Wednesday, September 29, 2021

関口存男「趣味のドイツ語」

Was ist der Mensch?

--Arthur Schopenhauer--

Jeder1 steckt2 in seinem Bewußtsein3 wie in seiner Haut4 und lebt unmittelbar5 nur in demselben6: daher7 ist8 ihm von außen nicht sehr zu helfen9. Auf der Bühne spielt Einer10 den Fürsten, ein Anderer den Rat11, ein Dritter den Diner, oder Soldaten, oder General. Aber diese Unterschiede12 sind nur im Aeußern13 vorhanden14; im Innern15, als Kern16 einer solchen Erscheinung, steckt bei allem17 das Selbe18: ein armer Komödiant19 mit seiner Plage20 und Not21. Im Leben ist es auch so22.

逐語訳:Jeder 誰しも in seiner Haut おのが膚のうちに[steckt はいっている] wie ごとく in seinem Bewußtsein おのが意識のうちに steckt [すっぽりと]はいっている、und そして unmittelbar 直接には nur ただ in demselben (= in seinem Bewußtsein)それの裡に於て[のみ] lebt 生きているのである。daher それゆえ ihm かれに対して von außen 外部からは sehr 大して zu helfen 救済すべくは ist nicht ない。Auf der Bühne 舞台上において Einer 一人の者は den Fürsten 王侯を、ein Anderer 他の者は den Rat 顧問を、ein Dritter 第三の者は den Diener 召使を、oder Soldaten あるいは兵士を、oder General あるいは将軍を spielt 演じている。Aber しかし diese Unterschiede これらの区別は nur ただ im Aeußern 外面に於てのみ sind vorhanden 存する。im Innern 内面には einer solchen Erscheinung 左様な現象の Kern 中核 als として bei allem すべての者の許に das Selbe 同一物が、[というのは即ち:] mit seiner Plage und Not おのおの其れ自身の悩みと苦労とを持った ein armer Komödiant 一人の哀れなる役者が steckt [その中に]かくれている。Im Leben [現実の]人生においても es それは auch また so その通り ist である。

