メイベル・エスター・アラン(1915-1998)が1968年に出した小説。聞いたことのない作家だが、子供向けの本をたくさん出していたらしい。
本書も文章が平易で、中学生か高校生向けに書かれたような作品だ。タイトルから推測されるようにゴシック風味の内容である。
グウェンダはパリの貸本屋で働く若いイギリス人女性だ。貸本屋というのは、全国各地に住む顧客からしかじかの本を送ってくれと頼まれると、その本を箱に詰めて送り、顧客のほうは返却期限までにそれを店に返すという仕組みで成り立っている。グウェンダはブルターニュに住むとある顧客の返却本の中に奇妙な手紙が混じり込んでいることに気づく。それには「城の中の様子がおかしい。不安だ」ということが書かれていた。これに興味を惹かれたグウェンダは休暇をブルターニュで過ごすことにする。
ふとした偶然から彼女は問題の城で休暇を過ごすことになる。二週間だけだがこの城に住む幼い女の子に英語を教える仕事を得たのだ。さらに返却本の中にはさまっていた手紙の主も発見した。なんと彼女は城の中の階段から滑り落ち、病院に入院していた。誰かに紐か何かで足をすくわれたようなのだ。
グウェンダも次第に城の中の様子がおかしいことに気づいていく。よくわからないが、城の主は不機嫌で、彼の弟は明らかに悪いことを企んでいるようだ。そしてついに彼女と幼い女の子にも危険が迫ってくる。
正直な感想を言うと、あまりたいした作品ではなかった。若い女の子の願望成就みたいな物語で、読み終わってばかばかしい気がした。グウェンダは貸本屋で働いているときアナトールという退屈なボーイフレンドがいた。彼女はこの男と手を切りたいと思っていた。そしてブルターニュへ行き、ミステリアスな環境の中でセバスチャンというロマンチックな男と出会い、恋に陥る。後にアナトールもブルターニュに乗り込んでくるのだが、さんざん無能っぷりを発揮してぷんぷんしながらパリに帰っていく。それを見てグウェンダとセバスチャンは笑いこけるのだ。そして二人は結婚し幸せになる。これはもう、テレビでやっているようなドラマチックな恋をしてみたいと思う、若い女の夢物語ではないか。こういう幼稚な物語に興味はない。
Tuesday, October 30, 2018
Saturday, October 27, 2018
マッチョのための文学案内(2)
ガーディアン紙の文芸欄を見ていたら「ステロイドにまつわる本トップテン」という記事を見かけた。書いたのはマシュー・スパーリングという小説家で、彼は「人工芝」というタイトルの作品を出したばかりのようだ。これは彼の言葉によると「一部はブラック・コメディで、一部は文学的スリラーとなっている。アクションはほとんどジムと、ネット上のボディビルおよびステロイド関係のフォーラムで展開する」。なんと面白そうではないか。以前にも書いたけれど、ボディビルを扱った小説は極端に少ない。いや、わたしがマッチョのための文学案内(1)であげた「ボディ」という作品くらいしかなかったのだ。少しずつ作品数が増えていくというのは、新しいジャンルの勃興を見ているようで、なにか心をわくわくさせる。
さてスパーリングがあげているトップテンを紹介しよう。
1. Pumping Iron: The Art and Sport of Bodybuilding by Charles Gaines, with photographs by George Butler (1974)
これはボディビルを世に知らしめ、1977年に映画化もされた有名な作品。若きアーノルド・シュワルツネッガーの見事な肉体が写真で見られる。
2. The Hero’s Body by William Giraldi (2016)
1990年代、十代の少年がボディビルにいそしみながら体験したことが書かれているらしい。
3. The Men Are Weeping in the Gym, from Physical by Andrew McMillan (2015)
アンドリュー・マクミランという詩人が書いた「フィジカル」という詩集に「男たちはジムで泣いている」という作品が収められているらしい。探し出して読まなければ。
