Friday, March 13, 2020

驚き

言語学者のソシュール、経済学者のマルクス。わたしはどちらも大好きだ。なぜならソシュールはいつも言語に対して驚き、マルクスは貨幣の謎に魅了されていたから。彼らが残した書き物(ソシュールの場合は彼の学生が書き残した講義録)を読むとそれがよくわかる。

ソシュールは変化する言語のとらえどころのなさについて「人間が使うものなのに、人間とは違うべつの生き物みたいだ」と云っていた。彼はそのことをいろいろな箇所で、言葉遣いを変えながら繰り返し述べている。そしてその不可解な言語について思考するなかで、決定的に重要な認識をわれわれにもたらしてくれたのである。

彼は年老いてから頭がおかしくなり、アナグラムにこり出したなどと考えられているけれど、わたしは断然違うと考える。彼はあいかわらず言語の不可解さに取り憑かれていた。だから奇怪な研究にのめり込んだのだ。

マルクスは経済の仕組みを理解し尽くした地点から「資本論」を書いているわけではない。どんなに考えても謎だから書いたのだ。

「一つの商品は、見たばかりでは自明的な平凡な物であるように見える。これを分析してみると、商品はきわめて気むずかしい物であって、形而上学的小理屈と神学的偏屈にみちたものであることがわかる」

「商品世界のの中における貨幣の存在は、動物世界の中でライオンやトラやウサギやその他全ての現実の動物たちと相並んで「動物」なるものが闊歩しているように奇妙なものだ」

ところが後代の研究者たちはなぜかソシュールやマルクスの大本にある驚きを消し去ってしまおうとする。わたしはそれが不満でならない。言語も貨幣も文学作品も、こんなに不可解なものはないだろうに。

Wednesday, March 11, 2020

「キング・ジョー・ケイ」ケネス・ローブソン(1945)

久しぶりに読むドック・サヴェッジものである。

世界中に隠然たる勢力を誇る、とある女陰謀家から依頼を受け、ドック・サヴェッジは、これまた陰謀家であるイトルという男の秘密の計画に手を貸すこととなる。この計画がいかなるものかは、物語の進行とともに明らかになる。読者はなにが起きているのかを、読み進むうちに知るわけだ。(ほとんど最後の部分にいたってようやく全貌が判明する)

物語の背景が最初に確立され、それから事件が起きるという書き方ではなく、物語の軸あるいは方向性が与えられることなく事件が進展していく。いわば読者は上下左右の区別がない、無重力空間に放り出されたまま事件の展開を見守らなければならない。こういう書き方は、ジャンル小説においては、だいたい1940年代に現れだした。善悪の区別が判然としないノワールの出現とほぼ軌を一にしている。

「キング・ジョー・ケイ」におけるこの物語形式は、じつは内容を反映している。ネタバレになるけれども、要するに、世界中の航空会社が空の覇権を握ろうと勢力争いをしているのである。この勢力争いがイトルという男の秘密の計画に関係しているのだ。ギャングの場合だろうと航空会社の場合だろうと、勢力争いというのは意味付けの軸を定める争いの謂いである。意味付けの軸が確立する前の混乱した状況、それが物語の形式にもあらわれているのだ。

人によっては本作をドック・サヴェッジものの最高傑作と呼んでいる。確かにアクションと謎がうまい具合に折り合わされ、退屈する暇がない。(いったいドック・サヴェッジはいつ寝ているのだろうか?)

しかしわたしはこの作品をあまり評価しない。なぜならドック・サヴェッジも航空会社のオーナーであって、この物語は結局のところ、彼がライバル会社の悪だくみを暴くというものでしかないからである。ドック・サヴェッジの冒険は、自社の権益を守るためのものでしかない。しかも彼は弱肉強食、生き馬の目を抜くこの業界の中で「ホワイト・ナイト」と呼ばれているという。なんだろう、この言い方は。資本主義において「ホワイト・ナイト」など存在するのだろうか。パルプ小説であってもこの認識の浅さにはあきれ返る。

Tuesday, March 10, 2020

プロレス雑感

Wrestle-1 が活動を停止するというニュースは衝撃的だった。Wrestle-1 は全日本から分裂してできた団体で、常態的に赤字がつづき、オーナーによる補填ももう無理ということで三月いっぱいで活動をやめることになったらしい。全日本に登場したことのある吉岡選手とか、イケメン選手、大森のタッグパートナーである征矢選手などはわたしも知っている。イケメン選手は国外に活躍の場を求めて出ていったが、吉岡とか征矢とかほかの選手はどうするのだろう。フリーになるか、他団体に流れて行かざるをえないだろうけど……。プロレス界としてもあぶれた選手達をうまく吸収してほしいものだ。

