Thursday, April 30, 2020

ロックダウンと読書

イギリスではロックダウンがはじまってから本の売り上げが急速に伸びたという報道が繰り返されている。しかも、この新しい生活が数週間はつづくとあって、大部の本が売れているらしい。ガーディアンは特に売れている本を四冊紹介していた。(https://www.theguardian.com/books/2020/apr/25/tolstoy-steinbeck-defoe-why-are-so-many-turning-to-classic-novels)

ジョージ・エリオット「ミドルマーチ」

ペンギンによるとオーディオ・ブックの売り上げが30%アップしたそうだ。傑作という評判は高いが、あまりの分厚さにイギリス人もあまり読んでいないのだろう。日本の「源氏物語」みたいなものだ。

オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」

イギリス世紀末を代表する作品。オーディオ・ブックの売り上げはなんと59%のアップ。誰もが一度は読んでいる作品かと思ったが、そうでもないのだろうか。

ヴァージニア・ウルフ「自分の部屋」

オーディオ・ブックの売り上げは64%アップ。ウルフはフェミニストのあいだでもてはやされている作家だし、部屋に閉じこもるこの時期に読むには、まあ、ふさわしいかもしれない。ついでにこれをきっかけに優秀な作家があらわれればロックダウンも無駄ではなかったと言うことになる。

ローリー・リー「ある真夏の朝に外に出て」

電子書籍の売り上げが154%アップ。よりによってなぜこの本が、という気がしないでもないが、とにかく名作である。「ロージーと林檎酒を」および「戦争のとき」と組み合わされて三部作をなしている。作者がロンドンからスペインまで旅をし、内戦に巻き込まれる様子を描いたものだ。

ほかに売れている本というとトルストイの「戦争と平和」、ヒントンの「アウトサイダーたち」、スタインベックの「鼠と人間」、デフォーの「悪疫の年」、ボッカチオの「デカメロン」、フォン・アーミンの「魔法の春」(驚くなかれ、この本の売り上げは5000%上昇した)、カーの「田舎での一か月」などがあるそうだ。

これを見てなんとなく不思議な気がする。どれも本格的な文学作品、まじめな作品ばかりだからだ。もちろんスティーブン・キングを読む人もいるだろうけど、なぜリストのトップにあがってこないのだろう。われわれの直面している情勢が深刻だからだろうか。たんに現実逃避として読書しているのではなく、なんらかの知恵を得ようとしてこうした本に向かうのだろうか。わたしはたぶんそうなのだろうと思う。文学というのは閑文字ではなく、人間が危機に直面したときに真価を発揮する、あるいは真価を発揮しなければならないものなのだ。

Tuesday, April 28, 2020

ニュージーランドの場合

ここ二か月ほどずいぶん熱心にBBCやガーディアンを読んできたが、各国政府の能力が如実にあらわれた期間だったと思う。国家的な危機への対応という、政府にもっとも求められる能力をためす、絶好の機会をコロナウイルスは提供してくれた。

ニュージーランドはそのなかで輝かしい成果をあげた国家の一つである。まことに小さな国でありながら、傍目にも驚嘆すべき政府の危機管理能力だった。

いったい彼らのどこがよかったのか。BBCの記事が簡潔にまとめていた。(https://www.bbc.com/news/world-asia-52450978)それによると成功の秘訣は
(1)早期の国境閉鎖
(2)素早い、断固としたロックダウン
(3)感染源の追跡と検査
(4)ソーシャル・バブルの選択と自粛
(5)わかりやすいパブリック・メッセージ
なのだそうだ。

(1)について言えば、ニュージーランドが旅行者に世界的にも厳しい制限を発令したのは三月十九日である。アーダーン首相は「我が国には百二名の患者しかいない。しかしイタリアもそうだった」と言って断固国境を閉ざした。

(2)三月二十一日にニュージーランドは新しい警戒システムを発表し、ほどなくして全国が警戒レベル四の最高レベル体制が敷かれた。会社、学校、海岸や遊技場、バーやレストラン、持ち帰りや出前なども禁止された。

(3)ニュージーランドはいわゆるクラスター対策をしつつ、一日に八千人の検査も行った。さらにシンガポールやオーストラリアで使われているような追跡アプレットも導入した。

(4)ニュージーランドはただ国民に自宅にひきこもれと言ったのではない。親しいごく少数の人々を選んで、ソーシャル・バブルをつくり、そのなかでのつきあいは認めた。それがルールを守りやすくしたのである。もちろん二メートルの社会的距離を置くことは求められた。

(5)アーダーン首相はつねに良識的な情報を落ち着いた態度で、しかし断固として国民に発した。彼女の演説・対話はいずれも圧巻であり、感動的ですらあったと思う。

こうやって項目的に列挙してみると、どの点においても日本政府のやり方はグダグダであったことがわかる。しかしこういう政府をつくりあげたのはわれわれ国民自身であって、人々は民度にふさわしいリーダーしか持てないのかもしれない。