4. At the Gym from Source by Mark Doty (2002)
これもマーク・ドウティという詩人が書いた詩である。
5. Against Exercise from Against Everything by Mark Greif (2016)
この本は面白そうだ。ジムにおけるトレーニングを、工場労働にたとえているのだから。ダンベルを持ち上げたりトレッドミルの上を走るのは、その単純さ、反復性において工場労働者を想起させる。スパーリングはその意見に疑義を呈しているが、しかしこれは日頃わたしが思うことでもある。最小のトレーニングで最大の効果を上げようとする考え方は、資本主義的な効率主義の思考とまったく同じではないか、などなど。もっともわれわれの持つ観念はほとんどすべてが資本主義に染まっている。アリ・モウルドによると創造性という観念すら資本主義に汚染されているのだそうだ。
6. Against Ordinary Language: The Language of the Body by Kathy Acker (1997)
キャシー・アッカーの考え方は上記のマーク・グライフとは真っ向から対立する。彼女はトレーニングを「複雑で豊かな世界にひたることである」と考えるのだ。ボディビルダーはトレーニングを通して言語の向こうにある死と混乱に直面すると、彼女は言う。ニュー・エイジみたいな考え方だ。
7. Testo Junkie: Sex, Drugs, and Biopolitics in the Pharmacopornographic Era by Paul B Preciado (2013)
闇市場で購入したテストステロン(男性ホルモン)を使用したときの記録。恐ろしいが、ちょっと読みたい。
8. Testosterone Rex: Unmaking the Myths of our Gendered Minds by Cordelia Fine (2017)
心理学者がテストステロンの効果について語った本。上の「テスト・ジャンキー」を読んだら、そのあとにこの本を読もう。きっと気持ちを冷静にしてくれるのではないか。
9. Game of Shadows by Mark Fainaru-Wada and Lance Williams (2006)
BALCO と呼ばれる会社が九十年代と二千年代初期に、アメリカの野球選手やアスリートにステロイドを供給していたというスキャンダルを扱った本。
10. The Secret Race: Inside the Hidden World of the Tour de France by Tyler Hamilton and Daniel Coyle (2012)
自転車競技でも薬が使われていることを告発した本。
非常にいい参考書を教えてもらった。「マッチョのための文学案内」を書く際に大いに役に立つと思う。
さてスパーリングがあげているトップテンを紹介しよう。
1. Pumping Iron: The Art and Sport of Bodybuilding by Charles Gaines, with photographs by George Butler (1974)
これはボディビルを世に知らしめ、1977年に映画化もされた有名な作品。若きアーノルド・シュワルツネッガーの見事な肉体が写真で見られる。
2. The Hero’s Body by William Giraldi (2016)
1990年代、十代の少年がボディビルにいそしみながら体験したことが書かれているらしい。
3. The Men Are Weeping in the Gym, from Physical by Andrew McMillan (2015)
アンドリュー・マクミランという詩人が書いた「フィジカル」という詩集に「男たちはジムで泣いている」という作品が収められているらしい。探し出して読まなければ。
4. At the Gym from Source by Mark Doty (2002)
これもマーク・ドウティという詩人が書いた詩である。
