Monday, November 18, 2019

パトリシア・ウェントワース「ウィリアム・スミス事件」(1948)

ウィリアム・スミスは1942年にドイツの収容所から解放された。しかし解放されたとき、彼はそのとき以前の記憶を完全になくしてしまっていた。自分の認識票には「ウィリアム・スミス」の名が記されているが、それが本名かどうかもわからない。

イギリスに帰って名前を手がかりに自分の過去を探ろうとしても成果は上がらなかった。彼はおもちゃ屋で動物のおもちゃをつくって生計を立てる。まじめに働き、新しいおもちゃを作り出す才能もあるので、彼はおもちゃ屋の主人から信頼され、さらに彼の遺産まで受け継ぐことになる。

さらにおもちゃ屋にきた新しい助手、美しい女性と恋に落ちる。二人は結婚し、「ウィリアム・スミス」は新たな人生を歩み出すかのように思われた。

ところが、まず彼の記憶がちょっとずつ戻り始める。それと同時に彼は命を狙われるようになる。過去を失った彼には殺されなければならない理由がまったくわからない。彼が記憶を取り戻すと、都合の悪い人がいるのだろうか。それだけではない、彼が結婚した女性というのが、なんと……

これが小説の前半の山場となる。

ミステリと記憶喪失は切っても切れない縁がある。とりわけノワールの部門では記憶をめぐって名作がいくつか書かれている。映画の「ブレードランナー」もこのテーマの変形版といえるだろう。「ウィリアム・スミス事件」にノワールの風味が付け加わっているのは、記憶をテーマにしているせいである。

しかし残念ながらこの作品が記憶というテーマに新しい光を当てているかというと、そうではない。ウェントワースがつまらないのは、人間の存在を脅かすどんな要素も結局ある種の秩序内に回収されてしまう点である。事件は調和のとれた世界に偶然生じた乱れであって、それはミス・シルバーという探偵役の老婦人によってただされるだけなのだ。

ミス・シルバーがあらわす調和とか正義とか秩序とはいったいなにか。それは彼女が編み物をしている客間に如実に示されている。ヴィクトリア朝風の家具と飾り付けをした部屋、そこにくる刑事が安全や安らぎを感じる部屋だ。つまりヴィクトリア朝風の、前時代的な調和であり、正義であり、秩序なのである。ネタバレは避けたいと思うので、やや曖昧な書き方をするが、本書においては華族はその無能さにもかかわらず「被害者」であり、ヴィクトリア朝時代に経済的実力をつけ華族を没落させていった中産階級の人間にすべての罪が背負わされている。彼らの死によって調和、すなわち華族たちにとって都合のよい調和が回復されるのである。

わたしは女流作家によるミステリやスリラーを好むが、ウェントワースは凡庸な作家だと思う。

Sunday, November 17, 2019

全日本プロレス那須大会

久しぶりに全日本プロレスの公式ページに新しい試合のダイジェストビデオがアップロードされた。那須大会のビデオには Kai・Tajiri 組とジェイク・野村組の試合が最初に出ていた。ジェイクと野村が勝ったが、両者とも身体が厚みを増してきた。野村は一時増量していたのか、腹が出ていたが、今はすっきりひきしまって、あれなら動きやすいだろう。試合の途中でジェイクが Tajiri を後ろから羽交い締めにし、そこに野村がスピアを食らわせる場面があった。そのとき後ろで Tajiri を押さえていたジェイクまで吹っ飛んだが、あれは演技じゃなく、本当に野村の勢いに飛ばされたのだろう。試合後のインタビューでもジェイクは野村の力強さを称えていたが、確かに彼は頼もしい選手になってきた。観客に熱烈な野村ファンの女性が何人かいたようで、盛んに声援を飛ばしていたのが印象的だった。野村もあれでは負けられまい。

二つ目の試合は関本・ボディガー組とパロウ・オディンソン組の一戦。いや、パロウもオディンソンもでかいこと、でかいこと。関本やボディガーよりも大きく見える。体格的に劣るチームにとっては警戒すべき相手だろう。最後は、パロウに抱え上げられたボディガーの背中にオディンソンが飛びついてマットの上に落とすという、素人目にはかなり危険な技でスリーカウントを取っていた。あんな巨体から繰り出される技は、どんなものであっても危険だろうと思うが、とにかく仕掛ける方も受ける方も怪我のないようにお願いしたい。

最後の試合は六人タッグマッチで、メンソーレが佐藤を丸め込んで勝っていた。試合自体はどうということはなかったけれど、試合後のインタビューでゼウスが発した言葉が傑作だった。さすが大阪人、しっかり笑いの壺は心得ている。

Friday, November 15, 2019

マージェリー・ローレンス「暗闇の花嫁」(1967)

