Tuesday, July 29, 2025

キャロル・ジョン・デイリ「レッド・ペリル」


キャロル・ジョン・デイリのハードボイルドで、探偵レイス・ウィリアムものの一冊。1924年に発表され、ウィキペディアによるとレイス・ウィリアムのシリーズとしては三冊目にあたるようだ。「ブラック・マスク」誌に掲載された、スラング満載の中編小説だ。

作品の話をする前に、ウィキペディアから作者の情報を書き抜いておく。キャロル・ジョン・デイリ (1889-1958) はニューヨークに生まれ、演劇学校を出たあと、案内係や映写技師、役者、映画館の開設などをやり、とうとう作家に転じたという。最初の犯罪小説を書いたのは33歳の時だ。デイリは静かな人生を送ってきた温厚な人物で、小説の主人公であるハードボイルドなアンチヒーローはまったくの想像の産物であるらしい。

ハードボイルドというジャンルを生んだ一人として、彼は重要な存在だ。人気も高く、同時代のダシール・ハメットだけでなくミッキー・スピレーンなどらにも影響を与えた。しかし今の視点からすると quaint (古風で風変わり)と camp (大袈裟で芝居がかっている)を足して二で割ったような印象を与えると評する人もいるようだ。ウィキペディアの記述だけではなんだかよくわからない批評だが、わたしの言葉で言うと、デイリは古い冒険ロマンやセンセーション・ノベルの要素と、スピード感、バイオレンス、非倫理的世界という新しい感覚とを混在させた世界を描いていたと思う。新しいジャンルを創設するときはどうしても古いものと新しいものがまじってしまうものだ。

本書は、腕を三角巾で吊っているヤクザ者がウィリアムの事務所を訪れ、とある仕事をやれと彼にむかってすごむ場面からはじまる。その仕事の内容を依頼人は詳しく語ろうとしない。若い女が関係していることはわかった。そして仕事を引き受けた場合、大金が支払われることも。しかしウィリアムは脅しをかけてくる相手の態度が気に入らない。彼は三角巾で吊った腕にはピストルが隠されていると見抜き、先に拳銃をぶっぱなして彼を撃退する。わたしが気に入ったのは、その後の展開のさせかただ。主人公=語り手であるウィリアムはこう話をつづける。銃の音は周囲に聞こえなかったはずだ、昼休みの時間で誰もいないし、壁には防音効果のある素材が使われている、などと部屋の中の話をはじめ、そしてクロゼットには若い女が隠れていたことを、ようやくここで明かすのだ。しかも彼女こそつい先ほど、「仕事」の対象としてヤクザ者がしゃべっていた「若い女」なのである。なるほど、ウィリアムがヤクザ者を追い払ったのは、彼の態度が気に入らなかったからだけではなかったのだ。冒頭で読者の注意を惹く荒事を描き、それが一段落したあとで、ゆっくりと物語の背景を説明する、というのは、十九世紀に完成された物語の運び方だけれど、デイリはちょっと工夫を凝らし、荒事の興奮を継続しながら事件背景を「若い女」に説明させている。ここはなかなかいい。

表題のレッド・ペリルは、詳しく言うとネタバレになるので、まあ、稀代の女盗賊とだけ言っておこう。叔父に財産を狙われた美少女を助けようと、レイス・ウィリアムは敵地に乗り込むのだが、罠にはまって危地に陥ったとき、彼女が助けてくれるのだ。すでに書いたように、ハードボイルドでありながら、この作品はなんとも古い冒険ロマンを感じさせる。叔父に財産を狙われる美少女などというのも、コリンズの「白衣の女」と同様の設定で、キャロル・ジョン・デイリが古いセンセーション・ノベルとハードボイルドという新しい形式の両方を混合させていることがわかる。

こういう作品が二十年代は人気だったのかと、ハードボイルドの歴史を知る上でも貴重な作品だと思う。

Saturday, July 26, 2025

桐野夏生「路上のX」

 


Xというのは家族が崩壊し、路上にはじき出され、自分を性的商品として売りながら生活しなければならなくなった十代の少女たちのことである。「マルカム・X」ではないが、このXは人間としての人格やアイデンティティーが失われた状態を示唆している。なにしろみずからを商品(モノ)にして売らなければならないのだ。モノになるということは、みずから人格やアイデンティティーを否定することである。