5. Against Exercise from Against Everything by Mark Greif (2016)
この本は面白そうだ。ジムにおけるトレーニングを、工場労働にたとえているのだから。ダンベルを持ち上げたりトレッドミルの上を走るのは、その単純さ、反復性において工場労働者を想起させる。スパーリングはその意見に疑義を呈しているが、しかしこれは日頃わたしが思うことでもある。最小のトレーニングで最大の効果を上げようとする考え方は、資本主義的な効率主義の思考とまったく同じではないか、などなど。もっともわれわれの持つ観念はほとんどすべてが資本主義に染まっている。アリ・モウルドによると創造性という観念すら資本主義に汚染されているのだそうだ。
6. Against Ordinary Language: The Language of the Body by Kathy Acker (1997)
キャシー・アッカーの考え方は上記のマーク・グライフとは真っ向から対立する。彼女はトレーニングを「複雑で豊かな世界にひたることである」と考えるのだ。ボディビルダーはトレーニングを通して言語の向こうにある死と混乱に直面すると、彼女は言う。ニュー・エイジみたいな考え方だ。
7. Testo Junkie: Sex, Drugs, and Biopolitics in the Pharmacopornographic Era by Paul B Preciado (2013)
闇市場で購入したテストステロン(男性ホルモン)を使用したときの記録。恐ろしいが、ちょっと読みたい。
8. Testosterone Rex: Unmaking the Myths of our Gendered Minds by Cordelia Fine (2017)
心理学者がテストステロンの効果について語った本。上の「テスト・ジャンキー」を読んだら、そのあとにこの本を読もう。きっと気持ちを冷静にしてくれるのではないか。
9. Game of Shadows by Mark Fainaru-Wada and Lance Williams (2006)
BALCO と呼ばれる会社が九十年代と二千年代初期に、アメリカの野球選手やアスリートにステロイドを供給していたというスキャンダルを扱った本。
10. The Secret Race: Inside the Hidden World of the Tour de France by Tyler Hamilton and Daniel Coyle (2012)
自転車競技でも薬が使われていることを告発した本。
非常にいい参考書を教えてもらった。「マッチョのための文学案内」を書く際に大いに役に立つと思う。
Thursday, October 25, 2018
脂質に気をつけろ
食品の包装の背後にはたいてい栄養成分の表が載っている。カロリーがいくらとか、タンパク質がいくら含まれるとか、炭水化物が何グラムとか書いてある。わたしはまずその表を見て脂質がいくら含まれるか注意する。
脂質の多いものを食べていると、血中の脂質の値も増える。わたしは以前は血中の脂質の値がやや高かったが、食べ物の脂質に気を配るようにするとたちまちその値が正常に変わった。
成分表示を見るようになってから、自分がいかに脂質を摂取していたかということがわかった。菓子パンなどはよく半額で売っているので買うことが多かったが、あれはとんでもなく脂質を含んでいる。マヨネーズをあえたお惣菜なども脂質が多い。今はそうしたものは徹底的に避け、一日に摂取する脂質の量を30グラムくらいに抑えている。
脂質だって人間の身体に必要なのだが、以前はおそらく100グラム以上取っていたのではないだろうか。それではいくら運動したって消費しきれない。血中の脂質の値が上がるはずである。
ただ鯖の脂は毎日少量ずつ取るようにしている。あれはいろいろと身体にいい効果があるからだ。幸いなことに近くの店で一缶を89円で売っている。タマネギなどをスライスしていっしょに食べるととてもおいしい。
脂質の多いものを食べていると、血中の脂質の値も増える。わたしは以前は血中の脂質の値がやや高かったが、食べ物の脂質に気を配るようにするとたちまちその値が正常に変わった。