ローレンスは1889年英国のウルバーハンプトンに生まれ、1969年に亡くなった。スピリチュアリズムやオカルト関連の作品を多数残している。「暗闇の花嫁」は魔女を扱った小説だ。裕福な骨董商の息子がイタリア人の美女と結婚してみたら魔女だったという話である。この魔女は魔術を使って人を殺し、貪欲に金儲けをしようとする。骨董商の息子もいい金づるだから結婚したのである。そして彼の父親も生まれたばかりの息子も彼女に命を狙われる。

一応彼女は魔女と称されているが、なんだか吸血鬼のようなところもある。彼女は自分が産んだ子供から生命力を吸い取るらしいのだ。この特徴はフローレンス・マリアットの「吸血鬼の血」とよく似ている。ハリエット・ブラントは吸血鬼だが、血を吸うのではなく、そばにいる人々から生気を吸い取り、その結果まわりの人が病気になり死んでいくのである。

読んでいて、吸血鬼の特徴と金への欲望の結びつきが、わたしは気になった。「暗闇の花嫁」でも「吸血鬼の血」でも、魔女あるいは吸血鬼とされる女性は強欲資本主義と強い結びつきを持っている。ヴィクトリア朝に入ってイギリスでは本格的な資本主義、容赦のない搾取が開始されたが、そのような強欲さが過去の亡霊(魔女、吸血鬼)、しかも外国から来た亡霊(本作の魔女はイタリア人、ハリエットはジャマイカで生まれた)によって表現されているようなのだ。

しかし本格的な資本主義がはじまったのはイギリスの帝国主義の進展の結果であって、外国の影響ではない。つまり魔女や吸血鬼で表されている悪は、イギリスの外からやってきたように描かれているけれど、本質的にはその悪は内的なものであるはずだ。

マージェリー・ローレンスのほかの作品を探したが、Internet Archive には「暗闇の花嫁」しかないようだ。Hathi Trust のサイトには「七つの月のマドンナ」という作品がある。ロマンスだろうか。彼女の文章の平明さが気に入ったので、読んでみようと思う。

Thursday, November 14, 2019

世界最強タッグ決定戦

全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグがはじまった。

ディラン・ジェイムズが怪我のため秋山準がジョー・ドーリングと組むらしい。秋山は戦いの前線に出ていくだけの実力をまだ保持していると思うが、しかし普段は前座に回っている彼が駆り出されねばならないというところに全日本の選手層の薄さがあらわれている。その点は気になるけれど、それでも秋山とジョーがどんな連携を見せ、秋山がどれだけ若手を相手に戦えるかは、興味津々である。是非、体調を万全にしてはなばなしく動き回ってもらいたい。

関本大介・ボディガー組は十一月十四日の時点ですでにゼロ勝三敗。大日本のタッグチャンピオンが今のところ意外な成績に終わっている。試合を見ていないので惜しい負け方をしたのか惨敗だったのかわからないが、これから巻き返しを狙って欲しい。ボディガーは秋山よりも年が上だが、それだけにわたしは応援している。

ヨシタツとジョエル・レッドマンの組み合わせも面白い。わたしはどちらにもおとなしい選手という印象を持っている。レッドマンは紳士で、レスリングの実力は本格的だが、荒々しい感じはしない。ヨシタツも(幻想貨幣という詐欺師じみた側面はさておいて)世界を飛び回ってベルトを取ってきたり、実力は折り紙付きだが、全日本のシングルのベルトを取るにはいまひとつ役不足の感がある。しかしそんな二人が合体することで、奇妙な科学変化が起き、彼らは新たな側面、新たな力強さを見せ始めるのだろうか。そこにわたしは注目している。Kai と Tajiri がお互いにないものを補い合っているように、また文学においては共作がすばらしい結果を生み出すことがあるように、組み合わせがよければ、普段の能力以上の能力が引き出されるものだ。

Monday, November 11, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 65-66)

範例
Ethan Allen was as honest as he was brave.
イーサン・アレンは勇敢|なると同樣に|正直なりき。
           |に且つ   |

解説
As......as(と同じく)は二つのものを比較し、其性質程度等の同一なるを示すものなり。即ち上掲の文は Complex Sentence にして Conjunction の as は
  (a) Ethan Allen was (as) honest
    (b) he was brave
の二つの Clause を接續して honest(正直)なると brave(勇敢)なるとの同程度なるを示すものなり。初の as は Adverb なり。

用例
1.  This is just as necessary by night as by day.
    N. N. R. IV
    之は晝と同じく夜も必要であつた。
2.  He was also as kind and generous as he was brave.
    P. Parley
    彼はまた勇敢なると同樣に親切で寛大であつた。
3.  Monday was as lovely a day as heart could wish.
    N. N. R. IV.
    月曜日は望み通りに好天氣で有つた。
4.  The women drink to almost as great an extent as the men.
    Max O'Rell
    女も男と殆ど同樣に澤山に酒を飲む。
5.  Colonel Washington was as good at strategem as he was brave.
    G. P. Quackenbon
    ウヲシントン大佐は勇武なると同じく謀に長じて居た。
6.  The water was bright and clear, and deemed as  precious as liquid diamond.
    N. Hawthorne
    其水は金剛石を溶かしたやうに清らかに、また、其のやうに貴いものと思はれて居た。
7.  But the king went to his death with as firm a step as when he went to his coronation.
    P. Parley
    併し王は戴冠式に臨んだ時と同樣毅然たる歩みを以て死に就いた。
8.  The spirit of caste is found as keenly at work among the humblest as among the highest ranks.
    S. Smiles
    階級の精神は最上層の社会に於けると同樣に鋭く最下層の社会にも働いて居る。
9.  The sun, as round and red as an August moon, was by this time peering above the waterline.
    T. B. Aldrich
    秋の月のやうに團圓にして紅い月が此時水平線の上に現はれて來た。