:【解説】此の文は、十九世紀初頭のドイツ哲学者ショーペンハオエルの Aphorismen zur Lebensweisheit 「処世術箴言」の一箇所を其のまま持ってきたものです。御同様人間と申す者の心底のくだらなさを悲壮なる正直さを以て正視一番するとき、その暗澹たる心境に瞳孔のピントの合いはじめた哲眼の前に朦朧と姿をあらわす満目蕭条たる世界像……それがショーペンハオエルの哲学です。
【1】Jeder: 「誰人といえども」は jeder Mensch, jedermann, ein jeder, または jeder。
【2】steckt: stecken というのは、何かの中に隠れて這入っていること。たとえば、Das Schwert steckt in der Scheide (剣は鞘におさまっている)など。人間という奴は、逆立ちしても己が意識の中から抜け出すことはできない、ということを、「おのが意識の中にすっぽりと没入している」と云ったのです。偉そうな一般論は吐いても、意識はあくまでも個人意識で、蝉が殻を抜け出すように自分を抜け出すことのできなところに人生の真相(これを現象という、ショーペンハオエルはむしろ「幻」象です)があるというわけ。
「こころ」(英:mind)にピッタリ相当する適語は独逸語に存在しない。まず大体 Bewußtsein というむつかしい言葉を用いる。【3】Bewußtsein: 英の consciousness, 「意識」です。形容詞 bewußt (……を意識せる)。――俗に云えば人間の「こころ」というやつですが、(すなわち、考えたり感じたりしている状態のこと)此の「こころ」という平易な、漠然としていながら而も非常に適切な語は、英語には mind という好い語があるのに、ドイツ語には丁度あてはまる好い語がありません。Herz (心)(heart)は感情に偏し、Geist (精神)は「考え」に偏するなど、いずれも色彩が附きすぎます。したがって、そういう時には、たとえ哲学者でない普通人でも、此の Bewußtsein (意識)という、イカメシイ語を使わねばならぬというところに独逸民族の一特色があらわれていそうです。
【4】steckt in seiner Haut: 人間が皮の中に這入って生きているという、滑稽な程厳密至極な物の考え方は、ショ翁が此処で発明したわけではなくて、ドイツ語そのものに昔からそういう考え方があるので、たとえば「人様の気持になって見るなんてことは無理な話だ」ということを Jeder steckt in seiner Haut と云います。その外 Aus seiner Haut kann niemand herausfahren (人間誰しも自分自身の皮から脱け出すわけには行かぬ――夜にして別人になるなどという芸当はできぬ)とか、In seiner Haut möchte ich nicht stecken (あいつの身になって考えるとゾッとする)などということを申します。Haut というやつは、けっきょく「己が身」の意なので、直接個人的に痛痒を感ずる痛々しい場所ですから、肉体そのものの事を面白く Haut ということになっているのです。
【5】unmittelbar: 「直接には」、「当面は」と、此の仮定的な「は」を入れて考えること。――次に「直接」という意味をよく考えること。すなわち、理屈を介したり、考え方の筋路を通じたりその他いろいろと複雑な観点を通じて考えれば、「間接には」或いは社会意識そのものだったり、没自我的境地に立ち得たり、その他いろいろなものだったりするが、しかし、いちばん「直截なところ、さしずめは(zunächst einmal)」何かというと、それはツマリ獣的自我だ、というのです。人間としての「当面の姿は」と云ってもよろしい。――mittelbar (= indirectly, 間接に)と unmittelbar (directly, 直接に)とを比較しておぼえること。
derselbe その同じもの。該者。【6】in demselben: 「その同じものの中に」は、dem- から見て、男性か中性でなければならぬから、die Haut ではなく das Bewußtsein の方を指す。darin または in ihm とも云えるところを、理窟ばると derselbe を用いる。
【7】daher: 「それ故」「かるが故に」という意味の副詞が非常に多い:darum, daher, deshalb, deswegen, also, und so.
【8】ist......zu helfen: kann man helfen と同意。此の文には主語がないが、正順なら Es を主語にして Es ist ihm nicht zu helfen ですが、定形倒置の順になると Daher ist ihm nicht zu helfen とか Ihm ist nicht zu helfen とか、主語の es を省くのです。他の例で云うと:
 定形正置:Es ist mit ihm nicht zu scherzen.
      あいつにはうっかり冗談も云えない。
 定形倒置:Mit ihm ist nicht zu scherzen.
 定形*置:Ob mit ihm zu scherzen ist?
      あいつにうっかりからかって好いかどうかだ。
【9】文意:説諭して導いても、結局本人自身がその気にならねば本人の意識は改まらない。また、口からうまい物を入れてやっても、美しい家に住ませてやっても、月給を上げてやっても、それで本人が幸福になるかというと、そうは行かぬ。心の問題に関するかぎり、外部からは絶対に手の施しようがない。
【10】Einer: 現代文では小文字で einer と書く方が普通。以下 anderer 等、すべて然り。
【11】Rat, m.: 「顧問官」ですが、ドイツでは此の語を凡ゆるものに一般名称として用いるので、議員でも、次官でも、局長でも、審査員でも、重役でも、鑑査役でも、取締でも、委員でも、大臣でも、執事でも、秘書官でも、家老でも、番頭でも、すべて Rat さんです。――あとから思いついたが、Fürst は侯爵ではなく、英の prince と同様、一般名としては「国君」、あるいは「大名」、「元首」です。
【12】Unterschiede: der Unterschied (区別)の複。動詞は unterscheiden (区別する)。
【13】im Aeußern: das Aeußere が「外形」、「見かけ」、「外面」。Ae = Ä
【14】vorhanden: 「存在する」、「ある」という語が多いが、この vorhanden sein もその一つとして記憶すること。たとえば、「現存する」は wirklich da sein; wirklich vorhanden sein; wirklich existieren; Es gibt wirklich...... いずれも可です。但しおのおの用い所には多少の区別があります。
存する、存在する:
da sein.
vorhanden sein.
existieren.
Es gibt......
【15】im Innern: das Innere が「内面」、「内心」。
【16】Kern, m.: 元来は果物の核(さね)、転じて、中核、中枢、核心をなすものの事を云う。「うわべ」が die Schale (殻)で「中実」が der Kern です。ここでは「正体」と云えばよろしい。――原子核(Atomkern)や細胞核(Zellkern)等参照、英:nucleus.
【17】bei allem: bei jedem どの人間の許にも。(alle を単数形で jeder の意に用いることは比較的まれです)。
【18】das Selbe: dasselbe (同一物)と同じ。
意味に注意を要する概念:Komödiant / Dichter / Sabotage 等々【19】Komödiant, m.: 元来は「喜劇役者」のことであったのが、喜劇の方は大抵下等な役者がやることが多いので、遂に役者一般を軽蔑して Komödiant というのです。つまり河原乞食、馬の足、三文役者ですね。――こうした一般化は Poet, Dichter (詩人)にも見うけられます。詩人というと、詩を作る抒情詩人や短歌詩人を考えますが、それ以外に、そもそも「文人」のことを一般に詩人というのです。また Sabotage [サボージュ]というと、元来は怠業のことを云ったものですが、近頃は意味が広くなって、たとえば整理された鉄道員の不満分子のやっている国鉄運転妨害、その他悪意のいたずら、妨害行為のことを Sabotage というようになりました。――ついでに、「喜劇」という語と「悲劇」という語の、綴と発音がちょっと変っているから、此の際刻明におぼえること! -die という語尾は単に「イー」ではなく「イエ」と二つに分けて読む。つまり Melodie [メロィー]の -die などとはちがうのです。
Komödie (英:comedy
Tragödie (英:tragedy
【20】Plage, f.:「苦しみ」、「苦労」――動詞は plagen (いじめる)。
【21】Not, f.: 「苦境」、「窮迫」、「不自由」、「難儀」。
【22】文意:舞台に立った役者の立場が、直ちにもってまた人生に立った人間の姿である。大臣に扮して国家を引受けたような顔をしてみたところで、それは結局芝居で、役と本人とは別物である。本人はけっきょく永遠の獣的個人で、ここに最後の問題がある。