成分表示を見るようになってから、自分がいかに脂質を摂取していたかということがわかった。菓子パンなどはよく半額で売っているので買うことが多かったが、あれはとんでもなく脂質を含んでいる。マヨネーズをあえたお惣菜なども脂質が多い。今はそうしたものは徹底的に避け、一日に摂取する脂質の量を30グラムくらいに抑えている。
脂質だって人間の身体に必要なのだが、以前はおそらく100グラム以上取っていたのではないだろうか。それではいくら運動したって消費しきれない。血中の脂質の値が上がるはずである。
ただ鯖の脂は毎日少量ずつ取るようにしている。あれはいろいろと身体にいい効果があるからだ。幸いなことに近くの店で一缶を89円で売っている。タマネギなどをスライスしていっしょに食べるととてもおいしい。
Tuesday, October 23, 2018
「十三番目の椅子」The Thirteenth Chair
バヤード・ヴェイラーのかなり有名なミステリ劇である。1916年に出ている。
とある屋敷で降霊術が開かれる。降霊術というのは霊媒がトランス状態に陥り、死者と交信するというやつだ。二十世紀の初頭はこれが英米で大流行した。さて劇の中の霊媒も電気を消した真っ暗な部屋の中で、守護霊に憑依され、丸く円を描くように椅子を並べて座っている参加者たちの質問に答えはじめる。
参加者の一人が、彼らの知人で、最近殺された男と話がしたいと言う。そしてその男の霊に、おまえを殺害した犯人は誰かと問うたのである。
その瞬間、問いを発した男は悲鳴をあげる。
異変に気づいた参加者の一人が明かりをつけると、問いを発した男は背中にナイフを刺され事切れている。
犯人は参加者の誰かだ。
さっそく警察が呼ばれ、ドノヒューという警部が犯人を追い詰めていくのだが、その過程で降霊術が開かれるに至った裏の事情も明らかにされていく。
本作は推理劇ではない。犯人は、登場人物の一人が打った芝居にまんまとひっかかり、その尻尾をあらわすにすぎないからである。証拠を積み重ねて論理的に警部が犯人を推測するわけではない。
しかしミステリのある種の型はちゃんとできあがっている。つまり警部が登場し、「誤った結論」を導き出し、その「誤り」が正され、真犯人がつかまる、という具合に物語は推移するからだ。
この誤りの訂正の部分が、のちの本格推理小説では、名探偵が開陳するところの推理となるのである。
1916年の段階では、まだその部分が充分に開発されていなかった。これはわたしのブログで何度も書いていることだが、本格的な推理は「事件=物語」の外部に立つ探偵があらわれるようにならなければならないのだ。
しかし降霊会というのはじつに魅力的なセッティングである。神秘的な闇があり、霊媒のいかがわしさがあり、日常を反転した奇怪な瞬間が現出する。
とある屋敷で降霊術が開かれる。降霊術というのは霊媒がトランス状態に陥り、死者と交信するというやつだ。二十世紀の初頭はこれが英米で大流行した。さて劇の中の霊媒も電気を消した真っ暗な部屋の中で、守護霊に憑依され、丸く円を描くように椅子を並べて座っている参加者たちの質問に答えはじめる。
参加者の一人が、彼らの知人で、最近殺された男と話がしたいと言う。そしてその男の霊に、おまえを殺害した犯人は誰かと問うたのである。
その瞬間、問いを発した男は悲鳴をあげる。
異変に気づいた参加者の一人が明かりをつけると、問いを発した男は背中にナイフを刺され事切れている。
犯人は参加者の誰かだ。
さっそく警察が呼ばれ、ドノヒューという警部が犯人を追い詰めていくのだが、その過程で降霊術が開かれるに至った裏の事情も明らかにされていく。
本作は推理劇ではない。犯人は、登場人物の一人が打った芝居にまんまとひっかかり、その尻尾をあらわすにすぎないからである。証拠を積み重ねて論理的に警部が犯人を推測するわけではない。
しかしミステリのある種の型はちゃんとできあがっている。つまり警部が登場し、「誤った結論」を導き出し、その「誤り」が正され、真犯人がつかまる、という具合に物語は推移するからだ。
この誤りの訂正の部分が、のちの本格推理小説では、名探偵が開陳するところの推理となるのである。
