Friday, November 29, 2024

ジョン・スタインベック「トルティーヤ・フラット」

 


スタインベックの豊かな才能を堪能できる名作だと思う。はじめて読んだがじいんと胸に来た。黒澤明の映画はある種の単純なヒューマニズムを力強く表現するが、この作品もそれとよく似ている。

ダニーはスペイン人の移民の子孫で、仲間たちとホームレスの生活を送っていた。ちょっとした金を稼いだり、こそ泥をはたらいて、ワインを手入れ、戸外で寝て暮らしていた。それはなにものにも捕らわれない、自由気ままな生活だった。

ところがあるとき彼は叔父の遺産として、トルティーヤ・フラットに家を二軒手に入れる。彼はそこに個性豊かな五人の仲間と住み込み、さまざまな騒動やら冒険を展開する。

なにしろ教養がなく、まともな社会生活を知らない連中だから、言うことなすこと突拍子がなく、それを語り手がとぼけた口調で報告するものだから、読んでいて愉快このうえなかった。これは極上のユーモア小説である。

主人公たちは教養こそないものの、素朴な人々がそうであるように、情に厚い側面があり、一致団結して困っている人を救うこともある。そのときは所有財産を基礎に置く社会の掟を無視し、彼らは盗みをはたらくことも怖れない。また彼らのある者は、普通に社会生活を送っている人々よりも強い信仰心を持ち、それを描いた第十二章は本作の白眉といっていいだろう。読み終わって思わずため息がでてきてしまう出来栄えである。

しかしこの作品は悲劇に終わる。家を「所有」することで、ダニーは人生から昔のような輝きがなくなったことに気づき、鬱々とした気分になる。彼を元気づけようと仲間が開いた大パーティーで、ダニーはつかのま昔のエネルギーを取り戻し、神話的な大きさと迫力を身に帯びるのだが、その直後に死んでしまうのである。「所有」以前にあった生の輝きやエネルギーは、もはやこの社会において生存を許されないとでもいわんばかりの結末である。

この本は素朴な見かけを持ちながらも、核心には鋭い社会学的洞察があると思う。

Tuesday, November 26, 2024

今井登志喜「英国社会史」

 


英国の歴史を復習しようと思って図書館に行き、棚にある本を何冊か読んでみた。乾いた記述が続く、正直にいってあまり面白いとはいえない本がほとんどだったが、一冊だけよかったのが今井登志喜の「英国社会史」だった。説明が詳しいだけでない。歴史や社会の解説書らしい客観的な記述の背後に、ドラマがうごめいているのを感じさせるのである。これが「英国社会史」の特徴で、いちばんすぐれているところだ。どこでもいいのだが、たとえばヘンリー八世による宗教改革の記述を読んでみるといい。王の離婚問題がどのようにして起き、どのようにしてとうとう離婚が成立し、その後僧院が解体されたか、その様子が、客観的な、学術的な記述で描かれているにもかかわらず、物語を読むような感覚で楽しく読める。

王は法王権を打破するために、また僧院の財産を手に入れる目的を以てこの仕事を進めたのである。王は、彼と意見を同じくしたクロムウェルを立てて、この僧院整理の仕事に著手させた。命を受けたクロムウェルは公然調査委員を任命して、悪評ある僧院を調べさせ、しかもなるたけ悪い報告を出させた。

わたしは最後の部分「なるたけ悪い報告を出させた」という言い回しに愉快を感じる。これがあるおかげでクロムウェルの腹黒さや調査委員のこずるい目つきまでが目の前に浮かんでくるのである。こういう書き方が本書の記述にある種の生々しさを与えている。また、

ヘンリー八世の宗教改革には、その後なお幾つかの偶像破壊運動が伴った。中世以来大抵の教会は聖物といわれる聖者の遺物とか、墓とかを持っていて、無智な信者がこれに巡礼するのが昔からの習慣であった。しかるにこの時代になると、一般にこうしたものの真偽が疑われるようになった。クランマーは僧院の廃止を実行した後に、偶像破壊の運動を起した。彼は聖者の墓を発いたり、教会の飾り物を出させたりし、特に聖トマスの墓を発いてその骨を焼いて撒き散らし、また、マリアの像を破壊して焼却させた。そして更に巡礼がこれらのものに参拝するのを禁止した。

この一節が示すように、今井はかなり具体的な記述を一般的解説文のなかに織り交ぜる。「聖トマスの墓を発いてその骨を焼いて撒き散らし」など、その振る舞いが目に浮かぶように、おそらく意図的に、表現されている。こうしたちょっとした配慮が類書にはない面白さを本書に与えている。もっともある程度イギリスの歴史に慣れ親しんでいなければ、情報の多さに怏々として、楽しむどころじゃないだろうけど。