意訳:人間とは何ぞや?  ――ショーペンハオエル――
 人間誰しも己が意識の裡に埋もれて生けること、其の全身にすっぽりと皮膚を引き被りたる様に異らず、当面的には只おのれみずからの意識の裡に生く。かかるがゆえに、外部より手を下して之を救わんとするも大した効目なし。そは譬えば舞台を見るが如く、或者は大名に扮し、或者は家老、或者は下僕、或者は兵士、また或者は将軍を演ずといえども、這般の差別はただ外形にのみとどまり、ひとたび其の内実を取って検するときは、化物の正体はどれもこれも大体似たり寄ったりの代物、すなわち、みんなそれぞれ苦しい内幕を持った貧乏役者にほかならず、人生も亦かくの如し。

Sunday, September 26, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 178-179)


範例

It is far from being the case.

それは決してさうで無い。


解説

      |the fact = 事実

The case =  |True = 眞實

      |So = 爾か

此場合には常に the 有るを忘る可からず。


用例

1.  As is often the case with soldiers, I was a little too fond of liquors.

  C. Doyle

  軍人は往々さうだが、私も少々酒を好み過ぎた。

2.  As is always the case, I found, when I could not get any water, I was thirstier than I supposed I was.

  F. S. Cozzens

  こんな時には得て斯う云ふものだが、彌水が無いときまると思つたよりは咽喉が乾いたやうな氣がした。

3.  James was familiar with every part of the fording-place, and when the water was low, which was the case at this time, there was no danger of crossing.

  N. N. R. IV.

  ヂエームスは渡り場の有らゆる部分をよく知つて居た。されば水の少い時には(此時には水は少なかつた)渡るも更に危險は無かつた。

4.  To admit that England wants reforms is to admit that England is imperfect, and it is difficult to persuade the English nation that such is the case.

  四一 士官

  英國が改革を要する事を認むるはこれ即ち英國の不完全なるを認むるに等し、然るに此事の實際なるを英國民に信ぜしむる事は困難也。

  which was the case の which は water was low と云ふ clause を受く。

5.  Such might have been the case with Mr. Smith, when through the brilliant medium of his glass of old Madeira, he beheld three figures entering the room.