この人間のX化は家出少女だけに見られるものではない。

国会質疑である議員が非正規労働者の問題を取り上げた。そのなかで彼女は、ある非正規労働者が職場において名前ではなく「ヒセイキさん」と呼ばれていて、非常に屈辱的に感じたという話をした。「ヒセイキさん」も名前を認知されていないという意味でXとおなじである。非正規労働者は会社によって自由に採用したりクビを切ったりできる、使い勝手のいい道具でありモノなのだ。そしてモノには名前がない。人格やアイデンティティーは存在しない。

カントは人間の人格を手段としてだけではなく、目的として扱え、という有名な言葉を残しているが、まさしく非正規労働者は手段としてしかとらえられていないのだ。

逆に言えば名前には人格やアイデンティティーが結びついているということでもある。だからこそ結婚しても名前を変えたくないという女性が大勢いるのだ。選択的夫婦別姓はそのような人間の人格やアイデンティティーを尊重するシステムだと言える。

「路上のX」を読みながら、わたしはXが労働者を徹底して商品化する新自由主義からジェンダーにまでわたる、大きな問題のありかを指し示すキーワードではないかと考えた。桐野夏生の作品はいつも特殊な個を描きながら、もっと大きな問題へと読者を誘っていく。すくなくとも買春する少女たちをニュースでさらし者にするような考え方ではXの本質はいつまでもつかめない。

物語の中心にいるのは真由とリオナという二人の少女だ。真由はそれなりに裕福な家庭に育ち、勉強もよくできたのだが、突然叔父の家に預けられ、両親は姿を消してしまう。そこから彼女の人生が狂い始める。リオナは親がヤンキーで、愛情を受けずに育ち、最初からJKビジネスという性的搾取の機構の中で生きていかざるを得なかった。この二人がくっついたり離れたりしながら物語は進む。

正直、路上の生活はあまりにリアリスチックに描かれ、読むのが苦しいくらいだった。しかし突如自分の居場所を失った少女たちの命運は気になって仕方がない。最後は続編が書かれそうな、ぼんやりした終わり方になっている。Xという問題に桐野夏生がどんな決着をつけるのか、それともつけ得ないのか、興味津々である。

Wednesday, July 23, 2025

バークリー・グレイ「悪夢の家」

 


バークリー・グレイはノーマン・コンクェストというとんでもない名前の快男児を主人公にした冒険物語で有名な作家。この人は非常に文章がうまく、パルプ小説作家にしておくにはもったいない人だ。イギリスにはジョン・バカンとかイアン・フレミングとか、娯楽小説を書いていてもものすごい文章家がいる。

本書はノーマンがサンドラ・マクニールという若い娘を陰謀から救う話である。サンドラはカナダの学校に通っていたのだが、祖父が亡くなり、その大邸宅を遺産として受け取るためにロンドンへ帰ってきた。イギリスで大邸宅といったら、ほんとうに巨大な建物であって、あんなものを維持しようと思ったら何人の使用人が必要で、毎月どれだけの費用が掛かるか、わかったものではない。サンドラが受け取ったのもそんな屋敷だった。

ところが彼女がこの大邸宅にはじめて泊まった晩のことだ。ふと夜中に目を覚ますと、いつのまにやら外では嵐が荒れ狂い、窓には雨がたたきつけられている。さらに昼間見た豪華な家が幽霊屋敷のようなぼろぼろの場所に変わっているではないか。家のつくりも家具も絨緞もまったくおなじだが、すべてガタがきた状態で、かび臭い匂いを放っている。おまけにそこには一見したところ殺されたと思わしき男の身体まで転がっていた。彼女は気を失う。

次の日の朝、目を覚ますとサンドラはまたもとの立派な邸宅に戻っていたが、気味の悪さにこんな屋敷は売ってしまおうと考える。いったい彼女の身に何が起きているのか。われらがヒーロー、ノーマン・コンクェストが大活躍をして謎を明かす。

