Monday, January 31, 2022

新ドイツ語大講座 訳読編

関口存男著「趣味のドイツ語」は中級者向けの解説書で、そのうちの読解にかかわる部分のみをこれまでデジタル化して来た。関口の解説はかゆいところに手が届く優秀なもので、ドイツ語の感覚を身につけたかったら一度は読んでおくといい。ただしドイツ語と英語を比較する部分は、皮相的と言わざるをえない。英独を比較して学びたいのであれば、英語かドイツ語で書かれた参考書を読むに限る。

今年は次回から「新ドイツ語大講座」第二巻の訳読編をデジタル化する。「趣味のドイツ語」と「大講座 訳読編」を通読しておけば中級の学習には大いに役立つはずである。古い「ドイツ語大講座」にも訳読編があるのだが、読んでみたところ、テキストに誤植が散見された。これを訂正して文字に起こそうかとも思ったけれど、手間がかかるのでどうしようか迷っている。

Saturday, January 29, 2022

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 221-226)


範例

I

He tried to collect himself.

彼は自分を落ちつけようとした。

II

He tried to collect his senses.

He tried to collect his scattered senses.

He tried to collect his wandering senses.

  Etc.   etc.

彼は(亂るゝ)心を落ちつけようとした。


解説

I

To collect (gather) oneself.

己を集む。

II

To collect (gather) one's wits.

To collect (gather) one's ideas.

To collect (gather) one's senses.

To collect (gather) one's feelings

To collect (gather) one's emotions.

To collect (gather) one's faculties.

To collect (gather) one's thoughts.

  Etc.   etc.

己の思想、感覺、能力等を集む。

I & II

= To recover oneself from surprise, embarrassment, fear, or a disconcerted or distracted state; to gather together or gain command over one's scattered thoughts, feelings, emotions or energies; to compose oneself.

心を落着ける、氣を鎭める、騒ぐ胸を鎭める、亂るゝ心を押鎭める。

I と II は全く同義にして I to collect oneself の -self は一種の Pronoun の如き役目をなし、II のwits, ideas, senses, feelings, emotions, faculties, thoughts 等に相當するものなり。


「己(の思想、感覺、能力等)を集む」とは狼狽して度を失ひたる様が、譬へば人の心の平均を失ひ中心を離れて四散するが如く、而て心の落着き我にかへりたるは一旦離散せる心を再び捨収せるが如き觀あるを以てなり。

「考を纏める」「考が纏らぬ」「心が散る」などの後を思ひ合す可し。

參考

 He was left to himself.

= He was left to his thoughts, reflections, etc.

 一人取り殘され(て考へ)た。

 He could not express himself properly.

= He could not express his thoughts, reflections properly, etc.

 彼は思ふところを正しく述べることが出來なかつた。

比較

 To collect (gather) onself (up or together).

= To collect and dispose one's powers for a great effort, as a beast crouches preparatory to a leap.

 獣が跳ばむとする時の如く四肢に力を入れて身構へす。

用例

I

1.  I collected myself sufficiently to make a sign in the affirmative.

 W. Collins

 私はさうだと合圖が出來るまでにやつとの事で氣を落着けた。

 in the affirmative (= "yes") 「肯定の」即ち「然りと云ふ」。

2.  I was obliged to wait and collect myself before I could answer him.

 W. Collins

 私は答へる前に、先づ暫く待つて、氣を落着けねばならなかつた。

3.  He dashed into this like one possessed; but finding himself in the light of the hanging lamp, collects himself by a violent effort, and looks around.

 The Duchess

 彼は夢中に飛び込んで來たが、ラムプが點いてゐたので、やつと心を落着け、それからあたりを見廻した。

 like one possessed 物に憑かれた人のやうに、氣でもちがつた人のやうに。finding himself in the light of の照らして居る所へ來たのを見て。by a violent effort 一生懸命になつて。

4.  He tried to collect himself, but could not succeed; for it is especially in the hours when men have the most need of thoughts and all the threads are broken in the brain.

