早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行
(p. 23-28)
範例
I
(a) He is all smiles.
(b) He is all nerves.
(a) 彼は實にニコニコしてゐる。
(b) 彼は實にビクビクしてゐる。
II
(a) He is all eagerness.
(b) He is all attention.
(a) 彼は一生懸命である。
(b) 彼は非常に注意して居る。
解説
All + Common Noun
All + Abstract Noun
の形は
|Common Noun.
Full of + |Abstract Noun.
Very, extremely + Adjective.
と解す可し、即ち
I
(a) He is all smiles.
= He is full of smiles.
= He is very smiling.
(b) He is all nerves.
= He is full of nerves.
= He is very nervous.
II
(a) He is all eagerness.
= He is full of eagerness.
= He is very eager.
(b) He is all attention.
= He is full of attention.
= He is very attentive.
參考
次の文中 full of (much, soft) は all に改むることを得。
He is full of much kindness and good; and 'tis my belief that we shall bring him to better things.
W. M. Thackeray
彼は中々親切な善い人ですから了簡を改めさせる事が出來ると思ひます。
She, who was ordinarily calm and most gentle, and full of smiles and soft attentions, flushed up when young Esmond so spoke to her, and rose from her chair.
W. M. Thackeray
平素は落着いて物靜かで、にこにこしてよく氣のつく女であつたが、エズモンドが斯う云ふと顔を眞赤にして、椅子から起ち上つた。
用例
I
1. Passe-partout was all eyes and ears.
Jules Verne
パスパツーは眼を?り耳を澄まし一生懸命注意して居た。
2. When I spoke to him kindly he was all smiles in a moment.
Miss Alice Bacon
私が彼に親切に話し掛けると彼はにこにこして喜んだ。
3. He, poor man, was all bows, and scrapes, and pretty speeches.
Mrs. Craik
可愛さうに彼は一生懸命御時義をしたり、足ずりしたり、御世辭を云つたりして居た。
4. I have often bought a much better man than either of you, all muscles and bones for ten guineas.
O. S. Marden
わたしはこれまでに僅か十ギニ出してお前さん達のどつちよりももっと立派な筋と骨ばかりと云ふ男を買つた事が幾度も有つた。
5. You were an ugly little wretch when you came to Castlewood -- you were all eyes, like a young crow.
W. M. Thackeray
お前がキヤッスルウッドへ來た時には見つともない餓鬼だつたよ、烏の子のやうに眼ばかりでね。
6. 'I have one,' said I, 'who is all spurs and moustaches, with never a thought beyond women and horses.'
C. Doyle
私は云つた「私の部下に鐙だらけ、髯だらけ、女と馬の外は何も考へて居ないと云ふ一人の男が有ります」。
7. I wished to make a brilliant reply, but I could think of nothing save Lasalle's phrase that I was all spurs and moustaches, so it ended in my saying nothing at all.
C. Doyle
私はうまい返辭をしようと思つたけれども鐙だらけ、髯だらけと云ふラサールの言の外は何も考へ得なかつた、それでとうとう何も云はずに終つて了つた。
8. A little month, or ere those shoes were old
With which she follow'd my poor father's body.
Like Niobe, all tears.
Shakespeare
たつた一と月…ニオベのやうに涙にそぼつて柩をば送らせらたれた其履もまだ古びぬに。
9. "What sort of fellow is this Moonlight?" I asked, all eyes and ears at the thought that my companion was a real police-officer.
「このムーンライトつてのはどんな奴かね?」私は其男が本當の刑事だらうと思つて一心に問うて見た。
10. One morning she went forth to pay her visits, all smiles, such as she thought captivating; she returned, all tears, such as she thought no less endearing.
Mrs. Inchbald
或朝、彼女は之なら可愛ゆからうとにこやかな笑顔を浮かべて訪問に出掛けて行き、それからまた、之も同じく可愛からうと今度は涙ぐんで歸つて來た。
II
11. But proceed -- I am all impatience.
E. A. Poe
併し先きを話して下さい、聞きたくてたまらぬから。
12. Her uncle and aunt were all amazement.
J. Austen
彼女の叔父も伯母も非常に驚いて居た。
13. "Mr. Darcy is all politeness," said Elizabeth, smiling.