本書は1960年に書かれ、ノーマン・コンクェストものとしては39作目になるのだが、ミステリの黄金期があったこともハードボイルドやノワールと言ったジャンルが生まれたことも知らないかのように、健全で素朴な十九世紀的冒険小説となっている。小説という形式は十九世紀に完成されたとよく言われる。では二十世紀に入ってからは小説はみなモダニズムの影響下に書かれてるのかというと、そんなことはない。二十世紀に活躍しつつも十九世紀的小説を書き続ける人だっている。しかもその中には古い型の小説を極度に洗練させた人さえいる。十九世紀の小説には棍棒のような力があったが、極度に洗練された二十世紀の作品はレースのようになよやかで、繊細で、衰弱したおもむきをたたえている。バークリー・グレイはそこまで極端ではないが、しかし十九世紀的な冒険小説に洗練をつけ加えた一群の作家たちの一人とは言えるだろう。


Sunday, July 20, 2025

今月の注目作

Standard Ebooks から二作なつかしい本が出た。


The Bellamy Trial by Frances Noyes Hart

フランセス・N・ハート(1890ー1943)はアメリカの女流作家で、短編小説をいろいろな雑誌に発表していた。1927年に本書「ベラミ裁判」を出し、フランス推理小説大賞を獲得、ヘイクラフト・クイーンの名作リストにも選ばれている。日本には1953年に延原謙の訳で日本出版共同から異色探偵小説集の一冊として紹介されているが……新訳は七十数年出ていないようだ。

法廷ものが好きな人にはたまらない一冊である。ある男が愛人と共謀して妻を殺すという事件が起き、八日間にわたって裁判が開かれるのだが、尋問によって明らかになる事実がセンセーショナルでなかなか面白い。一応事件の真相を推理する手掛かりはすべて提示されるという古典的なフーダニットの形を取っている。二十年代、メディアサーカスのはしりの一つとされるホール・ミルズ裁判が行われたが、それがもとになっている。



Dr. Mabuse, the Gambler by Norbert Jacques

ノルベルト・ジャッック(1880ー1954)はルクセンブルグ生まれの作家で「ドクトル・マブゼ」は彼の代表作。北杜夫の愛読者ならマブゼの名前はご存じだろう。またフリッツ・ラング監督の白黒映画でこの作品をご存じの方もいるだろう。わたしも大好きなパルプ小説の古典である。文学なんかくそくらえ、とにかく楽しみたいんだ、という人にはおすすめの本だ。びっくりしたのはこの翻訳が2004年にハヤカワ・ミステリが出ていること。今世紀に入ってようやく日本に紹介されたのか。

ドクトル・マブゼはパルプ小説にはかならず登場する稀代の悪党というやつである。さっき言ったように楽しんで読めばいい本なのだが、ちょっと考えることが好きな人のためにつけ加えると、パルプ小説の悪党は、その時代時代の悪の観念が形象化されていて、そこに注目するなら文化の変遷を知る上で貴重な手掛かりにもなる。スヴェンガーリとかフー・マンチュー、ジョーカーなどといった例を思い浮かべればそれはすぐにわかるだろう。パルプ小説は案外、政治的にきなくさい要素をはらんでいる。

Thursday, July 17, 2025

Elementary German Series (7)

7. Die Zahl (Die Grundzahl, 基数)

Eins (1) ist eine Zahl, zwei (2) ist eine Zahl, drei (3) ist eine Zahl; eins, zwei und drei sind Zahlen.

Ich zähle1 von2 eins (1) bis3 zehn (10): eins, zwei, drei, vier (4), fünf (5), sechs (6), sieben (7), acht (8), neun (9), zehn.

Ich zähle von zehn bis zwanzig (20): zehn, elf (11), zwölf (12), dreizehn, vierzehn, fünfzehn, sechzehn, siebzehn, achtzehn, neunzehn, zwanzig.

Ich zähle von zwanzig bis dreißig (30): einundzwanzig, zweiundzwanzig, dreiundzwanzig, vierundzwanzig, fünfundzwanzig und so weiter.

Ich zähle von zehn bis hundert (100): zehn, zwanzig, dreißig, vierzig, fünfzig, sechzig, siebzig, achtzig, neunzig, hundert.

Ich zähle von hundert bis tausend (1000): hundert, zweihundert, dreihundert und so weiter.

Ich zähle von tausend bis zehntausend: tausend, zweitausend, dreitausend und so weiter.