Sunday, April 26, 2020

思考と歩行

わたしはなるべく身体を動かすようにしている。筋トレもするし、週末に図書館に行くときは往復で七キロくらい歩く。

七キロ歩くのにはだいたい二時間くらいかかる。交通機関を使えば時間は短縮されるけれども、わたしにとってはこの二時間は貴重な思考のための時間である。なにかにはっと気がつくのは、たいてい歩いているときだ。

思考は頭でするものと考えている人がいるが、じつは違う。たとえばわたしはひらがなの「な」が思い出せなくなったことがある。そのとき、わたしの身体でもっともそれを思い出そうとしたのは手である。さまざまな動きをこころみて、「な」を思い出そうとした。字を忘れたとき、たいていの人はわたしと同じように手を動かすに違いない。字を覚えているのは手の筋肉ではないか。

考えているうちに部屋の中を行ったり来たりするということもよくある。日本の家は狭いから貧乏揺すりですませなければならないかもしれない。なぜ足が動くのだろう。わたしは足が考えているからだと思う。身体じゅうが信号を発し、忘れたもの、未知のものを言語化しようとするのだ。

トイレに本を持ち込んで読むと難解な哲学書でも不意に意味がわかってきたりする。あれは大腸が考えているからではないか。すくなくとも大腸の動きが脳によい刺激・信号を出しているのだと思う。

さらに外を歩いていると、意外な刺激が外からやってきて、それが思考に思わぬきっかけを与えたりもする。

静かな部屋の中でじっと考えていてもなかなか考えはまとまらない。そこで外に出るわけだが、思考に没頭しているようでも、車の音やら建設中のマンションの風景やら、通り過ぎる人の会話やら風やら、いろいろな夾雑物が思考のはしばしに突き刺さってくる。そうした信号がまとまらなかった思考にまとまりを与えることもあるのだろう。わたしは看板を描いた英語の一節がよくわからず考え込み、外に散歩に出たのだが、おそらく信号機の光を見たせいだろう、忽然と意味が判明したことがある。また、別の英文の中で用いられた gold という単語の意味がわからず、歩きながら考えていたのだが、ある店屋の前ではっとそれが golf の誤植であることに気がついた。なぜあの店屋の前でそれに気づいたのだろうと考えたら、その店屋の少し手前の道からゴルフ場のネットが見えていた。それが無意識のうちにわたしの思考を導いたのだろう。

歩行は思考を助けてくれる。いま出歩くのを控えなければならないというのはちょっと辛い。

Thursday, April 23, 2020

謎の作家

ジャック・スティール(Jack Steele)という作家がいる。プロジェクト・グーテンバーグには「代理の夫」(A Husband by Proxy)という1919年に出版された本が収録されている。どんな話か。

ジェラルド・ギャリソンがニューヨークに探偵事務所を構える。そこへ、夫の代わりをしてくれる若い男を捜しているが、誰か知らないか、と若い女が相談に来る。結局ジェラルド自身が彼女の夫の代わりをつとめることになる。彼女が帰った直後にウィックスというご婦人がやってきて、ある紳士が死んだのだが保険金詐欺の疑いがあるから調べてくれと頼まれる。事務所を構えたと思ったらさっそく二つも事件が転がり込んできた。いや、事件だけじゃない。彼の身に危険も迫ってきたのだ。

おや、面白そうだな、と思わないだろうか。依頼がたたみかけるように二つも来る。そのうちの一つはいかにもわけありげで、どことなくロマンチックな匂いを放っている。もう一方は死と策謀の匂いがする。いったいこの二つの依頼がどんなふうに組み合わさるのだろうか、と誰しも気に掛かると思う。

1911年には「鎧の館」(The House of Iron Men)という本を書いている。この本でもジェラルド・ギャリソンが登場する。内容は……

ジュリアン・ヴェイルは二十七歳の誕生日に大きなプレゼントを受け取る。まるで棺のような大きさだ。ジュリアンは、どうせ友人たちがいたずらに鉄道の模型でも送ってきたのだろうと思っていた。ところがそのとき、彼といっしょにいたフィアンセが、プレゼントが揺れたといって大騒ぎする。ジェラルドが中をあけてみると、なんとそこには若い女性が入っているではないか! 彼女はぼんやりと眼を開けてジュリアンを見た。

ほほう、これはどういう状況なんだ? そのあとはどうなるの? と興味を引かれた人も多いはず。「代理の夫」も「鎧の館」も、出だしでいきなり読者の興味を引きつけ、わくわく、どきどき感が最後までつづく読み物となっている。

こんな優秀な娯楽小説を書いたジャック・スティールとはいったい誰なのか。これがさっぱりわからなくて十年以上も困っていたのだけれど、最近ようやくわかった。彼は本名を Philip Verrill Mighels (April 19, 1869 - October 12, 1911)といい、ベストセラー作品やらSF小説やミステリを書いていたのだそうだ。そしてミステリを書くときジャック・スティールという別名を用いていたらしい。ようやく彼の項目がウィキペディアに登場したおかげで正体が判明した。感謝、感謝。しかも Philip Verrill Mighels で検索すると、Internet Archive には彼の本がかなり収録されていることもわかった。これからしばらくは彼の本に読みふけることになりそうだ。十九世紀後半を生きた人だけに、表現はすこし古さを感じさせるのだが、それでも読みやすい。話の展開の早さは現代のエンターテイメント小説にだって負けない。