J. Austen
「ダーシーさんは仲々丁寧ですよ」とエリザベスは笑ひ乍ら云つた。
14. Reggie saw that the little girl was all eagerness to warn her aunt.
W. L. Queux
レギーは少女が伯母に注意しようと一心になつて居ることを知つた。
15. All Castledene wondered with him -- indeed for some days the little town was all excitement.
M. Clay
キヤッスルデイーンの人は皆彼と共に訝かしんだ、實にキヤッスルデイーンは數日の間大騷ぎであつた。
16. Beatrice was all life and animation; her gay, sweet words charmed every one who heard them.
C. M. Braeme
ビヤトリスは實に生き生きして居て、其快活な可愛い聲は聞く人を皆喜ばせた。
17. Though they did not talk much, and had but few tastes alike, Margaret was all devotion, all attention to her child.
C. M. Braeme
二人は餘り話もせず、趣味を同じうすることも極少なかつたけれども、マーガレットは眞心こめて其子にかしづいて居た。
18. Curiosity and timidity fought a long battle in his heart; some times he was all virtue, sometimes all fire and daring.
R. L. Stevenson
好奇心と臆病とが胸の中で長い間、戰つて居た。或時は無闇に大人しくなつたり、或時はまた矢も楯も堪らぬと云ふほど夢中になつたりした。
19. "Are you ready to hear it?" "Quite. Please explain. I am all attention."
W. L. Queux
「話しませうか」「はあ、どうぞお話し下さい。よく聞きますから」。
20. The officers were all attention as Fritz, holding his father's hand, related his story.
N. N. R. V.
フリツツが父の手を握つて話をすると將校連は一生懸命聞いて居た。
22. He spoke in a curious, strained tone, and the man addressed noticed that his companions were all attention.
W. L. Queux
彼は妙なぎくぎくした調子で話した、而て相手の男は仲者の者が皆一生懸命注意してゐる事を知つた。
22. For, though elated by his rank, it did not render him supercilious; on the contrary, he was all attention to every body.
J. Austen
何故かと云へば彼は地位が高いから大きく構へては居たが人を眼下に見下すやうな事は無かつた。却て彼は誰に向つても至極丁寧であつた。
on the contrary 「之に反して」「却て」。
23. My wife had been for a long time all attention to his discourse; but was particularly struck with the latter part of it.
O. Goldsmith
妻は久しい間この問答を一心に聽いいて居たが其終りの方をきいて特に心を動かした。
24. They now seemed all repentance, and melting into tears came one after the other to bid me farewell.
O. Goldsmith
彼等は今本統に後悔したらしく、涙を流して交る交る私に暇を告げに來た。
melting into tears 涙を流して、one after the other 順々に。
25. "I am all astonishment. How long has she been such a favourite? -- and pray, when am I to wish you joy?"
J. Austen
「わたし本當に驚いたわ、何時からそんなに可愛がられて居るの? それから何時お喜びを申上げる事になりますか」。
26. Indeed, she seems in better spirits than I have ever known her; she has been to me all love, and tenderness, and comfort!
W. Irving
實に家内は私が之までに見た事の無いほど機嫌がよく、私をば實に愛して呉れ、優しくして呉れ、且つ慰めて呉れた。
27. The very difference in their characters produced a harmonious combination; he was of a romantic, and somewhat serious cast; she was all life and gladness.