この本はすでにパブリックドメイン入りをしていて、国立国会図書館デジタルライブラリーで読むことが出来る。ただしデジタルライブラリーの本は最後の部分が欠損しているので、図書館で新装版を読んだ方がいい。

Saturday, November 23, 2024

アンソニー・ホロウィッツ「かささぎ殺人事件」

 


ずっと昔、「一粒で二度おいしい」という宣伝文句があった。「かささぎ殺人事件」はそんな作品である。この作品にはふたつのミステリーが押し込められている。

スーザン・ライランドは小さな出版社の編集者で、アラン・コンウェイというベストセラー作家の遺作を受け取る。本書の前半では読者はこの遺作をスーザンとともに読むことになる。まるまる一冊読むわけだから結構な分量がある。

遺作の内容はある村で起きた殺人事件をアティカス・ピュントという癌に冒され余命幾ばくもない名探偵が解決するというものだ。黄金時代を彷彿とさせる設定で、とくに名探偵が死を間近にひかえているという点で、いくつかの高名な作品を思い出させる。

ところがこの作品、最後の三章が抜けているのである。名探偵の調査が一応終わり、最後の解決編へと向かうといちばんいいところで、原稿が途切れてしまう。スーザンは失われた草稿を探してベストセラー作家だった男の周辺を探ることになる。そしてアラン・コンウェイの死ははたして報じられているように自殺だったのか、と疑問を抱くようになる。つまり今度は彼女が探偵となって事件を解決しようとするのだ。このスーザンの探求が本書の後半部分となる。面白いのは、二つ目の殺人事件を解決する過程で、現実とフィクション(小説の世界)が微妙に入りくんでいくところなのだが、ここは読んでのお楽しみとしておこう。

通常の探偵小説の二倍の長さがあって、登場人物が多いので、表を作ってときどき確認しなければならなかったが、稚気にあふれた楽しい作品だった。本国イギリスでも日本でも評価の高い作品だが、前半部分はアガサ・クリスティーの見事なパスティーシュ、いや黄金期の定番設定に対するすばらしいオマージュになっていて、作者のミステリに対する愛がひしひしと感じられる。前半部分の謎解きもかなりよく出来ている。推理の論理構成がすごいというより、犯人隠し(目くらまし)の技術が巧妙で、わたしも完全にひっかかった。

しかしこの作品がはたして世評ほどの出来かというと、ちょっと疑問がある。現代と過去(1950年代)、現実とフィクションの交錯が見所なのだが、それがまだ弱い。もっとこれらのあいだにもっと連関を持たせる工夫があればよかったのに、と思わざるをえない。また、後半部分の推理における作者殺害動機も、わたしにはよくわからない。すくなくとわたしが犯人のような立場の人間だったとしても、あんな理由でアランを殺そうとはまったく思わないだろう。イギリス人には奇矯な人が確かに多いし、その存在を許す社会ではあるけれど、あの動機には……ちょっと納得がいかない。

しかし本作はミステリという分野におけるあらたなゲームのやり方を提示しており(もちろん先行作品はある)、今後こういう形式の可能性が探られ、また洗練もされていくだろう。その意味では記念碑的な作品ではないだろうか。

Wednesday, November 20, 2024

デイヴィッド・H・ケラー「メタル・ドゥーム」

 


表題の「メタル・ドゥーム」は金属が崩壊することをいう。ある日、気がついたら金属という金属がぼろぼろに錆び付き、使い物にならなくなっている。電化製品も鉄道もコミュニケーション手段もいっさいが毀れ、麻痺してしまう。鉄筋の建物すら脆弱になり、地下鉄駅は陥没。都会にいても仕事はできないし、だいいち食べ物がない。車がないから食糧の搬入ができないのだ。缶詰は容器が錆びてしまった。そこで人々はニューヨークから徒歩で脱出し、食糧のある田舎へと大移動をはじめる。これが「メタル・ドゥーム」の時代の開始、早い話が石器時代への逆戻りである。

人々は木やら石やらで道具を作り、森で狩りなどをして食糧を得る。そのうちばらばらに生計を立てていた人々はコミュニティーを作り、外敵から自分たちを守るようになる。なにしろ牢屋に入っていた犯罪者たちは、鉄格子がなくなって集団脱走し、田舎で暮らしはじめた人々に襲いかかっていたのである。しかしこんな連中はどうということもない。なぜなら米国の存続を脅かすような敵がアジアからやってきたからである。韃靼人が米国大陸に渡り、猛攻を仕掛けてきたのだ。ミサイルなどの近代兵器を使うなら話は別だが、馬に乗り、腕力任せの勝負となれば、韃靼人は圧倒的な力を発揮した。米国の人々はこの強敵を撃破し、自分たちを守ることが出来るだろうか。

