本の多い家庭に育った子供は、知的能力が高い。
これは昔からいろいろな研究が出ていて確認されている事実だ。五百冊の本がある家庭に育った子供と、なにもない家庭に育った子供では、知的レベルに雲泥の差が生じる。
ガーディアン紙に、その事実をふたたび裏付ける研究の報告が出ていた。ただし今回の研究では、「効果が生じるには最低八十冊の本があることが必要」と結論づけている。
三十一の国、十六万人の大人から収集したデータを、オーストラリア国立大学の研究者が分析して得られた結果である。十六歳のとき家庭に何冊本があったかと参加者に尋ね、その後、言語運用能力、数量的思考能力、情報通信技術能力に関する試験を課して、その能力を測定した。
ホーム・ライブラリの平均冊数は国によって違う。トルコでは二十七冊、イギリスでは百四十三冊、エストニアでは二百十八冊だ。しかしホーム・ライブラリの大きさが知能に与える影響力はどの国においても確認された。
(元の論文 Scholarly culture: How books in adolescence enhance adult literacy, numeracy and technology skills in 31 societies が読みたかったが、有料のためあきらめた。恐らく日本におけるホーム・ライブラリの冊数や、日本人の能力試験の結果が出ていたと思う)
本のない家庭でティーンを過ごした人々は、言語運用も数量的思考も平均以下だった。思春期に八十冊以上の本がある家に育った人々は、平均的な成績を残した。しかし三百五十冊を越えたホーム・ライブラリがあっても、それはとくに知的能力に反映されることはないようだ。つまり、八十冊から三百五十冊までは、冊数が増えれば増えるほど、知的能力があがる傾向が見られるが、三百五十冊を越えると、それ以上は知的能力にさしたる変化が見られないということだ。情報通信技術についても同じ傾向が見られるが、言語運用や数量的思考能力の場合ほど大きな差が出るわけではない。
中等教育しか受けていない人でも、本がたくさんある家に育った人々は、上記三つの能力において、本のない家庭に育った大学卒業者なみの力を見せた。もうちょっと詳しく言うと、本のない家庭に育った大学卒業者は言語運用能力試験で平均的な成績を残した。中等教育で教育課程を終えたが、本がたくさんある課程に育った人も平均的な成績だった。このことは数量的思考能力においても同じである。
この研究を主導した研究者は「生涯にわたって身に備わる認識能力を高めるためには、親の家で早期に本に親しむことが必須である」と言っている。
人間はシンボルを操作する動物だと言われる。シンボルの中でも言語はもっとも大切なもので、その能力を鍛えることが、知性の発達に大きな影響を与えることは間違いない。
家に本がたくさんあるにこしたことはない。しかしもしもないのであれば、子供に図書館に親しむことを教えてやるべきだろう。電子図書館を利用するという手もあるが……小さいうちは紙の本のほうが子供には受けがいいような気がする。
Saturday, October 13, 2018
Thursday, October 11, 2018
「殺人者よ、ノックせよ」 Knock, Murderer, Knock!