W. Irving
性質が違つて居るから却てうまく調和が出來て居た、男は浪漫的で稍や眞面目な性質、女は實に生き生きとして且つ愉快げであつた。
Sunday, April 14, 2019
Friday, April 12, 2019
実際に読んで見なければわからない。
最近はなんにでも「評価」がつけられる。食べ物屋にも、病院にも、電気屋にも、本にも、ほとんどすべての商品や施設に評価がつけられる。そしてそれを見て、食べ物屋や病院や本を選ぶ人がいる。
わたしは本の評価に関しては唯我独尊、他人の意見を一切認めない。いい本かどうかは、自分で読んで判断する。もちろん自分の鑑賞眼、読解能力には自信を持っている。
わたしは文学史の教科書には出てこないような、マイナーな本を主に読むけれど、そういう本の中にも、なぜこれが無名のままなのかと驚くような名作が多々あるのである。わたしが今までに訳した本は、すべてそうした作品である。無名ではあるけれど、質においても着眼点においても注目すべき小説。わたしはそうした作品を発掘するのが楽しい。
そうした作品を見付けるたびに、世間の評判というのは案外に疎漏なものだ、と思うのである。
わたしは本の評価に関しては唯我独尊、他人の意見を一切認めない。いい本かどうかは、自分で読んで判断する。もちろん自分の鑑賞眼、読解能力には自信を持っている。
わたしは文学史の教科書には出てこないような、マイナーな本を主に読むけれど、そういう本の中にも、なぜこれが無名のままなのかと驚くような名作が多々あるのである。わたしが今までに訳した本は、すべてそうした作品である。無名ではあるけれど、質においても着眼点においても注目すべき小説。わたしはそうした作品を発掘するのが楽しい。
そうした作品を見付けるたびに、世間の評判というのは案外に疎漏なものだ、と思うのである。
Wednesday, April 10, 2019
ゼウスのドロップキック
四月九日に行われた全日本プロレス島根大会のビデオが、公式 YouTube チャンネルにあがっていたので見てみた。
四試合のダイジェストだが、最初にゼウスと宮原が戦い、ゼウスが勝った。ゼウスは最後まで体力が切れることなく闘いきり、身体の張りもすばらしい。調子があがっているのではないだろうか。
宮原は営業に於いても、リング上に於いても、その機動力がすごい。技のたたみかけはさすがである。彼は膝の攻撃を持っていて、この膝がすばやく動いてゼウスを針のように刺していた。あの鋭さ、早さ、たたみかけが宮原の真骨頂だ。
ゼウスは上体の力を誇示した技を多用するため、どうしても技と技とのあいだに時間がはさまる。そのかわり、一発一発の技のダメージは大きい。もっと膝を使った攻撃を身につければ、チャンスがつくれるのではないか、とわたしは思ってしまうけれど、しかしそれがゼウスのポリシー、あるいは個性というものだろうか。
しかし彼はひとつ、すごい足技を持っている。それがドロップキックだ。相手をロープに飛ばして、みずからは高く跳ね上がり、両足で帰ってきた相手を吹っ飛ばす。一試合に一回くらいしか出さないけれど、あれはなかなか見事だと思う。ゼウスの鍛え抜かれた全身が宙を舞うのだ。ほかの選手のドロップキックとはひと味ちがう感銘を与えてくれる。ボディビルダーというのは筋肉は盛りあがっているけれど、飛んだり跳ねたりという敏捷性に欠けるという印象がある。しかしゼウスのドロップキックはそんな既成概念を打ち破ってくれるのだ。ボディガーのあざやかなフロントキックと好一対をなす。
ほかの三試合も全部面白かった。とりわけレッドマンは楽しいレスラーで、好感を持った。この人の試合はもっと見たい。
四試合のダイジェストだが、最初にゼウスと宮原が戦い、ゼウスが勝った。ゼウスは最後まで体力が切れることなく闘いきり、身体の張りもすばらしい。調子があがっているのではないだろうか。
宮原は営業に於いても、リング上に於いても、その機動力がすごい。技のたたみかけはさすがである。彼は膝の攻撃を持っていて、この膝がすばやく動いてゼウスを針のように刺していた。あの鋭さ、早さ、たたみかけが宮原の真骨頂だ。
ゼウスは上体の力を誇示した技を多用するため、どうしても技と技とのあいだに時間がはさまる。そのかわり、一発一発の技のダメージは大きい。もっと膝を使った攻撃を身につければ、チャンスがつくれるのではないか、とわたしは思ってしまうけれど、しかしそれがゼウスのポリシー、あるいは個性というものだろうか。
しかし彼はひとつ、すごい足技を持っている。それがドロップキックだ。相手をロープに飛ばして、みずからは高く跳ね上がり、両足で帰ってきた相手を吹っ飛ばす。一試合に一回くらいしか出さないけれど、あれはなかなか見事だと思う。ゼウスの鍛え抜かれた全身が宙を舞うのだ。ほかの選手のドロップキックとはひと味ちがう感銘を与えてくれる。ボディビルダーというのは筋肉は盛りあがっているけれど、飛んだり跳ねたりという敏捷性に欠けるという印象がある。しかしゼウスのドロップキックはそんな既成概念を打ち破ってくれるのだ。ボディガーのあざやかなフロントキックと好一対をなす。