Ich zähle von zehntausend bis hunderttausend: zehntausend, zwanzigtausend, dreißigtausend und so weiter.

Ich zähle von hunderttausend bis eine Million: hunderttausend, zweihunderttausend und so weiter.

Einmal4 eins ist eins. Zweimal zwei ist vier. Dreimal drei ist neun. Viermal vier ist sechzehn. Fünfmal fünf ist fünfundzwanzig und so weiter.

1. zählen 算える.
2. von ~の; ~から.
3. bis ~まで.
4. mal ~倍; einmal 一度, 一倍; zweimal 二度, 二倍.

Monday, July 14, 2025

関口存男「新ドイツ語大講座 下」(10)

§10. Wir helfen einer dem andern.
  (Wir helfen einander.)

   おれたちはお互いに助け合う

 「一人が他に」(einer dem andern)も「一人が他を」(einer den andern)も「一人が他の」(einer des andern)も、簡潔な一語にすると、格の不明な einander (英:each other)になってしまいます。前置詞が付く場合、たとえば「一人が他の後に」(einer nach dem andern)、「一人が他のために」(einer für den andern)などは、nacheinander, füreinander などに略されます。

 「学者はお互いに反駁し合う」は:

(1) Die Gelehrten widerlegen sich wechselseitig.
(2) Die Gelehrten widerlegen einer den andern.
(3) Die Gelehrten widerlegen einander.
(4) Ein Gelehrter widerlegt den andern.

です。(1) と (3) とを混じて widerlegen sich einander というのは誤りです。

(1) Wir leben fern voneinander.
  われわれはお互いに遠く離れて暮らしている。
(2) Plaudern wir eine Weile miteinander!
  しばらくご一緒に雑談しましょう。
(3) Sie sind beide für einander bestimmt.
  かれら二人はお互いのために定められた仲だ。
(4) Ihr habt voreinander Furcht.
  君たちはお互いに怖れ合っている。

§10. (1) wechselseitig: 相互に(mutually). (2) plaudern: 雑談する。(4) voreinander: (前置詞 vor を用いたのは「……に対して恐怖を抱く」が vor ...... Furcht haben なるゆえ。)

Friday, July 11, 2025

英語読解のヒント(179)

179. if I live to be a hundred

基本表現と解説
  • If I live to be a hundred, I shall never forget it.

「百年生きるとも」は否定の意味を強めるレトリカルな表現。

例文1

If I live a thousand years, I can never forget the intense emotion with which I regarded this figure.

E. A. Poe, "The Spectacles"

千年生きながらえたとしても、その姿を見たとき胸に湧きあがった強烈な感情は忘れることができないだろう。

例文2

Indeed, I do not think if I live to a hundred that I shall ever forget this desolate and yet most fascinating scene; it is stamped upon my memory.

Henry Rider Haggard, She

かりに百歳まで生きるとしても、この寂しい、しかし人を魅了してやまない風景を忘れることはないだろう。それはあたかもわたしの記憶に刻み込まれたかのようだった。

例文3

Were I to live a hundred years, I should never forget the circumstances which first made her known to me, and which obtained her my respect.

Émile Souvestre, An Attic Philosopher in Paris

たとえ百まで生きても、はじめて彼女を知り、彼女を尊敬するに至ったあの成り行きをけっして忘れない。

Tuesday, July 8, 2025

英語読解のヒント(178)

178. if possible

基本表現と解説
  • If possible, she was weaker than before. 「どちらかと言うと、前より衰弱していた」
  • She is little, if possible, better today. 「彼女は今日はよいとは言えない」

最初の例文は If it was possible, she was weaker than before. と解する。little, if possible のように否定語のあとに用いられる場合は「ほとんど……ない」の意味になる。

例文1

The tones of the old man's voice were, if possible, more wounding than his language.

R. L. Stevenson, New Arabian Nights

ことによると老人の声の調子のほうが、言葉よりも辛辣だった。

例文2

If possible, she was kinder than ever afterward to her mother, sending her constantly baskets of fruit and game — presents of every kind.

Charlotte Mary Brame

その後は母親にたいして前よりも親切なくらいで、果物や肉の籠とかいろいろな贈り物をたえず送った。

例文3

The wretched Ritter, with hanging head, slunk into the office opposite. Presently he reappeared, looking, if possible, ghastlier than before.

