Tuesday, July 14, 2020

もはや新人でなく

全日本プロレス七月十三日新木場大会はすばらしい興業だった。その立役者は大森北斗と田村男児の二人である。

彼らはメインイベントで「あすなろ杯」の決勝戦を戦い、大方の予想を裏切って、田村が大森を制した。うれしい優勝である。

大森は自分が勝つと確信していたようだが、それが隙を生んだのかも知れない。田村は弱点(身体の固さ)をカバーしながら戦いを進め、その分体力を温存できたのだろう、相手のジャーマンを喰らってもぎりぎりで返すことができた。最後はダンロックを決め、大森からギブアップを取った。

総じて田村が作戦勝ちをしたという印象だ。逆に言えば、大森は田村の弱点を攻めて体力を削らなかったことが敗因だと思う。

田村ははじめてのリーグ戦、はじめてのメインで勝利を収めることが出来、うれしいにちがいない。しかも先輩格の大森からもぎ取った勝利だ。序列に大変動が生じはじめた。

しかし試合では田村が燦然と光ったものの、試合後は大森がファンを驚かせてくれた。なんと Enfants Terribles 入りを表明したのだ。会場が騒然となったけれど、わたしもびっくり。しかし同時にこれは面白くなると直感した。大森の加入により、元レッスルワン勢が全日本プロレスのリングにしっかりした位置を占めることになる。これこそわれわれファンが待ち望んでいた動きではないか。全日本は外部の選手を巧みに取り込んで試合を盛り上げてきたが、今回の大森の決断もそうした全日本の一貫した戦略の一部だとみなすことができる。

今回の興行はジュニアヘビーの選手が大活躍し、楽しませてくれた。全日本の目玉がスーパーヘビーの選手だけではないことを証明してくれたのだ。それも次世代を担う若手選手が大きな動きをつくってくれた。コロナ騒動の中で久しぶりに明るい希望の光を見た。

Monday, July 13, 2020

あすなろ杯

全日本プロレスで若手選手四人による「あすなろ杯」が行われている。ずっと昔、小橋建太がこの「あすなろ杯」に出場していたのを見たことがあるが、あれから中止されていたのを今年になって復活させたらしい。

出場選手は大森北斗、青柳亮生、田村男児、ライジングHAYATOだ。総当たり形式で今のところ大森が青柳とHAYATOに勝ち、また田村が青柳、HAYATOに勝ち、トップ。青柳とHAYATO は共に二連敗である。最終戦では大森と田村、青柳とHAYATOが戦うことになる。

青柳は怪我のために長期間欠場していたが、それが田村との差になってあらわれたかもしれない。しかしこれは仕方がない。気を取り直して練習を重ねれば身体も大きくなるし、自力も増していく。あわてず根気よく遅れを取り戻してほしい。

大森は四人のなかでいちばん身体に厚みがあって優勝候補なのだが、田村の成長も著しい。明らかに去年より肉が付いて、使える技が増えた。しかも怪力ぶりを発揮しはじめた。ロープに飛んでのぶつかり合いで、ヘビー級のヨシタツをはじきとばす姿を見たときはびっくりした。ファイトクラブ五分一本勝負で大森と対戦したときも時間切れ引き分けに持ち込んでいる。試合後、田村はくたくたに疲れていたようだが、それでも大森に決着を付けさせなかったのはたいしたものだ。「あすなろ杯」は二十分一本勝負。大森は引き分けに終わった試合の反省をして作戦を練ってくるだろうから、田村はそれを上回る戦略を用意しなければならない。できるだけ寝技に持ち込まれないように工夫し、力で対抗するようにすれば勝機があるのじゃないだろうか。楽しみな一戦だ。

Saturday, July 11, 2020

哲学者ゼウス

いつだったか全日本プロレスのゼウスが試合後のインタビューですばらしい冗談をとばした。三対三の戦いで、おなじチームの中島(めんそーれ)が佐藤光留からスリーカウントをとった。中島はコミックなプロレスを目指していて、実力的には全日本でいちばん下かも知れない。それがトップ選手である佐藤からスリーカウントをとったのだから、大金星である。その翌日にはジュニアヘビー級をめぐるトーナメントが行われ、そこで中島と佐藤が再度対峙することになっていた。そんなときにゼウスがこんなコメントを発したのだ。