ほかの三試合も全部面白かった。とりわけレッドマンは楽しいレスラーで、好感を持った。この人の試合はもっと見たい。
Monday, April 8, 2019
著作権に気をつけろ
もう何回か書いたけれど、アメリカでは二十年ぶりに今年から新しい作品がパブリックドメイン入りすることになった。今日もふとプロジェクト・グーテンバーグのカタログを見ていたらアガサ・クリスチーの「ゴルフ場殺人事件」が入っていて思わずにこにこ顔になった。この作品は一九二三年に発行されたものなのだ。
ちょっとだけ説明すると、アメリカと日本ではパブリックドメイン入りする作品の条件がちがう。日本では作者の死後五十年(もうすぐ七十年に法律が改変されるだろう)が経過した作品はパブリックドメイン入りするが、アメリカでは出版年が問題となる。今年でいうと一九二三年か、それ以前に出版された本はパブリックドメイン入りしたと考えられる。来年は一九二四年に出版された本が付け加わる。作者が誰かと言うことは関係ない。出版年で決まるのである。
アガサ・クリスチーの「ゴルフ場殺人事件」は既に言ったように二三年の出版だから、今年はパブリックドメイン入りをした。しかしこれはアメリカの話であって、日本ではこの作品はパブリックドメインに入ってはいない。クリスチーが亡くなったのは一九七六年だから、二〇二七年になってはじめて日本ではパブリックドメイン入りすることになる。(もちろん著作権の保護期間が七十年に改変されれば、二〇四七年にパブリックドメイン入りすることになる)ここを気をつけて欲しい。「ゴルフ場殺人事件」はネット上では自由に読めるようだけれど、じつは日本にいる人がダウンロードしたりすることはできないのである。
こういう作品はたくさんあるから気をつけなければならない。とくにこれからは気をつけなければならない。なぜかというと日本では著作権法が改正され、パブリックドメインでない作品をダウンロードした場合は処罰される可能性が出て来たからだ。(漫画作家たちが大勢懸念の声をあげ、新しい法案は一時的に取り下げされたようだが、いつまた同じ内容の法案が提出されるかわからない)
プロジェクト・グーテンバーグが所蔵する作品の最後には、ファイル使用に際しての法律的注意が長々と示されているが、英語が出来る方は、あれを一度チェックしておくのがいいだろう。
ちょっとだけ説明すると、アメリカと日本ではパブリックドメイン入りする作品の条件がちがう。日本では作者の死後五十年(もうすぐ七十年に法律が改変されるだろう)が経過した作品はパブリックドメイン入りするが、アメリカでは出版年が問題となる。今年でいうと一九二三年か、それ以前に出版された本はパブリックドメイン入りしたと考えられる。来年は一九二四年に出版された本が付け加わる。作者が誰かと言うことは関係ない。出版年で決まるのである。
アガサ・クリスチーの「ゴルフ場殺人事件」は既に言ったように二三年の出版だから、今年はパブリックドメイン入りをした。しかしこれはアメリカの話であって、日本ではこの作品はパブリックドメインに入ってはいない。クリスチーが亡くなったのは一九七六年だから、二〇二七年になってはじめて日本ではパブリックドメイン入りすることになる。(もちろん著作権の保護期間が七十年に改変されれば、二〇四七年にパブリックドメイン入りすることになる)ここを気をつけて欲しい。「ゴルフ場殺人事件」はネット上では自由に読めるようだけれど、じつは日本にいる人がダウンロードしたりすることはできないのである。
こういう作品はたくさんあるから気をつけなければならない。とくにこれからは気をつけなければならない。なぜかというと日本では著作権法が改正され、パブリックドメインでない作品をダウンロードした場合は処罰される可能性が出て来たからだ。(漫画作家たちが大勢懸念の声をあげ、新しい法案は一時的に取り下げされたようだが、いつまた同じ内容の法案が提出されるかわからない)
プロジェクト・グーテンバーグが所蔵する作品の最後には、ファイル使用に際しての法律的注意が長々と示されているが、英語が出来る方は、あれを一度チェックしておくのがいいだろう。
Saturday, April 6, 2019
COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS
早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行
(p. 21-23)
範例
But when all is said, he is the greatest statesman of the age.
But When all is said and done, he is the greatest statesman of the age.