作者は三十年代、四十年代に活躍したパルプ作家だ。発想は面白いのに、彼の想像力はその面白さを発展・持続させることができないようで、すぐに陳腐に堕してしまう物語が多い。本作も感心しない出来だ。なにしろステレオタイプが目につきすぎる。善と悪、男と女の役割分担など、今の視点からすればあまりに古すぎる。きわめつけは米国とアジアの対比で、明らかに米国は文明国、アジアは野蛮と位置づけられている。黄禍論の焼き直しである。作者は物語の形で文明批判をしたかったのかもしれないが、考え方がナイーブすぎて、とてもこの物語のような結末に人類が到達するとは思えない。パルプ小説と言うより、右派的な妄想を描いた作品のように読める。


Sunday, November 17, 2024

関口存男「新ドイツ語大講座 下」(2)

§2. Der? ach, dem traut ja keiner.
あいつか?へん、あんなやつに誰が信用するものか。
trauen: 信用する。ja: (文の勢いを強めるための助辞)

 前項のは名詞に冠したものでしたが、こんどは名詞を省いたものです。この方は定冠詞と混同する心配がないので、必ずしも字間をあける必要はありません。また、前項の指示詞は、その格変化は全然定冠詞と同じですが、この方は、関係代名詞のような変化をします。

m.f.n.pl.
derdiedasdie
dessenderendessenderen (derer)
demderdemdenen
dendiedasdie

 この指示代名詞の用法で最も重要なのは「……のそれ」という場合です。たとえば「彼の場合は受験者のそれだ」 Sein Fall ist der eines Examinanden, 「私の意見は同時に私の妻のそれだ」 Meine Ansicht ist zugleich die meiner Frau, 「彼の良心は犯罪者のそれに似ている」 Sein Gewissen gleicht dem eines Verbrechers.

 二格の dessen, deren は、物主形容詞の不備を補うために用いることがあります。たとえば Der Detektiv erkennt den Verbrecher und dessen Methode wieder (探偵は犯罪者とその手口に心覚えがある)において、もし dessen の代わりに seine を用いると、ちょっと探偵自身の手口のような感じをあたえます。また Sie kennt meine Ansicht und deren Mängel (彼女は私の意見とその欠陥を知っている)において deren を ihre とするならば、その欠陥は彼女自身の欠陥を意味することになりましょう。

 次に、複数二格の deren と derer とには用法上の差があります。deren の方は只今述べたごとく、deren Ansicht (その人たちの意見)といったように名前の「前」につけて用いますが、derer の方は名詞の「後」につけて用います:Du verteidigst die Ansicht derer, die dich verhöhnen! (君は君を嘲っている者どもの意見を弁護しているじゃないか!)――この derer はつまり英語の of those にあたります。deren Ansicht と die Ansicht derer とは、意味は同じですが、deren の方は名詞の前に(すなわち冠詞の位置に)置かれて既述の者を指し、derer の方は名詞の後に置かれて未述の何者かを指します。かつ derer は大抵「人」を意味します。

§2. Fall, m.: 場合。Examinand, m. -en: 受験者。zugleich: 同時に。gleichen: 似る。Verbrecher, m.: 犯罪者。etwas wiederkennen: ある物を見て想い出す(recognize)。Mangel, m. pl. "_: 欠陥。verteidigen: 守る、防御する、弁護する。verhöhnen: 嘲る、侮蔑する。

Thursday, November 14, 2024

英語読解のヒント(145)

145. 付帯状況の with

基本表現と解説
  • He was sitting, book in hand, at an open window. 「彼は本を手にして開いた窓際に座っていた」

book in hand は with a book in his hand の省略形。例文1 のように with を省略するだけの場合もある。

例文1

I used to wake up and see her bending over me, a candle in her hand.

Henry Rider Haggard, Allan's Wife

目が覚めるといつも彼女が蝋燭を手にわたしの上に身を屈めていた。

例文2

Oliver, delighted to be of use, brought down the books under his arm in a great bustle; and waited, cap in hand, to hear what message he was to take.

Charles Dickens, Oliver Twist

オリバーは役に立つのがうれしくて、本を抱えて急いで下に運び、どんな伝言を伝えるのかと帽子を手に待っていた。

例文3

He was standing by the bedside, finger on lip, as if there were some one in the room whom he was bidding to be silent.

Victor Hugo, Les Misérables

彼は唇に指を当てたままベッドのそばに立っていた。まるで部屋のなかの誰かに黙っていろ命令するかのように。

Monday, November 11, 2024

英語読解のヒント(144)

144. half...half...