「今回はたまたま中島が勝ったけどな、次の試合も(つまり翌日のトーナメントの試合でも)たまたま勝つぞ」

強面のゼウスだが、大阪人だけあって「おもろい」ことも言う。しかしこれは「おもろい」だけではなく、考えてみると哲学的に「おもろい」意味を持っている。

「たまたま」起きる事象、つまり偶然が、次の機会にも、その次の機会にも生じるとしよう。それは「必然」になるだろうか。

さいころを転がして一の目がでる確率は六分の一だ。それが一億回転がしても一しかでなかったとしよう。そのとき一の目が出る確率は一となるだろうか。

ならない。世界中の人が二千年掛けてさいころを転がし続け、そのすべてにおいて一しか出なかったとしても、一の出る目は六分の一だ。「たまたま」という事象の性格は変わらない。

しかし無意識においては「たまたま」が必然として生じうる。偶然と必然は対立項ではなくなってしまう。ここにおいては必然的な「たまたま」が発生するのである。

無意識というのは、自分がまったく何も知らない知の領域を指すのではない。知っていることを知らない領域の謂いである。無意識の知に直面しそうになると、なぜか「たまたま」人はそこから目をそらしてしまう。そして結局無意識を知ることはないのである。無意識がその人の顔をのぞきこもうとすると、なぜかその人は「ふと」横を向いたり、はっとなにかを思い出し、後戻りしたりするのだ。そんなふうにして人は無意識を「偶然」にも避け続けるのである。偶然がシステマチックに反復される場所、偶然と必然の区別が判然とはつかない領域が無意識だ。もしも明暗、正邪、有無といった二項対立によって成立する世界がわれわれの通常の世界、存在論的世界だとすれば、それが成立していない世界、前-存在論的世界が無意識の働く領域である。

Thursday, July 9, 2020

旧漢字のロマネスク

以前、久生十蘭の「鉄仮面」を読んで、意外とその訳文がよいのに驚いた。「意外と」などというと失礼かも知れないが、黒岩涙香のあとは久生十蘭というくらいジャンル小説の翻訳で立派な足跡を残していると思う。そこで今は近代デジタルライブラリで読める久生の翻訳小説を読んでいる。

近代デジタルライブラリで読めるのはもちろん古い本で、旧漢字、旧かな遣いである。たまたま図書館に久生の全集があったので覗いてみたら、それはすべて新漢字、新かな遣いに改められていた。そこでわたしは読み比べをしてみたのだが……

字面の違いは予想以上に大きな印象の違いとなってあらわれていた。端的に言って、新漢字のすかすかした字面は、旧漢字による原文のロマネスクな印象を無慙なまでにそぎ落としてしまっている。旧漢字は物語の濃密な印象を字面によっても表現しているのだが、新漢字はふわふわ、すかすかしていて、今にもどこかへ飛んで行きそうな感じがし、とても落ち着いて物語空間に浸ることが出来ない。

この印象は谷崎潤一郎の新しい全集が出たときにも感じた。新しい全集では新漢字、新かなが用いられているのだが、谷崎の初期の官能的で濃厚な世界が、新漢字だとどうしても薄れたものになってしまうのは不思議だ。旧漢字に馴染みのない人が多いから、新漢字に置き換えて古い本を出版するのは時代の成り行きだが、しかしそれによって原作にあったなにがしかの要素が消えてしまうことも事実である。

わたしは新漢字、新かなを非難しているのではない。両者のあいだには大きな懸隔があり、単純に一方を他方に置き換えて、内容は全く変わらない、とは主張できないと考えているのである。たとえば塚本邦雄は旧漢字をつかって短歌を書いたが、あれを新漢字に置き換えたら、歌の印象はまるで違ったものになるだろう。

ドイツ語にはフクラトゥールというひげ文字があるが、あれも旧漢字のような独特の雰囲気を漂わせている。第二次大戦ころまではあの複雑な文字がまだまだ使用されていたのだが、とくにゴシック小説やゲーテのような古典を読む場合は、フクラトゥールで印刷されているほうが読んで味わいがある。デザインが単純なアンティカ体は現代小説を読むならともかく、出版されてからずっとフラクトゥールで印刷されてきた作品に関しては、やはりフラクトゥールで印刷された本を読みたいと思う。この印象はわたしだけの印象では無いはずだ。ドイツではフラクトゥールをアンティカ体に置き換えるのははたしてよいのかどうかという論争がずいぶん長く続いていた。