But after all said and done, he is the greatest statesman of the age.
併し要するに彼は現代第一流の政治家だ。
解説
When all is said
When all is said and done
After all said and done
= When everything is explained
= After all
何のかのと云つた所で
何と云つても
煎じ詰むれば
歸する所
要するに
結局
用例
1. But when all is said, he was not the man to lead armaments of war, or direct the councils of a State.
R. L. Stevenson
併し要するに彼は艦隊を指揮し、國政を左右する底の人物ではない。
2. And, when all is said, it is no great contention, since, by her own avowal, she began to love me on the morrow.
R. L. Stevenson
要するにそれは大きな事では無かつた、と云ふのは、彼の女は自ら誓つて其翌朝から私を愛しはじめたからである。
3. And when all was said and done I did not like this tale of the presence of Hendrika with countless hosts of baboons.
H. R. Haggard
詰る所、私はヘンドリカが無數の狒々を連れて來たと云ふ話をば好まなかつたのである。
4. As I said to Mrs. Pennyfeather, young women may be very well in their way, but when all is said and done, they are not as nice as the old ones.
E. F. Fowler
私がペニフエザー夫人に申しました通り、若い婦人は若い女としては頗る善いでせう、併しさうした所で老婦人ほどよいと云ふ事は有りません。
in their way「彼等は彼等で」「若い女は若い女で」。
5. These would have been of great assistance at such times, in using the sweeps, as well as afterwards in fishing -- somehow, although we ran the risk ourselves, we had not the heart to let young ones get into danger -- for, after all said and done, it was horrible danger, and that is the truth.
E. A. Poe
これ等の奴等はこんな場合には櫂を使はせたり後では漁をさせたりして大變役には立つが、併し自分等は危險を冒しても若い奴等をあぶない所へやる氣はしない、と云ふのは、何のかのと云つた所で、中々どうして恐ろしい危險だから、そして之は本當の所だからだ。
ran the risk 危險を冒した
6. But a phrenologist is a hundred thousand times worse. His sole object is to discover that one's head is a mass of abnormal excrescenses -- all lumps, and bumps and humps. Oh! it's disgusting, dear -- positively disgusting! And when all is said and done, he doesn't pretend to tell more than one's character. Now, don't care a fig for my character.
H. C. Pemberton
併し骨相學者の方はそれよりはどの位いやなものだか知れやしない。骨相學者の目的つたら、人の頭が病的突起の塊だとか――やれ、痰瘤の力つ瘤のつて、そんな事ばかし捜し出すんだもの。おゝ、いやな事! さうしてそんなに大騷ぎした所で分るつて云ふのは人の性質丈だもの。所がわたしや、性質なんてもなあどうでもいいの。
don't care a fig 「少しも構はぬ」a fig は「少しも」なり、pin, rush, cent, button , rap 等もこの意味に用ひらる。
應用英文解釋法
東京英文週報社發行
(p. 21-23)
範例
But when all is said, he is the greatest statesman of the age.
