Sunday, May 31, 2020

粟粒熱と防疫の知恵

粟粒(ぞくりゅう)熱というのは十五世紀から十六世紀に流行した伝染病で、英語では俗に sweating sickness と呼ばれる。多量の発汗と高熱をともなう病気だからだ。突然発症し、数時間で死に至ることもあった。十六世紀中頃になぜか消えてしまい、その原因は現在も不明。ハンタウイルスの一種ではなかったかという人もあるようだ。

粟粒熱で亡くなった著名人も多い。ジェイムズ・フレミング男爵、プリンス・オブ・ウエールズのアーサー、サフォーク公爵の息子たちヘンリーとチャールズ、そしてトマス・クロムウエルも妻と娘と息子をこの病気で失っている。

「ウルフ・ホール」の著者ヒラリー・マンテルによると、チューダー朝の人々は隔離、今でいう自粛に長けていたそうだ。マンテルは彼らが今の時代に生きていたなら、もう少し長く自粛生活をつづけるだろうと言っている。(引用元の記事はこちら)「われわれはチューダー朝の医学や科学など話にならないしろものだと思いがちだ。しかしとんでもない。彼らは多くのことを知っていた。彼らはたしかに顕微鏡を通して見られるものを理解していなかった。ウイルスとかバクテリアを知らなかった。病気の原因を知らなかった。でも、病気の症状や貧困地区で感染が広がりやすいこと、必ず清潔を保たねばならないこと、都市が感染の中心であり、人が寄り集まるのを禁止しなければならないこと、病気が疑われるときは公的行事を避けなければならないことを知っていた。チューダー朝の人々がやっていたことは、現在われわれがそうするように要請されていることと多くの点で重なるのだ。ただそれに対する名称の付け方が異なるだけ」

日本でもスペイン風邪流行のさいに書かれた文献に注目が集まり、そこに示された対策が今にも通用すると話題になった。要するに昔の知恵は馬鹿にならないということだ。われわれはさらに、チューダー朝以降、あるいはスペイン風邪以降に得られた科学的知見を活用しなければならない。

しかし日本の様子を見ていると、われわれが現在までに獲得した科学的知見がいっこうに生かされていない。薬がないのはしょうがないとしても、検査や検査に必要な機械、治療施設、医療従事者の防護服、感染者の追跡アプレットなど存在しないも同然の状態ではないか。国民は古い知恵に従って自粛をし、古い知恵の有効性を再確認したわけだが、それにプラスされるべき新しい科学的知見はいっこうに活用されていない。専門家会議の出す指針もデタラメで、四日間自宅待機を強制されたがために症状が悪化し死にすら至ったケースがいったいいくらあるのだろう。

「日本型の防疫」を賞賛する人がいるけれど、頭がどうかしている。「日本型の防疫」の内実はチューダー朝、あるいはスペイン風邪当時の水準にあるにすぎない。それはチューダー朝、あるいはスペイン風邪当時の防疫とおなじほどには有効である。しかしそれ以降にわれわれが得たはずの知見などかけらも含まれていないのだ。

秋になればコロナウイルスの新しい波が北半球を襲うだろう。ほかの国々とはちがい、日本ではそれに対する備えがまったくなされていないという点も気にかかる。

Friday, May 29, 2020

マージェリー・アリンガム「悪党の休日」(1935)

この物語の根底にあるのは一通の遺書である。ヒロインであるジュディ・ウェリントンの裕福な親戚は、こんな遺書を残した。もしもジュディが二十四歳になるまでに結婚していたなら、巨額の遺産は彼女の夫の手に渡る。もしもジュディがそのときまでに結婚していないなら、巨額の遺産はマルガリータ・ファーニイに渡る。ジュディが死亡した場合も遺産はマルガリータのものとなる。

これを知ったジュディの後見人はケチな詐欺師を見付け、ジュディと結婚させようとする。法律家である彼は、詐欺師にはそれなりの報酬を払っておいて、残りの巨額の遺産を自分のものにしようとしたのだ。

