはじめ、そしてクロゼットには若い女が隠れていたことを、ようやくここで明かすのだ。しかも彼女こそつい先ほど、「仕事」の対象としてヤクザ者がしゃべっていた「若い女」なのである。なるほど、ウィリアムがヤクザ者を追い払ったのは、彼の態度が気に入らなかったからだけではなかったのだ。冒頭で読者の注意を惹く荒事を描き、それが一段落したあとで、ゆっくりと物語の背景を説明する、というのは、十九世紀に完成された物語の運び方だけれど、デイリはちょっと工夫を凝らし、荒事の興奮を継続しながら事件背景を「若い女」に説明させている。ここはなかなかいい。

表題のレッド・ペリルは、詳しく言うとネタバレになるので、まあ、稀代の女盗賊とだけ言っておこう。叔父に財産を狙われた美少女を助けようと、レイス・ウィリアムは敵地に乗り込むのだが、罠にはまって危地に陥ったとき、彼女が助けてくれるのだ。すでに書いたように、ハードボイルドでありながら、この作品はなんとも古い冒険ロマンを感じさせる。叔父に財産を狙われる美少女などというのも、コリンズの「白衣の女」と同様の設定で、キャロル・ジョン・デイリが古いセンセーション・ノベルとハードボイルドという新しい形式の両方を混合させていることがわかる。

こういう作品が二十年代は人気だったのかと、ハードボイルドの歴史を知る上でも貴重な作品だと思う。

Saturday, July 26, 2025

桐野夏生「路上のX」

 


Xというのは家族が崩壊し、路上にはじき出され、自分を性的商品として売りながら生活しなければならなくなった十代の少女たちのことである。「マルカム・X」ではないが、このXは人間としての人格やアイデンティティーが失われた状態を示唆している。なにしろみずからを商品(モノ)にして売らなければならないのだ。モノになるということは、みずから人格やアイデンティティーを否定することである。

この人間のX化は家出少女だけに見られるものではない。

国会質疑である議員が非正規労働者の問題を取り上げた。そのなかで彼女は、ある非正規労働者が職場において名前ではなく「ヒセイキさん」と呼ばれていて、非常に屈辱的に感じたという話をした。「ヒセイキさん」も名前を認知されていないという意味でXとおなじである。非正規労働者は会社によって自由に採用したりクビを切ったりできる、使い勝手のいい道具でありモノなのだ。そしてモノには名前がない。人格やアイデンティティーは存在しない。

カントは人間の人格を手段としてだけではなく、目的として扱え、という有名な言葉を残しているが、まさしく非正規労働者は手段としてしかとらえられていないのだ。

逆に言えば名前には人格やアイデンティティーが結びついているということでもある。だからこそ結婚しても名前を変えたくないという女性が大勢いるのだ。選択的夫婦別姓はそのような人間の人格やアイデンティティーを尊重するシステムだと言える。

「路上のX」を読みながら、わたしはXが労働者を徹底して商品化する新自由主義からジェンダーにまでわたる、大きな問題のありかを指し示すキーワードではないかと考えた。桐野夏生の作品はいつも特殊な個を描きながら、もっと大きな問題へと読者を誘っていく。すくなくとも買春する少女たちをニュースでさらし者にするような考え方ではXの本質はいつまでもつかめない。

物語の中心にいるのは真由とリオナという二人の少女だ。真由はそれなりに裕福な家庭に育ち、勉強もよくできたのだが、突然叔父の家に預けられ、両親は姿を消してしまう。そこから彼女の人生が狂い始める。リオナは親がヤンキーで、愛情を受けずに育ち、最初からJKビジネスという性的搾取の機構の中で生きていかざるを得なかった。この二人がくっついたり離れたりしながら物語は進む。

正直、路上の生活はあまりにリアリスチックに描かれ、読むのが苦しいくらいだった。しかし突如自分の居場所を失った少女たちの命運は気になって仕方がない。最後は続編が書かれそうな、ぼんやりした終わり方になっている。Xという問題に桐野夏生がどんな決着をつけるのか、それともつけ得ないのか、興味津々である。

Wednesday, July 23, 2025

バークリー・グレイ「悪夢の家」

 


バークリー・グレイはノーマン・コンクェストというとんでもない名前の快男児を主人公にした冒険物語で有名な作家。この人は非常に文章がうまく、パルプ小説作家にしておくにはもったいない人だ。イギリスにはジョン・バカンとかイアン・フレミングとか、娯楽小説を書いていてもものすごい文章家がいる。