 V. Hugo

 私は氣を落つけようとしたが出來なかつた。と云ふのは、思想の糸が頭の中で皆ちぢれて了ふのは、得て人が最も考を要する時であるからだ。

II

5.  She stands, still panting and pallid, trying to collect her thoughts.

 The Duchess

 彼女は氣を落着けようとし乍ら、色蒼ざめて、今なほ喘ぎ乍ら立て居る。

6.  Ere I could well collect my thoughts, I saw my father pass, fully dressed, with a light in his hand.

 Mrs. Craik

 まだ十分氣が落着かない中に、私は父がちやんと服を着け、燈を手にして歩いて行くのを見た。

7.  He sat down on a stone bench opposite the door, which served for seat and bedstead; and casting his bloodshot eyes upon the ground, tried to collect his thoughts.

 C. Dickens

 彼は入口に向き合つて居る石のベンチの、腰掛と寢臺の役目をして居るものゝ上に坐り、血走つた眼を地上に投じて、心を落着けようとした。

8.  She paused, therefore, for a moment, that she might collect her thoughts, erecting her head as she did so in her best Juno fashion, till the porter was lost in admiration.

 A. Trollope

 それ故心を落着ける爲に暫く默つて居た。其間、他所行の、例のジュノー風に、ぐつと反り身になつたので、若い物はうつとりと見惚れて居た。

 that she might... 出來るやうに。Juno fashion デュノーと云ふ神様のやうに、Juno は Jupiter の妻にして品位高き女神なり(羅馬神話)。was lost in admiration 恍惚として我を忘れて了ふ。

9.  As soon as she could collect her thoughts the first idea that naturally occurred to Mrs. Clements was to go and make inquiries at the asylum to which she dreaded that Anne had been taken back.

 W. Collins

 心が落着くや否や、クレメンツ夫人の心中に當然浮んで來たのはアンが連れ歸られて居るに相違ないと思はれる其病院に行つて、訊ねて見ると云ふ事であつた。

10. I closed my eyes in order to collect my scattered senses.

 A. Chamisso

 私は亂れた心を落着ける爲に眼を閉ぢた。

11. A halt was made for a moment, during which Dantes endeavoured to collect his scattered sense.

 A. Dumas

 護送の兵士は一寸立ち止まつたが、その間にダンテは心を落着けやうとした。

12. As well as I could I collected my senses and luggage at the same time, and took her to the carriage.

 E. T. Fowler

 私は一生懸命、心と荷物を同時に纏め、彼女を馬車に乗せてやつた。

 collected my senses and luggage at the same time 「心と荷物を一緒にまとめ」と洒落たるなり。

13. I took his arm. The first of my scattered senses that came back was the sense that warned me to sacrifice anything rather than make an enemy of him.

 W. Collins

 私は彼の手を取つた。私はやつと心が落着いて、初めてそれと感じたのは、何物を犠牲にしても彼を敵にしては不得策だと悟つたことであつた。

14. I was now trying to get the better of the stupor that had come over me, and to collect my senses, so as to see what was to be done, when I felt somebody grasp my arm.

 E. A. Poe

 私は今昏睡に打勝ち氣を押鎭め、どうしたら善いかと考へて居ると、誰やら私の腕を握るのを感じた。

 to get the better of に打勝つ。

15. In a short time he had had to collect his senses, the boy had firmly resolved that, whether he died in the attempt or not, he would make one effort to dart upstairs from the hall, and alarm the family.

 C. Dickens

 一寸の間に心を落着けて考へればならなかつたのだが、其間にオリヴァーは、譬へ死んでも梯段を昇つて行つて、家内の人々を起してやらうと固く決心した。

16. It was some time before I or the captain seemed to gather our senses; but at length, and about at the same moment, I released his wrist, which I was still holding, and he drew in his hand and looked sharply into the palm.