  N. Hawthorne

  古きマデイラ酒を盛つた酒盃のきらきらする媒介物を通して室に入つて來る三人の姿を認めた時にはスミス氏も其通りであつたかも知れぬ。

6.  Formerly, as indeed is now the case in lands where men live chiefly "on the land," among mountains, in woods, or swaying over the seas, education was gained through sight and hearing.

  Family Herald

  實に今日にても人々が陸上に、山中に、森林中に、將た、海上を航行して生活する國々に在りては事實なるが如く以前にも教育は眼と耳とを通して得られたり。

  sight and hearing = eyes and ears = senses

Friday, September 24, 2021

エラ・スクライムサワ作「シーラ・クリーラー サイキック探偵」(1920) 

私は十九世紀末から欧米で流行りだした神智学とか降霊術に興味があって、そうしたものを扱った小説は好んで読む。この当時、オカルト趣味が流行ったのにはいろいろな原因があるのだが、いちばん意外な原因、しかもかなり重要な原因のひとつとしてリーマン幾何学の誕生がある。リーマンは三次元だけでなく多次元を想定することを可能にした。その考え方が一般人にも広まり、この世界(三次元世界)以外の世界の存在を想像させるようになったのである。そうした考え方を取り入れた作品は当時ごまんと書かれた。わたしが訳した「悪魔の悲しみ」とかウエルズの「タイムマシーン」とかコンラッドの「継承者」など、いちいち例を挙げれば枚挙に暇がない。ミステリの分野でもサイキックが登場するようになったのはこの頃である。スクライムサワの「シーラ・クリーラー」もその一つで、単純な話だけれども意外と面白く読めた。

これは「ザ・ブルー・マガジン」という雑誌に掲載された六編の短編を一冊にまとめたものである。主人公のシーラ・クリーラーは孤児でお金もない若い女性である。しかし幽霊を見ることができるという特殊な能力があるので、それを利用して生計を立てようと考える。彼女は新聞に「幽霊をしずめます」という広告を出す。そしてお屋敷にとりついた幽霊をはらったり、村を襲うオオカミ男の正体をつきとめたりするのである。

同時にシーラはある男性と恋に落ち、物語は彼らの結婚で終わる。怪奇現象に恐れず立ち向かう勇敢な女性の恋と冒険の物語というわけだ。読後感は非常にさわやかで、長く記憶に残るような作品ではけっしてないものの、読んでいるあいだはたのしく過ごせたと実感のできる良作である。

Monday, September 20, 2021

ヒュー・コンウエイ「呼び戻されて」(1883)

ヒュー・コンウエイ(1847-1885)はブリストル生まれの小説家である。本作は発売されてから四年間で三十五万部を売り、エミリー・ディキンソンはこの小説を読んで友人への手紙に「忘れがたく、とてもすばらしい」作品であったと報告している。

物語は非常に裕福なギルバート・ヴォーガンという若者によって語られる。彼は白内障のせいで若いときに一時失明し、完全にものが見えなくなったのだが、その後手術により視力を回復した。物語は彼が失明していた時期に起きた奇怪な事件からはじまる。

彼はある晩、独りで自宅近辺を歩き廻る。玄関を出てから歩数を数えながら歩き、歩道の端までいく。そしてまた歩数を数えながら家まで戻るのだ。ところがその最中、酔っ払いにぶつかってしまい、彼は自分の居る場所がわからなくなってしまう。ふらふらさまよううちに、自分の家ではない、べつの家に入り込んでしまい、そこで女の悲鳴を聞きつける。目が見えないにもかかわらず紳士であるギルバートは、声の聞こえた部屋に飛び込んだ。そして血に濡れた死体の上に倒れ込み、さらには数名の悪党どもにつかまえられてしまったのである。

目が見えないということで彼は殺されずに追い返されたのだが、この事件が視力を取り戻してからの彼の人生に大きな影響を与える。

はじめてコンウエイの小説を読んだが、文章が驚くほど平明で、端正で、モダンな感じがした。文体だけをとるなら、とてもヴィクトリア朝の作品とは思えない。物語は信じられないような偶然を多用したメロドラマなのだが、文章には三十年ほど時代を先取りしたような簡潔さがある。