本書はノーマンがサンドラ・マクニールという若い娘を陰謀から救う話である。サンドラはカナダの学校に通っていたのだが、祖父が亡くなり、その大邸宅を遺産として受け取るためにロンドンへ帰ってきた。イギリスで大邸宅といったら、ほんとうに巨大な建物であって、あんなものを維持しようと思ったら何人の使用人が必要で、毎月どれだけの費用が掛かるか、わかったものではない。サンドラが受け取ったのもそんな屋敷だった。

ところが彼女がこの大邸宅にはじめて泊まった晩のことだ。ふと夜中に目を覚ますと、いつのまにやら外では嵐が荒れ狂い、窓には雨がたたきつけられている。さらに昼間見た豪華な家が幽霊屋敷のようなぼろぼろの場所に変わっているではないか。家のつくりも家具も絨緞もまったくおなじだが、すべてガタがきた状態で、かび臭い匂いを放っている。おまけにそこには一見したところ殺されたと思わしき男の身体まで転がっていた。彼女は気を失う。

次の日の朝、目を覚ますとサンドラはまたもとの立派な邸宅に戻っていたが、気味の悪さにこんな屋敷は売ってしまおうと考える。いったい彼女の身に何が起きているのか。われらがヒーロー、ノーマン・コンクェストが大活躍をして謎を明かす。

本書は1960年に書かれ、ノーマン・コンクェストものとしては39作目になるのだが、ミステリの黄金期があったこともハードボイルドやノワールと言ったジャンルが生まれたことも知らないかのように、健全で素朴な十九世紀的冒険小説となっている。小説という形式は十九世紀に完成されたとよく言われる。では二十世紀に入ってからは小説はみなモダニズムの影響下に書かれてるのかというと、そんなことはない。二十世紀に活躍しつつも十九世紀的小説を書き続ける人だっている。しかもその中には古い型の小説を極度に洗練させた人さえいる。十九世紀の小説には棍棒のような力があったが、極度に洗練された二十世紀の作品はレースのようになよやかで、繊細で、衰弱したおもむきをたたえている。バークリー・グレイはそこまで極端ではないが、しかし十九世紀的な冒険小説に洗練をつけ加えた一群の作家たちの一人とは言えるだろう。


Sunday, July 20, 2025

今月の注目作

Standard Ebooks から二作なつかしい本が出た。


The Bellamy Trial by Frances Noyes Hart

フランセス・N・ハート(1890ー1943)はアメリカの女流作家で、短編小説をいろいろな雑誌に発表していた。1927年に本書「ベラミ裁判」を出し、フランス推理小説大賞を獲得、ヘイクラフト・クイーンの名作リストにも選ばれている。日本には1953年に延原謙の訳で日本出版共同から異色探偵小説集の一冊として紹介されているが……新訳は七十数年出ていないようだ。

法廷ものが好きな人にはたまらない一冊である。ある男が愛人と共謀して妻を殺すという事件が起き、八日間にわたって裁判が開かれるのだが、尋問によって明らかになる事実がセンセーショナルでなかなか面白い。一応事件の真相を推理する手掛かりはすべて提示されるという古典的なフーダニットの形を取っている。二十年代、メディアサーカスのはしりの一つとされるホール・ミルズ裁判が行われたが、それがもとになっている。



Dr. Mabuse, the Gambler by Norbert Jacques

ノルベルト・ジャッック(1880ー1954)はルクセンブルグ生まれの作家で「ドクトル・マブゼ」は彼の代表作。北杜夫の愛読者ならマブゼの名前はご存じだろう。またフリッツ・ラング監督の白黒映画でこの作品をご存じの方もいるだろう。わたしも大好きなパルプ小説の古典である。文学なんかくそくらえ、とにかく楽しみたいんだ、という人にはおすすめの本だ。びっくりしたのはこの翻訳が2004年にハヤカワ・ミステリが出ていること。今世紀に入ってようやく日本に紹介されたのか。

ドクトル・マブゼはパルプ小説にはかならず登場する稀代の悪党というやつである。さっき言ったように楽しんで読めばいい本なのだが、ちょっと考えることが好きな人のためにつけ加えると、パルプ小説の悪党は、その時代時代の悪の観念が形象化されていて、そこに注目するなら文化の変遷を知る上で貴重な手掛かりにもなる。スヴェンガーリとかフー・マンチュー、ジョーカーなどといった例を思い浮かべればそれはすぐにわかるだろう。パルプ小説は案外、政治的にきなくさい要素をはらんでいる。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...