 R. L. Stevenson

 船長か私かがやつと我にかへつたのは暫くしてからであつたが、殆ど同時にその時まだ握つて居た彼の手を放すと、彼はそれを引つこめて、ぢつと手の中を眺めた。

17. Then I grew calmer and collected my faculties.

 Mark Twain

 其中段々氣が落着いて、我に返つて來た。

18. It was nearly ten o'clock at night when I cast myself down upon my bed, and began to gather my scattered wits, and to reflect upon what I had seen and heard.

 疲れた體を寢臺の上に投げ出し、亂るゝ心を落ちつけて、先程聞いたり見たりした事を考へはじめたのは、夜の殆ど十時であつた。

19. Collecting my scattered wits, I tried to go to sleep again; but alas! that fatal feast had destroyed sleep, and I vainly tried to quiet my wakeful senses with the rustle of leaves about the window and the breaking waves upon the beach.

 N. N. R. IV.

 亂るゝ心を押し鎭めて、再び眠らうとしたが、如何せん、あの不幸な御馳走が眠を破壊し、窓の邊りに戰ぐ木の葉の音、渚に砕くる波の音を聞いて、眼さめ勝な心を鎭めようとしたけれども其甲斐が無かつた。

 that fatal feast その御馳走の爲に眠れぬが故に fatal (不幸なる)とは云ふなり。make on enemy of を氣にする。

20. Having, as I thought, sufficiently collected my ideas, I now, with great caution and deliberation, put my hands behind my back, and unfastened the large iron buckle which belonged to the wainstband of my pantaloos.

 E. A. Poe

 私の心持ではもう充分氣が落着いたので、非常に愼重に氣をねらして、手を後に廻し、ヅボンの帶に着いて居る大きな締金をはづした。

Wednesday, January 26, 2022

ジェフリー・ポメロイ・デニス「ポーランドの収穫」


作者ジェフリー・ポメロイ・デニス(1892ー1963)はイギリスの外交官だったが、1930年に「世界の終わり」という変な作品でホーソンデン賞を受賞した。文学賞を受賞したくらいだから、当時はそれなりに評価されていたというべきだろう。今の時点で彼の作品は……正直、わたしにはそのよさがあまりよくわからない。しかしある種の奇怪な想念に取り憑かれていて、それを文学の形で表現しようとしていたようだ。

本作は1925年に書かれたオカルト小説である。ウィキペディアによると31年に書き直されたようだが、改訂版は手に入らなかった。妙な文体で書かれていて、慣れるまでちょっと戸惑ったのだが、改訂版ではこれが修正されているのだろうか。

しかし話自体は相当に面白い。先ほど言った作者の奇怪な想念が小説に化けたような感じだ。これはエマニュエル・リーというオックスフォード大学の苦学生が語る物語である。まず彼は予知能力を持つ女性から、決して外国へ行ってはいけないと、警告される。次に彼は降霊術の会に参加するのだが、その場でも霊媒師から同じような内容の警告を受ける。エマニュエルは半信半疑でその預言を聞いていたのだが、しばらくすると実際にとあるポーランド人からしばらくポーランドの自分の家に来て、英語のレッスンをしてくれないかと頼まれた。ジュリアン・レリヴェルというこの男は皇子の称号を持ち、普段はどこにでもいそうな若者のしゃべり方をするのだが、ことエマニュエルをポーランドに誘う話になると、目つきがぼうっとなり、遠くから聞こえる声を復唱するみたいに慎重に言葉を発するのだ。エマニュエルは彼の頼みを引き受け、レリヴェルと外国へ旅立つ。

そのあとは海峡を渡ってフランスからドイツへ、そしてポーランドへ旅をする。道中はコミカルで、どこかグロテスクなのだが、旅の目的地、すなわちポーランドのレリヴェルの家にも筒井康隆の小説にでも出て来そうな妙ちきりんな連中がそろっていた。ここの住人たちは祖母の財産をめぐって大きく二派にわかれていて、なにかというとすぐさまいがみ合う。食事の最中ですら、いつも二派はいさかいを始め、激烈なののしり合いに発展するのである。