マルガリータのほうも黙ってはいない。彼女は後見人の監視のもとにあるジュディを奪い取り、かつそのあとで彼女を殺害しようとする。

まさにジュディにとっては前門の虎、後門の狼だが、そんな彼女を窮地から救い出すのが、彼女に一目惚れしたスコットランドヤードの刑事デヴィッド・ブレストである。彼はジュディの父親や、退職警官の力を借りて愛する人を魔の手から守ろうとする。

本書は作者がマックスウエル・マーチ名義で出した二作目の作品だ。出だしはミステリっぽい感じだが、すぐに冒険談、あるいはメロドラマにすぎないことがわかる。なにしろ刑事であるデヴィッドが事件の渦中にあるジュディに恋をするのだから、いわゆる正統派の「推理小説」にはなりようがない。正統派の「推理小説」においては、探偵は事件の外に位置している(あるいはメタレベルの視点を保持している)のであり、事件の内部に巻き込まれてはいけないのだ。

しかしメロドラマと言っても、これはよくできたメロドラマである。展開がじつに小気味がよく、各章がはらはらする場面で終わるからどうしても「もうちょっと、もうちょっと」と読み続けてしまう。人物も個性豊かに書き分けられている。現実逃避の軽い読み物としては、秀逸なほうだろう。もちろんメロドラマらしい定型的な(そして陳腐な)表現も見られる。たとえばこんな感じだ。

デヴィッドがボートに這い上ると、彼女は疲労の極みにあった。二つの櫂はどちらも海に落ちてしまってなく、彼女は上体を起こす力もないようだった。彼女は子供のように彼にしがみつき、肩にもたれて泣いた。

本書のクライマックスにあたる部分で、「疲労の極み」とか「子供のように」のような手垢のついた表現にでくわし、わたしはちょっと鼻白んだ。

さらにメロドラマらしいわけのわからなさもこの作品はそなえている。その最大のものは、ケチな詐欺師と結婚させようとする後見人のもくろみを、ジュディはなぜはねつけないのか、まったく説明がない点である。父親が冤罪で牢屋に入り、出獄後は幼いジュディに対し、自分は彼女の「叔父」であると正体を偽ってきたことが、関係ありそうだが、明確な説明はどこにもない。読者は誰しも疑問に思うところだろうに。

終わり方もメロドラマやロマンスにありがちな、しかし満足感を与えるものとなっている。いちばん最後の場面でデヴィッドとジュディは別れを告げ合う。デヴィッドはなぜジュディに結婚を申し込まないのか、読者は怪訝に思うだろう。そのときジュディは彼にこう呼びかける。

 「デヴィッド!」
 「なんだい?」
 「デヴィッド、も、もしかして遺産が気にかかるの?」
 「うん」と彼は短くこたえた。
 「あたし、遺産を受け取らなければならないの?」彼女の声はひどく小さかった。彼は彼女に近づき、彼女が横たわるベッドのそばにひざまづいた。

そう、彼女は遺産を放棄する。デヴィッドが身分の差を気にして愛を告白できないでいることを見抜いたのだ。そして彼と結婚し、刑事のつつましい給料で生きていくことを表明する。遺書はそれまで彼女の生死を左右するほどの力を持っていたが、ここでそれは完全に力を失うのだ。遺書のせいで物語がはじまったのだから、遺書の力が失効した時点で物語が終わるのはしごく当然である。ロマンスの幕切れとして、まず上々の出来だろう。

作者のアリンガムはのちにキャンピオンを主人公にした不思議な作品を書くようになるけれど、出発点において彼女はメロドラマ作家だったということがよくわかる作品だ。

Tuesday, May 26, 2020

基準独文和訳法

権田保之助著
有朋堂発行
「基準独文和訳法」より

問題8(p. 47)

Trotz ihrer stolzen Grüße bedeutet die moderne Stadt nichts für sich selber; sie will nicht herrschen, nicht ausbeuten; als dienendes Glied staatlich geordneten Volkes bricht sie die Bahn einer aufwärtsstrebenden, wahrhaft sozialen Kulturentwicklung für die Gesamtheit.