But When all is said and done, he is the greatest statesman of the age.
But after all said and done, he is the greatest statesman of the age.
併し要するに彼は現代第一流の政治家だ。
解説
When all is said
When all is said and done
After all said and done
= When everything is explained
= After all
何のかのと云つた所で
何と云つても
煎じ詰むれば
歸する所
要するに
結局
用例
1. But when all is said, he was not the man to lead armaments of war, or direct the councils of a State.
R. L. Stevenson
併し要するに彼は艦隊を指揮し、國政を左右する底の人物ではない。
2. And, when all is said, it is no great contention, since, by her own avowal, she began to love me on the morrow.
R. L. Stevenson
要するにそれは大きな事では無かつた、と云ふのは、彼の女は自ら誓つて其翌朝から私を愛しはじめたからである。
3. And when all was said and done I did not like this tale of the presence of Hendrika with countless hosts of baboons.
H. R. Haggard
詰る所、私はヘンドリカが無數の狒々を連れて來たと云ふ話をば好まなかつたのである。
4. As I said to Mrs. Pennyfeather, young women may be very well in their way, but when all is said and done, they are not as nice as the old ones.
E. F. Fowler
私がペニフエザー夫人に申しました通り、若い婦人は若い女としては頗る善いでせう、併しさうした所で老婦人ほどよいと云ふ事は有りません。
in their way「彼等は彼等で」「若い女は若い女で」。
5. These would have been of great assistance at such times, in using the sweeps, as well as afterwards in fishing -- somehow, although we ran the risk ourselves, we had not the heart to let young ones get into danger -- for, after all said and done, it was horrible danger, and that is the truth.
E. A. Poe
これ等の奴等はこんな場合には櫂を使はせたり後では漁をさせたりして大變役には立つが、併し自分等は危險を冒しても若い奴等をあぶない所へやる氣はしない、と云ふのは、何のかのと云つた所で、中々どうして恐ろしい危險だから、そして之は本當の所だからだ。
ran the risk 危險を冒した
6. But a phrenologist is a hundred thousand times worse. His sole object is to discover that one's head is a mass of abnormal excrescenses -- all lumps, and bumps and humps. Oh! it's disgusting, dear -- positively disgusting! And when all is said and done, he doesn't pretend to tell more than one's character. Now, don't care a fig for my character.
H. C. Pemberton
併し骨相學者の方はそれよりはどの位いやなものだか知れやしない。骨相學者の目的つたら、人の頭が病的突起の塊だとか――やれ、痰瘤の力つ瘤のつて、そんな事ばかし捜し出すんだもの。おゝ、いやな事! さうしてそんなに大騷ぎした所で分るつて云ふのは人の性質丈だもの。所がわたしや、性質なんてもなあどうでもいいの。