全日本の野村がチャンピオン・カーニバルを欠場することになった。怪我の治療に専念するためだ。ジェイクとのツーショットが全日本プロレスのホームページに出ていて、どこか寂しげな表情をしているのが印象に残った。もちろん焦りや不安が心の中で渦巻いているだろうけれど、怪我による長期欠場は誰もが経験すること。いまどきの観客は怪我を押して出場したって、そんな選手を誰もほめない。しっかり治療にはげんで、万全の体制でまた元気に動き回ってほしい。野村の朋友のジェイクだって長期欠場し、充分に治療とトレーニングを重ねて再出発した。

全日本プロレスで、あすなろ杯が二十年ぶりに復活する。参加選手は若手四名、大森、青柳、田村、ライジングHAYATO だ。HAYATO は愛媛プロレスの選手だが、一時的に全日本に「留学」に来ている。他団体の選手と云うことで青柳とか田村はライバル意識を燃やしているようだが、これはいいことである。見ている方も面白い。秋山が社長になってから全日本は外部からの刺激を上手に取り込むようになった。彼自身が一度全日本を出て、また戻ってきたという経歴を持っているからだろうか。あすなろ杯参加選手の中では大森とライジングHAYATO が頭一つ抜けているようだが、田村も身体ができてきたし、技も豊富になってきたので、ちょっと期待している。青柳は骨折でしばらく欠場していたが、あばれまくって存在感を見せて欲しい。

Saturday, March 7, 2020

パンデミック文学

コロナウイルスが発生して以来、カミュの「ペスト」が売れているのだそうだ。フランスだけではなく、日本でもそうらしい。

伝染病を扱った文学はかなりある。しかも(今、こんなことを云うのはいささか軽率かもしれないが)読んで面白いものが多い。ポーの短編「赤死病の仮面」はデカダンな味わいがたまらないし、デフォーの「ペスト」は記録文学として秀逸である。ボッカッチョの「デカメロン」、ヘッセの「ナルチスとゴルトムント」、マンゾーニの「許嫁」。いずれも傑作として知られている。また、あまり知られていないがメアリ・シェリーも「最後の人間」というSFみたいな本を書いている。

ジャンル小説、つまり大衆向けの作品に眼を向けるなら、この手の作品は数知れない。クライトンの「アンドロメダ病原体」、グレッグ・ベアの「ブラッド・ミュージック」。ウエルズの「宇宙戦争」ではウイルスがエイリアンをやっつけてくれた。ホラーの大家であるキングやクーンツ、ミステリ分野の大物ル・カレやP.D.ジェイムズにも伝染病を扱った本がある。医学スリラー専門のロビン・クックもたぶんパンデミックものをなにか書いているだろう。

パンデミック文学のよいところは面白いだけでなく、考えさせるところである。科学の意味とか、人間存在の意義とか、平時は自明視している社会という構造物について鋭く反省をうながされるのだ。カタストロフィの地点から日常をとらえ返すのは大切なことだ。マルクスは恐慌から資本主義の働きを考えたし、フロイトも精神異常から正常の意味を考え直した。作家はパンデミックを想像することで日常に反省を加える。名作が多いのも当然だろう。

コロナウイルス騒動のせいで図書館が閉まっているようだが、自宅にこもりがちな週末などには本屋でパンデミック文学を捜してきて読むのも一興だと思う。読書は案外ストレスの解消にもなる。

Friday, March 6, 2020

小さな出版社

大手の出版社、たとえばペンギンとかクノップとかから出る作品は、もちろん気になるし、ホームページを毎月一度はチェックする。しかしそれ以上に気になるのが小さな出版社、英語で independent press といわれるところである。こういうところはアグレッシブに過去の忘れられた作家や、海外の新人作家などを発掘しようとする。大手の出版社から出る本は、名声の確立した作家の、質的にも安定した作品がメインとなるが、小出版社は冒険的な作家の選び方をする。そこがたとえようもなくいいのだ。

本年度の国際ブッカー賞のロングリストが発表になったが、ノミネートされた十三作品のうち、九作品はインディー系の出版社から出た本だった。プーシキンとかオイローパとかチャーコ・プレスなどだ。昔は五つの大出版社から出た本ばかりがノミネートされていたが、今は小さな会社が気を吐いている。