研究事項
1)die moderne Stadt の訳語に就いては、問題5の die moderne Zeitung のそれを参考すべきである。
2)ausbeuten と、dienendes Glied staatlich geordeneten Volkes と、die Gesamtheit との夫々の訳は?
3)für sich selber の句は如何に解すべきか?
4)die Bahn brechen といふ成句が使用されてゐる。その訳は如何にすべきか?

解釈要項
1)die moderne Stadt は「近代都市」「近世都市」。
2)ausbeuten は「利用し盡す」なぞ訳してはいけない。それは「搾取する」「掠奪する」と訳すべきもの。dienendes Glied staatlich geordeneten Volkes は国家的に統制されゐる国民の承役的部分」。
3)für sich selber は「それ自身に対しては」である。単に「それ自身丈けでは」「それ自身に於て」と訳したのでは誤である。
4)die Bahn brechen は「道を拓く」の意味である。この熟語に気が付かずして、「道程を破る」なぞとしては飛んでもないことになる。

訳文
近代都市はその誇らしげな広さを有しゐるにも拘らず、それ自身に対しては何等意義を有せざるものである。それは他を支配せんともせず、他を搾取せんともしない。それは国家的に統制せられてゐる国民の承役的部分として、統体の為めに、向上的にして真に社会的な文化展開の道程を拓くものである。

Monday, May 25, 2020

世界の比較

コロナウイルスによるパンデミックのおかげで、われわれは世界の国々を比較し、自分たちの国がどのようなレベルにあるのかを知ることができる。政府の防疫対応やロックダウン中の経済支援などがいい例である。感染者数、死亡率なども比較すると不思議な結果があらわれる。日本の報道では欧米と比較して日本は死亡率が低い、だから日本は病気に対する対策をよくやっているのだ、などという議論がまかり通っているが、とんでもない。。欧米の死亡率は高いがアジア圏の死亡率は軒並み低いのである。医療水準のそれほど高くない南アジアにおいてすら死亡率は低い。いったいこの原因はなんなのかと、世界中の科学者が調べはじめている。日本の対策がニュージーランドや台湾並みであったなら、今の死亡率も罹患率ももっと下げられたはずだ。

さて、日本ではロックダウンの最中に賭け麻雀に興じた検事長がいたが、イギリスにはロックダウン政策を推し進めたにもかかわらず、自分はその期間中に両親の家へ400キロ以上も旅した政治家がいる。ドミニク・カミングズのことだ。イギリスも日本も右派が政権を取っているが、どちらも違反者に対する措置は大甘である。黒川検事長は賭博の罪にもかかわらず訓告・辞任ですまされ、カミングズに対してジョンソン首相は擁護の立場に回っている。これには普段は政権を応援しているデイリー・メールもかんかんに怒った。「カミングズがロックダウンの精神も規則も破ったことは明白だ。ジョンソン首相はこの件に関する一般市民の感情はよく理解しているというが、あきらかにわかっていない。どちらも信頼関係を破ったことに対して後悔のかけらも示していていない。彼らはわれわれを馬鹿だと思っているのか。政府と国家のためにもカミングズは辞任しなければならない。さもなければ首相は彼を辞めさせなければならない。言い訳は一切通用しない」と猛烈な論調で非難している。

ブラジルのボルソナロにしろアメリカのトランプにしろ、右派の指導者というのはどうしてこうも人々の気持ちを理解しない、想像力に欠けた人間ばかりなのだろう。カミングズは両親が心配だったのかもしれないが、親がコロナに感染し、死に際に立ち会えなかった人も大勢いるのだ。そうした人々の感情を理解する力がまるでない。イギリスの医療専門家チームの一人はロックダウン中に恋人に会ったということで辞任したが、そうした潔さもない。金と権力にしがみつく薄汚さばかりが目立つ。

