Saturday, November 20, 2021

アミール・D・アクツェル「神の等式」

作者は Amir D. Aczel。発音がよくわからないので、「アミール・D・アクツェル」は間違いかも知れない。

本書はアインシュタインの伝記であり、その思想の影響力を門外漢向けに紹介したものである。等式は出て来るけれども、それが意味するところはわかりやすく解説されている。面白く読める相対性理論入門といっていいだろう。こういう入門書がわんさかあるというところがアメリカの文化の底力を示している。日本は文学でも哲学でも科学の分野でも、知の最先端と門外漢をつなぐ役目を果たすものがあまりにも少ない。

が、わたしがこの本を読んでいちばん印象に残ったのは、リーマン幾何学をつくったリーマンがいかに偉大であったかということだ。この本の中頃にリーマンの紹介があるのだが、アインシュタインの伝記のはずなのに、その部分だけリーマン小伝といったおもむきに変わるのだ。しかしそうせざるをえないほど、リーマンの功績は大きい。リーマンの業績がなければアインシュタインは複雑な数学的処理をどうしていいのかわからなかったかもしれないのだから。

この事実は前から知っていたけれど、今回「神の等式」を読みながらあらためてその意味を考えた。物理学者が発想を得ても、それを表現する数学が存在しなければどうにもならない。文学的に言えば、内容があっても、それを表現する形式がなければ意味がないということである。ジェイムズ・ジョイスは「スティーブン・ヒーロー」という自伝的小説を書き出したが、新たな形式の可能性に気付き、書き直した。それが「若き日の芸術家の肖像」だ。あの形式を得て、一人の芸術家(になろうとする男)の半生が印象深く表現できたのだ。

「アインシュタインは数学的方法があるかどうか、それによって自分の努力が制限されていることを理解していた。特殊相対性理論をつくりあげるとき、アインシュタインはロレンツやミンコフスキの数学を使った。一般相対性理論にはリッチやレヴィ=チヴィタやリーマンの数学を次々と利用した。しかしここでアインシュタインは立ち止まらざるをえなかった。彼は神の等式を発見するためにはるばると歩みを進めてきたが、しかしそこからさらに進むには彼は新しい数学を必要としていたのだろう」

作者は本書の末尾近くでそう書いているけれど、これは重い言葉だと思う。わたしが愛読するジャック・ラカンという精神分析家はアインシュタインに負けないほどの大天才だが、彼も自分の発想を表現するために、当時の数学者たちから最先端のトポロジーの理論などを学んでいたのだ。理系と文系を水と油に譬える人がいるけれど、トップレベルでは両者は緊密に結びついているのだろう。

Wednesday, November 17, 2021

ジョン・ラッセル・ファーン「爬虫類襲撃」

原題は The Slitherers。蛇のようにずるずると動き廻るもの、という意味である。イギリスの麦畑から奇怪な生物が発生する。小型の蛇とかなめくじとかに似た生物で、這うように動き廻る。それだけではなく、なんと彼らは非常な勢いで空を飛ぶことができるのだ。しかも人間を見るとその額に張りつき、知性を吸収する。知性を吸われた人間は痴呆のようになり、じきに死んでしまう。こんなとんでもない生物が大量に発生するのだ。どうやら宇宙から運ばれてきた卵が、ある偶然から孵化し、地球上で繁殖し始めたらしい。

ノアクロスを中心とするイギリスの科学者たちがこの生物を撃退しようとさまざまに研究を進め、対策を講じる。エイリアンのねぐらへの空軍の攻撃、金属ネットを用いた電流による殲滅作戦。しかし知性を得たエイリアンはこうした攻撃を予知して反撃に転じ、人間は大敗を喫するのだ。ノアクロスはいかにしてイギリスを、そして世界を救うのか。