ハリエット・ラットランド(1901-1962)が1938年に出したミステリ。黄金期のミステリの香がページのあいだから匂い立つような作品だ。
場所はイギリスのとある療養所。ご老人や退役軍人やお金持ちが大勢、ここに長期滞在している。療養所だから医者や看護婦や雑用係も大勢住んでいる。
そこに美しい女性が一人やってくる。彼女は男性たちの注目を惹き、女性たちのやっかみの的となる。ところが彼女はある日、編み物用の鋼鉄の針を首の急所に刺され、死体となって発見される。
警察は迅速に捜査を進め、たちどころに犯人を捕まえる。
ところがどうだろう。犯人と思われた男が牢屋に入っているとき、第二の殺人が起きたのだ。しかも手口は第一の殺人とまったく同じ。首の急所に編み物針が突き刺さっていた。
ここで登場するのがミスタ・ウィンクリイだ。彼は療養所に客としてやってくるのだが、実はスコットランド・ヤードの特殊捜査課で活躍していた男である。彼は自分の正体を隠し、こっそりと真犯人をつきとめようと内密に捜査を進める。しかし彼が犯人を突き止めるよりも先に第三の殺人が……。
お屋敷の内部で人が次々と殺される、という設定は、黄金期のミステリにはよくみられたものだが、本編はそれを踏襲している。わたしは読みながらクリスティやヴァン・ダインやいろいろな作家の作品を思い出した。
しかしミスタ・ウィンクリイの推理の部分はまったく感心しなかった。ここには論理性はまったくない。証拠から有無を言わせぬ論理の力で犯人を見出すのではなく、ミスタ・ウィンクリイの印象が推理の決め手になっているのだ。
それ以外にもこの作品には読後、疑問がつきまとう。犯人があのような偏執的人間であるなら、なぜもっと早くに殺人を行わなかったのか。犯人が解剖学的知識を得て、首の急所を知ったとしても、知識と実践のあいだにはかなりの懸隔がある。それを作者は無視していないだろうか……。
ネタバレしたくないので、やや曖昧な書き方をしたが、とにかく、推理の部分は面白くない。ラットランドはまだ本格ミステリの根本的な構造を把握していないのだろう。探偵は物語の外部に立って、物語の徴候から、もう一つの物語を読み取らなければならない。ところがミスタ・ウィンクリイは充分に物語の外部に立ってはいない。彼はこんなことを言う。
「ドクタはわたしの親友ですから、疑いを掛けることはしませんでした……厳密な立場からすれば、もちろん、疑うべきだったんでしょうけどね」
ドクタは事件の関係者だ。本来なら探偵は関係者を例外なく疑うべきなのだ。この引用はミスタ・ウィンクリイの立ち位置が曖昧であることを示しているだろう。そして探偵の立ち位置が曖昧であることは、とりもなおさず、作者が本格ミステリをよく理解していないことを示していると思う。
場所はイギリスのとある療養所。ご老人や退役軍人やお金持ちが大勢、ここに長期滞在している。療養所だから医者や看護婦や雑用係も大勢住んでいる。
そこに美しい女性が一人やってくる。彼女は男性たちの注目を惹き、女性たちのやっかみの的となる。ところが彼女はある日、編み物用の鋼鉄の針を首の急所に刺され、死体となって発見される。
警察は迅速に捜査を進め、たちどころに犯人を捕まえる。
ところがどうだろう。犯人と思われた男が牢屋に入っているとき、第二の殺人が起きたのだ。しかも手口は第一の殺人とまったく同じ。首の急所に編み物針が突き刺さっていた。
ここで登場するのがミスタ・ウィンクリイだ。彼は療養所に客としてやってくるのだが、実はスコットランド・ヤードの特殊捜査課で活躍していた男である。彼は自分の正体を隠し、こっそりと真犯人をつきとめようと内密に捜査を進める。しかし彼が犯人を突き止めるよりも先に第三の殺人が……。
お屋敷の内部で人が次々と殺される、という設定は、黄金期のミステリにはよくみられたものだが、本編はそれを踏襲している。わたしは読みながらクリスティやヴァン・ダインやいろいろな作家の作品を思い出した。
しかしミスタ・ウィンクリイの推理の部分はまったく感心しなかった。ここには論理性はまったくない。証拠から有無を言わせぬ論理の力で犯人を見出すのではなく、ミスタ・ウィンクリイの印象が推理の決め手になっているのだ。