さらにこの家にはツヴァンという得体の知れない小男が食客として滞在していて、エマニュエルは彼に目をつけられ、気味の悪い思いをする。

居心地が悪いのは家の中だけではない。当時のロシア・ドイツ・ポーランドをめぐる国際政治情勢のせいだろうか、エマニュエルは外出したときに言葉の通じないロシアの官憲にとらえられ、ポーランド人の農夫たちの手によって助け出されたりする。

いったいこの小説にはなにが書かれているのだろう。何が焦点になっているのだろう。一番最後、悪魔との対決のシーンまで、とにかくこれは「世界の終わり」と同じくらい珍妙な小説である。「世界の終わり」は世界がどう終わるかについて書かれているので少なくとも一貫した主題が見て取れるが、この小説は一読しただけではなにを主題にしているのかさっっぱりわからなかった。語られるエピソードが突飛でグロテスクで面白いので、退屈することはない。また、なにかを伝えようとする白熱した思いがあることは、その奇妙な文体からもわかる。しかしその思いがなんなのかさっぱりわからず、読み終わって茫然とさせられるような、異様なゴシック小説である。他の人がこの小説を読んでどんな印象を持ったのか、ぜひとも知りたいものだ。

Sunday, January 23, 2022

ジェフリー・R・ウィークス「空間の形」

本書 The Shape of Space は「フリーランス数学者」であるウィークスが書いたトポロジー入門書である。たまたま手に入れた本なのだが、入門書の傑作である。トポロジーの基礎的な概念がわかりやすく、直感的に示されているだけではない。豊富な問題を通して読者に考えさせるようにも作られている。

著者は高校生の時にトポロジーに興味を抱いたが、大学に入っても適当な入門書や授業に巡り会えなかった。だから大人になってから、著者とおなじようにトポロジーに興味を持つ若い人々に向けて解説書を書いたということらしい。ある意味で、彼は知識欲にうずく若き日の自分のためにこの本を書いたのだ。だからこの本はただ知識を伝達するだけの冷たい本ではなく、どこか暖かみを感じさせる。しかも、手取り足取りすべてを解説し尽くすのではなく、若い知性にみずから跳躍を試みさせ、知的体力をつけさせようとする、名教師の配慮に満ちた本である。2002年に出た本だが、是非とも翻訳してもらいたいものだ。

作者は Torus Games という無料のゲームをネット上に公開している。これをダウンロードしていろいろと遊んでおけば、本書もかなり理解しやすい。あり得ない空間を直感的に把握するいい訓練になる。

Thursday, January 20, 2022

オッペンハイム「入れ替わった男」

エドワード・フィリップス・オッペンハイムは十九世紀末から二十世紀前半に活躍したミステリ作家である。いや、ミステリ作家というよりロマンチック・ミステリとでもいったほうがぴったりするだろう。ミステリと同じくらいロマンスの要素も含まれているから。スパイ小説もたくさん書いているが、今のスパイ小説と比べるとずいぶんのんびりした印象を与える。なにしろスパイはたいてい貴族で、優雅な生活をし、美しいご婦人方とおつきあいしながら秘密の活動をしているのだから。しかし初期のスパイ小説とはそんなものだ。

オッペンハイムの「入れ替わった男」はその中でも名作として知られる。原題は The Great Impersonation。Great 「大いなる」などとつくところが時代を感じさせるが、よくできた話である。顔つきも体つきもそっくりなイギリス人の青年とドイツ人の青年が、偶然アフリカで出くわす。二人は学生時代をおなじ学校で過ごし、親しくつきあってもいた。しかし学校を出てからはイギリス人の方は自堕落な生活を送り、ドイツ人の方は軍人として活躍していた。その軍人の方が双子のような友人との再会を祝いながら、ふと奸計をめぐらせるのだ。イギリス人を殺し、彼になりすまして、イギリスの上流社会に潜入し、情報を盗めないか。ここから驚くべき物語が展開することになる。

興味のある方は右の欄に私の翻訳へのリンクがあるので、ご覧頂きたい。

この本を訳しているとき、一つ変な文章がある事に気づいた。それはこんな文章である。


Mr. Mangan was a lawyer of the new-fashioned school⁠-Harrow and Cambridge, the Bath Club, racquets and fives, rather than gold and lawn tennis.


