Monday, April 11, 2022

英語読解のヒント5

5. the + 形容詞

基本表現と解説
  • the dead 「死せる人々」
  • the beautiful 「美」

「the + 形容詞」は「人々」をあらわすこともあれば、抽象概念をあらわすこともある。

例文1

We know how prone the strong are to suspect the weakness of the weak — as the weak are to be disgusted by the strength of the strong.

Anthony Trollope, Christmas at Thompson Hall

頑健な人間は病弱な者の病弱さ加減を疑う傾向がある。病弱な者が頑健な人の力強さを見てうんざりする傾向があるように。

例文2

The Beautiful is a manifestation of secret laws of nature, which, without its presence, would never have been revealed.

Johann Wolfgang von Goethe, The Maxims and Reflections of Goethe (translated by T. Bailey Saunders)

美は秘密なる自然法則の表現なり。美無くんば自然の法則はとこしえに吾人より隠れたりしなり。

例文3

The sublime and the ridiculous are often so nearly related that it is difficult to class them separately. One step above the sublime makes the ridiculous, and one step above the ridiculous makes the sublime again....

Thomas Paine, The Age of Reason

崇高と滑稽は往々にして相似通い、これを分離することはむずかしい。一歩崇高の上に出れば滑稽となり、一歩滑稽の上に出ればまた崇高となる。

Friday, April 8, 2022

英語読解のヒント4

3. something / anything / nothing + 形容詞 + about / in

基本表現と解説
  • There is something queer about him. 「彼は奇妙な雰囲気を漂わせている」
  • There is something queer in her letter. 「彼女の手紙にはおかしなところがある」

前項と同様、性質・雰囲気・趣があることを示す表現。

例文1

By the side of Hyde Park stands Kinsington Gardens. This place has something of the solemn grandeur of a wood about it — something uncultivated that delights the eye.

Max O'Rell, John Bull and His Island

ハイド・パークに連なるようにケンジントン公園がある。この公園には森林のごとき雄大な趣、人目を喜ばす自然のままの趣がある。

例文2

There was something so awful, though, about talking with living, sinful lips to the ghostly dead, that I could hardly bring myself to rise and speak.

Mark Twain, "Among the Spirits"

しかし生者の罪深い唇をもって亡霊と話をするのはなんとなく恐ろしくて、ほとんど立ち上がって切り出す勇気がなかった。(註 降霊術の場面)

例文3

There is something fiendish in the look of exultation that lights Arthur Dynecourt's face.

Margaret Wolfe Hungerford, The Haunted Chamber

アーサー・ダインコートの顔に浮かぶ勝ち誇った表情には、悪魔のような趣があった。

Tuesday, April 5, 2022

ポール・ハルパーン「大いなる彼方」

原題は The Great Beyond で、作者はアメリカの物理学者。四次元、あるいは多次元の考え方がいかに科学的、文化的に培われてきたのかを紹介した、わかりやすい本である。知的刺激に充ちているかというと、正直に言って、それほどでもない。しかし十九世紀以降、科学や数学に於ける進歩がしだいに他の文化領域に広がっていく様子や、新しい考え方の基本の所が非常によくわかるように書かれている。わたしはヘルマン・ミンコフスキーが生みだしたミンコフスキー空間がおおよそどのようなものか、この本を読んではじめて知った。カルーザやクラインの人となり、さらにその議論の大まかな形(素人には十分な情報である)も教えてくれる。また多次元が絵画の領域にもたらした影響について丁寧な紹介がなされていて、参考書があげられれている点もよかった。こういう本はほんとうにありがたい。