Sunday, November 3, 2019

「牧羊神」(1936)ダイアン・フォーチュン作

神秘主義が好きな人ならダイアン・フォーチュンの名を知っているだろう。カバラとかオカルト関係の本をいくつも出している。しかし彼女は小説を書くのもうまい。もちろん内容はオカルト的なものだが、その語り口には優秀なストーリーテラーの雄弁さ、止めようとしても止まらない物語への衝迫がある。彼女は V. M. Steele というペンネームでスリラーも何作か書いている。神秘学の考え方を広めるために小説を書いたのではなく、彼女はわくわくどきどきする物語をつくるのが好きだったのではないか。わたしはこういう作家が好きである。

物語は金持ちだがとくに情熱も特徴もないヒューという男をめぐって展開する。彼は交通事故で妻をなくす。死因審問が行われ、そこで妻がヒューの親友と浮気をしていたことが判明する。ヒューは妻の死より、裏切られていたことにはじめて気づいて呆然とし、家を出て夜の街をさまよう。

彼はふとしたきっかけから、古本屋に寝泊りするようになる。そこでユイスマンなどを読んだ彼は、悪魔学に興味を持ち、パンの神(牧羊神)を実際に呼び出してみようと考える。ひどいショックを受けたとき、人生を転換するために人はそれまでまともに取り合わなかったようなことに首を突っ込んだりするものだが、ヒューの場合もそれに当たるだろう。彼は悪魔的な儀式をするなら、そのための舞台が必要であろうと、霊気の強い地域に建つ、古い修道院を買い上げる。

この修道院の歴史を調べると、かつてそこにはアンブロジアムという僧侶がいたらしい。彼は異端的な考え方をしたが故に、懲罰を受けたということだった。

物語はここからオカルト的になる。ヒューがこのアンブロジアムという僧侶の霊に取り憑かれるようになるのだ。いつもは気の弱い、お金持ちのおぼっちゃんが大きくなっただけのような彼が、アンブロジアムに取り憑かれたときは、威厳のある、反対を許さない、きびしい人間になる。

ヒューは古本屋の主人の姪、モナの力を借りて、この霊と対決しようとする。

オカルトやら通俗的精神分析やら神話やら、いろいろなものが詰め込まれていて、この手の話が好きな人にはたまらない本だろう。たんに怪奇を語るのではなく、人間関係をしっかり描き込んで、なかなか重量感のある小説に仕上がっている。決してホラー小説ではない。スピリチュアリズムを真っ向から扱った、一種の思想小説である。フロイト理解があまりにも浅薄すぎるけれど、まあ、これは仕方がない。

Friday, November 1, 2019

「聖ペテロの雪」

レオ・ペルッツの作品 Sanct Petri-Schnee は1933年に出版されたが、人間の感情は化学物質の作用であるという認識はまったく今風で、驚くほど古びた感じがしない。

表題の聖ペテロの雪とは、麦にとりつくカビの一種で、これに含まれるある物質が人々のあいだに宗教的熱狂を生むという設定である。西欧の歴史には十字軍とか魔女裁判とかいろいろな熱狂現象が見られるけれど、それとこのカビの発生がシンクロナイズしているというのだ。

これを利用してある科学者が、村人たちをキリスト教に帰依させようとするのだが、事態は意外な方向に進んでしまう。

これはミステリのように読めるので、筋の紹介はこれ以上はしない。しかし夢と現実、狂気と正気、物質と精神といったさまざまな二項対立がなし崩しになり、その区別の複雑微妙さに眼を向けさせる、なかなか面白い本だった。薬物使用、現実と虚構のあわい境目、などと書くと、フィリップ・K・ディックを思い出すが、実際、ちょっと似たところがあるようだ。

ただ一つ不満を言うと、作者は信仰について非常に単純な見方をしている。作中に「なぜ人々は神を信仰しなくなったのか」という表題の本が登場するが、作者は以前は人間は信仰を持っていたが、今、啓蒙された人間は神を信じなくなったと考えているようだ。それは違う。信仰は不可思議な形で継続している。それを見事に作品化したのがマリー・コレーリの「悪魔の悲しみ」だ。それによると資本主義社会に於ける信仰は、他者へ転移される、シニカルな信仰なのである。この考え方はスラヴォイ・ジジェクが唱えるイデオロギー論の核心にぴったり合致している。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...