ミスタ・マンガンは新しい流派の法律家だった。学校はハロウからケンブリッジへと進み、所属する倶楽部はバス・クラブ、スポーツはgold やローンテニスよりもラケットやファイブスを好む。


私は gold にひっかかったのだが、なぜかどの出版物を調べてもみな gold だ。しかしここはスポーツ名がならんでいるのだからこれは golf に違いないと思い、訳では「ゴルフ」としておいた。たぶん一番最初に出た本に gold とあったせいだろう。活字職人の間違いがそのまま延々と引き継がれてきたのである。プロジェクト・グーテンベルグから出ている電子版も本に書いてある通り gold となっている。

最近ちょっと気になって gold が golf に訂正されているかどうか調べたら、相変わらず間違ったままだ。そこで Standard Ebooks のほうには修正のお願いを出してみた。するとすぐさま返事が返ってきて、こちらのテキストではちゃんと golf になった。この本は1920年に出たのだが、出版以来ずっと gold とあった部分が百年後に golf に訂正されたのである。訂正させたのは私である、と威張るつもりはないけれど、ちょっとだけ自慢しても罰はあたらないだろう。ちなみにオッペンハイムの記述は事実に即していて、1920年頃には確かにケンブリッジ出身の法律家が増えている。彼らは若いからゴルフなどよりラケットみたいな激しいスポーツを好んだであろうことも当然予想される。

Monday, January 17, 2022

小説とトポロジー

わたしは数年前、軍隊小説を読みあさっていたころ、兵士たちが行軍する山道に奇妙な特徴があることに気がついた。それは最初のうちは平々凡々、誰もがよく知る山道なのだが、ずっとそれをたどっていくと、およそ非日常としかいいようのない、茫然とするような、言語を絶した光景の展開する場所へとつながっていくのだ。それはおどろくべき反転現象である。冒険小説にもこんな現象はよくあらわれる。山道をどこまでも進んで行くと、人外魔境が現出するというように。この反転現象は、メビウスの帯を思わせる(メビウスの帯と山道はその恰好がそっくりだ)。ある平面上をぐるりとめぐるように進んで行くと、いつの間にか「向き付けの不可能な」反対の面に出て行ってしまうのである。

今日出海の「山中放浪」にはこんな場面がある。激戦地の比島へ行った著者は、ジープに乗り、米軍がつくった山道を通って遁走しようとする。それは広くて実に快適・実用的な道路なのだ。著者はつい車の中でうとうとしてしまう。気がつくと周囲は真っ暗闇で、彼らは切り立った恐るべき断崖の端を進んでいた。ここにはまさに「崇高なもの」が描かれている。それは、象徴界が薄い膜を隔てて現実界とさしむかう地点、象徴界の限界を意味している。出発地点において作者は快適で実用的な、それこそ象徴界のど真ん中に位置していたが、彼はいつの間にかその反対の地点にまでたどりついてしまっていた。

わたしが翻訳したルネ・フュレップ=ミラー作「闇の深みへ」にも、このおなじ情況が表現されてている。なんでもない山道をみんなと楽しく話をしながら歩いていた主人公は、突然上官の命令で激戦地である高地へと送り込まれる。ここはそれこそ地獄のようなグロテスクな場所である。すべてが反転してしまっている。みんなと楽しく山道を歩いていたとき、主人公は娼館へ行って、大きな胸の女を相手にあそびまくることを夢見ていた。これは普通の欲望の世界である。ところが激戦地の高地では、軍の命令により、いつまでもいつまでもみずからを死の危険にさらしつづけなければならない。そこは永遠に死を欲望し続けなければならない世界、つまりあきらかに死の欲動の世界である。