多次元の考え方が重要なのは、一見してつながりのない事柄が、多次元を考えることで統一的に把握されるという点である。マクスウエルの電磁気学と、ニュートンからアインシュタインにつながる重力の問題は、長らく接点をもたなかったけれど、それらを多次元からとらえ直すと、一つの公式で両方が表現できるのである。これは驚くべき発見である。このことの意味は、文化系の学問においてはまだ十分に認識されているとは思えない。文学にも時間論、空間論というのがあるが、ほとんどは三次元的な空間論であったり、素朴な時間概念を作品の中に見出すようなものでしかない。シンボルで構成される芸術作品の空間性が、ユークリッド幾何学的な空間のわけがないではないか。そんなものよりはるかに奇怪な構造を考えるべきなのに、文学研究者というのはほんとうに詰まらない連中だと思う。

奇怪な構造といったけれども三次元的な了解の世界から四次元的な了解の世界に飛躍するのは、いったん気がつけばそれほどむずかしいことではない。もう一つのあり得べき方向性(縦、橫、高さを示す、いずれの軸にも直角な、新たな軸)を見いだせるかどうか、それが問題なだけだ。しかもその方向性はなにか突飛もないものではなく、ほかの方向性と同様、ある種の論理性を帯びている。それは3Dの内部で考えていた人々には解消不可能なパラドクスをもたらすかもしれないけれど、にもかかわらず論理的なのだ。わたしが「わが名はジョナサン・スクリブナー」の後書きや、ホラー映画「ドールズ」に関する論考で考えたのはこのことだ。

そんなことはともかく、本書はアインシュタインが量子力学に対抗する立場から多次元世界を考え、その後の研究で十次元やら十一次次元やらまで思考されるようになった経過を教えてくれる。素人にはいささかわかりにくい部分もあることはあるけれど、物理学者たちの長年にわたる取り組みが活写され、とても参考になった。本書は物理学と多次元の関係を歴史的に説明・紹介した良書である。物理学は発展が著しいので、多次元に対する新たな考え方が出て来たら、ぜひこの作者に本を書いてもらい、説明して頂きたいと思う。

Saturday, April 2, 2022

Yakuza 0 のローカリゼーション

Yakuza 0 の面白さはこのシリーズの中でも群を抜いている。海外でも圧倒的な人気である。キャラクターのインパクトといい、徹底したメロドラマ(あるいはソープオペラ)的筋書きといい、アニメ的誇張といい、とにかく強烈な印象を残す。しかし海外の人にも面白がられるのは、台詞の翻訳(ローカリゼーション)が非常に巧みだからでもある。ばかばかしいコントや下卑た話題から、シリアスな犯罪ドラマにいたるまで、この作品は幅広い言語を用いているが、それを翻訳者たちは、やはり多彩な表現を駆使して英語に変えて行くのである。その手腕は並のものではない。

二箇所だけ紹介したいと思う。

兄弟の縁を切った主人公桐生と錦山が、その後神室町の街角でばたりと出会う。そして二人はもう一度兄弟の関係を取り戻すという、任侠劇のハイライトシーンが展開されるのだが、そこでの錦山の台詞はこうなっている。

おれは……おめえがいない東城会でのしあがっても意味はねえんだ。おめえがいくらいったところで、おれとの縁は切らしゃしねえ! 覚悟しろよ。おらぁ一生おめえにつきまとってやる。

この最後の部分は英語では

I'm sticking with you till death do us part.

となっている。これには感心した。till death do us part 「死が二人をわかつまで」はもちろん結婚式で使われる表現だが、二人の絆の深さ、ホモセクシュアルな関係を、一抹の滑稽感とともに伝える秀逸な翻訳となっている。こういう遊び心のあるローカリゼーションは読んでいてもほんとうに楽しい。

もう一例。ゲームのはじめのほうで桐生がバッカスという正体不明の外国人およびカモジというホームレスに出会う場面がある。このカモジの仕事をめぐって桐生とバッカスがこんなやりとりをする。

桐生「カモジの仕事? ホームレスがどんな仕事をしているんだ」

バッカス「ズバリ、“押しタオシテ見て屋”だネ!」

桐生「……いかがわしい仕事みたいだな」

カモジ「違えよ! 倒してみろ屋……だよぉ」

カモジは客に自由にパンチを繰り出させ、それを巧みによけるという商売をやっている。それが「倒してみろ屋」である。英語ではバッカスの台詞が

He's a... whatchacallit. A fisting artist!