しかし物語のスピードはゆっくりしている。時間をかけて謎が提示され、それが解かれ、そして最期にロマンチックな展開を迎える。しかしいらいらするような遅さではない。悠々と丁寧に筋を運んでいるという感じだ。

ハーレクインのシリーズでロマンチック・サスペンスを読んだ人も多いと思うが、あの手の作品の元祖みたいな仕上がりで、十九世紀の世紀末にこんなものが書かれていたのかと、わたしはちょっと勉強になった。


Friday, September 17, 2021

エドワード・S・アーロンズ「秘密指令 東京」

エドワード・S・アーロンズを知っている人、覚えている人はどれだけいるだろうか。彼の本はハヤカワ・ミステリから五冊ほど出ているようだ。「ameqlist 翻訳作品集成」サイトで調べると、

「秘密司令ー破滅」

「秘密司令ー叛逆」

「秘密司令ー自殺」

「秘密司令ーゾラヤ」

「弁護士プレストン」

の五冊が翻訳されている。しかしすべて1960年代に出版されており、その後は再版されていないようだ。アーロンズは多作な人だが、一言でいえばパルプ作家だった。文章もあまりよくないし、物語展開もちょっと安易すぎるところがある。しかしわたしはときどきこの手の作品が読みたくなる。なにも考えず、ぼんやりと話を楽しみたいと思うときがあるのだ。

 


今回読んだのは「秘密司令ー東京」。架空の町、ハタシマという港町に奇妙な漂流物がたどり着く。それを開けた漁民のあいだに奇怪な病気が広がり、ハタシマの町は有刺鉄線がはりめぐらされ、隔離状態、今の言葉で言うとロックダウンの状態におかれてしまう。この漂流物はどうやら外国の細菌兵器だったようだ。猛烈な毒性を持ち、漁民たちは次々と死んでいく。ところがある若い女性が一人だけ病気にかかってから回復したようなのである。それが画家のカムル・ヨウコだ。(神室陽子かな? 原文では Kamuru となっているけど)おそらく彼女は毒性の弱い変異種に冒され、かろうじて回復することができたのだろう。肝心なのは、彼女が抗体を持っているということだ。彼女の血液からは何百万という人間の命を救う血清がとれる。が、その彼女が行方不明になるのだ。彼女の行方を追ってアメリカ、日本、ロシア、中国の警察やらスパイが暗闘を繰り広げる。ヨウコを見つけるのはどの国のスパイか。そして漂流物はどの国の兵器だったのか。

1960年代後半の騒然とした情勢を背景に物語は進行していく。しかし日本の描写と云っても作者が観光で手に入れた知識をまぶしているだけのチープなもので、あまり期待してはいけない。土産物屋でお目に掛かるような品が次々と出て来る。登場する日本人はどれも現実感を欠いており、遊郭におけるエロチックな場面も西洋人のファンタジーを日本に投影しただけの、興ざめなものとなっている。各国のスパイも溜息が出るほど型にはまっている。ロシアのスパイはウオッカの匂いをぷんぷんさせた、熊のような大男であり、中国共産党によって派遣されたスパイは人間のかけらもない、冷酷で非道な男だ。しかも中国のスパイの手下として全学連の学生が雇われるとは! しかしこういうクオリティの低い作品が読み手の精神状態を整えることがある。ダイエットの最中にチートディをもうけると、かえって減量が快調に進んだりするけれど、あんな感じである。良作とはとてもいえないが、わたしにはいい気分転換になった。

Tuesday, September 14, 2021

ジョン・ラッセル・ファーン「ひとつのことを除いて」(1947)

ファーンのミステリ、おそらく彼の全ミステリの中でもかなり出来のいいミステリだろうと思う。

リチャードは美しいとある女優と秘密裡に付き合い、結婚の約束までしていた。ところが彼女の冷たい人柄に嫌気が差し、かつまた別の女と恋をした結果、彼は女優に別れてくれと頼み込む。しかし女優は女優で自分の都合があり、おいそれとそんな要求はのめない。あくまで彼との結婚を求める。そこでリチャードは女優の殺害をもくろむのである。