1916年の段階では、まだその部分が充分に開発されていなかった。これはわたしのブログで何度も書いていることだが、本格的な推理は「事件=物語」の外部に立つ探偵があらわれるようにならなければならないのだ。
しかし降霊会というのはじつに魅力的なセッティングである。神秘的な闇があり、霊媒のいかがわしさがあり、日常を反転した奇怪な瞬間が現出する。
Sunday, October 21, 2018
全日本プロレスに望む
わたしは全日本プロレスのファンだが、その情報源は全日のホームページと YouTube に出ている動画だけである。それ以外はなんにも読まないし見ない。つまりあまり熱心なファンではない。
熱心ではないファンが全日に要望を出すなんて、勘違いもはなはだしいと思われるだろうが……しかし同じことを考えている熱心なファンの方も多いのじゃないだろうか。
つまり最近、全日のホームページから出ている試合の情報がずいぶん少なくなったということである。以前は地方で興業が行われると、それが短く動画化されて紹介されていたが、今は全日本プロレスTV というのができたせいか、それが消えてなくなった。いや、まったくなくなったわけではないが、動画の紹介はごくごく稀になってしまった。
昔は「Sushi チャンネル」というのがあって、巡業の様子などを伝えて貴重だった。アメコミが大好きな青柳選手の好青年ぶりを知ったのもあの番組を通してだった。また、Sushi 選手の口べたなところも、なんとなく親近感を与えてよかったと思う。ああいう試みは一月に一度、十分程度でもかまわないので、やっていただければありがたい。
佐藤光留選手なら金を払って情報を得ろというだろうが、わたしのように貧乏をしているとなかなかそうもいかないのである。たまにまとまったお金が手に入ったら、それを大事に半年くらい取っておいて、北海道まで来てくれた全日の試合を見に行く。病気をしたりして意想外の出費がなければ、年に一回、贅沢に試合を楽しむ。そんなファンもいるのである。
熱心ではないファンが全日に要望を出すなんて、勘違いもはなはだしいと思われるだろうが……しかし同じことを考えている熱心なファンの方も多いのじゃないだろうか。
つまり最近、全日のホームページから出ている試合の情報がずいぶん少なくなったということである。以前は地方で興業が行われると、それが短く動画化されて紹介されていたが、今は全日本プロレスTV というのができたせいか、それが消えてなくなった。いや、まったくなくなったわけではないが、動画の紹介はごくごく稀になってしまった。
昔は「Sushi チャンネル」というのがあって、巡業の様子などを伝えて貴重だった。アメコミが大好きな青柳選手の好青年ぶりを知ったのもあの番組を通してだった。また、Sushi 選手の口べたなところも、なんとなく親近感を与えてよかったと思う。ああいう試みは一月に一度、十分程度でもかまわないので、やっていただければありがたい。
佐藤光留選手なら金を払って情報を得ろというだろうが、わたしのように貧乏をしているとなかなかそうもいかないのである。たまにまとまったお金が手に入ったら、それを大事に半年くらい取っておいて、北海道まで来てくれた全日の試合を見に行く。病気をしたりして意想外の出費がなければ、年に一回、贅沢に試合を楽しむ。そんなファンもいるのである。
Saturday, October 20, 2018
筋トレはのんびりと
世間一般の「筋トレ」なるものは、「最短の時間で最大の効果を得る」という、きわめて資本主義的な効率思想に基づいている。
わたしははなからこれを否定する。筋トレは自分の体力や性格に合わせて自由にやればいいのである。どんなにチョビチョビとトレーニングをやっていても、持続的に筋肉に負荷をかけ、その後栄養の補給や休息をしっかり取るならば、筋肉は少しずつ成長する。
筋トレのやりはじめはとにかく無理に身体を動かさないこと。わたしは五分くらいしかやらなかった。しかも「関節が鳴ったらすぐビールを飲む」というルールをつくった。やりはじめの頃は身体が硬く、関節がよく鳴った。筋トレを開始して十秒もたたずして冷蔵庫を開けることもよくあった。