となっていて、商売名を間違えられたカモジは憤慨して

That ain't it! It's PUNCHOUT artist.

と答えている。これはちょっと悪ふざけがすぎた翻訳のようだが、しかし……面白い。わたしは大笑いしてしまった。ちょっとだけ英語の解説をすると、whatchacallit は what you call it を一つづりにしたもので、「いわゆるあれだね」という感じの言葉。fisting は、ううむ、ちょっと説明を憚る。英語のポルノサイトで検索でもしてもらおうか。fist (手)と punch (パンチ)の類似性が言い間違いを生じさせたというわけだが、よく考えられた(Yakuza 0 のいかがわしさをよく表現した)訳になっていると思う。

Tuesday, March 29, 2022

マックス・マレイ「屍体の声」

マックス・マレイは1901年、オーストラリアに生まれ、56年に亡くなるまで新聞記者やら脚本家、BBCのレポーターや編集者として活躍した。ミステリも書いていて、48年に出た「屍体の声」は彼のミステリ処女作らしい。ちなみに彼のミステリにはいつも「屍体」(corpse) という単語が入っている。

本作はイギリスの田舎社会を舞台にしている。誰もが誰もを知っている狭いコミュニティだ。そこに一人嫌われ者がいた。彼女はアンジェラという名前で、他人の秘密を見つけ出して、嫌がらせの手紙を出したり、直接相手にその話をぶつけ、相手があわてふためくのを見るのが趣味なのだ。このアンジェラという女が鈍器で脳天を殴られ、死亡するという事件が起きる。

事件の解決に当たるのは若き法律家ファースとスコットランドヤードのファウラー警部だ。地元の警察も犯人を追うが、彼らは浮浪者の仕業だろうと考える。一方、ファースとファウラーは村の人間があやしいとにらむ。問題は、殺人が起きた時刻に大勢の人間がアンジェラの家の近くをうろついていたことである。牧師、医者、退役軍人、正体不明の女、ファースの依頼者と婚約している男。犯人ははたして誰か。

この作品はちょっと面白かった。ファウラー警部が決定的証拠を見つけ、急転直下犯人を逮捕するのだが、そのあとのどんでん返しがあざやかで、感心した。真犯人は論理的な推論によって指摘されるわけではないが、十分に意外性がある。文章もアイロニーを含んだ味のあるもので、マックス・マレイがほぼ無名だという事実が信じられないくらいだ。

作中人物でいちばん印象に残ったのはシム夫人である。彼女はちょっと頭がぼけているようで、じつは事件の真相をはじめから知っていたようなのだ。そして村の小さなコミュニティがこわれないように、力を尽くしていたらしい。それだけではない。自分の娘が物語の最後でファーストと結婚することもお見通しだったようなのである。探偵以外にすべてを見通している人間が描かれる、というのはかなり珍しいし、わたしは心にひっかかるものを感じる。たぶん近いうちにまたこの作品は読み返すことになるだろう。

Saturday, March 26, 2022

ラカン入門

Engaging With というYouTube チャンネルでジャック・ラカンの議論をかじりはじめた人が精神分析の専門家である Todd McGowan に基本的な質問をしている。「他者とはなにか」「リアルとはなにか」といった具合だ。それにたいして McGowan はできるだけわかりやすく説明を与えている。質問者がずぶの素人であることを考慮し、McGowan はあくまで相手の思考のペースに合わせて議論を展開している。一時間半ほどもある長い番組だが、面白かった。とくに最後のほう、政治問題を扱った部分で McGowan はいいことを言っている。簡単に二点だけ取り出そう。