もう一人の架空の人物を設定し、家と自動車を買い、殺害の準備を万端に調えるリチャード。そして計画の実行。予定していなかった殺人も犯してしまったが、まずまずうまくいったと彼は考える。

ここまでが物語の前半三分の一である。残りの部分は、その犯罪がいかに警察の捜査によって解き明かされるか、それを描いている。つまり本書は倒叙形式のミステリだ。

ただちょっと変わっているのは、リチャードが知り合いの警部の誘いのおかげで捜査に付き添うことになり、その状況をつぶさに知ることができるという点である。彼は自分が犯した犯罪の捜査の過程を知る立場に立つのだ。そこで自分のへまに気づき、それを糊塗しようとさらに予定になかった行動をしなければならなくなる。ここに奇妙な緊迫感が生じて、物語を面白くしている。

リチャードは有名な化学者という設定になっているが、見栄ばかり張る、落ち着きのない、短気な少壮学者である。化学はよくできるのだろうが、世間的な知恵はない。どんなに犯罪をうまく仕組んでも、この性格が彼を破滅へと導いていく。完全犯罪を構成し、それを周到に遂行できる、天才的な犯人でないのは残念だが(ホームズ対モリアーティーのように善と悪の頂上対決はいつの世も読者を興奮させてくれる)、リチャードはリチャードで興味深い個性を持っている。なにしろ元恋人の肉体を細片化し、それがまじったモルタルで自動車のガレージを作るのだから。

パルプ作家らしい異常な設定もあるが、しかし意外なくらい正統的な倒叙ミステリにしあがってもいる。

Friday, September 10, 2021

ゲーム実況者のための英語(11)

Yakuza シリーズのなかでも、Yakuza 2 あるいは Kiwami 2 と呼ばれている一編から。主人公の桐生が女性警官カオルを暴漢たちから救う。その直後に通報を受けた警官たちがやってくるが、おそらく面倒な説明を避けるためであろう、カオルは桐生の手を取って警官たちから逃げる。そのあと二人は大阪の町でデートをする。文字で見れば実況者クリスタルさんが平易な英語を使っていることがわかるだろう。

Things are getting steamy

She's holding my hand.
Why are we running away from the cops?1
We are the cops.2
We haven't done anything wrong.
Oh, holding hands, holding hands.
Oh, shit!3
Oh, oh, oh.....
Things4 are getting steamy5 up in here6, chat!7
Wow, wow...
Am I going out on a date?8
Wow, wow, wow....
Too fast, too fast.
First hand-holding and now9 date.
Too fast, too fast, too fast.
I....I don't like moving this fast.

彼女、わたしの手を握っているわ。
どうして警官から逃げているの?
わたしたち、警官じゃない。
なにも悪いことしてないわ。
ああ、手を握り合っている。
あらあら。
お熱くなってきたわよ、みんな。
ええ!?
わたし、デートするの?
ちょっと、ちょっと。
早すぎる、早すぎる。
はじめて手を握ったってのに、もうデート?
早すぎる、早すぎる。
こんなに早いのは気に入らないわ。

1 the cops 「警察・警官」。
2 We are the cops. are にストレスが置かれていることに注意。単純に「われわれは警官である」と事実を述べているのではなく、「われわれはまさしく警官ではないか」、「われわれは実際警官である」というように事実を強調した言い方。書き言葉では are はイタリック体で示される。
3 Oh, shit! 驚きとか当惑とか非難ををあらわす表現。
4 things 漠然と状況を意味する。Things are getting serious. 「事態は深刻になってきた」 Things are getting better/worse. 「状況が(よくなりつつ/悪化しつつ)ある」
5 steamy 「蒸気のような・熱気むんむんの」から「エロチックな」の意味が派生した。
6 up in here 俗語。「この場所では、こちらでは」の意。普通は in here という。
7 chat 動画を見てチャット欄にコメント書いている人々にむかって呼びかけている。
8 going out on a date 「デートする」という重要表現。go on a date でもよい。
9 and now はじめて手を握った「ばかりなのに、もうはや」デート? という言葉の勢いを and now に感じてほしい。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...