それ以外にもこの作品には読後、疑問がつきまとう。犯人があのような偏執的人間であるなら、なぜもっと早くに殺人を行わなかったのか。犯人が解剖学的知識を得て、首の急所を知ったとしても、知識と実践のあいだにはかなりの懸隔がある。それを作者は無視していないだろうか……。
ネタバレしたくないので、やや曖昧な書き方をしたが、とにかく、推理の部分は面白くない。ラットランドはまだ本格ミステリの根本的な構造を把握していないのだろう。探偵は物語の外部に立って、物語の徴候から、もう一つの物語を読み取らなければならない。ところがミスタ・ウィンクリイは充分に物語の外部に立ってはいない。彼はこんなことを言う。
「ドクタはわたしの親友ですから、疑いを掛けることはしませんでした……厳密な立場からすれば、もちろん、疑うべきだったんでしょうけどね」
ドクタは事件の関係者だ。本来なら探偵は関係者を例外なく疑うべきなのだ。この引用はミスタ・ウィンクリイの立ち位置が曖昧であることを示しているだろう。そして探偵の立ち位置が曖昧であることは、とりもなおさず、作者が本格ミステリをよく理解していないことを示していると思う。
Wednesday, October 10, 2018
アブローラーの楽しさ
今年の冬、腕立て伏せをしている最中に左右の肘を痛めた。身体はあったまっていたと思うのだが、寒いときはちょっと油断すると関節を痛めることがある。
左の方はじきに治ったが、右のほうはなかなか痛みが取れない。仕方なく右腕の肘に力がかからないように筋トレをやっていた。筋トレをやっている人ならわかるだろうけど、右腕が使えないとなると、できる種目は非常に限られてくる。
そこでアブローラーを買ってみることにした。腹筋のトレーニングにバリエーションが加わって面白いだろうと思ったのだ。製品の箱には女の人がアブローラーを転がしている写真が載っている。割と楽なエクササイズなのだろうと、軽い気持ちで買った。
実際やってみるとものすごく腕に力がかかる。肘をのばしたままローラーを前後に動かすのはかなりしんどい。これは腕に負担を掛けてまずいんじゃないかと心配になった。
ところが、買って数回試しに使ってみた次の日のこと、右腕の調子がずいぶんよくなっている。どうやらアブローラーを使うときの腕への力のかかり方がいい刺激になったらしい。毎日ちょっとだけアブローラーを使っているが、明らかに右腕の痛みが小さくなりつつある。今は肘のところはほとんど痛くない。上腕の筋肉が多少痛む程度だ。
アブローラーに馴れてくると、どういう姿勢でやれば腹筋に力が入るのかが、だんだんとわかってくる。わたしはローラーを前に押すときはできるだけお尻を落とした態勢をつくり、そこからネコが伸びをするように、背中を丸めてローラーを引きつけている。こうすると腹筋に力が入りやすい。
わたしが百円ショップで買ったアブローラーは取っ手がごつごつしていて、しかもわたしの手にはちょっと小さい。それで穴のあいた靴下を適当な長さに折り返して取っ手に指しこみ、輪ゴムで留めることにした。こうすると手にまめができるのを防ぐことができる。
コツがわかってくるとアブローラーはなかなか楽しい。今までにない力の使い方をするところもいい。自重運動はどうしてもバリエーションに欠けるので、これからはときどきこうした器具を買おうと思っている。
左の方はじきに治ったが、右のほうはなかなか痛みが取れない。仕方なく右腕の肘に力がかからないように筋トレをやっていた。筋トレをやっている人ならわかるだろうけど、右腕が使えないとなると、できる種目は非常に限られてくる。
そこでアブローラーを買ってみることにした。腹筋のトレーニングにバリエーションが加わって面白いだろうと思ったのだ。製品の箱には女の人がアブローラーを転がしている写真が載っている。割と楽なエクササイズなのだろうと、軽い気持ちで買った。
実際やってみるとものすごく腕に力がかかる。肘をのばしたままローラーを前後に動かすのはかなりしんどい。これは腕に負担を掛けてまずいんじゃないかと心配になった。
ところが、買って数回試しに使ってみた次の日のこと、右腕の調子がずいぶんよくなっている。どうやらアブローラーを使うときの腕への力のかかり方がいい刺激になったらしい。毎日ちょっとだけアブローラーを使っているが、明らかに右腕の痛みが小さくなりつつある。今は肘のところはほとんど痛くない。上腕の筋肉が多少痛む程度だ。