旧漢字の複雑な線の交差とルビという奇怪な補助文字により、文字はなにか呪術的な構造物へと変身する。あの不思議さを文学研究者は説明すべきだと思うのだがどうだろうか。

Monday, July 6, 2020

基準独文和訳法

権田保之助著
有朋堂発行
「基準独文和訳法」より

問題11(p. 50)

Die Masse trägt in sich den Willen zu einer neuen Bildung, von der keiner weiß, wie sie aussieht, von der jeder ahnt, daß sie anders ist als die bürgerliche Bildung. Die bürgerliche Bildung ist individualistisch, aller Individualismus widerspricht dem Begriff der Masse, -- sie ist überindividualistisch.

研究事項
1)die Masse -- eine neue Bildung -- die bürgerliche Bildung の訳は?
2)individualistisch と überindividualistisch との訳語は?
3)etw in sich tragen の熟語の意味は?
4)最後の sie ist überindividualistisch の sie は何を指すか?
5)第一文の zu einer neuen Bildung, von der...以下の構文を分解すれば如何?

解釈要項
1)die Masse は「大衆」。(das Maß の「尺度」「度合い」と混同し易い。注意を要す)。
eine neue Bildung は「一つの新しき教化」
die bürgerliche Bildung は「ブルヂョア的教化」(bürgerlich に就いては問題2参照)
2)individualistisch は「個人主義的」(「個人的」は individuell)であり、überindividualistisch は「超個人主義的」。
3)etw in sich tragen は「己の中に蔵する」「抱懐する」。
4)sie は直ぐ前の Masse を指す。
5)第一文を分解すれば:...zu einer neuen Bildung, 〔von der keiner weiß, (wie sie aussieht)〕, 〔von der jeder ahnt, (daß sie anders ist als die bürgerliche Bildung)〕. で、二つの〔 〕が Bildung の Attributivsatz であり、keiner weiß と jeder ahnt とが対句をなしてゐる。

訳文
大衆は一つの新しき教化への意志を抱懐す。その教化に就きては、それが如何なる外貌を有するかを知る者一人もなくして、しかも夫れがブルジョア的教化と相異るものなるは何人も予感する所である。蓋しブルヂョア的教化は個人主義的であり、一切の個人主義は大衆てふ概念に背反しゐるものであつて、大衆は超個人主義的なるものなるが故である。

Friday, July 3, 2020

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 117-119)

範例
(a) Tall and slender, she stood before a large looking-glass.
(b) Deserted, despised, he submitted to everything with gentle patience.
(c) Son of a Boston merchant, he was sent to England at an early age.

(a)丈高くすらりとして、彼の女は大きな姿見の前に立て居た。
(b)世間よりは捨てられ、卑しめられて、彼はおとなしく何事に從つて居た。
(c)彼はボストンの商人の子で、子供の時に英國に遣られた。

解説
斯の如く用ひたる Adjective, Past Participle, Noun の前には總て Being を補ひて解す可し。

用例
(a)
1.  Tall, stately, self-possessed, she went forward to greet him.
    M. Clay
    丈高く、凛として、落着いて、彼女は彼を迎へに出て行つた。

2.  Indignant, I went next day to the shopkeeper, and produced the offending boot.
    Max O'Rell
    自分は翌日怒つて其靴屋に行き、その癪に障る靴をつきつけた。

3.  Confident that Dantes could no longer escape, the gendarmes released him and awaited orders.
    A. Dumas
    ダンテは最早逃げる事は出來まいと信じて憲兵は彼を放し、命令を待て居た。

4.  Weak, and thin, and pallid, he awoke at last from what seemed to habe been a long and troubled dream.
    C. Dickens
    衰弱し、憔悴し、色蒼ざめて、彼は長い苦しい夢のやうなものから目覺めた。

5.  Proud, he will never doubt of the success of his undertaking; brave, he will carry it through; calm, he will calculate with a cool head the material advantages of the victory; tenacious, he will know how to make it fruitful.
    Max O'Rell
    彼は自尊心が篤い、故に事業の成功を疑はない。勇敢である、故に之を實行する。冷静である、故に冷頭以て勝利の實益を算する。堅忍である、故に之をして功果有らしむ可き方法を知つて居る。