一点目はトランプ等に率いられる右翼に関して「敵の脅威が彼らの享楽にとって必要なのだ」と指摘したところ。享楽というのはラカンの用語で細かく説明するとややこしいのだが、簡単に言えば、享楽は人にとって存在の条件でありながら、かつその存在を脅かすものといっていい。パラドキシカルな性格を持っているので、これでも頭をひねる人がいるだろうが、わたしにはこれ以上の簡単な説明は思いつかない。McGowan は、右翼にとって敵は彼らの存在を脅かすものだが、同時にそれこそが彼らを存在せしめているものであると言っているのだ。そして敵を必要とするような享楽の形は、きわめて有害なものだと論じている。

二点目は今度は左翼に関してだ。質問者が、トランプに対して左翼も興奮した反応を示したと指摘したところ、McGowan はトランプは左翼のファンタジー空間にぴったり適合する存在だったと言う。しかし質問者が、ある地平に到達できないというフラストレーションが左翼の享楽ではないかと言うと、いや、それは歪んだ左翼の享楽だと反論する。彼の考えによると、左翼の享楽は不在のものに対する享楽だという。不在のものとはわれわれに共通する不在、すなわち根本において平等主義的な、普遍的なものである。よく左翼は理想しか唱えていないという人がいるが、ある意味でそれは的確な指摘である。ついでに右翼は敵を作り出そうとばかりしていると指摘してくれればもっとよろしい。

この番組を見ると、左翼と右翼では享楽の組織の仕方がまるで違っていることがよくわかる。もちろんさらに議論を深くするなら、この一見相反する二極がメビウスの帯の裏表のように連続しているということも話さなければならないのだが、この番組は入門編ということでそこまで McGowan は突っ込んでいない。

しかしラカンに興味のある人なら一度聞いてみる価値のある番組だと思う。(Lacan, Featuring Todd McGowan)

Wednesday, March 23, 2022

フランク・ヴォスパー「見知らぬ男の愛」(1936)

クリスティーの短編を元に書かれた三幕ものの戯曲である。原作の「ナイチンゲール荘」は最後の数頁の息詰まるサスペンスとあざやかな機転が印象的だ。フランク・ヴォスパーはもちろんそれらを再活用してスリリングな劇をつくりあげているが、彼はさらに原作にはない要素をつけ加えている。それはトンプソン/バイウオーター事件への暗示を含んでいるのである。 トンプソン/バイウオーター事件は1920年代に一大センセーションを巻き起こした事件である。膨大な資料の残るこの事件を思いっきり簡略に紹介するなら、魅力のない小市民的な夫にあきた妻エディス・トンプソンが、ロマンチックな冒険者的雰囲気を漂わすエドワード・バイウオーターと恋に落ちる。エドワードは結局エディスの夫を殺すのだが、彼が処刑されるときエディスも共犯者として処刑されるのだ。エディスが夫殺しにどれだけかかわっていたのか、彼女の処刑は法的に正当なのかどうか、この点をめぐってさまざまに議論が巻き起こった。この事件の影響力は甚大で、その後の芸術作品にさまざまに事件のディテールが利用されることになる。ヒッチコック、クリスティ、P.D.ジェイムズ、ドロシー・セイヤーズ、サラ・ウオータースといったサスペンスを得意とする映画監督・作家のみならず、ジェイムズ・ジョイス、F.テニソン・ジェス、E.M.デラフィールド、ジル・ドーソンといった文学畑の人々もこの事件を作品に取り入れている。さらにこの事件に関連するノンフィクションや文献はじつにおびただしい。 「見知らぬ男の愛」の第一幕では、富くじで大金を得たヒロインが婚約者との結婚を拒否し、ロマンチックな世界旅行を夢見る。そしてエキゾチックなさまざまな地域をめぐってきた男と知り合い、たちまち恋に陥るのである。婚約者を殺害こそしないものの、わたしは間違いなくここにはエディス・トンプソンのイメージが秘められていると思う。

関口存男「新ドイツ語大講座 下」(25)

§25. Es ist aus mit ihm. あいつはもうお仕舞いだ。  「それはあいつと共にお仕舞いだ」が「あいつはもう助からない」、「彼が事既に休す焉」の意になります。この Es は、「現象らしく表現するための非人称主語」で、Es ist aus (万事休す...