パニック小説はたいてい極めて局地的な異変が、しだいに全体に波及するさまを描く。このパルプ小説もおなじパターンを踏襲していて、イギリスの田舎の麦畑で起きた小さな異常が、ロンドン、そしてイギリス全体へと広がっていく。はじめの数十頁はこの様子が非常に巧みに描かれていて、わたしは感心した。この作品はほかの作品とちょっと出来が違うんじゃないかな、と思った。しかしエイリアンと科学者の全面戦争に入ると、書き方に乱れが生じる。いや、いつもの八方破れの書き方に戻るというべきか。いくらパルプ小説でもそれはないだろうという情況が起きたり、書き方を工夫すれば一度の描写で済む実験が二度も繰り返されたり、あちらこちら説明が足りず読者が不満を感じる部分があるのだ。とくにエイリアンの侵入という今なら大騒動が起きるような事態がメディアで報じられても、一般人はしごく平然と普通の生活を送っているのは、どうしたって納得がいかない。

しかし全体として見れば平均以上の面白い小説になっていると思う。少なくともわたしは楽しんで読んだ。冒頭の数十頁の、あの緊迫感がずっと維持されていたらどんなによかっただろうとは思うけれど、ジョン・ラッセル・ファーンという人は文体とか構成の統一性なんて、はなから頭にはないのである。


後記 最近知ったことだが、ファーンの長編作品はほとんどが編集者の手によって短縮されているのだと言う。つまり作者から原稿を受け取ると、出版社の都合に合わせて編集者が作品を刈り込み、長さを調整するのである。調整のむずかしい作品は作者に返され、ファーンが書き直したこともあるらしい。なるほど、それじゃ構成が妙だなと感じるのも無理はない。

Sunday, November 14, 2021

ゲーム実況者のための英語(14)

はっきり言って NicoB 氏の英語は聞き取りにくい。が、活気にあふれた実況は楽しく、わたしは大ファンである。

kind of hard

Okay, here we go.1
Sate...
Oh, yeah!
Go, Kiryu, wow!
Oh my gosh2, so smoking3 hot.
Here we go.
Oh, I see. Okay.
Oh my god, it's...it's kind of hard.
Especially its timing.
Shit!
I'm doing the monkey5, guys!
Ahhh, it's really difficult.
God damn it!
Ah, why? Why is it so difficult?
Okay, I'm getting a little better.
Shit!
Shit!
Kimattaze!
Two stars! It's okay.
That was hard though6 actually.
That was really difficult.

よし、いくぞ。
さて……
おお、すごい!
桐生、いけ!
最高にいかすぜ。
よし(リズムゲームの)開始だ。
ああ、こうするのか、オーケー。
しまった。ちょっとむずかしいな。
とくにタイミングが。
くそ!
みんな、モンキーダンスだぜ。
ああ、ほんとうにむずかしい。
ちくちょう。
ああ、どうして、どうしてこんなにむずかしいんだ。
うん、なれてきたかな。
くそ。
くそ。
きまったぜ。
星二つ。まあ、いいか。
しかしまじむずかしかった。
ほんとむずかしかったよ。

1. Here we go. さあ行くぞ、という慣用句。
2. oh, my god と同じ。
3. smoking hot は「煙が出るほど熱い」→「最高にいかす」という意味。He is hot! は「かれ、いかしてるわ」。Who is that hot guy? 「あのすてきな人はだれ?」。
4. この kind of は「少々」くらいの意味。hard とまではいかないけれど、それでも難しい、というときに使う。"Did you like the movie?" と問われて "Kind of" と答えたなら、like とまではいかないが、まあ好きなほう、という意味。
5. doing the monkey は「モンキーダンスを踊る」。もともとは「猿の物まねをする」ということ。do the tiger は「虎の物まねをする」。
6. 日本語で「しかし」は文頭に置かれるが、英語の though は文尾に配置されることもある。とくに口語では多い。

Thursday, November 11, 2021

関口存男「趣味のドイツ語」

Keine Arbeit

FRAU GUTMANN: Guten Tag, Herr Schwarz! Schon wieder1 im Fenster? Ist heute Sonntag?
HERR SCHWARZ: Ach, liebe Frau Gutmann, für mich ist jeder Tag ein Sonntag, denn ich habe keine Arbeit, wissen Sie2.
FRAU G.: Was, Sie haben keine Arbeit, Herr Schwarz? Da3 muß ich Sie doch4 beneiden.
HERR S.: Ich bin nicht zu beneiden5, Frau Gutmann. Ich habe keine Arbeit, aber dafür6 habe ich auch nichts zu beißen7.
FRAU G.: Das ist aber schrecklich8! Nichts zu beißen! Wie können Sie da bloß9 aushalten10?
HERR S.: Ich kann es nicht aushalten, Frau Gutmann; ich will es auch gar nicht: ich muß es ja nur.