アブローラーに馴れてくると、どういう姿勢でやれば腹筋に力が入るのかが、だんだんとわかってくる。わたしはローラーを前に押すときはできるだけお尻を落とした態勢をつくり、そこからネコが伸びをするように、背中を丸めてローラーを引きつけている。こうすると腹筋に力が入りやすい。
わたしが百円ショップで買ったアブローラーは取っ手がごつごつしていて、しかもわたしの手にはちょっと小さい。それで穴のあいた靴下を適当な長さに折り返して取っ手に指しこみ、輪ゴムで留めることにした。こうすると手にまめができるのを防ぐことができる。
コツがわかってくるとアブローラーはなかなか楽しい。今までにない力の使い方をするところもいい。自重運動はどうしてもバリエーションに欠けるので、これからはときどきこうした器具を買おうと思っている。
Sunday, October 7, 2018
筋トレの目標
筋トレをする人はたいてい身体を大きくしたいと考えている。わたしの場合は健康維持が第一の目的である。
筋トレは自重トレーニングであっても続けていればかなり肉がつく。わたしはダンスをやっていたので、もともと足の筋肉はかなりあったほうだが、筋トレをするようになって腕や胸も大きくなった。この調子で毎年ちょっとずつ身体が大きくなれば――たとえば毎年百グラムでも筋肉が増えれば――それで充分である。
歳を取るとどうしても活動量が減り、筋肉が衰えていく。病院の待合室にいると、お年寄りたちは「筋肉が減った」などとよく話をしている。わたしはそれがいやなのだ。つねに自分の内側に活動のためのエネルギーを秘めておきたいのだ。
幸い、筋肉は何歳になっても鍛えることができる。もちろん、どこまでも大きくなるというわけじゃないけれど、元気に生活していけるくらいには発達するのだ。
わたしは平均寿命で死ねたらいい、とは考えていない。やりたいこと、考えたいことがまだまだたくさんある。読みたい本も、訳したい本もいっぱいある。しかし年を取ってもしたいことをしようと思うなら、一定の健康条件がこの身にそなわっていなければならないだろう。
大西巨人の小説のなかに「人は、クリエ-ティヴ・パワーを持続して、長生きをしなければならない。もしくは、人は、長生きをするなら、クリエ-ティヴ・パワーを持続しなければならない」という言葉がある。わたしはまったくその通りだと思う。筋トレで健康を維持するのは、クリエ-ティヴ・パワーを持続するためである。
筋トレは自重トレーニングであっても続けていればかなり肉がつく。わたしはダンスをやっていたので、もともと足の筋肉はかなりあったほうだが、筋トレをするようになって腕や胸も大きくなった。この調子で毎年ちょっとずつ身体が大きくなれば――たとえば毎年百グラムでも筋肉が増えれば――それで充分である。
歳を取るとどうしても活動量が減り、筋肉が衰えていく。病院の待合室にいると、お年寄りたちは「筋肉が減った」などとよく話をしている。わたしはそれがいやなのだ。つねに自分の内側に活動のためのエネルギーを秘めておきたいのだ。
幸い、筋肉は何歳になっても鍛えることができる。もちろん、どこまでも大きくなるというわけじゃないけれど、元気に生活していけるくらいには発達するのだ。
わたしは平均寿命で死ねたらいい、とは考えていない。やりたいこと、考えたいことがまだまだたくさんある。読みたい本も、訳したい本もいっぱいある。しかし年を取ってもしたいことをしようと思うなら、一定の健康条件がこの身にそなわっていなければならないだろう。
大西巨人の小説のなかに「人は、クリエ-ティヴ・パワーを持続して、長生きをしなければならない。もしくは、人は、長生きをするなら、クリエ-ティヴ・パワーを持続しなければならない」という言葉がある。わたしはまったくその通りだと思う。筋トレで健康を維持するのは、クリエ-ティヴ・パワーを持続するためである。
Saturday, October 6, 2018
「到着」 The Arrival
ブッカー賞候補のロング・リストに Nick Drnaso の Sabrina というグラフィック・ノベルがあがったときはびっくりした。ボブ・ディランがノーベル賞を取ったときよりも驚きは大きい。日本の芥川賞を、漫画家がマンガで受賞したら……そう考えれば一般の人にもわたしの驚きがすこしは理解してもらえるかもしれない。