Tuesday, April 21, 2020

「わが手」(1936) C.St.ジョン・スプリッグ

C.St.ジョン・スプリッグはクリストファー・コードウェルの本名である。この早世したマルクス主義批評家については以前どこかで書いたような気がするので、ここでは省略する。彼は小説も書いていて、この方面でもなかなかの力量を示している。「飛行士の死」などはミステリとしても悪くない。

しかし「わが手」(原題 This My Hand)は彼の作品の中でもとりわけ傑出した出来を示している。わたしはこの心理小説に圧倒された。知られざる名作とはまさにこういう小説を云うのだろう。

なにがすごいのか。この作品では登場人物の心理的な側面に注目してその生い立ちがたどられるのだが、その成長の仕方が有無を言わせぬある種の論理性を帯びているのである。しかもそれでいて、確かにこういう人間はいるな、と思わせる自然な人間性の表現にもなっている。こんな書き方ができるだけでも並の実力じゃないのだが、さらに作者はそうした人物たちを絡み合わせて、やはりある種の必然性をともなった結論へと物語を導いていく。つまり個々の人物の心理表現もすばらしければ、異なる性格のインターアクションも見事に表現されているのである。

明らかにフランスの心理小説をモデルにして書かれているが、「マクベス」の一節をタイトルにしているところからもわかるように、イギリス文学もその根底には横たわっている。アクションによってわくわくさせる物語ではない。あくまで文学の玄人好みの作品である。しかし静かに鈍色の光を放つ秀作だと思う。

Saturday, April 18, 2020

戦争と権力のシニシズム

アマゾンから出した「闇の深みへ」には続編がある。「闇の深みへ」はアダム・エンバーたちがドロヒッツの町へ向かう場面で終わるが、続編「銀のバッカス」は彼らがドロヒッツの町に到着する場面から始まる。彼らは町の人々から大歓迎され、病兵は手厚い看護を、その他の兵士は贅沢なもてなしを受けることとなる。ところが彼らが町外れの紅灯の巷、つまり娼館シルバー・ホールで遊び浮かれている最中に、娼館の中で疫病による死者が発生する。部隊はさっそく町と娼館のあいだに非常線を張り、疫病の感染を防ごうとするのだが、もちろんそううまくいくものではない。疫病はドロヒッツ中に蔓延し、アダムは再び疫病による死者を埋める作業に従事する。

この物語の最後はどうなるか。敵軍がドロヒッツに向かっていることを知った最高司令部は、敵軍を疫病に感染させるため、アダムたちにドロヒッツを見捨てさせるのである。自分たちの利益のためなら無辜の民を平気で犠牲にする。それが戦争であり権力というものだ。

これを読んだとき、わたしは映画の「エイリアン」を思い出した。あの映画ではとある企業が、危険きわまりない異星の生物を地球に持ち帰ろうとする。戦争兵器として使おうというのだ。それを知ってシガニー・ウィーバー演じる宇宙飛行士は激怒する。自分たちに制御できないものを使ってまで戦争に勝とうとする、人間の非人間性がここにあらわれている。

日本政府はオリンピック開催のためにコロナ・ウイルスに感染した人の数を低く見せようとしていたが、経済を優先し、人間を二の次に置く日本政府の非人間性と、上記の小説や映画に描かれた権力とのあいだには、なんら逕庭はない。

Wednesday, April 15, 2020

基準独文和訳法

権田保之助著
有朋堂発行
「基準独文和訳法」より

問題6(p. 45)

Es darf als ein Vorzug der deutschen Filmindustrie
verzeichnet werden, daß sie erstmalig die Mittel für
den expressionistischen Film bereitgestellt und damit
die Notwendigkeit demonstriert hat, die Ausdruckswelt
des Films durch neue Formen zu bereichern.

研究事項
1)Vorzug, Mittel の本問題に於ける訳は?
2)der expressionistische Film は何と訳すべきか?
3)demonstrieren の訳?
4)und damit は何の意味か?
5)die Ausdruckswelt des Films durch neue Formen zu bereichern といふ zu 付き不定法の句は上の何処に関係するか?

解釈要項
1)Vorzug は「長所」。Mittel は「手段」。
2)der expressionistische Film は「表現派映画」と訳す。これを「表現的映画」なぞと訳しては意味を成さぬ。
3)demonstrieren は「例示する」。
4)und damit は「斯くして」「それで」「以て」である。これを「又それと共に」等と訳すやうでは、力の薄弱を示すものである。
5)die Ausdruckswelt...zu bereichern の句は die Notwendigkeit の Attribut である。

訳文

第一着に表現派映画の手段を調へ、以て映画の表現世界を新しき形式もて豊富ならしむる必要を例示したことは、独逸映画工業の一長所と称すべきである。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...