しかしそれでいいのである。いい加減なトレーニングでも継続していれば身体は新しい動きや負荷に順応し、しだいにさらなる負荷に耐えられるようになる。
最初の頃は英和中辞典などを持って腕のトレーニングをしていたが、それがいつの間にか大辞典に変わり、大辞典二冊を紐でくくりつけて持つようになり、十年たったら大辞典三冊を紐でまとめて持ち上げている。多分十キロくらいだ。片手で頭の上に持ち上げ、二百回は上げ下ろしができる。本当はもっと重くしたいのだけれど、持つところがなくて危険なのでこれ以上冊数を増やすことはしない。筋トレ器具を買わずにやるホーム・ワークアウトの限界である。
しかし逆に、のんびりとホーム・ワークアウトをしていても、長くやっていればこの程度まではいけるということを強調したい。なるほど片手で四十キロも五十キロも挙げる人からすればたいした成果ではない。しかし筋トレは競争ではない。自分の健康を維持することが最大の目標なのである。
わたしははなからこれを否定する。筋トレは自分の体力や性格に合わせて自由にやればいいのである。どんなにチョビチョビとトレーニングをやっていても、持続的に筋肉に負荷をかけ、その後栄養の補給や休息をしっかり取るならば、筋肉は少しずつ成長する。
筋トレのやりはじめはとにかく無理に身体を動かさないこと。わたしは五分くらいしかやらなかった。しかも「関節が鳴ったらすぐビールを飲む」というルールをつくった。やりはじめの頃は身体が硬く、関節がよく鳴った。筋トレを開始して十秒もたたずして冷蔵庫を開けることもよくあった。
しかしそれでいいのである。いい加減なトレーニングでも継続していれば身体は新しい動きや負荷に順応し、しだいにさらなる負荷に耐えられるようになる。
最初の頃は英和中辞典などを持って腕のトレーニングをしていたが、それがいつの間にか大辞典に変わり、大辞典二冊を紐でくくりつけて持つようになり、十年たったら大辞典三冊を紐でまとめて持ち上げている。多分十キロくらいだ。片手で頭の上に持ち上げ、二百回は上げ下ろしができる。本当はもっと重くしたいのだけれど、持つところがなくて危険なのでこれ以上冊数を増やすことはしない。筋トレ器具を買わずにやるホーム・ワークアウトの限界である。
しかし逆に、のんびりとホーム・ワークアウトをしていても、長くやっていればこの程度まではいけるということを強調したい。なるほど片手で四十キロも五十キロも挙げる人からすればたいした成果ではない。しかし筋トレは競争ではない。自分の健康を維持することが最大の目標なのである。
Wednesday, October 17, 2018
「転換点」 All Change, Humanity!
クロード・ホートンが1942年に出した作品。
このタイトルは訳しにくい。All change! は「乗り換えてください」という意味だが、「みんな変化しろ」という意味もこめられている。
そう、これは人類が古い態度を捨て、新しい考え方を身につけるべきだと主張している作品である。人類は物質主義、拝金主義に陥り、どん詰まりまで来てしまった。もはやわれわれは路線に切り替えて進まなければならない。この物語の中では人々が記憶喪失にかかり、しかも記憶を失ったことを喜んでいる。人々は目覚めつつあるのだ。過去と手を切り、新しい方向性へと導かれることを喜んでいるのだ。
一方ではナチズムが台頭し、戦争への準備が進む。他方ではそうした戦争産業で資本主義が発達し、人々の考え方を支配していく。こういう状況において、ある種の閉塞感が人々のあいだに蔓延していたのだろう。「転換点」はそこからの離脱を夢見た作品と、ひとまずは言えるかもしれない。
物語の出だしは「わが名はジョナサン・スクリブナー」と似ている。語り手のドレイクが無一文でパリをうろついているとき、知り合いからクリストファーという男の付き人にならないかと持ちかけられる。クリストファーは才能にあふれた若者だったが、その後精神病院に入れられ、つい最近「正常」と判断され、退院することになったのだという。彼は巨万の富を持ち、血縁であるマナリング家とティーズデイル家がそれを付け狙っている。語り手のドレイクはこの両家の人々の醜い抗争の中に放りこまれることになるのだ。