基本表現と解説
  • The tone was half jocose, half sullen. 「その語気はふざけているようでもあり、怒ったようでもあった」

「半分は(幾分かは)……半分は(幾分かは)……」という表現。

例文1

Half through indolence, half through pride, he cannot bend to work.

Samuel Smiles, Thrift

半ばは怠惰のため、半ばは高慢のために、彼は仕事につくことができない。

例文2

Then came a strange sleep, half waking, half dreaming.

Charlotte Mary Brame, Wife in Name Only

それから目覚めているような、夢を見ているような、あやしい眠りに陥った。

例文3

"Where have you been all night?" he half whispered, half croaked, with an agonizing effort.

Anthony Trollope, Christmas at Thompson Hall

「一晩中どこにいたんだね」彼は苦しそうにささやくような、あえぐような声を出した。

Friday, November 8, 2024

英語読解のヒント(143)

143. on / off one's guard

基本表現と解説
  • He was on his guard. 「彼は警戒していた」
  • He was off his guard. 「彼は油断していた」
  • He put her on her guard. 「彼は彼女を警戒させた」
  • He threw her off her guard. 「彼は彼女を油断させた」

to be (remain, lie, stand) on guard で「警戒している」の意味。三番目の例文の put は set と言い換えてもおなじ。

例文1

We are poor erring creatures, and however well established a woman’s principles may be she cannot always keep on her guard against the temptation to exercise an idle curiosity.

Wilkie Collins, The Woman in White

人間は道を踏み外したあわれな存在です。女としてどんなにりっぱな行動規範を持っていたとしても、詰まらぬ好奇心という誘惑に、つねにあらがえるわけではありません。

例文2

I should have remembered my position, and have put myself secretly on my guard. I did so, but not till it was too late.

Wilkie Collins, The Woman in White

わたしは自分の地位を考えて、密かに警戒すべきだった。いや、警戒はしたのだけど、そのときはすでに遅かったのだ。

例文3

McClellan had said nothing. He had known that argument and pleas for justice or mercy would be of no avail. He had sat motionless, apparently indifferent to his fate. By his listlessness he had thrown his captors off their guard.

Orison Swett Marden, Architects of Fate

マクレランはなにも言わなかった。正義や慈悲を求めて議論したり嘆願しても無駄だと知っていたのだ。彼は自分の運命に関心がないかのようにじっと座っていた。その無関心さによって彼は自分をとらえた者どもを油断させたのだった。

Tuesday, November 5, 2024

英語読解のヒント(142)

142. as good as

基本表現と解説
  • He is as good as dead. 「死んだも同然だ」

この as good as は「実質的に……も同然」の意味になる。

例文1

"Don't say you aren't coming — you as good as promised."

Leonard Merrick, The Quaint Companions

「行かないなんて言わないでくださいよ。約束したも同然なんだから」

例文2

I have as good as confessed I love him....

Samuel Richardson, Pamela

わたしは彼に愛を告白したも同然でした……。

例文3

"...you are a married man — or as good as a married man...."

Charlotte Bronte, Jane Eyre

「あなたは結婚している。いえ、結婚したも同然の人です……」

Saturday, November 2, 2024

英語読解のヒント(141)

141. 擬音語

基本表現と解説
  • Bang went the gun. 「バンと鉄砲が鳴った」
  • Smack went the whip. 「ピシッと鞭が鳴った」
  • Patter, patter, goes the rain. 「パラパラと雨音がする」

動詞 go に clatter, cluck, crack, patter, smash, snap, tang, whirr などの擬音語が伴われ「……と鳴る」の意味になる。

例文1

He held his breath and listened, while his heart went pit-a-pat, pit-a-pat.

Thornton W. Burgess, The Adventure of Peter Cottontail

彼は心臓をドキドキさせながら息を詰め、耳をすました。

例文2

Then the driver cracked his whip this way, that way, when round went the wheel — clatter, clatter, went the horses' hoofs on the boulder pavement....

Sabine Baring-Gould, The Gaverocks

馭者は鞭をピシリピシリと鳴らし、馬車が動き出した。丸石を敷き詰めた道の上で馬のひずめがパカパカと鳴った。

例文3

Of course, many people have starved to death before now, but starvation is an awful thing to witness in the person of one you love. Something seemed to go snap within me, and from that moment I was a different being.

Mrs. Edward Kennard, Landing a Prize

もちろん今までだってたくさんの人が飢えて死んでいる。でも愛する人が飢えているのを見るのは恐ろしいことだわ。なにかがわたしのなかでパチンと弾けた。そしてその瞬間からわたしは人が変わったのよ。

関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)

§4.  Solch ein kleines Kind weiß von gar nichts. そんな 小さな子供は何も知らない。  一般的に「さような」という際には solch- を用います(英語の such )が、その用法には二三の場合が区別されます。まず題文...