危機に瀕したときほど人間の本性があらわれるというのは事実で、われわれは遅ればせながら自分たちの指導者がいかなる人間であるかを知ったわけである。これを奇貨として今後の選挙に役立てなければならないだろう。

Friday, May 22, 2020

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 110-112)

範例
We worked at the ors for fifteen minutes; it seemed to me as many (=fifteen) hours.
十五分間橈を漕いだが、私には十五時間に見えた。

解説
As many= (前と)同じほど多き。
As few = (前と)同じほど少なき。
  = The same number (of).
     同数の。

 前の語(数を示す語)の反復を避くる爲めに用ふ。
 次に示す一例は前の語をそのまゝ反復したるものにして後の fifty は之を as many に改むる事を得。

  He rose again, and we each took one of her hands and dragged her along the road. Fifty yards -- they seemed to be fifty (=as many) miles.
    H.R. Haggard
    彼は再び起き上つた、而て我々は各彼女の一方の手を取り道路を引ずつて行つた。其間五十ヤードで有つたが五十哩位に見えた。

  Cf.
       I thought as much.
      =I thought so.

用例
1.  The wall was about fifteen feet high, and as many thick.
    四一 金澤醫専
  壁は高さ約十五呎、厚さもそれと同樣なり。

2.  "I had the privilege of being out seven times in as many days, sire," said I.
    C. Doyle
    「私は七日に七回出ると云ふ光榮を得ました」と私は云つた。

3.  General Victor, with 4000 French and as many Lombards, advanced upon the route of Imola.
    J. G. Lockhart
    ヴクトル将軍は四千の佛人と同数のロムバーデ人を率いてイモラの道路に進出せり。

4.  Then followed a fight between six Arabian dogs, and as many jackals from the deserts of Turan.
    次に六疋の亞刺比亞犬とチュラン沙漠から生擒つて來た六疋の豺との戰があつた。

5.  Although men are accused for not knowing their own weakness, yet perhaps as few know their own strength.
    三三 六高
  人は自己の短所を知らざるを以て批難せらるれども自己の長所を知らざる者も同樣に少なし。

6.  "What! You have no money at the banker's!"
    "A few hundreds, when I want as many thousands."
    W. Collins
    「何! 銀行に金が無い!」。
  「二三千ほしいのに二三百しか無い」。

7.  The ground in this direction was very uneven; a hundred men might have lain hidden in as many square yards about my path.
    R. L. Stevenson
    この方向の地面は甚だしく高低ががあつた。私しの道すぢに當る一百平方ヤードの内に一百人がかくれて居れたかも知れぬ。

8.  The more pretentious shadchens get more, perhaps five hundred dollars, but of course they do not make as many matches.
    Munsay's Magazine
    もっと高く構へて居る媒酌人はもつと多くの金、恐らく五百弗位得るで有らう、併し勿論五百の縁談は纏まらない。

9.  Now, far and near, our yew hedge was noted. There was not its like in the whole country. It was about fifteen feet high, and as many thick.
    Mrs. Craik
    扨て、我が家の水松の垣は遠近に聞えて居りました。この樣な立派なのは何處にも有りません、高さは十五呎許り厚さも同樣でした。

10. His blood had not reached the ground, nor the last curse died on his lips, before the whole hords was upon us, but with a dozen bounds and as many slashes we were all safely out of the glade, and galloping down the winding track which led to the valley.
    C. Doyle
    彼の血がまだ地に落ちない中に、また、其最後の詛が其唇の上に消えない中に一同の者は我々に向つて來たが、併し十回以上馬を躍らせ、十回以上相手に斬りつけて、我々は無事に林の中を抜け出で、平地へ通ずる曲りくねつた路を一散に走つて行つた。