マナリング家とティーズデイル家の人々は金の力によってしか生きていくことができない現代人をあらわしている。クリストファーは古い物質主義的な考え方を脱し(だから彼は狂人扱いされたわけだ)、新しい、豊かな精神主義を体現している。
正直に言えば、この作品はあまりにも図式化されていて、つまらない。「ジョナサン・スクリブナー」においてはスクリブナーの謎がうまく形成されていたが、クリストファーには(明らかに彼はスクリブナーの後継者ではあるものの)謎めいたところ、神秘的なところがないのである。あまりにも対立が明瞭すぎるからだ。
またクリストファーによってあらわされる新しい精神主義がいかなるものなのかも曖昧だ。現代のわれわれは資本主義に代わるシステムを見いだせずに苦しんでいる。しかも資本主義的な考え方がますます支配的になりつつある。民主主義も人権も資本主義がますます猛威をふるえるように変形されつつある。そんな戦いの渦中にあるわれわれから見て、クリストファーが曖昧にあらわしているような新しい道は、懐疑の対象でしかない。
おそらく作者のクロード・ホートンは同時代の精神状況をアレゴリカルに表現したかったのだろう。しかし彼が現実の中核にある問題を充分明瞭に把握していたとはいえない。この作品のすべてがどこか的外れな感じを与えるゆえんではないだろうか。
このタイトルは訳しにくい。All change! は「乗り換えてください」という意味だが、「みんな変化しろ」という意味もこめられている。
そう、これは人類が古い態度を捨て、新しい考え方を身につけるべきだと主張している作品である。人類は物質主義、拝金主義に陥り、どん詰まりまで来てしまった。もはやわれわれは路線に切り替えて進まなければならない。この物語の中では人々が記憶喪失にかかり、しかも記憶を失ったことを喜んでいる。人々は目覚めつつあるのだ。過去と手を切り、新しい方向性へと導かれることを喜んでいるのだ。
一方ではナチズムが台頭し、戦争への準備が進む。他方ではそうした戦争産業で資本主義が発達し、人々の考え方を支配していく。こういう状況において、ある種の閉塞感が人々のあいだに蔓延していたのだろう。「転換点」はそこからの離脱を夢見た作品と、ひとまずは言えるかもしれない。
物語の出だしは「わが名はジョナサン・スクリブナー」と似ている。語り手のドレイクが無一文でパリをうろついているとき、知り合いからクリストファーという男の付き人にならないかと持ちかけられる。クリストファーは才能にあふれた若者だったが、その後精神病院に入れられ、つい最近「正常」と判断され、退院することになったのだという。彼は巨万の富を持ち、血縁であるマナリング家とティーズデイル家がそれを付け狙っている。語り手のドレイクはこの両家の人々の醜い抗争の中に放りこまれることになるのだ。
マナリング家とティーズデイル家の人々は金の力によってしか生きていくことができない現代人をあらわしている。クリストファーは古い物質主義的な考え方を脱し(だから彼は狂人扱いされたわけだ)、新しい、豊かな精神主義を体現している。
正直に言えば、この作品はあまりにも図式化されていて、つまらない。「ジョナサン・スクリブナー」においてはスクリブナーの謎がうまく形成されていたが、クリストファーには(明らかに彼はスクリブナーの後継者ではあるものの)謎めいたところ、神秘的なところがないのである。あまりにも対立が明瞭すぎるからだ。
またクリストファーによってあらわされる新しい精神主義がいかなるものなのかも曖昧だ。現代のわれわれは資本主義に代わるシステムを見いだせずに苦しんでいる。しかも資本主義的な考え方がますます支配的になりつつある。民主主義も人権も資本主義がますます猛威をふるえるように変形されつつある。そんな戦いの渦中にあるわれわれから見て、クリストファーが曖昧にあらわしているような新しい道は、懐疑の対象でしかない。
おそらく作者のクロード・ホートンは同時代の精神状況をアレゴリカルに表現したかったのだろう。しかし彼が現実の中核にある問題を充分明瞭に把握していたとはいえない。この作品のすべてがどこか的外れな感じを与えるゆえんではないだろうか。
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