:【1】schon wieder: また候、またしても。
【2】wissen Sie: 「……ですよ」と云って、相手の知らないことを教えてやるときに用いる句(英の you know、仏の vous savez も然り)。
【3】Da: 「そうすると」、「そうだとすると」、「そういうわけだとすると」。
【4】doch = ja.
【5】Ich bin nicht zu beneiden: zu beneiden の二語で beneidenswert (羨やむべき、羨やましい)と同意。
【6】dafür: 「その代り」。
【7】ich habe nichts zu beißen = Ich habe nichts zu essen. ――beißen は「噛む」(英:bite)ですが、此の熟語では、essen という代りに、面白く beißen を用います。けだし、あごの活潑な動きを連想せしめて面白いからでしょう。
【8】schrecklich: 英:horrible。ちょうど日本語の「大変」にあたる。
【9】bloß = nur. 「不審る」意味の疑問文には nur、bloß を助辞として入れます。――Was kann er nur wollen? (あいつはいったい何の用事なんだろう?)Wo mag er nur immer herumtreiben? (あいつはいったいショッチウ何処をホツつき歩いているんだろう?)Wie kannst du bloß so argwöhnisch sein? (君はまたどうしてそう気が廻るんだろう?)Woran mag es nur bloß liegen? (これはまたいったいどうした訳なんだろう?)――たいてい können、mögen を助動詞として用いることが如上の文例から帰結されるでしょう。
【10】aushalten = ertragen (辛抱する、我慢する、耐える)、また ausstehen ともいう。

FRAU G.: Aber wie können Sie nur11 immer so im Fenster12 liegen13, da14 Sie doch keine Arbeit haben?
HERR S.: Nun15, ich liege ja gerade deshalb16 im Fenster, weil ich keine Arbeit habe.
FRAU G.: Sie müssen aber etwas tun, um zu einer Arbeit zu kommen17. Sie müssen zu Ihren Freunden gehen!
HERR S.: Freunde habe ich keine18, Frau Gutmann. Nun, was würden19 Sie also20 an meiner Stelle21 anfangen22?
FRAU G.: Ich würde irgend etwas tun, aber nicht müßig23 im Fenster liegen! Ich würde losheulen24! Ich würde telephonieren, Briefe schreiben, ganz gleich25 an26 wen!

:【11】nur: 註9 の nur。
【12】im Fenster: 「窓べに」という時は am Fenster ですが、すっかり窓枠の中にはいっている際には im と云います。同じく、in der Tür stehen というと、扉の閾の上に立って、扉の「わく」の中に居ることを意味します。
【13】liegen: これは「横たわる」ですが、別に臥しているわけでなくても、とにかく、のんびりと坐り込んでいることを liegen というので、sitzen と意味は同じですが、のらくらしているという意味を含むところが特徴です。たとえば、「かれは一日珈琲店にゴロゴロしている」は Er liegt tagsüber in den Kaffeehäusern (herum) といいます。
【14】da......doch......: 「……であるに拘らず」、「……であるくせに」。
【15】nun は、人に返事をするときの無意味な間投詞です。英語では、弱い時は well、強い時は why ですが、ドイツ語では弱い時は nun、強い時は ach、あるいは矢張り nun です。
【16】gerade deshalb: 「正にそのために」、「……さればこそ」(次の weil を受ける)。
【17】zu......kommen: は「云々を手に入れる」(即ち……bekommen)の意。zu Geld kommen なら「金を手に入れる」。
【18】Freunde habe ich keine: 英でも friends have I none と云います。Ich habe keine Freunde の Freunde を特に先に置いたのです。
【19】würden Sie: 英の would you です。ある仮想の場合を考えて、「どうなさるでしょうか」という「でしょう」に当るのが würden です。
【20】also: 「では」、「それでは」、「然らば」。
【21】an meiner Stelle: 「私の地位に於て」、即ち「わたしの立場にあるとしたら」。
【22】anfangen: beginnen とも云いますが、つまり「おっぱじめる」こと、或いは tun、machen と同じと云っても好いでしょう。
【23】müßig: 「ぶらぶらと」、「無為に」。(die Muße は「閑暇」のこと)。
【24】losheulen: los は「勢よくはじめる」(英の start)という意味の前綴。heulen は泣く(weinen)。
【25】ganz gleich: 英の no matter と同じで「……の如何を問わず」、「……の差別なく」、「……の容謝なく」、「……嫌わず」(仏は n'importe)――たとえば「何処だろうと」なら ganz gleich wo、「方法の如何を問わず」なら ganz gleich wie、「相手きらわず」なら ganz gleich mit wem など。
【26】an: 「……に宛てて」という前置詞。