(b)

6.  Terrified, I implored him not to risk his life.
    Mrs. Craik
    私は驚いて「どうぞ、そんなあぶない事はして呉れるな」と彼に嘆願した。

7. Horrified, we looked at one another by the light of the lamp.
    Mrs. Craik
    我々兩人はびつくりして街燈の光で互に顔見合せた。

8.  Asked his name, he had given it as George Clowbury, and had been detained.
    D. Donovan
    姓名を問はれると、彼はヂョーヂ・クロウベリと云ふ者だと答へ、而て拘禁せられた。

9.  Granted that Makaline has beauty, grace, purity, she is without fortune, connection, position.
    M. Clay
    マダラインは縹致は好し、上品であり、純潔であるとしたところで、財産もなく、立派な親戚もなく、地位もないのである。

10. Tired, I alighted and fastened my horse to something like a pointed stump of a tree which appeared above the snow.
    Baron Munchausen
    わしは疲れたから馬を下り、雪の上に出て居る尖つた木の株のやうなものに馬を繋いだ。

11. Foiled at all points, but still not able to rest, Miss Halcombe next determined to visit the asylum in which Ann Catharick was for the second time confined.
    W. Collins
    有らゆる點に於て失敗したが、猶ほ安んずる事が出來ないで、ミス・ハルカムは今度はアン・カサリックが再び幽閉されて居る癲狂院を訪ねることにした。

(c)

12. A Provencal by birth, he easily accustomed himself to all the dialects of the South.
    V. Hugo
    生れはプロヹンサル人であつたから、彼は容易に南部の言語に馴れる事が出來た。

13. A moralist of the highest order, defender of the rights of small nations, apostle of the suppression of slavery, propagator of the true faith, John does not allow any one else to have a hand in the protection of petty states; it is his privilege and his only.
    Max O'Rell
    ヂョンブルは最高の道徳家、小國民の權利擁護者、奴隷廢止の使徒、信仰の宣傳者であるから小邦の保護に他人の干渉を許さぬ、これ彼の特權である、彼のみの特權である。



Wednesday, July 1, 2020

「ジュリアン・グラント 道に迷う」

クロード・ホートンの Julian Grant Loses His Way (1933) を読んだ。主人公のジュリアンは、変人の父親に育てられ、俗世間から隔離されたハーミテイジ(「隠者のいおり」という意味)というお屋敷で成人になるまで育てられる。ところがロンドンで働くようになってすぐ、父が亡くなり、彼は莫大な遺産を受け継ぐことになる。今まで質素な暮らしをしていた人間が急に大金を手にすると生活習慣も性格も変わってしまうように、ジュリアンも途端に贅沢で我が儘な人間になる。彼は若く魅力のある男なのだが、その我が儘さゆえに、四人の女性を次々と破滅に追いやる。

しかしこの小説は単に主人公の女性遍歴を追っているだけではない。冒頭にある種の謎がおかれていて、読者はその謎の解明を期待しながら主人公の破壊的な愛の物語を読むことになる。

ホートンの小説はどれもこれも似通っている。主人公の生い立ちやら、行動パターンもそっくりだ。それはホートンがきわめて狭い範囲内で小説を書いていたということを意味するとわたしは思っていた。しかしこの小説を読みながら、ちがう解釈も可能ではないかと気がついた。

ホートンはよく、ある種の人間はいくつもの可能性を持っている、という。その人は芸術家としても成功するし、実業家としても成功しうる。一流の俳優にもなれれば、碩学にもなれる。単に才能豊かであるという言い方では片付かない、まったき他者になる可能性、それがある種の人にはあるというのだ。このモチーフがいちばん見事に表現されているのが、彼の代表作である「わが名はジョナサン・スクリブナー」だろう。

彼はAにもなれたし、Aとはまるきり正反対のBにも、Bとはまるで方向性のちがうCにもなれた。ホートンの小説は一作一作がその異なる可能性を描いているのではないだろうか。だとすれば、彼の小説世界は狭いけれども、彼の文学的キャリアは一貫した、ある思考の線に貫かれている、と言えるだろう。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...