don't care a fig 「少しも構はぬ」a fig は「少しも」なり、pin, rush, cent, button , rap 等もこの意味に用ひらる。
Friday, April 5, 2019
「量子力学の謎 物理学が意識と出会う」
ブルース・ローゼンブルムとフレッド・クットナーという物理学者が量子力学と意識の関係について素人向けに書いた本である。翻訳が出ているのかどうか知らないが、良書ではあると思う。わたしはいつも思うのだが、アメリカで出されるこうした「入門書」は質の高いものが多い。日本人の専門家が書いた入門書はつまらないこと砂を噛むが如しだが、アメリカで出される本は論点も明快だし、読んで興味深い。
量子力学が意識の問題にぶつかっていることは、もう大方の知るところだろう。観察することが観察対象のふるまいに影響を与えるだけでなく、観察対象を創り出す、そんな奇怪な現象に量子力学はぶつかっている。観察・意識とはなんなのか。彼らが疑問に思うのも当然である。
わたしはこの本を読みながらたえずテキストの問題を考えつづけた。量子力学と文学のあいだに妙なアナロジーを見出したからである。量子力学ではいま言ったように、観察者が観察結果に影響を与える。つまり観察者と観察の対象のあいだには、なんらかのインターアクションが存在していると考えられる。観察者は観察対象とはまったく別の超越的なレベルに位置しているのではないのである。これはテキストの問題においては、メタ言語は存在しないと言い替えられる。
このようなアナロジーはどこまで成立するのだろう、というのが、わたしが読みながらつねに考えていたことだ。量子力学で言う「重ね合わせ」とか「確率」というものはテキストの問題においてはどのように置き換えることができるか。結論はでないけれども、そういう思考をうながす本書は、意外なくらい刺激的だった。
ただし作者たちが量子力学の実験や理論について語っているところはよいのだが、最後のほうに入って「意識」について論じ出すと、ひどい。彼らに哲学や文学などの知識を要求するのはむりというものだが、しかしもしも量子力学者がこんなレベルで議論をしているなら、「謎」が解明されるのははるか先にならざるをえないだろう。ヴィットゲンシュタインの言葉の解釈も間違っているし、超越的な位置に関するマルクスやハイデガーやラカンやデリダらの議論も知らないようなのだから。誰かルネサンス的な人間、ガリレオ的な人間があらわれて知を統合しなければならないだろう。
量子力学が意識の問題にぶつかっていることは、もう大方の知るところだろう。観察することが観察対象のふるまいに影響を与えるだけでなく、観察対象を創り出す、そんな奇怪な現象に量子力学はぶつかっている。観察・意識とはなんなのか。彼らが疑問に思うのも当然である。
わたしはこの本を読みながらたえずテキストの問題を考えつづけた。量子力学と文学のあいだに妙なアナロジーを見出したからである。量子力学ではいま言ったように、観察者が観察結果に影響を与える。つまり観察者と観察の対象のあいだには、なんらかのインターアクションが存在していると考えられる。観察者は観察対象とはまったく別の超越的なレベルに位置しているのではないのである。これはテキストの問題においては、メタ言語は存在しないと言い替えられる。
このようなアナロジーはどこまで成立するのだろう、というのが、わたしが読みながらつねに考えていたことだ。量子力学で言う「重ね合わせ」とか「確率」というものはテキストの問題においてはどのように置き換えることができるか。結論はでないけれども、そういう思考をうながす本書は、意外なくらい刺激的だった。
ただし作者たちが量子力学の実験や理論について語っているところはよいのだが、最後のほうに入って「意識」について論じ出すと、ひどい。彼らに哲学や文学などの知識を要求するのはむりというものだが、しかしもしも量子力学者がこんなレベルで議論をしているなら、「謎」が解明されるのははるか先にならざるをえないだろう。ヴィットゲンシュタインの言葉の解釈も間違っているし、超越的な位置に関するマルクスやハイデガーやラカンやデリダらの議論も知らないようなのだから。誰かルネサンス的な人間、ガリレオ的な人間があらわれて知を統合しなければならないだろう。
Tuesday, April 2, 2019
ファンフィクションと著作権
フランシス・スパッフォードという作家がナルニア国の番外編を書いたそうだ。「石のテーブル」というタイトルで、「魔法使いの甥」と「ライオンと魔女と衣装箪笥」の間に起きた出来事を物語化しているという。出版されてないので当然わたしは読んだことがないが、スパッフォードは実力のある作家で、作品を読んだ関係者(作家や批評家や友人)はみんなすばらしいと言っている。現役作家がナルニア国のファンフィクションを書いた、と考えればいいだろう。