HERR S.: Das alles habe ich ja schon getan27, Frau Gutmann. Ich habe ja schon hundertmal losgeheult; ich habe ja schon hundertmal telephoniert; ich habe ja schon hundert- und tausendmal Briefe geschrieben, ganz gleich an wen!
FRAU G.: Und keiner hat Ihnen helfen können28?
HERR S.: Und keiner hat mir helfen können.
FRAU G.: Und da liegen Sie im Fenster und wärmen29 sich in der Sonne30?
HERR S.: Und da liege ich im Fenster und wärme mich in der Sonne, ja.
FRAU G.: So31, jetzt muß ich aber nach Haus: auf Wiedersehen, Herr Schwarz!
HERR S.: Auf Wiedersehen, Frau Gutmann!

:【27】getan: tun の過去分詞。
【28】hat......können: 「できた」können の現在完了です。こういう時には、過去分詞は gekonnt ではなく können という形を用います。他の助動詞も大体同じ:Ich habe helfen müssen (私は助けねばならなかった)、Er hat kommen wollen (かれは来ようと欲した)、Sie hätten hingehen sollen (あなたは本当は行く可きだった)など。
【29】wärmen: 温める。
【30】in der Sonne という時の Sonne は、もちろん太陽そのものではなく、「日なた」、「陽光」のこと。
【31】So! ――ドイツ人は、「さてと!」と云って、自分で自分の気持に終止符を打って、気分を一新せんとするときに、So! という癖があります。ちょうど日本語の「さてと!」です。「長居客膝を叩いてさてと云い」という川柳があります。「さてと!」というから、いよいよ腰を上げるのかと思ったら飛んだあて違い、それからまた一時間ばかりねばり込むというわけ……

意訳:グートマン夫人:シュヴァルツさん、こんにちは! また窓にのっかっていらっしゃるの? 今日は日曜ですか?
 シュヴァルツ君:いや、奥さん、僕は毎日日曜みたいなものですよ。実は仕事にあぶれちゃったものですからね。
 グ夫人:あら仕事がないんですって? マア、うらやましいわ。
 シ君:別にうらやましくもありませんよ奥さん。仕事はないんだけど、その代り、食うものもないんですよ。
 グ夫人:それはまた大変じゃありませんか! 食べるものが無いなんて! よくマア辛抱ができたものですね。
 シ君:辛抱が「できる」わけじゃありません。また別に辛抱しようとも思っちゃいませんがね。辛抱しなくちゃならないだけの話ですよ。
 グ夫人:でも、仕事も無いのに、よくマアそうして暢びりと窓なんかに腰かけていられますね。
 シ君:だって、仕事が無い「から」こうして窓にとぐろを巻いてるわけなんですよ。
 グ夫人:だって、なんとかして仕事をめっけなくちゃ駄目でしょう? お知り合いの方のところへでも出掛けてごらんになっては?
 シ君:お知り合いなんてものは無いんですよ、奥さん。では奥さん、あなたなら斯ういう時どうなさいます?
 グ夫人:わたしなら、なんとかするわ。ぼんやりと窓に腰かけてなんかいないわ。わたしなら、ワッと泣き出しちゃウわ! わたしなら、ジャンジャン電話を掛けちゃうわ、手紙を書いちゃうわ、相手かまわず!
 シ君:そりゃモウみんな一応やっちゃったんですよ。ワッと泣き出すのも百遍やりました。電話も百遍かけました。手紙も百通はおろか千通書きました、相手かまわず!
 グ夫人:それに、誰も助け手がないの?
 シ君:それに、誰も助け手がないんです。
 グ夫人:だもんで、そうして窓に腰かけて日向ボッコしてらッしゃるの?
 シ君:えゝ、だもんで斯うして窓に腰かけて日向ボッコしてるんです。
 グ夫人:さて、モウそろそろ帰らないと。じゃシュヴァルツさん、さようなら!
 シ君:じゃ奥さんさようなら!