しかしグラフィック・ノベルにも良い作品がときおり見られることは事実だ。2006年に出たショーン・タンの「到着」もそのひとつである。
これは移民たちが故国における貧困や政治的混乱を脱し、異国での生活に慣れるまでを描いている。
文字は一切なく、すべてが絵によって語られる。まるで白黒映画、それもエイゼンシュタインあたりの無声映画を思い起こさせる作品だ。
また、この作品に描かれている世界は、現実の世界を強く想起させはするものの、すべて想像上の世界である。移民たちが後にする故国は、この地球上のいずれの国とも特定されていない。移り住むことになる国も、おとぎ話に出てくるような、不思議にあふれた国である。
移民にとって風習も生活の仕組みもまるでちがう異国は、おとぎ話の国のように思えるものだ。わたしも外国で生活していたから、その感覚は多少理解できる。
この作品は移民の女の子が新しい国に馴れはじめ、あらたにやってきた移民に道を教えるという、ささやかな、しかし力強い場面で終わっている。わたしはそれこそ「戦艦ポチョムキン」を見たときくらい心を揺さぶられた。
ただ、不満もある。移民を扱った小説や映画は、この作品よりもはるかに複雑で困難な現実を描いている。それと較べるなら、「到着」はあまりにもナイーブな作品だ。絵だけで表現しようとすると、どうしても現実は単純化される。グラフィック・ノベルの欠点のひとつだろう。ブッカー賞の候補にあがった Sabrina がどれくらい現実と切り結んでいるのか、非常に興味がある。
しかしグラフィック・ノベルにも良い作品がときおり見られることは事実だ。2006年に出たショーン・タンの「到着」もそのひとつである。
これは移民たちが故国における貧困や政治的混乱を脱し、異国での生活に慣れるまでを描いている。
文字は一切なく、すべてが絵によって語られる。まるで白黒映画、それもエイゼンシュタインあたりの無声映画を思い起こさせる作品だ。
また、この作品に描かれている世界は、現実の世界を強く想起させはするものの、すべて想像上の世界である。移民たちが後にする故国は、この地球上のいずれの国とも特定されていない。移り住むことになる国も、おとぎ話に出てくるような、不思議にあふれた国である。
移民にとって風習も生活の仕組みもまるでちがう異国は、おとぎ話の国のように思えるものだ。わたしも外国で生活していたから、その感覚は多少理解できる。
この作品は移民の女の子が新しい国に馴れはじめ、あらたにやってきた移民に道を教えるという、ささやかな、しかし力強い場面で終わっている。わたしはそれこそ「戦艦ポチョムキン」を見たときくらい心を揺さぶられた。
ただ、不満もある。移民を扱った小説や映画は、この作品よりもはるかに複雑で困難な現実を描いている。それと較べるなら、「到着」はあまりにもナイーブな作品だ。絵だけで表現しようとすると、どうしても現実は単純化される。グラフィック・ノベルの欠点のひとつだろう。ブッカー賞の候補にあがった Sabrina がどれくらい現実と切り結んでいるのか、非常に興味がある。
Wednesday, October 3, 2018
Kobo Forma
Kobo から新しい電子リーダーが出る。八インチのスクリーンとページめくり用のボタンがついた Kobo Forma だ。わたしは H2O を愛用しているが、PDF を読むときにときどき画面が小さいと感じるので、こちらを買ってみようかと思っている。
しかし新製品発売のニュースを読んで驚いたのは、スペックのことではない。Kobo の CEO であるマイケル・タンブリンがこんなことを言ったのだ。「当社のトップ・カスタマーは当社の電子リーダーで毎日平均三時間の読書をする。実を言うと、何千何万というトップ・カスタマーは一日に七八時間本を読む。われわれはフルタイムの読書家のために美しくて快適なデバイスを作ろうと努力している」(Good E Reader から)