このように反転した世界のあいだでは言語が通じない。「闇の深みへ」のある章では、高地で指揮を執る将軍が、電話で本部の官僚たちと話をする場面が描かれているが、この会話は失敗に帰する。将軍が自分たちの情況をいくら説明しても官僚たちにはそれが通じないのだ。向き付けが不可能とはまさにこういうことだ。彼らはメビウスの帯の正反対の地点に位置している。同じ現象は今日出海の「山中放浪」にも見て取れる。今は比島で日本軍兵士とまさしく生死の境をさまよった。彼は奇跡的に帰還してからみずからの体験を新聞記者たちに話すのだが、彼らとは全く話が通じないのだ。新聞記者は今に「貴様は愛国精神が足りぬ」といい、今は「お前らは危険を冒して取材に行っていると言うが、まだ踏み込みが進み足りず、なにもわかっていない。もっと先へ行って見ろ」という。言葉の通じない彼らは結局けんかするしかなく、今は毎度毎度血まみれになって宿に帰ることになる。しかし今の「もっと先へ行け」という言葉は胸に来る。メビウスの帯の先へ行け。反転するところまで。おまえたちはまだその地点にまで達していないのだ。

このメビウスの帯は異様な構造を持っている。連続した平面上をどこまでも歩いて行くと反転現象が起きる。それは連続しているが、どこかで非連続が生じているのだ。こういう奇怪な構造が小説の中にはあらわれる。

メビウスの帯を四次元空間で立体化したのがクラインの管だが、物語においても上記のメビウスの帯的構造が物語そのものの構造に組み込まれるケースがある。

これまたわたしが訳したクロード・ホートン作「わが名はジョナサン・スクリブナー」には四次元的な構造が見られる。後書きでくわしく書いたが、要するに物語内部の一人物が、実は物語のフレームワークそのものになっているのである。じつはわたしはこれとまったく同じ構造を、ずいぶん昔に見出していた。スチュアート・ゴードン監督「ドールズ」というホラー映画も、物語の内部で言及されるだけの人物が、じつは物語の枠組みとなっているのだ。(こちら)小説と空間このような作品構造は四次元空間におけるクライン管にたとえるのがもっとも適切だろう。内部と外部が一続きになっているのだから。このような構造においてはメタレベル/オブジェクト・レベルの区別が崩壊してしまう。

クライン管は三次元で考えようとすると、どうしても自己交差する部分が出て来てしまう。この交差の地点、ハイパー空間においてのみありえる(三次元においては不可能な)地点が、「ジョナサン・スクリブナー」においては語り手とスクリブナーの交差の地点、「ドールズ」の場合は少女ジュディと母親との交差の地点である。前者の場合、語り手の言葉はじつはスクリブナーの言葉であり、後者の場合、ジュディの欲望は母親の欲望なのである。交差の地点はクライン管が持つ奇妙なねじれの位置を示している。それはメタレベルとオブジェクト・レベルがくるりと入れ替わる地点でもある。

わたしは小説に登場する建築物に非常に興味がある。建築物は三次元的空間を表象しているように見えるが、じつはよくよく見ると幾何学的には考えられないような構造を持っていることがある。たとえば「オードリー夫人の秘密」に登場する館などはその典型である。これも翻訳したときにかなり詳しく後書きで説明したのだが、この館にはさまざまな断点が生じている。一見直線のように見えても、じつはその直線には眼に見えない断点が生じているのだ。屋敷の奥へ向かって突き進んでいるつもりだったのに、気がつくと入口に戻ってきてしまっていた、などというのはこの奇怪な断点の作用である。断点は目的論的な構えを瓦解させる。この直線のよじれもメビウスの帯を考えることで整理が可能だ。今まで自分が考えてきたことがトポロジーを参照することでずいぶんと明確になる。最近はそんなことを考えている。

Friday, January 14, 2022

ゲーム実況者のための英語(17)