Monday, November 8, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 182-183)


範例

Say "Yes" or "No" as the case may be.

(a) 其場合に依て「はい」とか「いゝえ」とか云へ。

(b) 「はい」なら「はい」、「いゝえ」なら「いゝえ」と云へ。


解説

As the case may (might) be

= According to circumstances

= As the state of affairs makes (made) proper

 場合(如何)に依て

 場合次第で

 其場合で何れにもなるが


用例

1.  "But surely you can think of saying Oh, yes-or Oh, no-as the case may be-that is not a great effort of imagination!"

  Mrs. Hugh Bell

  だつて、お前「左様でございます」とか「いゝえ」とか――其場合でどつちでも――それぐらゐの事は云へようぢや無いか、別に頭の要る事ぢやあ無し。

  that is not a great effort of imagination 「大に想像力を働かせねばならぬ事ではない」とは詩歌小説を作るに想像力も必要だが Oh, Yes, Oh, No 位の返辭をするにはその必要はないとの意。

2.  "Yes, I am," replied the man, who seemed a little the worse: or better, as the case might be: for drinking; "and not slow about it either."

  C. Dickens

  「はあ、さうですよ」と其奴は答へたが酒を飲んで少々不機嫌、いや、上機嫌――どつちでもいゝが――のやうだつた、「それからまた、直ぐにお立ちになるんだ」。

the worse: or better...for drinking 「酒を飲んで少々機嫌が惡い、いや、機嫌がよいやうに見えた」the worse for drinking (liquor) は「酩酊して」と云ふ熟語、それが「酒を飲んで機嫌が惡い」と云ふ意にも取れるが*(一字不明)に or better と洒落れたるなり。and ...either は and....too と同じく「それのみならず」「猶は其上に」の意。

3.  Not only should you do so in the case of important facts, such as the discovery of shortcomings and defects in your husband or in your wife, as the case may be, but in the smallest details of everyday life.

  Max O'Rell

  良人又は妻(其場合でどつちにもなるが)に於ける缺點短所の發見の如き大事な場合に、さうす可き計りでなく、日常生活の極些細な事にもさうである。

4.  When they had died the other inhabitants of the kraal had taken the cattle and gone away, leaving the poor old woman, who was helpless form age and infirmity, to perish of starvation or disease, as the case might be.

  H. R. Haggard

  彼等が死んだ時に部落の他の人々は、老衰の爲に身動きも叶はぬこの不憫な老女を、飢餓で死なうと病氣で死なうとなるがまゝに捨て置いて、家畜を奪つて行つて了つた。

Friday, November 5, 2021

マージョリー・ドゥーイ「指さす男」(1920)

この作品の舞台はビルマのマンガダンという町。時代はちょうどビルマがイギリスに植民地支配されていたころだ。不勉強でマンガダンが実在の町がどうかはわからない。しかし冒頭の色彩豊かな描写を見る限り、ビルマの首都に相当する町なのだろう。商業が盛んでイギリスからの観光客もいる。人種も様々まじって活気のある場所だ。

ここにムゥトゥーン・パという男が経営する骨董店がある。観光客が立ち寄り、なにかかにか買っていく店、日本で言うと土産物店みたいな店だ。あるとき彼の息子アブサロムが使いに出ていったきり戻ってこなくなった。店主のパは警察署長のハートレイに捜査を依頼する。