しかも彼らは収益もあげているようだ。もちろん経営の苦しい会社もあるのだろうが、中産階級の白人だけでなく、もっと多様な人種的・社会的背景を持つ作者を紹介している小さな会社をいろいろ調べたら、売り上げが80%近くも伸びているという結果が出たそうだ。

欧米では昔から男性作家ばかりが注目されること、本の内容に文化的な多様性が欠けていること(たとえば中産階級の白人作家は大量にいるが、移民の視点から書かれた本は少ない、など)、こうしたことが何度も問題にされてきた。大手の出版社はどうしても保守的だが、インディー系の出版社はLGBTの動きを反映して本の選定をしたり、古い作家、マイナー作家にもスポットライトをあてようとする。大手の出版社がしようとしない、文化の裾野の拡大という役割を、彼らは引き受けているのである。

読書家もある程度すれっからしになると、忘れられた作家、外国の未知の作家、入手困難な珠玉の名品などを貪欲に探し出そうとするものだ。そうした人間にとって小出版社の動きは目が離せないのである。

Monday, March 2, 2020

基準独文和訳法

権田保之助著
有朋堂発行
「基準独文和訳法」より

問題3

Kultur ist die Erhebung des Menschen über den Naturzustand durch die Ausbildung und Betätigung seiner geistigen und sittlichen Kräfte. Sie entsteht durch das Zusammenwirken vieler innerhalb einer menschlichen Gesellschaft, die sich auch selbst wieder in Wechselwirkung mit der Kultur zu festeren und höheren Formen entwickelt.

研究事項
1)durch die Ausbildung und Betätigung seiner geistigen und sittlichen Kräfte の訳は?
2)vieler の意味、そして durch das Zusammenwirken vieler innerhalb einer menschlichen Gesellschaft の訳?
3)selbst はどの名詞の強力代名詞か?
4)sich zu etw entwickeln の訳し方?

解釈要項
1)durch die Ausbildung und Betätigung seiner geistigen und sittlichen Kräfte は「彼の精神的及び道徳的諸勢力の完成と活動とに依つて」であつて、「彼の精神的並びに道徳的諸勢力を完成せしめ働かしむることによって」と訳す。
2)vieler は「多数人の」といふ不定代名詞第二格である。これを「多くの場合には」とか、「他の社会よりもより多く」とか、「より多く発達する」とか、又は vielmehr (寧ろ)の意味に解するとかすると(これは甚だよく多くの学生が陥り易い誤だが)、全然意味を成さぬことゝなる。故にdurch das Zusammenwirken vieler innerhalb einer menschlichen Gesellschaft は「人間社会内部に於ける多数人の共働に依つて」と訳す。
3)selbst は関係代名詞 die が代表する eine menschliche Gesellschaft の強力代名詞である。
4)sich zu etw entwickeln は「或ものに発達させられる」である。――一体、再帰動詞は訳出に際して受動の形を用ゆるとピタリと適合する場合が随分あるものである。これを記憶して置いてほしい。

訳文
文化とは人間の精神的及び道徳的諸勢力を完成せしめ働かしむることによつて、人間が自然状態以上に高まることをいふ。それは人間社会内部に於ける多数人の共働によつて成立するものであるが、此の人間社会それ自身が亦更らに文化との交互作用によつて一層確実にして高い形式に発達させられる。

Sunday, March 1, 2020

数学と国語

数学は答があるからわかりやすい。でも国語は答が一つじゃないし、曖昧だから、わかりにくい。世間的にはそんな評価が蔓延している。

数学というのは無矛盾の体系を作ろうとする。すくなくとも二十世紀の初めまでは、そのようなものを作ろうとしていた。ところが数学を基礎づけるはずの集合論に決定的なパラドクスが発見され、ゲーデルが数学という試みの不完全性を証明してしまった。無矛盾の体系を作ろうとしても、そこには証明も反証も不可能な領域が存在してしまうことを「証明」してしまったのだ。本当は数学はそこまで勉強しなければならない。

証明も反証も不可能な領域。そう、数学にだって答は一つじゃない、曖昧な領域があるのだ。中学や高校ではそこまではいかないから数学は答がはっきりしている、などと思うのである。

文学(テキスト研究)は数学が自壊する地点をはじめから含んでいる。排中律の成立しない領域に於いて思考を展開しようとする。しかし排中律が成立しないからと云ってメチャクチャが展開されているわけではないのだ。ハムレットじゃないが、狂気の中にも一定の論理がある。その論理は案外数学的(トポロジカル)であったりするのだが。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...