ゲーム実況者のクリスタルさんは「ペルソナ」と「ヤクザ」シリーズの大ファンであり、コスプレーヤーであり、かつプロのダンサーでもある。今回はちょっと長めの場面になってしまったが、文は短く意味は取りやすいと思う。

(reading out the subtitle) This chicken...I wanna keep1 it.
(reading out the subtitle) What? You're gonna keep it? As a pet?
(reading out the subtitle) Is that not allowed?
(reading out the subtitle) Not, it's fine, but...I thought you wanted it cooked. You know, a juicy roast chicken with a crispy skin?
(reading out the subtitle) Well, I can have that some other time2.
(reading out the subtitle) Okay, then. This is your chicken now. Congratulations!
(reading out the subtitle) Hello, chiken. Your name will be...Nugget...
I hate this game3.
This game is ass4.
Oh, god.
He said that with such confidence5.
Oh, fuck!6
(reading out the subtitle)Nugget has joined your team as a ma(nager)...
This is a fucking chiken!
What the fuck!
A chicken is not a manager.
What is happening?
Oh my god!
I have lost control of my life!7
What the fuck, bro!8
This is not a serious crime drama.
I can't....9

(サブタイトルを読む)この鶏は、おれが飼う。
(サブタイトルを読む)なんですって。飼う? ペットとして?
(サブタイトルを読む)できないのか?
(サブタイトルを読む)いえ、結構です。でも調理して欲しかったのではありませんか。ジューシーなお肉、パリパリの皮。
(サブタイトルを読む)そいつは別のときにしよう。
(サブタイトルを読む)それではこの鶏はお客さまのものです。おめでとうございます。
(サブタイトルを読む)やあ、鶏。おまえの名前は……ナゲットだ。
もうこのゲーム、いや!
ひどいゲームだわ。
ああ。
彼ったら胸を張って(あんな滑稽な名前を)言うんだもの。
いやになっちゃう。
(サブタイトルを読む)ナゲットはマネージャーとしてあなたの(経営)チームに加わりま……。
どういうこと?
鶏はマネージャーじゃないわよ。
なにが起きているの?
ちょっと!
ああ、わたしの人生はぐちゃぐちゃだわ。
どうなってるの。
こんなのシリアス系の犯罪ドラマじゃないわ。
わたし、もうだめ。

1. keep は「(動物を)飼う」という意味。
2. some other time 「いつかべつの時に」
3. I hate this game もちろん嫌いなわけがない。しかしこういうふうに反対のことを言うのはアメリカ英語ではよくある。一種のユーモアと考えてよい。
4. This game is ass 「このゲームはクソだ」という意味。ass は「クソ野郎」という意味でも使う。a nasty ass 「いやな野郎」、a dumbass 「ぼけなす」など。しかしここでは直前の I hate this game と同じく、本気でこのゲームは ass だと言っているわけではない。むしろ「面白い」と言っているのだ。
5. with confidence は「自信をもって、自信たっぷりに、堂々と、ためらいなく」のような意味。
6. What the fuck! 今までに見た What on earth とか What the hell などと同じ驚愕の表現。
7. I have lost control of my life 「自分の人生に対するコントロールを失った」という意味。鶏が経営マネージャーになる滅茶苦茶な事態に陥り、大袈裟に嘆いて見せている。 I cannot handle my life any more とか What am I doing with my life? と言っても同じ。my life はもちろん my life in this game の意。
8. bro は brother の短縮形で、「よう、どういうことだ?」の「よう」にあたる表現。本来は brother に向かって呼びかける言葉だが(「よう、兄弟!」)、ここでは誰か特定の人を想定して呼びかけているわけではない。おなじように man が使われることも多い。Man, what a nice dress! (よう、きれいなドレスだな!)ちなみにクリスタルさんはこの bro をよく使う。
9. I can't... はこれだけで(つまり動詞を伴わない形で)絶句した時によく使われる。ここでは「もう堪えられない」「もうだめ」くらいの意味。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...