しかしC.S.ルイスの作品は著作権が存続している。だから「石のテーブル」は著作権を持つルイスの子孫が同意しないならば、2034年まで出版ができない。
もともとこの問題はファンフィクションにつきまとっていた。大好きな作家の創り出した世界を借りて多くの人が独自の想像をふくらませてファンフィクションを書いてきたのだが、オリジナルを書いた作者のほうは、まあ、剽窃行為が行われていることは知っていたが、目をつぶってきたのである。そのほとんどがアマチュアによる凡庸な作品にすぎなかったし、その程度の楽しみに法的介入を試みるのはまさしく野暮というものだからだろう。
が、今回は事情が違う。書いた人は現役の作家であり、内容もずば抜けている(らしい)。こんな本が出たらナルニア・ファンはさっそく手にして読むだろう。当然著作権者は面白くない。「原作の魅力を勝手に利用して、金をもうけやがって」ということになる。
著作権の認めるところ、著作権者は「石のテーブル」を2034年まで出版させない権利を持つ。一方ではそれに対して強力な反論が展開されうるだろう。つまり、著作権者はあらたな文化の芽、知の拡散を妨げている、という反論である。「石のテーブル」によって原作に対する新しい考え方、新しい批評的視点が付け加わるかも知れない。オリジナルの世界がより豊かになるかも知れない。そうした文化的な進展を阻害する権利が、はたして著作権者にあるのか。
著作権の考え方が時代に即していないという声が世界中のあちこちで起きはじめているけれど、今後も問題は継続し、しかもより大きな問題となるような気がする。
しかしC.S.ルイスの作品は著作権が存続している。だから「石のテーブル」は著作権を持つルイスの子孫が同意しないならば、2034年まで出版ができない。
もともとこの問題はファンフィクションにつきまとっていた。大好きな作家の創り出した世界を借りて多くの人が独自の想像をふくらませてファンフィクションを書いてきたのだが、オリジナルを書いた作者のほうは、まあ、剽窃行為が行われていることは知っていたが、目をつぶってきたのである。そのほとんどがアマチュアによる凡庸な作品にすぎなかったし、その程度の楽しみに法的介入を試みるのはまさしく野暮というものだからだろう。
が、今回は事情が違う。書いた人は現役の作家であり、内容もずば抜けている(らしい)。こんな本が出たらナルニア・ファンはさっそく手にして読むだろう。当然著作権者は面白くない。「原作の魅力を勝手に利用して、金をもうけやがって」ということになる。
著作権の認めるところ、著作権者は「石のテーブル」を2034年まで出版させない権利を持つ。一方ではそれに対して強力な反論が展開されうるだろう。つまり、著作権者はあらたな文化の芽、知の拡散を妨げている、という反論である。「石のテーブル」によって原作に対する新しい考え方、新しい批評的視点が付け加わるかも知れない。オリジナルの世界がより豊かになるかも知れない。そうした文化的な進展を阻害する権利が、はたして著作権者にあるのか。
著作権の考え方が時代に即していないという声が世界中のあちこちで起きはじめているけれど、今後も問題は継続し、しかもより大きな問題となるような気がする。
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英語読解のヒント(184)
184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...
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アリソン・フラッドがガーディアン紙に「古本 文学的剽窃という薄暗い世界」というタイトルで記事を出していた。 最近ガーディアン紙上で盗作問題が連続して取り上げられたので、それをまとめたような内容になっている。それを読んで思ったことを書きつけておく。 わたしは学術論文でもないかぎり、...
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ウィリアム・スローン(William Sloane)は1906年に生まれ、74年に亡くなるまで編集者として活躍したが、実は30年代に二冊だけ小説も書いている。これが非常に出来のよい作品で、なぜ日本語の訳が出ていないのか、不思議なくらいである。 一冊は37年に出た「夜を歩いて」...
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アニー・ヘインズは1865年に生まれ、十冊ほどミステリを書き残して1929年に亡くなった。本作は1928年に発表されたもの。彼女はファーニヴァル警部のシリーズとストッダード警部のシリーズを書いているが、本作は後者の第一作にあたる。 筋は非常に単純だ。バスティドという医者が書斎で銃...