Kobo が読書履歴や時間に関する情報を利用者から収集しているという、感心しない事実はさておいて、トップ・カスタマーの平均読書時間が一日三時間というのはたいした数字である。たとえば日本の大学生でこれだけ読書する人はまずいない。さらに七八時間読むとなると読書狂とか活字中毒と言われるレベルである。そんな人々が「まだ」何万人もいるというのは驚くべき、しかしまことに心強い事実だ。なるほど世界は広い。もっともわたしが小さかった頃は、日本にも外国にも文学青年といわれる連中が掃いて捨てるほどいたけれど。
電子リーダーは心に栄養を与えてくれる、数少ない素晴らしいガジェットである。タブレットと異なり、スクリーンから目を刺激する光線が出ないから、長時間の使用にむいている。もしも個人情報をもらしたくないというのであれば、Koreader のようなソフトを導入すればいい。
しかし新製品発売のニュースを読んで驚いたのは、スペックのことではない。Kobo の CEO であるマイケル・タンブリンがこんなことを言ったのだ。「当社のトップ・カスタマーは当社の電子リーダーで毎日平均三時間の読書をする。実を言うと、何千何万というトップ・カスタマーは一日に七八時間本を読む。われわれはフルタイムの読書家のために美しくて快適なデバイスを作ろうと努力している」(Good E Reader から)
Kobo が読書履歴や時間に関する情報を利用者から収集しているという、感心しない事実はさておいて、トップ・カスタマーの平均読書時間が一日三時間というのはたいした数字である。たとえば日本の大学生でこれだけ読書する人はまずいない。さらに七八時間読むとなると読書狂とか活字中毒と言われるレベルである。そんな人々が「まだ」何万人もいるというのは驚くべき、しかしまことに心強い事実だ。なるほど世界は広い。もっともわたしが小さかった頃は、日本にも外国にも文学青年といわれる連中が掃いて捨てるほどいたけれど。
電子リーダーは心に栄養を与えてくれる、数少ない素晴らしいガジェットである。タブレットと異なり、スクリーンから目を刺激する光線が出ないから、長時間の使用にむいている。もしも個人情報をもらしたくないというのであれば、Koreader のようなソフトを導入すればいい。
Monday, October 1, 2018
岡田佑介という男
全日本プロレスのヘビー級選手が相次いで怪我のため欠場している。秋山、諏訪魔、石川といった主要選手たちである。
筋トレをしていても、寒いときや、体調がよくないときは怪我をする。いわんや身体ごとぶつかり合うプロレスにおいてをや、である。
充分に休養を取って復帰して欲しいと、心から願う。
しかし諏訪魔、石川が欠場というエボルーションの非常事態を見て、これまた怪我で欠場していた岡田佑介が復帰を四日ほど早めて全日本に帰ってくる。
岡田は現役選手の中でいちばんキャリアが浅く、肉体的な条件ももっとも不利な選手かもしれない(これは顔が悪いという意味ではない)。しかしそれを補ってあまりある気迫の持ち主で、わたしは彼が大好きである。確か近藤修司だったか、岡田の熱血ぶりを見て、彼が最前線に躍り出てきたとき、全日本のジュニアは変わると預言した。まったく同感である。
だから彼が帰ってくるのはうれしいのだが……しかしくれぐれも無理はしないでもらいたい。無事これ名馬。馬場さんも欠場しない選手がいちばんだといっていた。
筋トレをしていても、寒いときや、体調がよくないときは怪我をする。いわんや身体ごとぶつかり合うプロレスにおいてをや、である。
充分に休養を取って復帰して欲しいと、心から願う。
しかし諏訪魔、石川が欠場というエボルーションの非常事態を見て、これまた怪我で欠場していた岡田佑介が復帰を四日ほど早めて全日本に帰ってくる。
岡田は現役選手の中でいちばんキャリアが浅く、肉体的な条件ももっとも不利な選手かもしれない(これは顔が悪いという意味ではない)。しかしそれを補ってあまりある気迫の持ち主で、わたしは彼が大好きである。確か近藤修司だったか、岡田の熱血ぶりを見て、彼が最前線に躍り出てきたとき、全日本のジュニアは変わると預言した。まったく同感である。
だから彼が帰ってくるのはうれしいのだが……しかしくれぐれも無理はしないでもらいたい。無事これ名馬。馬場さんも欠場しない選手がいちばんだといっていた。
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