ハートレイはアブサロムが失踪した日に、彼を見た人間を捜し出し話を聞いて回るのだが、不思議なことに誰も彼もがあわてたように反応し、情報を提供しようとはしない。

ハートレイの捜査が行き詰まったかのように思えたとき、彼の家にビルマ政府の秘密捜査官コリンドンが訪ねてくる。コリンドンは経歴にもよくわからないところがある謎に満ちた男で、変装の天才であり、有能きわまりない探偵でもある。彼は一仕事を終えて、休暇のつもりでハートレイの家に遊びに来たのだが、ハートレイが扱っている事件に興味を持ち、謎の解明にあたるのである。

本作はあきらかに東洋の神秘に目を向けたビクトリア朝の作品、たとえばマーシュの「甲虫」とか「ジョス」といった小説から派生してきたものと言える。マンガダンの町や夜の描写は詩的で、かつ底知れぬ怪しさにあふれている。現地の人々の会話も、エキゾチックな印象を与えるもので、西洋人はこの耳慣れぬ言葉遣いに濃厚な異国趣味を感じるのではないか。内容はともかく文章それ自体はじっくりと味わうにたる出来だと思う。

で、ミステリとしてのその内容のほうだが……正直、わたしはあまり面白いとは思えなかった。だが、それはビクトリア朝のこの手の作品を読みすぎているからかもしれない。古い作品に親しんでいない人なら、この独特の雰囲気に酔いしれることもできるだろう。さっきも言ったけれど、大衆文学としてはこの作品の文章は非常にすぐれているのだ。

マージョリー・ドゥーイはほとんど誰も知らない作家であるが本書のほかに二冊ミステリ作品を残しているらしい。一つは The Man Who Tried Everything といい、もう一つは The Man from Trinidad というのだそうだ。

Tuesday, November 2, 2021

1930年代の名作選

ガーディアン紙が Top Novels of the 1930s という記事を出していたので興味深くそのリストを見た。この記事を書いたアレック・マーシュ氏は次の十作を30年代の代表作としている。


1 「午後の人々」アンソニー・パウエル

2 「ビルマの日々」ジョージ・オーウェル

3 「心の死」エリザベス・ボーエン

4 「レベッカ」ダフネ・ドゥ・モーリエ

5 「よしきた、ジーヴス」P. G. ウッドハウス

6 「追われる男」ジェフリー・ハウスホールド

7 「スタンブール特急」グレアム・グリーン

8 「夜はやさし」F. スコット・フィッツジェラルド

9 「牧師館殺人事件」アガサ・クリスティ

10 「卑しい肉体」イーヴリン・ウォー


ここに挙げられた作品にはすべて邦訳が存在すると思う。いずれも面白いこと請け合いである。とくに四作(4,6,7,9)含まれたミステリ、サスペンス小説はおすすめだ。黄金期と呼ばれる時代に書かれた作品だからどれも読み応え満点である。私は列車の中で事件が起きるというプロットにとりわけ愛着があるので、この中では「スタンブール特急」がいちばん好きだ。いちばん訳してみたいのは「レベッカ」。あのメロドラマの秘密めいた書き方にはぞくぞくさせられる。エリザベス・ボーエンはあまり知る人がいないかも知れないが、「心の死」は戦争が始まる前の緊張した雰囲気を伝えていて、深い感銘を与える。このリストでは唯一のアメリカ人作家としてフィッツジェラルドの名が挙げられている。フィッツジェラルドといえば「偉大なるギャツビー」だが、本人は「夜はやさし」のほうが優れていると考えていた。イーヴリン・ウォーはペンギン叢書でずいぶん読んだ記憶がある。戦争三部作も悪くはなかったけれど、あの頃はわたしも若かったので「卑しい肉体」の映画的な書き方のほうが好きだった。

30年代というのは二つの世界大戦にはさまれた時期、ジャンル小説だけでなく普通の小説も書き方が現代的になった時期である。いま読んでもあまり古さを感じることはないはずだ。このリストはたまには昔の作品を読んでみようかという方にはいい道案内役になると思う。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...