Tuesday, May 19, 2020

Sex and the Failed Absolute

タイトルに挙げたのは、ジジェクが昨年出した本だが、これは彼の本の中でも異様な印象を与える哲学書だと思う。ほとんど性急なまでに哲学的問題に答を与えようとしているからだ。

ジジェクは要約がうまい。デリダやメイヤスーやバデューらの議論を簡潔に見事にまとめてみせる。抜群の情報処理能力だ。しかしそれに対する彼本人の議論は、デリダやメイヤスーやバデューとの相違点はよくわかるものの、それからさらに展開していくとき、どことなく茫洋とした印象を与える。終点が見えないような議論になっている。なにか腑に落ちきらないものを宿している。

ところが本書では、彼は最初から輪郭のはっきりした、明快な議論を目指している。確かにインターネット上に散乱する彼の講演の録音を聞くと、最近は存在とか死とか超越といった哲学的な問題にしっかりした答を出したいと言っているのだが、しかし本書でこれほどラディカルに議論を進めているとは思わなかった。彼の議論の曖昧さに悩んできた人には必読の本となるだろう。

わたしがとくに注目したのは、主体の問題をトポロジー的に説明した、本書の中ほどの部分である。トポロジカルな読解について考えているわたしにとっては、目もくらむような面白さだった。類概念と種概念の話しは何度も読んだり講演で聴いたりしていたのに、今回この本を読んではじめて自分が考えていることとの関連性に気がついた。

最後のほうで無神論について語られた部分は正直よくわからなかった。わたしは「悪魔の悲しみ」を訳したとき、他者を通しての信仰というおかしな現象に気が付いた。ジジェクもおなじ問題について、わたしよりはるかに突っ込んだ議論をしているようなのだが、全体としてすとんと腑に落ちるような論述にはなっていないと思う。それまでの記述は自分の考えをシステマチックに明示しようとする意志に貫かれているのだが、ここはそれがうまくいっていないようだ。わたしの頭が悪いのか、ジジェクがまだ十分に思考を展開しきっていないためにわかりにくさが生じているのか、なんともいえないところだ。しかしところどころはっとさせられる意見がちりばめられている。

今までジジェクが書いてきたことを再説している部分もたくさんあるが、自分の考えに決然と体系性を持たせようとした本書は、ジジェクの後期の代表作となるかもしれない。

Saturday, May 16, 2020

ジャシンダのお昼ご飯

ニュージーランドがコロナに対する防疫活動でめざましい成果をあげ、世界的な賞賛をあびていることは周知の通り。その活動の中心人物が首相のジャシンダ・アーダーンだ。労働党の党首でもある彼女は、コロナの発生と共に、すばやく、断固たる措置を取り、かつまた国民にはわかりやすい、しかもあたたかいメッセージを発信して協力を呼びかけた。家庭では子供の世話をしながらの大活躍だった。

ロックダウンでコロナの押さえ込みに成功したニュージーランドは、警戒態勢を一段階下げた。そんななか、つい昨日のことだけれども、ジャシンダが夫ともどもレストランで食事をしようとしたところ、入店を拒否されるという「事件」が起きた。なんのことはない、その店はソーシャル・ディスタンシングを行っており、「満席」だったため、首相夫婦の入店を断ったのである。ところがその直後に席が空いた。そのため店員は走って彼らを追いかけ、めでたく首相夫婦はその店でデートをはたしたということだ。

このエピソードはいろいろと考えさせる。ジャシンダが首相という身分にもかかわらず、まったく一般市民と同じ振る舞いをしていること。店側も彼女を一般客とおなじ扱いをしていること。(ちなみに席がすぐ空いた場合は、直前に断られた客を店員が追いかけることになっているらしい)警戒態勢は一段階ゆるんだが、ソーシャル・ディスタンシングはきちんと励行されていること。首相の見事な統率力の結果、ニュージーランドは「日常」を取り戻しつつあるようだ。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...