Arthur Morrison, Martin Hewitt, Investigator

リッターは悄然として向かいの部屋に入り、すぐまた出てきた。その顔は、強いて言えば前よりももっと暗かった。

Saturday, July 5, 2025

英語読解のヒント(177)

177. if anything

基本表現と解説
  • If anything, she was kinder than usual. 「どちらかというと、平素より親切であった」
  • Little, if anything, was known of them. 「彼らのことはほとんどわかっていなかった」

最初の例文は If there was any difference, she was kinder than usual. と解する。否定語のあとにこの句が来る場合は「ほとんど……ない」の意味になる。

例文1

"No; if anything, I confess I felt for your cousin nothing but contempt and dislike.”

Margaret Wolfe Hungerford, The Haunted Chamber

「いいえ、正直なところ、あなたの従弟になにか感ずるとしても、それは軽蔑と嫌悪だけです」

例文2

Very little, if anything, was known of the Jacksons' history, beyond that they had come to the colony a few years previously.

J. E. Muddock, Stories Weird and Wonderful

ジャックソン夫婦は数年前に当植民地へ来たという以外、その経歴はほとんどわからない。

例文3

"I have only met her a few times, in London and at Radham House, and I don't think she took much notice of me. If anything, she seemed inclined to snub me."

Alice and Claude Askew, The Blue Diamond

「その方とはロンドンとラドハム邸で二三度お会いしただけです。わたしにはほとんどご注意をむけなかったというか、どちらかというと、馬鹿になさっているようでした」

Wednesday, July 2, 2025

英語読解のヒント(176)

176. if at all

基本表現と解説
  • Troops should be sent, if at all, speedily. 「軍隊を派遣するなら迅速に派遣すべきだ」
  • Seldom, if at all, she goes into society. 「彼女は人中へはめったに出ない」

最初の例文は Troops should be sent speedily, if they are sent at all. を解する。rarely, if at all のように否定語のあとに置かれるときは「ほとんど……ない」となる。

例文1

The wild disorder of the room; the corpse thrust, with the head downward, up the chimney; the frightful mutilation of the body of the old lady; these considerations, with those just mentioned, and others which I need not mention, have sufficed to paralyze the powers, by putting completely at fault the boasted acumen, of the government agents. They have fallen into the gross but common error of confounding the unusual with the abstruse. But it is by these deviations from the plane of the ordinary, that reason feels its way, if at all, in its search for the true.

E. A. Poe, "The Murders in the Rue Morgue"

「部屋のなかはさんざんに乱され、死体は頭を下にして煙突に突っ込まれ、老女の死体はおそろしいほど切り刻まれている。こうしたことが、わたしがさっき言ったことや、言う必要もないほかのことどもとあいまって、警察が誇る鋭敏な「頭脳」をすっかり狂わせてしまった。彼らは普通でないことを奥深いことと勘違いするという、よくあるとんでもない間違いを犯している。しかし理性が真実を求めて進むとすれば、このように通常の次元を離れることがきっかけになるのだ」

例文2

Good-breeding differs, if at all, from high-breeding, only as it gracefully remembers the rights of others, rather than gracefully insists on its own. Carlyle.

Dictionary of Quotations (compiled by James Wood)

かりにも立派な育ちが高貴な育ちと違うとするなら、それは自分の権利を優雅に主張するのではなく、他人の権利を奥ゆかしく忘れないという点にのみ存する。……カーライル

例文3

The dishonorable system of fashionable debtors, who always pay too late, if at all, and cast their deficiencies on other customers in the form of increased charges, would be at once annihilated.

Samuel Smiles, Thrift

上流人士の借金による恥ずべき仕組み、つまりかりに支払いをするとしてもいつもひどく遅れて支払いをし、それによる赤字分は品物の値上げとなってほかの顧客の負担となるという仕組みは、ただちになくなるだろう。

ジョン・ラッセル・ファーン「栄光の輝きに照らされて」

  原題は Reflected Glory。他人がつかんだ栄光だけれども、その人と関係のある人が、まるで自分の栄光であるかのように感じる、という意味だ。「親の七光り」という日本語が示す事態と、よく似ていると云っていい。 女流作家のエルザは、ふとしたきっかけから画家のクライブと知り...